昨日の敵は今日の飯・下(三津橋京)
ダンジョンの中には、探索者協会の本部が置かれている第零層以外にも、安全圏があちこち点在している。その中にはモンスターが一切入ってこられないので、安全に休息を取ることが出来るのだ。
グラスウルフを狩り終えた京が目指しているのも、そんな安全圏だった。
どこまでも続く草原をさくさくと歩いていく。
いつもならもう一、二匹狩って帰路につくところだが、予定を変更して、何故かいつもより多い視聴者の相手をしている。
「改めて、僕はミツキヨっていいます。それで……グラスウルフから肉が出るのって、そんなに珍しいことなんですか?」
三津橋京――ミツハシキョウだから、ミツキヨ。シンプルなネーミングだ。
前回までは、こんなことを聞いても何の反応もなかった。
だが今日は違う。
“そもそも落ちるって知らなかったなぁ”
“俺、何匹も狩ってるけど出たことねぇぞ”
“さては幸運の持ち主か?”
“つか、モンスターから食い物がドロップするんだな”
“食べて大丈夫なのか、それ……”
質問すると、打てば響くようにコメントが返ってくる。
京はその中の一つに目を止め、疑問符を浮かべた。
「え、ゴブリンとかも落としますよね。干し肉とか、ドライフルーツとか。あんまり美味しくないですけど」
指折り数えて、これまでのドロップ品を思い出していく。
“は?”
“いや、聞いたことないけど”
“ゴブが落とすのって魔石かしみったれた武器くらいじゃね?”
“嘘乙”
警戒のため、少し周囲を見回していた京は、再びコメント欄に目を落とし、そこに書き込まれた言葉を見て慌てて首を振った。
「いやいやいや、嘘なんかじゃないですって!」
思わぬ指摘に目を丸くする。
事実、【保管庫】にはまだゴブリンがドロップした保存食がいくつか眠っているのだ。お世辞にも美味いと言えないので、消費しきれず残している。それを今ここで取り出して、食レポでもすべきか――と、京が考えた時だった。
“もしかして〈調理師〉だからじゃね?”
そのコメントが、流れを変えた。
“あー、〈調理師〉だとモンスターから食い物がドロップする的な”
“あり得る……のか……?”
“つまり職業でドロップ内容が変わる……ってコト!?”
“うわ盲点だったかも”
“パッシブスキルみたいな感じか”
“アリエール”
“でも、それならなんで協会のデータベースに登録されてないんだ?”
当たり前だと思っていたことが、実は特別だった――なんて話はこの世の中にごまんとある。例えばホワイトシチューをライスで食べる家庭で育った京は、それがスタンダードだと思っていたが、ある時、同級生に変な顔で見られて普通でないことを知った。
大抵、気付かなければそのまま通り過ぎていくものだ。
「あ……」
そしてある時ふと普通でないことを知り、裏返る。
「僕はいつも食品系のドロップは全部【保管庫】に入れてたので、協会に提出したことって無い……ような気がします。誰か出してるだろうなぁと思って……」
探索者協会はドロップ品の買取や流通、素材採取の依頼を取り仕切るだけでなく、ダンジョンに関するありとあらゆるデータをまとめて公開している。一部、職業のデータなどは個人情報に関わるため秘匿とされる場合もあるが、モンスターのドロップ品についても判明しているものは全てネットから閲覧できるのだ。
しかしそのデータは探索者から集めたものを元にしている。
スキルも、ドロップ品も、モンスターの情報も、探索者が伏せてしまえば謎のまま。そこで第一発見者には謝礼が支払われる制度も最近整備された。
“火事が起きてるのに誰も通報しないやーつ”
“まぁ誰か報告してるやろ(してない)”
“なぁこれ、もしかして他の職業も……”
“〈鍛冶師〉とか〈裁縫師〉あたりは怪しいな”
“俺、知り合いに聞いてくる!”
降って湧いたダンジョンの新たな一面にコメント欄が盛り上がる。
ともすれば、京の配信がその話題に乗っ取られてしまいそうほど。
(なんか、話が大きくなってきちゃったな。これ、どうしよう……?)
そんな折、第六層の安全圏――草原の中にぽっかりと浮かび上がった、丸い空き地が見えてきた。荷を下ろし休んでいるパーティーがいくつもある。野営の跡か、積んだ石や焦げた地面があちこちに点在していた。
以前なら安全圏であっても、探索者同士で警戒しあって、こんな風に羽を伸ばしている光景は滅多に見られなかったが、ライブカメラが導入されて以降、その空気にも変化が訪れてきている。
「えー……セーフポイントにつきました。積もる話は作業しながらにしましょう」
京が安全圏までえっちらおっちら歩いてきたのは、まず、落ち着いて話せる場所に行きたかったからだ。
先ほどまでは、いつモンスターに襲われるか、あれでも気が気じゃなかった。
そしてもう一つの目的は、
「あそこの隅っこを使わせてもらおうかな――【保管庫】! さて、箱から取り出したるは、先ほど手に入れたグラスウルフの肉! せっかくなので、今日はこれを美味しくいただいていきたいと……思います!」
〈調理師〉本来の見せ場を作ること。
すなわち、ライブクッキングだ。
「といっても、ここじゃ凝ったことできないですけど。キャンプ飯みたいなもんですね。調理台は……あれでいいか」
京が目を留めたのは大きな平たい石だった。
少し離れたところにあるそれを運んで、また戻ってくる。
「【水生成】」
【水生成】は飲み水を生み出す〈調理師〉のスキルだ。
京の手からじゃばじゃばと水が零れ、平たい石の表面を洗い清める。
一通り綺麗になったところで、葉に包まれた肉塊がどんっと置かれた。
「さっきも言ったんですけど、グラスウルフの肉は筋張ってて硬いので――【鑑定】で筋取りをしてから……こうして一口大に切っていきます」
サバイバルナイフで肉を切り分ける動作は、さすがに堂が入ったもの。
するすると刃が入り、小さな肉のブロックがいくつも出来上がった。
「串があれば打つんですけど、今日はないのでワイルドにいきましょう!」
石の上から肉以外のものが全てどけられる。
見栄えを意識し、等間隔に並べ直した肉の群れを見て、京は満足げに頷いた。
そして、平たい石を両手で掴むようにしながら、
「――【加熱】!」
新たな〈調理師〉のスキルを発動する。
その効果は手で触れたものをゆっくり温める、というもの。時間はかかるがホットプレートの温度くらいまでなら操作することが可能だ。
「焼け石に水って、昔の人は本当、上手いこと言いますよねー」
【加熱】により熱くなっていく石から水蒸気が立ち上る。
それを見た京の感想に深い意味はない。配信だから何か喋っていた方がいいんだろうな、という考えから生まれた独り言だ。
ほどなくして、ジュワアア――と音が鳴り始めたところで、京は手を離した。
後は放っておいても、熱が冷めるまでに焼きあがるという判断だ。
余力が出来たので、ちら、とコメント欄を覗き見る。
“あぁ~!肉の音ォ~!!”
“クソッ、腹が減るようなもん見せやがって!”
“そういや〈調理師〉の配信だったなこれ……”
“石焼きいいな~”
“晩飯前で助かった、深夜だったら即死だった”
思わず京の口元がにんまりとほころぶ。
スキルがどうだの、ドロップがどうだの、職業がどうだのという話より、よっぽど眺めていて楽しい。
肉をひっくり返しつつ、自然に口を開く。
「グラスウルフの肉は、不思議なんですけど、ほんのりバジルの香りがするんですよね。あー……匂いが漂ってきた。普段、何を食べてるんだろ? というか、モンスターって食事するんですかね?」
もしこの場に天使さまがいれば、即座にノーと答えただろう。
モンスターはあくまで現象であって、生態系を築かない。
“気づけば大真面目にモンスター研究家がいる時代”
“ほんと、少し前じゃ考えらんないよなぁ”
“そういやミツキヨ、ソロの〈調理師〉なのにどうやって六層に?”
“確かに、俺もそれ気になってた”
肉が焼きあがるまで、あと少し時間がかかるだろう。
赤熱する焼石から目を離し、京はカメラと向き合った。
「……もともと、僕はパーティーを組んでたんです。でも五層を越えたところで、その……戦力外通告を受けまして、はは」
本来、〈調理師〉が一人で第五層を抜けるのは難しい。
純粋な戦闘職でないがゆえ、どうしてもゴブリンキングに苦戦してしまうからだ。
ただし、一度でも五層を越えて転移陣を起動すれば、以降はいつでもショートカットして第六層へ来ることができる。
“あっ……”
“生産職あるある”
“まぁしゃーないよな”
京だって初めからソロで活動していたわけじゃない。戦闘職でないと分かった時から、彼なりに〈調理師〉らしくパーティーをサポートしたり、時には【鑑定】も駆使しながら前線に立つこともあった。
第六層のモンスター相手にも戦うことが出来ているのは、そのおかげだ。
培ったレベルと戦闘経験のおかげで、どうにかこうにかやっている。
――結局、努力の結果は解雇だったわけだが。
“でもさぁ、正直〈調理師〉ってアリじゃね?”
“一家に一台欲しい感じはある”
“水も食い物も持ち運ばないでいいし”
“わりとティアSな気がする”
“ドロップ追加(?)もあるっぽいしな……”
過去を思い返し、落ち込んでしまった京の心に、視聴者からのコメントが慈雨のように沁みこむ。おかげで気を持ち直すことが出来た。
「とにかく! グラスウルフの肉は臭み消しがいらないので、シンプルに塩で味わってもいいんですけど……じゃじゃん! せっかくだから、今日はコイツを炙って――」
出しっぱなしの【保管庫】から京が取り出したのは、拳大サイズのチーズ。外から持ち込んで、あらかじめしまっておいたものだ。無造作にナイフを突き刺して、焼石の上へ持っていく。やがて、どろりと溶けだしたチーズが肉へと覆いかぶさり、蓋をした。
「いやぁ、こういうの、一回やってみたかったんだ。グラスウルフの探索者風焼き・乾酪載せってところでしょうか……完成です!」
乳白色の衣を纏ったブロック肉から美味そうな湯気が立ち上る。
画面越しの視聴者だけでなく、三々五々に休息していた探索者たちも、思わず目が釘付けになっていた。
“うほおおおおお!”
“これ絶対美味いやつじゃん!”
“こういうのでいいんだ、こういうので”
“まさかダンジョン配信で飯テロをくらうとは……”
“早く食レポしてくれ!”
“グラスウルフ、一体どんな味がするんだ”
完成した料理を前に、コメント欄が本日一番の盛り上がりを見せる。
シンプルで分かりやすい調理工程だけに、味が想像しやすいというのもあるだろう。
京は急かされるまま手を合わせ、チーズの海にナイフを突き刺す。
(ちょっと行儀が悪いけど……)
そして、こんがり焼けたブロック肉を掬い上げ、口の中へ放り込んだ。
しっかり十秒ほど噛んでから、ごくんと飲み込む。
「……うん! しっかり筋取りしたからマシですけど、やっぱりちょっと硬いかな。でも噛めば噛むほど味が出て……脂っぽくないから、チーズと合わせてもくどくならないし……良い組み合わせかも! そして鼻に抜けるこの香り……うまぁ」
職業柄、顎に手を当てつい味の分析をしてしまいそうになるが、配信中だ。
ひとまず視聴者へ向けて感想を述べていく。
“くっそおおおおおお”
“ガチで美味そう”
“いいな~”
“あかん、腹減ってきた……”
“二口目早くて草”
“これはメシの顔ですわ”
なんだかんだ体を動かして来たからだろう。京は自分で思っている以上に腹が空いていた。噛み砕くのに少し時間がかかるものの、頬張りが止まらない。
“これ、食べさせてもらうことは出来ないんですか!?”
ふと、そんなコメントが目に留まった。
おそらく場のノリに合わせた、半分冗談みたいな言葉だろう。
だが京の、料理人としての勘がぴくりとうずいた。
「僕、本職は飯屋やってるんですけど、さすがにモンスターの肉なんか出したら、怒られます……よね?」
たとえば、ダンジョンから手に入ったり、〈錬金術師〉が作成したポーションは、まだ一般の販路に流すことを禁止されている。治験が済んでいないからだ。
ましてモンスターの肉など提供したら、悪い意味でニュースになりそうだ。
京だってダンジョンに未知の食材を求めにこそ来ているが、それは料理人としての探求心と、いろんな食材を扱うことでスキルアップを図るためであり、店のメニューに出せるとは思っていない。
もちろん、ゆくゆくは――という下心がないわけでもないが。
第一、モンスター料理なんて飛び道具を使うなら、何のために腕を磨いてきたのか分からない。信念がなければ、最初から独立もしていない。
そのうえで、この微かな手ごたえを逃がさないようにするには。
「でも、再現なら出来る……かも」
肉質は豚の肩肉が近いか。
香りつけはバジルで、脂を抜くか、チーズを少なめにして――
京の脳裏にレシピが綴られていく。
“マ?”
“軽いノリで凄いこと言うじゃん!”
“食べたい食べたい食べたい!!”
“あーそれで〈調理師〉だったんだ”
“モンスター肉そのままはさすがに無理か”
“法整備はよ”
“何でもいいぜ、食えるんならよぉ!”
“つか、店どこよ?”
知らず思考の海に潜っていた京が、はっと顔を上げる。
「あっ、え……と、この配信の概要欄か僕のプロフィール見てもらうと、そこに全部書いてあるんでっ。良かったらSNSもフォローしてください! でもお客さんに出すならもうちょっとブラッシュアップしたいなぁ……。よしっ、実はまだ肉にストックがあるので、今度は一層から採れるエルク草も組み合わせて――」
堰き止められていた水が決壊して、一気に流れ出すように。
アイデアが次から次へあふれ出し、京を突き動かしていく。
故郷を飛び出して十年。料理人として培った土台の上に、今、ダンジョンという刺激を受けて、新たな道が拓かれようとしていた。
――この後、京の配信は切り抜かれ、探索者の飯テロ配信としてじわじわ人気が出ていくのだが……。それはまだもう少し、先のお話。




