語る背中
――つまるところ、全ては龍二の差し金だった。
どうして俺の正体が分かったのか。
落ち着いて、母さんに問いただしてみれば答えはすぐに知れた。
「昨日急に電話がかかってきてね。近い内に耕助が会いに行くかもしれないから、驚かないでって言うのよ。確かにもうすぐお盆だけど、そんな冗談言う子じゃないから変だなと思っていたんだけど……」
あんにゃろ、余計な気を回しやがって。
「まさかこんなに可愛くなって帰ってくるなんて、思いもしなかったわ」
ころころと母さんが笑う。
見ず知らずの人から可愛いと言われる分には気分がいいが、実の母親に言われると複雑だ。何となくぞわぞわする。
「レグちゃんって呼んだ方がいい?」
「……耕助でいいですよ」
「あらそう」
まったくもって冗談じゃない。
母さんは頬に手を当て、首を傾げた。
「それで、どうして化けて出てきてくれたのかしら。さっきも言った通り、お盆にはまだちょっと早いわよ」
「いや、私はお化けなんかじゃありませんよ。説明すると長くなるんですけど――」
転生だの、異星人だの、何から話したものか。
考えこもうとした時、畳の上でじっと伏せていた柴犬のコタローがぴんと耳を立て、玄関の方へ走り出した。それから間もなくして、ガラガラと戸を開ける音とともに、声が聞こえてくる。
「帰ったぞ」
忘れもしない、親父の声だ。
「あらら、タイミングが良いんだか悪いんだか。……はーい!」
ぱたぱたと母さんも玄関へ駆けていく。
気が重いが、俺も後に続いていった。
「おかえりなさい、遅かったですね」
「……ちょっと、な」
果たして、そこには予想通り親父がいて、一心不乱に犬を撫でまわしていた。
ただし、しかつめらしい表情で。
当たり前だが俺の記憶よりもずっと老けている。
「ん。お客さんか?」
当時はあまり思いもしなかったが、改めて見ると強面だ。
鋭い眼光に射竦められるような気がしてしまう。
「お父さん、それがね、聞いてください。耕助が帰ってきたのよ!」
「ちょ、母さん!?」
それはいくらなんでもアクセル全開すぎだろ!
ほら、あの親父がぽかんとしてるぞ……。
「……聞き間違いか」
「んもう、幻聴でも幻覚でもないですよ!」
ぶんぶんと母さんが上下に手を振る。
このままじゃ埒が明かなそうだ。
「私から説明させて下さい」
「君は……?」
「私、耕助です。あなたの息子ですよ」
親父は持って回った言い方が好きじゃない。だからまず、単刀直入にそう言った。
「面白くない冗談だ。どんな詐術を用いて母さんを騙し――」
「ダイダロスクエストⅢ」
あえて被せるように一つ目の名前を挙げる。
「何を――」
「シンクの冒険、スーパーファイターズ2、農村物語、ウィズドリーム、Night’s、ワンツーコング、星のポポ・デラックス、シン解決倶楽部、ぷにぷに」
全部、俺にとって思い入れのあるゲームだ。
子どもの時、繰り返し何度も遊んだから、もはや遺伝子レベルに刻み込まれている。それでも全部の作品が俺にとって100点満点だったわけじゃない。ジャンルもばらばらだしな。だというのに何故、擦り切れるほど遊んだのかと言うと……。
「どれも、二人が誕生日に買ってくれたソフトの名前です」
それがどれも記念のゲームだったからだ。
何より、お小遣いの少ない子ども時代、そんなほいほいと新しいソフトは買えない。必然的に買ってもらったソフトをロングスパンで楽しむことになった。味が無くなっても噛み続けるガムみたいに。
だからストーリーを一周しただけのゲームと比べ、強く記憶に残っている。
横で聞いていた母さんが苦笑いを浮かべた。
「あなた、こんな時までゲーム? もっといろいろあったでしょうに」
自分が山戸耕助であると証明にするには、当人しか知らない情報を開示するのが一番だ。母さんからしてみれば、家族の想い出でなくゲームの名前を挙げるという筋金入りに呆れる他ないのも分かる。
でも、ぱっと思い浮かんだのがこれだったんだからしょうがないだろ。
「まったくもう。お父さん、これで分かったでしょう? こんなゲームしか頭にないような子、耕助以外にいるかしら」
「……ふん」
信じているのかいないのか。親父が小さく鼻を鳴らす。
自分で挙げといて何だが、これで「我が息子よ」と思われるのも癪だな……。
「とにかく、ご飯の支度をしますからシャワー浴びてきて下さい」
「……これから支度か?」
「せっかく耕助が帰ってきてくれたんですもの! 腕によりをかけなくっちゃ」
「なら、まだ時間はあるな」
母さんから俺へ、親父の目線がスライドする。
「おい」
一瞬、何の「おい」かよく分からなかった。
けれどすぐに俺のことを呼んでいるんだと気がついて、むっとした。
「私は“おい”なんて名前じゃありません」
「収穫作業が残ってる。手伝え」
「は……?」
聞き間違えか?
「先に裏の畑に行ってるぞ」
「あ、ちょっと!」
嘘だろ、17年ぶりに息子が帰ってきたっていうのに、早速こき使おうってのか!?
俺が唖然としてる間に、親父は麦わら帽子をかぶり直すと、さっさと外へ出ていってしまった。感動も何もあったもんじゃない。
「あらあら。あの人ったら……」
「普通、この場面であんなこと言います?」
「お父さんも混乱してるのよ。耕助がこんなに可愛くなっちゃったもんだから」
だから、可愛いはやめてくれって。
「悪いけど付き合ってあげて」
「……別にいいですけど」
「その代わり今日はからあげ大盛よ!」
ならまぁ、頑張るか。あんまり気は乗らないけど……。
そりゃ、あの親父が涙を流して喜んでくれるなんて思っちゃいなかったけどさ。
もう少し何かあってもいいだろうに。
コタローもどこかアテが外れたように耳を伏せ、玄関に寝そべっている。
その頭を軽くひと撫でしてから、俺は親父の後を追うべく歩き出した。
◇ ◇ ◇
親父の本業は米農家だ。
といって、他の野菜をまったく育てていないわけじゃない。
売り物にしないだけで、規模の大きい家庭菜園を持っている。
言われた通り家の裏手にある畑へ行くと、麦わら帽子を被り、首からタオルを下げた親父が腕を組んで待っていた。
「それで、何を採ればいいんですか」
「枝豆だ」
「げ」
よりにもよって。株ごと抜かないといけないから面倒くさいんだよな。
「何もこんな時間にやらなくたって……」
時期は盛夏。まだ日が高いとはいえ、午後六時に差し掛かろうとしている。
枝豆に限らず大体の夏野菜は朝収穫するもんだ。その方が瑞々しくなるし、保存も効く。何より作業している人間が熱くない。これ、大事。
それを知らない親父じゃないだろうに。
「使え」
「…………はぁ」
有無を言わさず俺の手にシャベルが押しつけられる。
断ったところで意味がないのは知っているし、母さんに頼まれてしまった以上、真面目にやるしかない。
几帳面な性格がよく反映された畑。
その整然とした並びの中に足を踏み入れ、収穫物を探す。
枝豆は成熟するとあっという間に育ちすぎて、サヤの色まで変わってしまう。昔、耳にタコができるくらい聞かされたせいで、今でも覚えている。もしかしたら、今日のうちにどうしても収穫しておきたかったのかもしれない。
……これがいいかな。
全体的に実が膨らんでいる株を選んで、根元にシャベルを突き刺す。
「ふん、ぬぬ……!」
ところが、体重が軽すぎるせいなのか、上手く刃先が入っていかない。
何度も踏みつけることで、ようやく先っぽが地面に埋まった。
余計な体力を消耗してしまったが、本番はここからだ。
「ぬ、ぬ、ぬ……!」
てこの原理で株ごと土を持ち上げるべく、持ち手に全体重をのせる。
「代わるか?」
たぶん俺の顔は、力の入れ過ぎで真っ赤になっているんだろう。
見かねた親父が声をかけてくる。
待ったと言うように、親父の方へ向かって手を突き出した。
「て、手出し無用です! 子どもじゃないんですから……!」
昔はこれが出来なくて親父に助けてもらったこともあるが、小学生、それも低学年だった時の話だ。
ちょっとずつ地面に亀裂が入って盛り上がってきている。
あと少し――
「わぁっ……と、と」
ぼこん。土の塊が抜け、地面にぽっかり穴が開く。
急に手応えがなくなったせいで、思わず体がつんのめる。
倒れないようにトントンと片足飛びして、何とか体制を整えた。
それからまだ土が残る枝豆の株を手に持って、振り返る。
「ほら、これでどうです?」
枝豆と大豆が一緒のものだと知らないような子どもじゃないんだ。
姿が変わったって、このくらい一人で出来る。
そう胸を張った俺の顔と、それから手に持った枝豆の株を見て、親父はしばらく黙っていた。けれど、思い出したようにぽつりと言った。
「そうか」
そしてまた、麦わら帽子を目深に被り直してから呟く。
「……そうか」
その言葉にどんな思いが載せられているのか。
帽子と、逆光のせいで、顔がよく見えない――
「本当に……帰って来てくれたんだな、耕助」
菜園に風が吹き、葉の擦れる音がさらさらと響く。
掘り返したばかりの地面から、濃い土の匂いが漂ってきた。そこに混じる、むせ返るような緑の香り。ふと、その間を駆ける幼い自分の姿を幻視した。そんな俺を畑で親父が、縁側で母さんが見守っている。
いつか、どこかであったはずの情景。
「……もう母さんを泣かせるなよ」
そう言って背を向ける親父の肩は、俺の見間違いでなければ――少しだけ震えているような気がした。
……ああ。
俺にとって、ゲームが縁であったように。
親父にとってはこの菜園に想い出が埋まっていたのか。
――あの人たちは今もずっと、耕助、お前の帰りを待ってるんだぞ。
本当にその通りだよ、龍二。
母さんだけじゃない、親父もちょっと不愛想だけど、待っていてくれたんだ。
「……うん、ごめん」
こんなところまで連れてこなくちゃ分からないなんて、と笑い飛ばすことは出来なかった。だから素直に頷いて、会話が終わる。
それから、俺たちは無言のままで収穫を終えた。
枝から実を切り離す作業の間でさえ、親父はむっつりしていたので、様子を見に来た母さんが笑うほど。
でもその沈黙は昔ほど嫌じゃなかった……と思う。




