フクレの大冒険(フクレ)
フクレは妖精種である。名前はもうある。
つい先日、敬愛する主からこんな話を聞かされた。
自分はあの未開惑星――地球で暮らした『前世の記憶』がある。だから開拓者に名乗りをあげ、それにかこけつけて郷里に帰ってきたのだという。
それを聞いたフクレの感想は「なるほど」だった。
元々、主は普通の神族と違っていたし、やけに地球の文化に詳しいところがあった。だから思わず納得したのである。
別段、驚きや心変わりなどはなかった。
何故なら、シルキーにとって記憶とは情報に過ぎないからだ。
体が古くなれば記憶ごと新しい肉体に注入すればいいだけの話。
前世といっても、要は前の器の情報だろう。
それを引き継ぐことのどこにおかしさがあるというのか。
実際、この宇宙には肉の体を持たない種族も大勢いる。
連続した記憶を持つ者だって珍しくなかった。
そんなわけで、主から一世一代の告白を受けても、フクレの態度は特に変わらなかったのだが……。代わりによく地球の話を聞かされるようになった。
「今、日本はお盆ですね。あ、お盆というのは――」
「この星では少し前まで天動説が信じられていたんですよ。知っていますか――」
「犬派か猫派か、難しい問題です。そもそも太古から――」
「ほら見てくださいフクレ! このゲームはJRPGの金字塔で――」
シルキーは文化を持たない。被造物として、創造主のために働くことを喜びとして生きている。だから話を聞いたところで、そういうものかと頷くことしか出来ないが、主はそんな話し甲斐のない相手であっても懲りずに声をかけてくれるのだ。
気の利いた返事が出来ない自分に悔しさを覚える。
そんな折、フクレはレグがぽつりとこんな言葉を零すのを聞いた。
「……ポテチが食べたいですね」
ちょうどフクレが後ろを通りがかった時のこと。
慌てて否定するように頭を振っていたが、フクレの優れた集音器官はその望みを確かに聞き届けていた。
食べたいというからには、きっと“ぽてち”なるものは食品だろう。それも恐らくは地球の食べ物だ。
フクレの主は妙に控え目なところがある。偉大な神族なのだから思うがまま振舞えばいいのに、従者である自分にさえ気を遣うほどだ。ならばその望みもうっかり口にしてしまっただけで、流してしまう可能性が高い。
ゆえに、フクレは考えた。
こっそり自分が地球に行って、その“ぽてち”とやらを手に入れてくるのはどうだろう。それで主へ差し出すのだ。きっと喜んでくれるに違いない!
頭の中に描く輝かしい未来図。
(お忙しいレグ様に代わって、吾輩がその願い、果たしてみせますぞ……!)
そうと決まれば善は急げだ。
すぐさま地球に行き――はせず、一応「出かけてきます」と書置きを残して、フクレは小型転移装置を起動するのだった。
◇ ◇ ◇
さて、一口に「地球へ行く」と言っても、その選択肢は無数にある。
どこへ降り立つかという問題に対して、フクレが出した答えは――
『フム、空気が汚れているな』
都心から少し離れた東京の住宅街だった。
第一に日本国を選ぶことは外せない。何故なら主はこの国で育ったのだという。ならば必然的に“ぽてち”も売られているはずだ。
第二に人口の少ない場所では、需要と供給の関係で目当てのものが手に入らないかもしれない。
以上の理由から導き出された答えだ。
時刻は昼過ぎ。明るいが、夏真っ盛りのため人影が見当たらない。シルキーは耐寒・耐暑ともに優れたボディを持っているので、このくらいの暑さなんてことないが、この星の人間からしてみると耐えがたい気温らしい。
軽く気配を探ってみたところで、屋内に引きこもってばかりいた。
『……行くか』
こうしていても埒が明かない。
ひとまず当て所なく動いてみることにしたフクレ。
(ここがレグ様のもう一つの故郷か)
人型の生命体が住んでいる以上、惑星ハーヴェンとの類似点はいくつかある。だがハーヴェン族のそれと比べれば、密集しすぎていて狭苦しい印象を受ける。何よりも緑が少ない。それさえも主の生まれた地と思えば素晴らしいものに思えてくるから不思議だ。
時折すれ違うのは野良猫くらい。フクレという未知の生物に驚いて逃げ出していく。
そんな風にふよふよと漂っているうち、ようやく人影に出くわした。
(……童、か?)
前方から三人の子どもたちが歩いてくる。もしここにレグがいれば、ランドセルを背負っていることから、すぐに小学生だと言い当てられただろう。それも赤いランドセルが女の子で、あとの二人は黒いランドセルだから男の子だ、と。
たとえば鼠人族族や小鬼種族なら、このくらいの背丈でももう大人だ。地球人はどうだろうか。
『もし。すまないが』
先手を取ってフクレから話かける。
主が求める“ぽてち”のために手段は選んでいられない。
「うわー! クラゲがしゃべった?!」
「なにこれ!?」
「ふ、ふたりとも、あぶないよぅ……」
結果、フクレは手荒い歓迎を受けた。
三人のうち、髪を短く切った活発そうな男の子がフクレの体を撫でまわす。もう一人の眼鏡をかけた男子はそれを横で興奮して見ている。唯一、三つ編みの大人しそうな女の子だけが後ろの方でもじもじしていた。
(ぬわー!!??)
レグも時々こうして体を触ってくることがある。だが、ここまで激しくはない。子どもらしい一切遠慮のない手つきに、フクレは心の中で悲鳴を上げた。
慌てて触腕を振るって距離を取る。
『え、ええいっ。やめんか!』
油断していた。まさか初手からこんな対応を取ってくるとは。
野蛮な下等生物どもめ、と内心毒づく。
「あっ」
「おい、アサヒも触ってみろよ! すっげーもちもちだぜ!」
冗談じゃないとフクレは声を上げた。
『吾輩は貴様らの玩具ではないわ! まったく……。おい、一つ聞きたいのだが―――ん?』
その時、フクレたちの傍に真っ黒なボックスカーが止まった。急ブレーキの嫌な音に子どもたちが耳を抑える。ぶつかりそうになったわけでなく、横づけするために無理やり止まった形だ。
何事かフクレがじっと観察していると、勢いよく扉を開けて覆面の男たちが飛び出してきた。
「おい、どいつがターゲットだ!」
「分からねぇ、とりあえず全員捕まえるぞ」
「どの道見られたからにはな……」
そう吐き捨てて、男たちが動く。
彼らは素早く子どもたちの口を塞ぐと、手を縛って車内へ運び込んでしまった。
「「「んんんん~~~!?」」」
果たして、地球ではこれが普通のことなのだろうか。
ぽかんとしてフクレが見ていると、
「この変なのはどうしやす?」
「あ、あー、あぁ? まぁ連れていけ。ペットショップにでもいきゃ売れんだろ」
雑に袋を被せられ、フクレもまた車に積み込まれてしまうのだった。
白昼堂々行われた誘拐事件に、目撃者はいない――
◇ ◇ ◇
「うっ、ひぐっ……えぐっ……」
埃まみれの小さな倉庫だった。
三人の子どもと、おまけでフクレを誘拐した男たちは、この倉庫に子どもたちを閉じ込めると見張りを一人だけ置いて外に出ていった。
――逃げたらどうなるか、分かってんだろうな?
そう脅しつけられて、子どもたちは泣いていた。
ただしアサヒと呼ばれた男の子だけは、その眼鏡を光らして周囲を見回している。どの道、手を縛られている以上身動きは取れないが。
「……リョウタくん、ヒラガさん、大丈夫。ぜったいにおじいちゃんが、たすけにきてくれるから」
そんな涙ぐましい励ましの言葉を見張り役がせせら笑う。
「ハン。その“おじいちゃん”のせいで捕まってるんだろうが」
「う……」
その一部始終をフクレは袋の中で聞いていた。
適当に、床に放り投げられたままで。
ハーヴェン族の役に立つために作られた体は優れもので、扉の向こうにいる男たちの会話すら聞き取ってしまう。
『こんなことして本当に大丈夫なんすか? 要人の誘拐なんて……』
『心配すんな、俺らにはでっけーバックがついてんだよ』
『はぁ……』
『これが終われば華国に高跳びだ。あっちで依頼主様がポストを用意して待ってくれてんのさ。俺たち全員のな』
『華国、華国ねぇ。あの国は、そんなに総理が邪魔なんすかね』
『誰が呼んだか、“神に見捨てられた国”。だから、失態を取り戻すんで必死なんだろ。まぁ俺らにゃ関係のない話さ』
どこかで聞いたことのある名前を聞いて、レグは記憶回路を漁った。そしてすぐに華国というのが、主が見せしめでダンジョンを接収した国だと思い出した。
つまりこの男たちは、かの国の手先というわけか。
(……なるほど。吾輩はこの者たちに、ついでで拐かされたのだな)
フクレが事ここに至るまでじっとしていたのは、自分が何をされているか理解出来なかったからだ。自分の知らない地球の文化があるのだろうか、それとも下等生物どもがじゃれついてきているのだろうか。
あれこれ考えるうち、雑に打ち捨てられていた。
(この程度の拘束で抑えられると思っているなら、舐められたものだ)
いい加減、この暑苦しい天蓋を袋ごと打ち破ってしまおう。
そう決めて体に力を籠めた時、
「いい加減うるせぇぞ! いつまでピーピー泣いてんだ、あァ!?」
怒鳴り声が響いてきた。
「あ゛~、イライラするぜ。なんだって俺がガキのお守りなんてしなきゃいけねぇんだ」
見張り役の男が椅子から立ち上がる。
その眼は血走って、狂気を帯びていた。
「……そうだ、そうだぜ。なってねぇガキは躾けてやんなきゃ。それが“大人”ってもんだぜ。なァ、おい? ちっとくらい痛めつけても平気だろ」
そう言って男が小机の上にあったナイフを手に取る。
ひた、ひたと忍び寄る姿に恐怖を煽られたか、子どもたちの鳴き声が止む。それでも男の歩みが止まることはなかった。
その進路上に突如立ちふさがる小さな影が一つ。
「……や、やめろ!」
眼鏡の男の子、アサヒが他の二人の前に出て、男の顔を睨み上げた。
手を縛られたまま、体を震えさせながら声を上げる。
「おじさんたちのねらいは、ぼくでしょ! 二人はかんけいない!!」
「ククッ……涙ぐましいねぇ。そういうの嫌いじゃないぜ。ただ口の利き方がなっちゃいねぇな。おじさん、じゃなく……」
抜き身のナイフをアサヒの頬に当て、嗤う男。
鈍色の刀身が小さな傷を作る。そうして遊ぶのも束の間、男は急にもう片方の――ナイフを持っていない方の手を振り上げた。
「お兄さんだろうがぁぁああああああ!!」
握られた拳が幼い体に襲いかからんとする、刹那。
「――あァ!?」
「クラゲさん!?」
二人の間に割って入ったのは、摩訶不思議な半透明のクラゲだった。
交差する触腕が男の拳を受け止め、完全に勢いを殺している。
「な、なんだこいつ!」
『何と聞かれれば答えるのが礼儀であるか。吾輩の名は――』
「クソがッ!!」
悪態をつきながら、今度は男がナイフを振り下ろす。人質が相手でないからか、一切躊躇の無い行動だった。
しかしそれさえも、たった一本の触腕に防がれる。
フクレは――シルキーは、文明レベル5の人類によって作り出された生物だ。
その体は表皮であろうと簡単に傷つけられない。
『痴れ者が』
フクレからしてみれば未開の生物同士が争っているだけの光景、わざわざ介入する必要もなかったのだが。
震えている子どもたちを一瞥して、思う。
(レグ様に感謝するのだな)
一応は主の故郷に根差す者たちだ。
助けてやろうと霊子回路を起動させた。
フクレは神族でないから霊子の感応器官を持たない。しかしシルキーたちは個体ごとに操霊術の術式が刻まれている。あらかじめ刻まれた術だけに限り、いつでも発動させることが出来るのだ。
普段からフクレが宙に浮かんでいるのもこのためだ。
そんな操霊術のうち、護身用として設定されたものを呼び起こす。
『案ずるな。貴様もまたこの星の住人の一人。命は取らん』
照明のない仄暗い倉庫。
その薄闇の中に蒼い雷光が瞬く。
埃の焼ける臭いと空気を焦がす雷鳴の音。
その身に電気を纏ったフクレが、ゆったりと触腕をかざした。
「や、やめ……来るな! 来る――がぁあああああ゛あ゛あ゛!!??」
蒼い電撃が放たれ男を襲う。
咄嗟に突き出した手は何の役にも立たなかった。
「おい! なんだ今の声は――うぎ!?」
「あがががががが」
「しび、し…………!!」
「ぎぃいいいい?!」
叫び声を聞きつけ男の仲間たちがやってくるも、ただ犠牲者が増えただけだった。
平等に電撃を受けて、動くことも出来ずに立ったまま気絶していく。
やがて、どさどさと倒れ込み人の山を作った。
『加減はしたぞ』
主風に言えば、経験値にもならない雑魚モンスターの群れだ。他愛もない。
フクレは鼻を鳴らし――もちろん鼻はないので雰囲気だ――術を解く。
「すっごい……」
「クラゲ、つえええええ!!」
「か……かっちゃった!」
子どもたちが喝采を上げる。
先ほどまでの絶望した目から一転、キラキラした目でフクレを見つめてくる。
後は拘束さえ解いてしまえば自分たちで何とかするだろう。
『おい』
だから今度こそ、フクレは本懐を果たすために口を開いた。
『童ら、“ぽてち”とやらはどこに行けば手に入るのだ?』
思いもよらぬ事件に巻き込まれてしまったが。
ようやく主の喜ぶ顔が見られそうだ――
◇ ◇ ◇
「あ、フクレ、おかえりなさい。どこ行ってたんですか?」
あれからフクレは、なおもトラブルに巻き込まれながらも何とかロゼリア号に帰ってきた。そこには語るも涙、聞くも涙の壮大な冒険譚があったのだが、ともかく。
どうにかこうにか“ぽてち”――ポテトチップスの入手に成功したのだ。
「あなたが外出なんて珍しいですね」
レグの顔を見たら、フクレは何だかどっと疲れが押し寄せてきた。
うっかりそれを悟られて気を遣われないよう、張り切って声を出す。
『ハイ、ご迷惑をおかけしました!』
「いえ、別に迷惑とかではないのですが……」
じ、とレグがフクレを見つめる。
というより、その眼は健気な従者が後ろ手に隠している“何か”に向けられていた。
『レグ様、どうぞお納めください』
「へ?」
ポテトチップス(うすしお味・60g)。
唐突にその袋に印刷されたキャラクターと目が合ったレグは、きょとんとした。
「どうしてフクレがこれを……もしかして買いに、なんで、あー……」
思わずといった風に零れた苦笑。
それを見て、フクレは一瞬失敗してしまったかと考えた。
また自分の悪い癖が出て、余計な真似をしたんじゃないかと。
けれど杞憂だった。
「ありがとうございます。とっても嬉しいですよ、フクレ」
『……!』
花が咲いたような笑み。
その顔が見られただけで全ての苦労が報われるような気がした。
「でもこの体だと一袋全部は食べきれないかもしれませんね。だから、一緒に食べてくれませんか?」
『いいのデスか?』
「もちろん。だってあなたが買ってきてくれたんですから」
そう言って、レグが慣れた手つきで袋を開いてテーブルの上に広げる。それからぽんぽんと自分の横を叩いて、フクレに座るよう促した。
そこがいつだって二人の定位置。
「ちょうどお茶請けが欲しいと思っていたところです」
主は今日も食堂で地球の様子を見ていたらしい。
日本のニュース番組が流れている。
“本日、浦梅総理のご令孫がクラスメイトと共に誘拐されるという事件が起きました。白昼堂々、住宅街で起きた大胆な犯行は――なお事件は既に解決しており、警察によりますと全員軽傷で――”
その音声を聞き流しながら、フクレはふわりとレグの横に着地した。
「このお菓子はですね、手が汚れないよう箸で食べる人たちもいるんですよ。この船に気の利いた食器類なんてありませんが。まぁ、手の汚れぐらい霊子でちょちょいと拭えばいいでしょう」
『レグ様、さすがにそれは……』
「いやいや、生活魔法としてダンジョンに実装したら、結構ウケそうじゃないですか? うーん、ありかもしれません」
口元に手を当て考えこむレグ。こういう時の主は本当に楽しそうだ。
最近フクレにもそれが分かってきた。
ぶつぶつと何事か呟く姿を眺めていると、不意にその琥珀色の目が動く。
「そういえば、今日は随分とおしゃれしてるんですね」
レグが見ていたのは、フクレの触腕に巻きつけられた柄物のハンカチだった。
何がしかのキャラクターが描かれている。
『いえ、これは……』
慌てて否定しようとして、フクレは何と説明したものか口を詰まらせた。
そもそもシルキーは服を着ない。いつだって生まれたままの姿で歩いている。ならば何故ハンカチなど付けているのか――
子どもたちを助けた後、アサヒと呼ばれていた少年が涙目で、無理やりこのハンカチを結んできたのだ。自分の代わりにナイフで切られてしまったからと。何度、薄皮一枚破れていないと説明しても、聞いてくれなかったのだ。
だから仕方なく、譲歩して、身に着けたままにしておいたのだが。
『……似合ってますか?』
何となく、すぐ外してしまう気になれなくて。
「ええ、とっても」
主がそう言うのなら、それでいいのかもしれない。
「そうだ! 今度フクレに似合う帽子を買いに行きましょうよ」
『え、ワタクシのデスか!?』
「シルキーだって、もうちょっと個性を出すべきだと思うんです。ね?」
『……お、お手柔らかにお願いします』
フクレはシルキーだ。
被造物として、創造主に仕えるのが使命である。
それが絶対不変の存在理由にして生きる意味。
けれど、最近よくいろんな話をしてくれる主を見ていて、思うのだ。
ただ言われるがまま、唯々諾々と従うのではなく。
自分の“意思”で主の役に立ちたいと。
作られた存在ごときには、過ぎた願いかもしれないけれど。




