天使さま、修行する
かつての故郷がこの世界に存在している、ということ。
その事実は、第二の生を空虚に送っていた俺の心に再び活力を取り戻してくれた。
ただ冷静に考えてみると、地球に行くのは簡単なことじゃない。
思いつく限りでも三つくらい問題がある。
一つ目は移動手段がないことだ。
今いる星と地球とは何百万光年も離れている。
超長距離を一瞬で移動する手段がない限り、生涯をかけても辿りつけないだろう。
二つ目は自衛手段だ。
俺は転生してこの方、惑星ハーヴェンの外に出たことがない。
有翼人種は数多の銀河の中でも最強の生命体だが、その力を十全に引き出せない俺がどこまでトラブルに対応できるかというと、不安が残る。
そして三つ目、連邦協定。
現在、地球は銀河連邦が制定したところの文明レベル0にあたる。
惑星開拓事業者以外は不用意な干渉が許されない。
これらの問題を一挙に解決する方法なんて、あるんだろうか。
そもそも、地球は今、西暦何年なんだ?
俺が生きていたときから何年経っている?
親父や母さんは生きているのか?
もしかしたら見た目がそっくりなだけの別物なんじゃ――
「……悩んだってしょうがないでしょう」
呟いて、頭を振った。
脳裏にこびりつく焦りを誤魔化すように独り言つ。
「こういう時は『あの人』に聞くのが一番ですね」
時刻は真昼ごろ。
自室を出ると、生ぬるい空気が頬を撫でた。
年中気候が操作されているこの星では、今日も窓から穏やかな陽光が差し込んでいる。
集合住宅として建てられているにも関わらず人の気配はなく、けれどいつも通りの情景を横目に、俺は木目の床を蹴って飛ぶように駆けた。
どうせあの人は、いつもの場所にいるんだろう。
ほどなくして最上階まで駆け上がると、大きな天窓の下に一人の天使が腰かけていた。こちらに背を向け、翼を伸ばしている。長すぎる金の髪は床に広がって、光を一心に受け輝いていた。
その奥、窓硝子の向こうに天を衝く巨木が見えている。
ともすれば絵画のような光景だ。
しかし俺は何も気にせず、静寂を切り裂いて声を上げた。
「ゼル爺!」
俺の呼びかけに応えて、金髪の天使がくるりと振り返る。
爺と呼ばれるには、あまりにも若々しく美しい。
だが彼は――俺の育ての親であり、このコロニーのまとめ役でもある「ゼル・メル」は、こんな見た目をしているけれど、ゆうに500歳を越えているのだ。
青い目を細めて、ゼル爺がゆったりと口を開く。
「やあレグ。君は今日も元気だね。元気なのはいいけれど、家の中で飛んではいけないよ」
「うっ、すみません……」
あまりに気が早って、文字通り飛んできてしまったことを叱られた。
俺はこの人に頭が上がらないので、素直に謝罪を口にする。
ちなみに「レグ」というのは俺の名だ。
フルネームだと「レグ・ナ」である。
「こんなことをいわなくちゃいけないのは君くらいなものだけど。それが君のいいところでもあるから、困ったね」
「あの……」
「ああ、ごめんごめん。僕に何のご用かな?」
ゼル爺がくすりと笑う。そんな動作さえ品があるから不思議だ。
ともあれ、俺は雑談なんてしにきたわけじゃない。
先ほどまで惑星開拓の事業募集を見ていた端末を差し出した。
「私、この星に行ってみたいんです!」
「へぇ。それはまた、どうして?」
「……綺麗なところだな、と思って」
「ふぅん」
我ながら苦しい言い訳だ。
でも馬鹿正直に話すわけにもいかない。
俺は転生してからずっと、前世のことを隠して生きてきた。ただでさえ周りから浮いているのに、これ以上頭がおかしいヤツだと思われたくなかったし、誰かに伝える勇気もなかった。今更打ち明けるには口が重たくなりすぎた。
だからゼル爺の視線から逃げるように俯いてしまう。
「まぁ、いいよ」
「えっ」
「君が突拍子もないことをいうのは、いつものことでしょ。だから本当のところは聞かないでおいてあげるよ。それよりも――」
とん、と俺の額に白魚のような指が当てられる。
何をするんだと思っていたら、ぐっと押されて顔を上げるはめになった。
「レグ。君、顔つきが変わったね」
春の海のような、碧く凪いだ双眸がじっと覗き込んでくる。
「そう、でしょうか……」
「うん。いつも迷子の子どもみたいだなぁ、と思っていたんだけど」
「迷子の子ども」
そりゃ、この人からしてみたら誰だって子どもだろう。
でも迷子というのは心当たりがありすぎて、思わずどきりとした。
「迷い人を導くのも先達の役目だろう。僕にできることがあるのなら、協力は惜しまないよ。さしあたっては、まずこの星――」
「地球ですね」
「そこの開拓者にエントリーしなさい」
「でも、私は会社を持っていませんよ?」
「別に企業じゃなければ応募できないなんてことは無いよ。個人でも開発ができると見なされれば審査は通る。それに考えてもみてごらん」
一度言葉を切ってから、ゼル爺が穏やかに笑いながら言った。
「神族の頼みを断る種族が、この世界にいると思うかい?」
……めちゃくちゃ言うな、この人。
でも事実、ハーヴェンは銀河連邦の盟主であり、支配者だ。
今更覇を唱えることはないし、人工的にしか増えない枯れた種族だが、神のように敬われ信奉されている存在でもある。
ゼル爺の言葉にはまったく衒いがなかった。
それは自分の発言が至極当然のことだと思っているからだろう。
「だから審査は一発で通るよ」
「そ、そうですか」
「足は昔僕が使っていたのがあるから、旧式だけどそれを貸してあげるよ。ただし、レンタル代くらいは自分で稼ごうか」
「えっ」
足というのは宇宙船のことだろう。
だけど、稼ぐ……稼ぐって、どうやって?
恥ずかしながらハーヴェン族に生を享けて16年、前世と合わせれば33年。
きちんと働いたことなんてないのが俺だ。
「こう見えて僕は昔、宇宙を股にかける大冒険をしていたんだ。傭兵稼業や害獣退治でクレジットを稼いだものさ。レグ、君は生白いから、仕事を教えるついでに僕が一から鍛えてあげるよ」
「え、と?」
言いしれない圧を感じて一歩下がると、すかさずゼル爺の手が伸びてきて肩を抑えられる。そのまま彼はにこやかな笑顔とともに言い放った。
「なってみようか、冒険者」
……やっぱり俺、『異世界転生』したんじゃないか?
◇ ◇ ◇
この宇宙には、人類――知的生命体に害をなす生物が数多く息づいている。
その多くは大した知能も持たず、本能のままに人を襲ったり集落を破壊するので、人類が宇宙に進出した歴史を紐解くと、そこには必然的に彼らとの戦いの記録が紡がれている。人と人との戦争以上に、人類は数多の化け物と戦ってきた。
どうしてこんな話をしているのかというと。
まさに今、目の前にそんな化け物がそびえ立っているからだ。
『……いや、でかすぎるでしょう』
百を超える触手。茫洋としてどこを見ているのか掴みどころのない眼。三角巾のような頭に不揃いの牙。それらが全長10kmの体に配されている。
見上げるなんてレベルじゃ済まない。
事前に読んだ資料によると星海大王烏賊というらしい化け物を前に、
『これを倒せって……?』
呟いた言葉は音にならず、口の中で木霊する。
それもそのはずで、今俺はこの巨大なイカとともに宇宙空間を漂っていた。
――思い出すのは、つい先刻のこと。
半年前、ゼル爺に連れられて俺は冒険者稼業を始めることになった。冒険者といってもファンタジー作品のような、ギルドがあって、ランクがあって、幻想生物を相手にするようなものじゃない。いってしまえば害獣駆除と盗掘である。
たとえば、除草目的で他星から輸入した一角兎が増えすぎたので、化学兵器を使わずに駆除してほしいとか。星から養分を吸い上げ、死の大地へと作り替えた後にまた次の星へ旅立っていく吸命蒲公英の調査と焼却とか。銀河のどこかにいる生き別れの家族を探してほしいとか。既に文明が滅んだ星に降り立ってまだ使える資源を探したりなど。
スケールが馬鹿でかいだけの便利屋のようなものだ。
そうした仕事をゼル爺に見守られながらこなしてきたんだが……。
休む日がないほどのデスマーチを越え、ついにある程度の資金がたまった頃。
ふとゼル爺がこんなことを言ったのだ。
――そろそろ卒業試験、受けてみよっか。
卒業試験とは、なんぞや。
すかさず聞き返したら、指定した害獣を倒すことだと返されたので、俺は今までの仕事の延長だろうと思って安請け合いした。してしまった。
その結果が今目の前にいるこの怪物というわけだ。
『いくらなんでも、こんな化け物を相手にするなんて聞いてませんよ!?』
脳裏に「そりゃ言ってないからね」と笑う天使の姿が浮かんでは消えていく。
だが困惑している暇はない。
泣き言をいっている間にも、クラーケンは星屑を粉砕しながら滑るように前進して、俺の方へ向かってきている。正確には俺なんて歯牙にもかけず、そのずっと先にある星を狙っているんだろう。
クラーケンは普段、宇宙をあてどなく遊泳している。空腹時でなければ近づいても取って食われることないそうだ。
ただし産卵期に入ると、地球のような大海を有した星を探し求め、これだと決めた星に飛来して約千個もの卵を放出するのだ。卵は即座に海の中で孵って、その星の生態系をさんざん食い荒らした後で宇宙へ旅立っていく。
とんでもなく迷惑な存在だ。
討伐依頼が出されるのも納得しかない。
『ああ、もうっ!』
ここを通してしまえば依頼は失敗だ。
もし失敗したとしても、その時はゼル爺が助けてくれるだろう。
……たぶん、きっと。
助けて、くれるよな……?
とにかくまぁ、恐れることはないはずだ。
そう自分に言い聞かせて強く頬を叩いた。
『やぁってやりますよ!』
触手についている吸盤一つさえ、自分より何十倍も大きい。
離れていても足から先が見えないほどの巨体を前に、目をつぶって、背中に生えた一対の翼に精神を集中させる。
見えないけれど何度も繰り返した動作で、翼が淡く光っているのがわかる。
集中して、集中して、集中して――五感すべてが曖昧になるほど意識を翼に収斂させて、ようやく視えた『それ』を捕まえる。そして掌で押しつぶすように固めて、思い切り前へ突き出した。
『――止まって!』
一見すれば、ただ虚空に手を突き出しただけ。
音のない宇宙空間で、滑稽なパントマイムを披露しただけに見えたろう。
だが次の瞬間、巨大イカがまるで透明な壁にぶつかったかのように、何もない場所で弾かれた。
『!!??』
困惑の、声にならない声が衝撃とともに伝わってくる。
有翼人種はこの宇宙で数少ない、霊子を感知し操ることができる生命体。宇宙に遍く存在するこの粒子を操るということは、即ち世界を動かすということに相違ない。
ゼル爺からみっちり半年間しごきを受けて、俺はその御業――操霊術をほんの少しだけ習得した。はっきりいって入門レベルだ。それでも望外の力を発揮することができる。
今俺が宇宙服もつけずラフな格好で浮かんでいるのは、操霊術によって体の周りに防護膜を張っているからだ。
……あの人なら、こんな回りくどいことせず瞬殺だろうな。
見えない壁にぶつかって、その巨体のせいで苦しんでいるイカを尻目に、もう一度深く集中する。
『刀身……形成……』
時間にして、たっぷり一分ほど。
周囲に漂う光と熱をただ一点にかき集めていく。
俺も、イカも黒く塗りつぶされて、次第に見えなくなっていった。
代わりに出でたるは一本の刃。
燃焼せず、されど煮えたぎるほど赤熱した刀身を不可視の手で握りしめ、裂帛の気合とともに振り抜いた。
『断ち、切れろッ!!』
刹那、暗闇が訪れる。
まるで部屋の照明を落としたように、ぱっと闇黒に包まれて、次の瞬間――――光が爆発した。
あらかじめ目をつぶっておかなければ失明していたかもしれない。
それくらいの閃光が迸る。
振り抜かれた刀身は小さく、とてもクラーケンの巨体を貫けるはずもなかったが。
ゆったりと目を開けると、そこには巨大イカが真っ二つになって転がっていた。
自分で作り出した情景ながら、常軌を逸した光景に思わず呆然としてしまう。
『やった――!?』
思わず喝采を上げようとした瞬間、クラーケンの亡骸が破裂した。
透明な、いかにもクラーケンを小さくしただけのような生物が、白い表皮を食い破って次々に飛び出してくる。
その数は優に千を超えていた。
幼体だ。母体の危機を察して、クラーケンの幼体たちが飛び出してきたのだ。
『嘘……』
小クラーケンたちは宙をうねり群体となる。
まるでオキアミのように、一塊の大きな生き物となった彼らが標的にしたのは俺だった。
『こ、攻撃をっ、いや先に盾を……!?』
呆気にとられている間に距離が縮まっていた。
気が付いた時にはもう目の前まで群れが迫っている。
何かをしようとしたはずなのに――
頭が真っ白になってしまい、考えたこと全てが溶けてしまう。
結局できたのは、恐怖で固まることだけだった。
そういえば地球にいたころ、こんな話を読んだことがあったっけ……。あれはイカじゃなくて魚だったけど、みんなで一緒になって大きな魚に化けたんだよな……。
そんな益体もないことだけが頭に浮かんだ、刹那。
『油断大敵、減点一だよ』
脳裏にゼル爺の声が響いたと思ったら、群体がぴたりと静止していた。
群れを成す小クラーケンの全てが俺に襲いかかる直前で固まっている。まるで空間に縫いつけられてしまったかのように。
『ちゃんと倒しきるまで目を離さないこと』
それから小クラーケンたちの後ろに、突如として渦が発生する。
その渦は一見すると緩慢な動きで回っているように見えた。しかし、もの凄い勢いで群れを吸い込んでいき、最後の一匹まで吸い終わるとあっさり消えてしまう。
打って変わり、何も無くなってしまった空間。
その静寂にいつの間にかゼル爺が浮かんでいる。
『でも、合格は合格かな』
その言葉で彼に助けられたことを知った。
瞬間移動の方法も、頭に響くこの声も、何よりさっきのブラックホールのような技も、何一つやり方がわからないけど。
ただ一つ、平時と変わらず穏やかにほほ笑む天使の姿を見て、俺は悟った。
この人だけは絶対に怒らせないようにしよう……。