死者への送り物(火見龍二)
その小包が郵便受けに入っていたのは、ある夏真っ盛りの日のことだった。
大手通販サイトのロゴが印字された配達票。そこに記載された名前を見て、火見龍二は眉をひそめた。
何故かと言えば、宛名が自分や家族のものでなかったからだ。
かといって誤配でもない。住所は間違いなくこの家――中華料理屋「宴龍」のもの。ゆえに運送会社は間違いのない仕事をしていた。
「……山戸耕助」
配達票に記載された宛名を睨んで、思わず呟く。
その名前を龍二はひと時たりとも忘れたことはなかった。
今から17年も昔、震災により命を落とした親友。
「こりゃ一体、どういうことだ?」
死者への送り物が届くなんて、まるでミステリーの始まりだ。もしこれが出来の悪い小説なら、きっと封を開けると手紙が入っていて、俺を殺した犯人を捕まえてくれ……なんて言葉が書かれていることだろう。
生憎とそんな妄想に取りつかれるほど龍二は暇じゃない。
この後も朝の仕込みをしなくてはならないのだ。
しかし放っておくのも気持ちが悪くて、ひとまず中を検めてみた。
一本のゲームソフトが収められている。タイトルは「新・蒼海迷宮録」。不朽のダンジョンRPGゲーム、そのリメイクだ。奇しくも耕助と最後に遊んでいた作品。
「……いたずらにしては手がこんでんな」
亡くなった友に宛てた思い出のゲームソフト。仮に探偵を雇ったとしても、耕助の名前とこのゲームをイコールで繋げることは出来ないはずだ。それが可能なのは本人たちだけ。
知らず、龍二の背に悪寒が走る。
まさか耕助が亡くなる前、十七年後の自分に宛てて商品を注文したわけじゃあるまい。第一、その時にはまだこのリメイクは発売していなかったはずだ。
あるいは友が化けて出たか。
幸せに暮らしやがって。
俺はお前のせいで死んでしまったのにと――
「忘れるな、ってか。……俺に何を伝えたいんだ」
物言わぬ包みからの応えはない。
ただそこに踊る名前が、ひらすら過去を刺激する。
忘れようとしても忘れられない、後悔の日々を。
龍二が耕助に初めて出会ったのは、まだ小学二年生の頃だった。どこから話が漏れたのか、龍二は「父親がいない」という理由で周りから爪弾きにされていた。大した理由なんてない。自分たちと違うから、ただそれだけ。
からかってくる相手に手を出し、喧嘩ばかりする龍二は教師からしても厄介者だった。自分のせいで母親が学校に呼び出された回数は数知れない。
そんな時、ある一人の同級生が話しかけてきたのだ。
『なー、おまえ。父ちゃんいないんだって?』
またこの手合いか。
そう思いながら龍二は拳を握り、
『まじかよ! それってつまり、“フーファイター”じゃん!!』
続く言葉で呆気に取られた。
なんだ、新手の悪口か?
けれど相手の目には一切の嘲りがなく、それどころか本心から称賛しているのがわかるほどキラキラとしていた。
後で聞いたところによると、“フーファイター”とはゲームのことで、そのゲームの主人公は父親を殺されて復讐の旅に出るのだという。そんな主人公の生い立ちに龍二を重ねて話しかけてきたわけだ。あまりの馬鹿馬鹿しさに何度呆れたか知らない。
そんな馬鹿げたことを宣う相手こそが、耕助だった。
彼は致命的に空気を読むのが下手だった。
デリカシーがないと言ってもいい。
とにかく間が悪いうえに、それを言ったら相手がどう思うか考えない。
だけど底抜けの善人で――龍二が仲間外れにされていようが何だろうが、構わず手を引いていってしまう。
そんな良くも悪くも空気が読めない人間だった。
だから、親友になった。
『おい龍二ぃ! お前の言う通りD組のミホちゃんに告ったけど駄目だったぞ! どうしてくれんだよ!? 俺の中学校生活はもう終わりだぁ!!』
『しらねーよ。人のせいにするな。俺は後悔するぐらいなら告っとけって言っただけだぞ』
『ミホちゃんはなぁ……う、うぅ……お前のことが好きなんだってよ……』
『……お、おう。そうか。まぁ、なんだ。今日はからあげ炒飯おごってやるから、元気出せって、な?』
時折、その友情が壊れそうになったこともあったけれど。
大人になったって、きっと友達で居続けるんだろう。
愚かにも、そんなことを考えていた。
――瓦礫の下から、その友が変わり果てた姿で見つかるまでは。
あの時、自分が引き留めていれば。
あの時、グーでなくパーを出していれば。
あの時、もっと早く会計を済ませて走っていれば。
結婚して、子どもが出来て、幸せな家庭を作って。
夢だった両親の店も継いで我ながら立派にやっているはずなのに。
『龍二! 飯、まだ?』
ふと居並ぶ客の中に探してしまうのだ。かつて座敷に座って、自分の料理を心待ちにしてくれていた、亡き友の姿を。
自分が殺してしまった、取り返しのつかない過去を。
今も龍二は、一人探し続けている――
どんなに悩んでいても培った技は裏切らない。
ランチタイムを終え、客がいなくなった後の店内を掃除した後、龍二は厨房の奥で一息ついていた。これから夜にかけて忙しくなる。休憩するなら今しかない。妻は一足先に二階へ上げて、母と娘たちの相手をしてくれている。
「ごめんください」
声が聞こえた。どこかで聞いたことがあるような気のする声。
慌てて表に出ると、そこに――『天使』がいた。
流麗な銀の髪をたなびかせ、淡い琥珀色の瞳が輝く。背には大きな純白の翼。ぞっとするほどの、ともすれば美術品かと思ってしまうほどの存在が、忽然と立っていた。
四か月ほど前、白昼夢のように全人類の前に姿を現した謎多き天使。
その薄い唇から鈴を転がすような音が響く。
「――死者への荷物はもう届きましたか?」
龍二は息が止まるかと思った。
何故。問うと、はぐらかすような言葉が返ってくる。
「ラーメン一つ、ください」
「はぁ!?」
「交換条件ですよ。私に美味しいラーメンを食べさせてください。それで、あなたが知りたいと思っている謎の答えを教えてあげましょう。最も、自信が無いのであれば――」
何がなんだか分からないが、勝負を持ちかけられて逃げるのは性に合わない。何より、龍二が朝から気になっていた答えを、この天使さまは持っているのだという。
知りたければ自分の手で掴み取れ、と。
「……面白ぇ。後で吠え面かくなよ」
今朝はミステリーが始まったと思っていたのに、気がつけば今度は料理バトル漫画が始まっていた。とにもかくにも数奇な一日だ。
目に物見せてやると調理に取りかかり、すぐに自慢の一杯を作り上げた。
(そういえば、ラーメンと耕助……偶然か?)
亡き友へ宛てた荷物。その友に何度となく食べさせた料理。
二つのキーワードが頭の中で結びつく。
だが結びついたところで何だと言うのだ。
「お待ちどおさん!」
言いし得ようのない気持ち悪さを覚えながら、器を天使さまの前に置く。
果たして、反応やいかに――
「これがあなたの思う、『究極のラーメン』ですか?」
どくん、と心臓が跳ねた。
まただ。また、耕助を想起させるワード。
いざ食べ始めた天使は、龍二の想像に反して箸の使い方が上手かった。そういえばどこかのラーメン屋に出没したことがあるとか、ないとか。風の噂で聞いたような気もする。だとすれば、あの噂は本当だったのか。
だが、そんなことよりも。
「相変わらず、細麺好きは変わりませんね」
どうして、そうまでして過去を掘り起こす。
一体何が目的なんだ。
「卵も、入れるなら味玉。それも半熟で。一回とち狂って、硬めこそ正義だ! なんて言ってたのに、結局原点回帰ですか?」
確かにそんなこともあった。結局、半熟の方が黄味を楽しめるから、やっぱり硬めは無しとしたのだ。
「葱、切るの上手くなりましたね。不揃いのは店で使えないからって、さんざん載せられて、しょっちゅう葱ラーメンにされたの、忘れてませんよ」
これがほんとの葱ラーメン。
そう言って笑いながら食べた青い一時。
過ぎ去って、もう戻れないあの日の記憶。
少しずつ、少しずつ。
目の前の天使の姿が、亡き友の姿に重なっていく――
「お前が覚えてるかしらないけど、いつか『究極のラーメン』が出来たらさ、まず俺に食べさせてやるって言ってたろ? ……遅くなって、悪かったな」
にやりと笑うその顔は、そんなはずがないのに、耕助と瓜二つで。
「十七年ぶりに食べたけど、お前のラーメン、美味かったよ――龍二」
友の顔をしたその天使は。
ずっと龍二が欲しかった言葉を、口にしてくれたのだ。
誰よりも一番に食べさせてやりたかった、親友の言葉を。
◇ ◇ ◇
「異星人だか何だかしらねぇが、お前は変わんないなぁ。耕助」
レグ・ナと名乗る天使――山戸耕助の生まれ変わりと宣う転生者がいなくなってから、龍二はカウンターをなぞりつつ、そう独り言つた。
他人のことをあまり考えず威勢よく事を始めるくせに、いざ滑り出すとウジウジ後ろ向きになるところとか。
親に対していつまでも甘えたなところか。
何よりも、死んでも治らなかったゲーム根性とか。
どんなに姿が変わったとしても、話してみればすぐに分かった。
ああ、こいつは耕助だ。
ムカツくところもあるけど、お人好しで、すぐ調子に乗る。
唯一無二の親友だと。
ならば、もういいだろう。
「……ああ。良かった。本当に、良かった」
カウンターの上にぽつんと涙滴が落ちる。
天使さまがいる間は何とか堪えていた涙を、声もなく流し続ける。
全部過ぎたこと。また会えて嬉しい。
その何気ない一言が、長年龍二の胸をつかえさせていた淀みを全部溶かしてくれた。
謝りたいのに謝れない。その苦しさを。
「……はぁ」
一頻り涙を流すと、まるで生まれ変わったかのように清々しい気持ちがした。
それからしばらく店の天井を眺め――そろそろ油汚れを取らないといけないな、という益体もない考えとともに、やるべきことを見定めて立ち上がる。
(相変わらず世話の焼けるヤツ)
レジの傍に備え付けている固定電話を手に取って番号を打ち込む。
発信先は耕助の実家、山戸家だ。
「……もしもし。あ、静さん? そうです、俺です、龍二です。ええ、はい……はは、いつもありがとうございます。ぜひまた食べに来てください。腕によりをかけて作りますんで」
電話に出たのは耕助の母、山戸静だった。
お得意様の常連客でもある彼女と軽く世間話をしつつ、龍二は本題に切り込む。
「――はい、はい。それで、突拍子もないんですけど、一つ頼みがあって」
思えば昔から耕助は手のかかる男だった。
意中の相手に告白するのも、しょうもない家出の相手をしてやるのも、どうしてもクリアできないというゲームに徹夜で協力してやるのも。
「近い内に、たぶん耕助のやつが顔を見せると思います。どうかその時は、驚かないで受け入れてやっちゃくれませんか」
いつだって、手を貸してやるのが自分の役目だったから。




