今はまだ、トップクラン・下(真久利瑛太)
サンライトは東京摩天楼の攻略最前線をひた走るクランだ。
けれど、唯一無二ではない。
いち早く前人未到の新階層へ辿り着くべく血道を上げるクランは沢山ある。
彼らは一様にして、ある一つの問題を叩きつけられていた。
即ち、ダンジョン配信をつけるか否か、という問題だ。
配信をつけてしまうと、自分たちの情報がライバルへ筒抜けになる。
モンスターの倒し方や特殊なドロップ、スキル、ボスの情報など、伏せておきたいのが本音だろう。探索者協会への報告も、例外はあるにせよ、願い出れば一定期間非公開にしてくれる制度が存在する。
別にダンジョン配信をつけなかったとして、何か不利益があるわけでもない。探索者全員へ課せられた記録義務は、今まで通りボディカメラをつけておけば済む話だ。
そんな理由から、大手クランのほとんどは配信に積極的でない。
しかし、サンライトはその流れに逆行していた。
「――いいぞ! 前回より明らかにペースが速い!」
第十層のボスを前にして瑛太が叫ぶ。
その顔をライブカメラが映し抜き、世界へ発信していく。
“こえええええ”
“でかすぎんだろ……”
“こんなんと接近戦なんかしたくねぇよぉ”
“でも今回かなりいけそうじゃね?”
“がんばれえええ!!”
そんなコメントが寄せられるも、見ている暇はない。
ボスから目を離した瞬間、致死の一撃が飛んでくるからだ。よしんば死ななかったとしても、重傷は免れない。
深緑の迷路を抜けた先、待ち受ける第十層の番人。
それは、巨大な熊だった。
全長三メートルはあろうかという真っ赤な熊。探索者たちからレッドグリズリーと呼ばれている暴の化身が荒れ狂う。
「おっとと。確かに前より――刃が通るッスね!」
「……ぬぅん!」
小木と大門司。二人が振るった武器がレッドグリズリーに新たな傷を作る。
よく見れば大熊の体のあちこちに裂創や刺創が出来ていた。
戦闘が始まって、かれこれ二十分。
ボス部屋に入るや否や配信をつけたので、その一部始終を視聴者たちは見守っていた。
「モンジ! 下がって回復もらえ!」
「……まだいけます」
「アホ! 血が出てるぞ!」
ダンジョン配信をつけるか否か。
サンライトのクラン内でも様々な意見が上がったが、最終的に瑛太はつけるべきだと結論づけた。
確かにこうしている今も、レッドグリズリーの脅威や攻撃パターンが世に発信され続けている。それはライバルクランを利することになるだろう。
短期的に見れば損しかない。
だが、長期的に見たらどうか?
「一之瀬、手当してやれ!」
「はい!」
瑛太は自分たちがいつまでも攻略の最前線を走れると考えていない。
たまたま、今だけだ。
ゲームクリエイターという前歴がたまたま上手く噛み合って、気がつけばこんな位置にいるけれど、やがて本物の天才たちに追い抜かれていく。その土壌づくりをしているに過ぎないと思っている。
いつか「サンライト? ああ、そんなクランもあったよね」と言われる時がくる。
だから配信の道を選んだ。
後から探索者になった者たちでは絶対に得られない、先行者有利を勝ち取るために。
「【軽癒】!」
「……すまない」
「大丈夫、すぐに治します!」
近い将来、他のクランに追い抜かれていったとして。
それまでにダンジョン配信し続け、確固たる人気を築いてしまえば、アガリだ。
たとえ攻略クランの座から転げ落ちても、盤石な地位を得られる。
“いたいのいたいのとんでけ~って言え”
“まるで野戦病院だな”
“¥2,000/本日の治療代”
“このスキルが外でも使えたらナー”
“便利だけど医療従事者失業まったなし!”
“¥5,000/サンライトの勝ちに全ベットや!”
“賭けおじが来たということは……今回も全滅かぁ”
“なんでや!”
ダンジョンの戦利品から得られるお金。そして視聴者からの投げ銭。
後者は未知数なところがあるものの、固定ファンを得るごとに安定していく。
クランリーダーとして何人もの人生を預かることになった瑛太は、彼らが探索者なんて破落戸同然の道に進んでしまっても、将来路頭に迷わないで済むよう必死に考え――配信を義務付けることにしたのだ。
実際その甲斐あって〈癒術師〉の一之瀬を筆頭にメンバー個人のファンはもちろん、サンライトの活動を応援してくれる人たちが増えてきている。
言ってしまえば、こうしている今も未来への投資を積み重ねているようなものだ。
敗北したとて得られるものはある。
とはいえ――今はまだ、自分たちこそが最前線なのだ。
「ここらで一つ【鑑定】っと。……ボスのHP、そろそろ三割切るよ」
「未知の領域だな。小木、気をつけろ。発狂モードがあるかもしれん」
「ういッス!」
〈錬金術師〉によるスキルでレッドグリズリーの残り体力を確かめる。
最後の抵抗があるとすれば、そろそろだろう。
前線からは今、大門司が欠け、後方で治療を受けている。
残された瑛太は同じく前線を支える小木に注意を促し、剣と盾を構え直した、その時。
――レッドグリズリーの全身が青い輝きに覆われた。
「まずいッ、何か大技が――」
「ゴガァアアアアアアア!!」
大熊が上体を起こし。
丸太のような両腕が持ち上げられ、勢いをつけて地に振り下ろされる。
瞬間、地面がめくれ上がった。
「!!??」
ズドン――という、まるで落雷のような音。
地を伝い衝撃が来たと思った時にはもう、瑛太は空を舞っていた。
一拍遅れて事態を把握する。
レッドグリズリーを中心に地面が隆起している。
まるで土塊の花が咲いたかのようだ。
(範囲攻撃、かよ……!)
地形が変わるほどの衝撃波。
何か来ると身構えていてなお、避けることが出来なかった。
レベルによる耐久力向上のお陰で死は免れたが、絶体絶命だ。
吹き飛ばされ、地を転がる瑛太。
(……立ち上が、らない……と……)
かろうじて手放さずに済んだ剣を支えに立ち上がろうとする。
視界がぼやけ、像が上手く結べない。
あれだけ強力な攻撃を放ったにも関わらず、既にレッドグリズリーは瑛太に狙いを定め、走り出そうとしていた。
その鼻っ面へ、突然白いボールが飛来する。
まるでカラーボールのような何か。
それが当たったと思った瞬間、ぼふんと煙が巻き起こった。
「とりあえずの煙玉、あんま持たないよ」
次いで飛んできた試験管が瑛太の体に当たり、中の回復薬が飛び出す。
気遣いもへったくれもないサポート。
だが、おかげで思考が回り出す。
「助かった、天裡」
「いんや」
煙玉。ポーション。それら〈錬金術師〉が作り上げた道具は、〈錬金術師〉自身が扱うことによって効力を増す。ここ最近ようやく分かってきた『仕様』だ。
「立て直すぞ! モンジ、小木を回収してやれ。一之瀬は回復」
「瑛太さんは!?」
「俺はまぁ……時間稼ぎだ。天裡、そっちは頼む」
「はいよー」
煙が薄れ、レッドグリズリーが姿を現す。
普通のモンスターならもう少し時間が稼げるところだが、そう甘くはない。
「俺、嫌いなんだよな。ボスに状態異常が効かないの」
そんな益体もないことを呟きながら、瑛太は左手に盾を、右手に剣を構える。
そして持久戦へ向け、一つ目のスキルを発動した。
「【再生法】――」
それは体の傷をじわじわと治す〈拳闘士〉のスキルだ。ないよりマシというレベルの回復速度だが、ポーションはクールタイム――体が再度薬効を受け付けるようになるまで時間がかかるうえ、〈癒術師〉も手が離せない今、頼みの綱だ。
「【戦士の咆哮】ッ!」
続いて〈戦士〉のスキルを使い、レッドグリズリーの気を引く。
血のように赤い炯眼が瑛太だけを捉え、離さない。
ただでさえ感じていた重圧がさらに強くなる。
何故、瑛太が〈拳闘士〉のみならず〈戦士〉のスキルも使えるのか。
それはひとえに彼の職業がそういうものだからだ。
ダンジョンが彼に与えた職業。
それは〈冒険者〉という超早熟型の職業だった。
睨み合う一人と一匹。
「グルゥアアアアア!」
先に痺れを切らしたのは大熊の方だった。
地面が爆発したのではないかと思うくらい力強く飛び出して、両手の爪を交差するように振る。まるでかき抱くような仕草だ。
瑛太は冷や汗をかきながらも、その攻撃をぎりぎりまで引き付け、
「……【軽歩】」
何とか〈斥候〉のスキルで躱してみせる。
地をすべるように瑛太の体が後退し、爪撃の範囲外に逃げたのだ。
それでもなおレッドグリズリーが前に出て、大口を開ける。
今度は噛み砕こうという算段か。
盾を構え、自らぶつかりに行くことで難を逃れた。
――〈冒険者〉は器用貧乏な職業だ。
と、瑛太は思う。
何故なら〈冒険者〉には専用スキルが存在しないからだ。
現在、瑛太のレベルは12。
その間、彼が習得したスキルは全て他職業のものだった。
もしかしたら、高レベルになると〈冒険者〉専用のスキルを覚えるのかもしれないが。
職業の垣根なく、いろんなスキルが使えるというのは素晴らしいことに思えるかもしれない。だがこのダンジョンという空間は、〈剣士〉なら剣を持たなくてはいけないし、〈拳闘士〉なら拳で戦わなくてはならない。
そうしてはじめてモンスターにダメージを与えることができる。
専門職が、専用の装備をつけて、ようやくその真価を発揮するのだ。
瑛太が――〈冒険者〉がやっているのは所詮真似事に過ぎない。
「そこ、【袈裟斬り】!」
青く輝く刃がレッドグリズリーの顔を切り裂く。
だが強靭な毛皮を断ち切るには至らず、浅い傷をつけただけに留まった。
もし本職の〈剣士〉ならばもっと深く斬り込むことが出来たろう。
多種多様なスキルを操り、思わぬ組み合わせも発揮できる〈冒険者〉は、どんな状況にも柔軟に対応できる代わりに、火力、耐久力、機動力、どれをとっても専門職に劣る。この器用貧乏さが、ある意味、瑛太がダンジョン配信へ舵を切った理由でもあった。
「グ、ガァアアアア!」
「やべ――」
どんな生物でも顔を攻撃されれば怯む。
レッドグリズリーもその例に漏れず怯みこそしたが、一瞬だった。
その一瞬、僅かに気を抜いてしまった瑛太を引き裂かんと剛腕が迫る。
「やらせないよ」
間一髪、届いたのは〈錬金術師〉の援護。
天裡が作り出した爆薬が放り込まれ、瑛太ごと吹き飛ばす。
「天裡、おまっ!」
「油断してた瑛クンが悪いでしょ」
「……ごもっとも」
荒っぽいやり方だが、おかげで一旦距離を取ることが出来た。
本日二回目の横転から素早く立ち上がり、瑛太は口の中の土を吐き出す。
今の一撃でレッドグリズリーの敵視が天裡へ移り変わろうとしている。
まだ【戦士の咆哮】は再発動できない。
被弾覚悟で突っ込んでダメージを取るしかないか――と瑛太が考えた時。
「……【投斧】ッ」
「【投槍】! すいません、遅くなりました!」
大小コンビ、〈斧士〉の大門司と〈槍士〉の小木が前線に復帰してきた。
どちらも投擲した武器が自動で手元に戻ってくるスキルを使って、レッドグリズリーを牽制する。その間に二本目の回復薬が飛来して瑛太の頭を濡らした。
(あいつ……)
ある意味狙いすました投擲に口がひくつく。
が、クールタイムを完璧に把握した支援回復だ。
文句など付けられようはずもない。
「モンジ、小木、いけるな?」
「もちろんス」
「……はい」
先ほどまで頭にちらついていた全滅の二文字が遠のいていく。
何とか立て直すことが出来たことに、瑛太はこっそりと安堵する。
形勢逆転だ。こうなってしまえば、よほどのことがない限り崩れない。
「削れ!」
前に立つ三人で、代わる代わるレッドグリズリーへ刃を立てる。
決して無理な攻撃はせず、薄皮を一枚一枚削ぐようにダメージを積み重ねていく。
今までは武器の火力が足りず、じり貧になって敗走してきた。
だが今回は前回よりも圧倒的に早いペースでここまで来ている。だからこそ、見たこともない強力な一撃を拝む羽目になったわけだが、追い詰めている証拠だ。
あともう少し、今回こそは――
「ゴガァアアアアアアア!!」
「っ、跳べ!!」
身の毛もよだつような咆哮。
それとともに、レッドグリズリーが上体を起こす。
先ほども見た動きだ。
視認した瞬間、瑛太は叫んでいた。
彼の指示に従い、大門司と小木が跳び上がる。
(こういうとこ、ほんとにゲームみたいだな……!)
レッドグリズリーの両腕が振り下ろされ、地を揺らした。
地表がめくれ上がり、土塊が飛ぶ。
強力な攻撃だが、すんでのところで宙へ逃れた瑛太たちには当たらない。
むしろ大きな隙を晒すことになった。
「火力出せぇぇえええッ!」
誰もがその手に持つ武器を青く輝かせ、スキルを解き放つ。
「【一気通貫】!」
「……【大切断】」
掌を地に埋めたまま身動きが取れないレッドグリズリー。
その巨体へ〈槍士〉と〈斧士〉は刃を向ける。
瑛太も盾を捨て両手に剣を握ると、とどめと言わんばかりに振りかぶった。
「【強撃】!!」
斬るというよりも、叩くといった方が正しい一撃。
三者三様のスキルが全てレッドグリズリーに命中し――
「グォオオオオ……ォ……」
ついに、巨躯が倒れ込む。
第十層の番人。血濡れの大熊。
経験上、誰もが最期の悪あがきを警戒し、固唾を呑んでその行く末を見守る。
果たして、息が詰まるような緊迫感は、レッドグリズリーがその全身をポリゴンに変え、弾けさせるまで続いた。
「勝った……?」
そう呟いたのは〈癒術師〉の一之瀬だ。
彼女は誰かが傷ついた時、真っ先に飛び出せるよう構えていた。
「イッチー、それフラグ。ま、勝ちだね」
「し、死ぬかと思ったッス~!」
「……きつい」
わっと歓声が上がる。
「ふー……」
瑛太の胸にも万感の思いが込み上げ、その勢いのまま仲間とはしゃごうとしたところで、ふっと冷静になった。こうしている今も配信がついているのだ。クランリーダーとして締めるべきところは締めないといけない。
まして今年で37歳のおっさんがはしゃぐのは、絵面的にきつかろう。
それでも全員とハイタッチは交わしてから、カメラに向き直った。
「……皆さん、応援ありがとうございました。第十層のボス、レッドグリズリー、討伐完了です!」
途端、コメント欄が過去一番に盛り上がる。
彼らもまた、真剣に戦いの趨勢を見守っていたのだ。
“おめでとおおおおおお!!”
“¥10,000/討伐おめ!”
“ハァハァ……嬉しいけど心臓がもたん……”
“途中、マジで終わったかと思った……”
“っぱサンライトが最強!”
“¥5,000/ワイの目に狂いはなかった”
“賭けおじも喜んでます”
“¥50,000/ご祝儀代です。これで美味いものでも食べてもろて”
“ドロップは!?”
自分たちの勝利を我が事のように喜ぶ人たちがいる。
そのことが、瑛太にとっては存外に嬉しい。
「エールありがとうございます! おわっ、こんなに!? ……っと、その前に。モンジ! 小木! ちょっと来てくれ!」
呼びかけに応じて、大小コンビがカメラの前にばたばたとやって来る。
「何スか、先輩」
「ボス部屋入る前に説明したろ? 武器だよ、武器」
「……宣伝」
「あっ! そうっしたそうっした!」
サンライトはこれまで三回、レッドグリズリーに挑戦して全滅してきた。
今回、四回目にして突破できたのは、明らかに〈鍛冶師〉が打った武器のおかげだ。単純に火力が上がったし、破損することもなかった。
瑛太がカメラに見せるよう剣を差し出すと、二人もその後に続く。
「おほん。えー、今回の戦いでは、実は『赤土工房』さんに武器を提供していただきました。鋭い方は、あれ? いつもと何か違うな? と思われていたかもしれません。実はどれも〈鍛冶師〉謹製の武器で――」
本音を言えば、さっさと地面に寝転がりたいところだ。
これもまたダンジョン配信のデメリット、と言えるかもしれない。
そんなことを頭の端で考えながら、瑛太はすらすらと装備の宣伝をしていく。元ディレクターの彼にとって、プレゼンテーションは慣れたものだ。
これもまた、未来への投資。
ただモンスターを倒せばいいわけではないダンジョン配信の難しさに苦慮しつつ、瑛太はクランリーダーとして眩い笑顔を浮かべるのだった。
(とりあえず今夜の焼肉代はこれで何とかなるか……)
なんて、庶民らしいことを考えながら。




