エピローグ
せっかくだから泊っていったら。
という母さんの誘いを断って、俺はその日のうちにロゼリア号へ戻ってきた。
……腹が重い。つい調子に乗って食べ過ぎた。
母さんはもちろん、親父もあれを食べろ、これを食べろと勧めてくるから、しばらく動けなかったほどだ。そのまま寝転がれたらどれだけ良かったろう。
――でも、俺にはどうしてもやらなきゃいけないことが残ってるんだ。
船内の最奥、エンジンルームに置かれた霊子加速器。
そこへ繋がれた電算機のモニターを、フクレがじっと観察している。
その背へ俺は離れたところから声をかけた。
「こんな遅くまでご苦労さまです」
現状、ダンジョンの維持管理に異常は出ていない。いつだってオールグリーンだ。そんな毎日が続けば監視にも手を抜きたくなるもんだ。でもこの妖精種はもくもくと仕事に打ち込んでくれている。
それがシルキーという存在なのは分かっている。
分かっているが……。
『レグ様。お戻りになられていたんデスね』
至っていつもの調子のフクレ。
これから話すことを思うと、つい手に力が籠った。
「ええ、ついさっき」
『本日もシステムは正常に稼働しておりますよ』
「……フクレに少し、話があって。今いいですか?」
『お話デスか? なんでしょう』
こういうのは一思いに言ってしまった方がいい。
だから大きく息を吸って――
「私には前世の記憶があります」
そう言って、話を始めた。
「あの星――地球で一人の人間として暮らした、17年間の記憶です。気がついたら、レグ・ナとして生まれ変わっていました。私が未開惑星の開拓に手を挙げたのは、きまぐれでも、使命感でもありません。この星に……もう一つの故郷に、戻ってきたかったから。ただ、それだけです」
シルキーたちはハーヴェン族全体を敬っている。
自分たちを作り出した種族を、文字通り神のように崇拝している。
だからどんな命令にだって従うし、盲目的についていく。
そんな存在から、俺はどんな風に見えるだろう。
「フクレは私をよく褒めてくれますよね。すごい、さすがだって。でも私は……私は、そんな上等な人間じゃありません。あなたから尊敬を受けるような――本物の神族じゃない。私利私欲のためにあなたを付き合わせてしまっている」
あるいは俺が同族と同じように、学習カプセルに入ることを受け入れていたら。
一足早く“大人”になっていたら。
こんなに悩む必要など無かったかもしれない。
その代わり地球を目指さなかったし、フクレに出会うこともなかったろう。
「だから、ええと……」
考えをまとめてきたはずだった。
それなのに、口ごもってしまう自分がいる。
「こんな大事なことを隠していて、ごめんなさい。……失望しましたよね。もしあなたが望むなら、すぐにでも母星へ送り届けます。もちろん、お給金には色をつけさせてもらいますよ!」
努めて明るく、止まらないように。
「ただ、これだけは信じてください。フクレ、あなたが一緒にいてくれて、私は本当に嬉しかった。ありがとう……なんて、言う資格はないかもしれませんが」
きっと俺一人だったら、どこかで折れていたと思う。
困った時、悩んでいる時、フクレはいつもひょっこり現れて、俺に声をかけてくれた。
それにどれだけ救われたか分からない。
「謝罪と、感謝を。私が伝えたいことは……以上です」
前世の記憶があるんだ。
なんて話、自分から打ち明けなければバレやしない。
だけどそんな選択、正しいはずがない。
俺が好きだったゲームの主人公たちは、どんなに挫折や苦悩することがあっても、最後には必ず正しい道を選んだ。
もしフクレがそれで俺を見限ってしまったとしても、後悔はない。
ちょっと――いや、かなり落ち込むだけだ。
『…………』
一通り話し終えても、フクレはじっと俺の顔を見上げて黙っていた。
沈黙が怖い。誤魔化すように笑いたくなる。
まるで壊れてしまった機械のように、うんともすんとも言わない。
さすがに心配になって口を開こうとしたところで、不意にその半透明の体がぷるぷると震え出した。
『ワタクシは……解雇されてしまうのデスか?』
今にも消えそうなほどか細い声。
「え」
何がどうしてそういう結論に!?
「そ、そんなつもりはないですよ。むしろフクレにはこのまま働き続けて欲しいくらいです! でもその……嫌じゃないですか? 私みたいな変なのに付き合わされるのは」
シルキーという種がどんなことに幸福を感じるのか、俺は知らない。
ただ彼らが仕えたいと思っている主は、俺みたいな混ぜ物じゃないことだけは確かだ。
『嫌じゃないデス』
頭を振って、フクレは続ける。
『確かにレグ様は他のお方と違います。常々、疑問に思っておりましたが、連続した記憶をお持ちだったからなのデスね。そのうえで、何故そんなにもご自身を卑下されるのか、よく分かりませんが……』
いつもみたいにこてん、と頭を傾け。
『ワタクシは、レグ様が良いデス』
紡がれた言葉は、俺の耳よりも何よりも、心にずんと響いた。
『あなた様がいと尊きお方だからではありません。ワタクシを必要としてくださったあの日から、ワタクシの忠誠はずっと、レグ様に捧げると決めています。それに、今ならゼル様のおっしゃっていたことが少しだけ分かる気がするのデス』
「……ゼル爺の?」
『レグ様は――――目が離せませんから』
フクレはクラゲ型のシルキーだ。
だから人間みたいな分かりやすい顔がついていない。
それでも俺にはこの時、確かにフクレが微笑んでくれているような気がした。
それにしたって……目が離せない、ね。
それは、喜んでいいのか?
遠回しに危なっかしいヤツだと言われているような。
「……子どもっぽくて悪かったですね」
結局、誤魔化すように可愛い従者の頭をちょちょいと突いた。
「それじゃあ、まぁ……こんな私ですが、これからもよろしくお願いします。で、いいんですかね?」
『ハイ!』
「はぁ。出来ればもう少しフランクになってくれてもいいんですよ」
『善処します』
「うーん、硬い」
……あんまり情けないところばっか見せないようにしないとな。
いくら採点が甘いフクレでも、いつか母星に帰ってしまうかもしれない。
俺の一世一代の告白はあんまり意味がなかったが、少しだけ胸のつかえが取れた。
「明日からまた一緒に頑張りましょう」
俺は俺。レグ・ナであり、山戸耕助であり、この地球の管理者だ。
何か一つになる必要なんてない――そうみんなが教えてくれた。
生きていく限り縁は編まれる。
前世だろうが今世だろうが。
……ゼル爺は俺の秘密を聞いたらなんて言うかな。
「あ」
ゼル爺のことを考えていたら、ふと思い出した。
『どうかしました?』
「……いえ、ちょっと。配信のことで」
そういえば「D-Live」もといダンジョン配信を、母星でも見られるようにしたんだよな。あれって結局どうなったんだ?
ゼル爺が仕込んでくれたからには、失敗なんてしないだろう。
まぁ、いと尊き神族様が、配信なんて俗っぽいもの見るわけないか。
今度里帰りした時に聞いてみよう。
ゼル爺には、また話したいことがいっぱい出来たから――




