続!既知との遭遇・上(千導満)
「は……総理の護衛、ですか……!?」
東京摩天楼第一攻略班、通称「一攻」に所属する千導満陸士長は唖然としていた。
上官で、同じ一攻の隊長でもある小手瓦剛士陸曹長に呼び出されと思ったら、他のメンバーと共に予想だにしなかった命令を下されたからである。
曰く――ダンジョン内にて現内閣総理大臣・浦梅進をエスコートせよ、というのだ。
「……冗談きついですよ、隊長」
千導が口元をひくつかせてそう言うと、小手瓦の額に青筋が経った。
「あぁ? なんだ千導ォ……俺が冗談なんて言ったことあるか?」
「い、いえ……」
どうやら口答えは許されていないらしい。
あわや罰則――腕立て100回の気配を察知した千導は慌てて首を振る。どんなに突拍子がなくても命令ならば受け入れるしかない。
「明日の一六〇〇、総理が東京摩天楼へお越しになる。俺たちの仕事は総理を第二層までお連れすることだ。SPから零層で警護を引き継ぐことになっているから、よォく資料を頭に叩きこんでおけ」
そこまで説明して、小手瓦は部隊員の顔を見回す。
「質問がなければ解散とするが」
「……よ、よろしいでしょうか!」
僅かに間が開いた後、ばっと手が上がった。
発言の許可を求められ、小手瓦が鷹揚に頷く。
「失礼ながら、総理の探索者経験は?」
「……ゼロだ。探索者協会の視察に訪れたきり、一層に足を踏み入れたこともないそうだ」
「であれば隊列は3:2ではなく……」
「1:3:1だな。いつも通り蝉谷を先頭に、千導、山越、伏見の三人で総理をお守りしろ。殿は俺が持つ」
普段一攻はダンジョン内にて、〈拳闘士〉小手瓦、〈戦士〉千導、〈斥候〉蝉谷が前衛を務め、後衛に〈弓士〉山越と〈土術師〉伏見を配置した3:2の隊列を組んでいる。だが護衛対象がいるとなれば話は別だ。
前と後ろ、両方からの襲撃に備えなければならない。
新たなフォーメーションを脳裏に描きながら、千導は考える。
(敵がモンスターだけ、とは限らないしな……)
浦梅総理には政敵が多いと聞いている。ダンジョン内で人は命を落とせない。だが疑似的でも死は死だ。心に大きな傷を残す。
閉鎖空間であるのを良いことに大胆な仕掛けをしてくるかもしれない。
気を引き締めつつ、千導も手を挙げた。
「総理自身が戦われる可能性は? また、最短ルートを進みますか?」
「まず、総理が戦うことは想定に入れていない。職業が何かすらも分からんのだからな。ルートは最短になるかもしれんし、ならんかもしれん」
「はぁ……」
曖昧な答えに千導は何とも言えず息を漏らす。
それに対し、小手瓦は腕を組んで目を閉じた。苛立たし気に指を叩く。
「仕方ねぇだろ。上は俺たちを観光ガイドか何かだと勘違いしてるらしい。いい感じにダンジョンを案内してくれ、だとよ。ったく……」
上官には上官なりの苦労があるらしい。隊員たちは気まずい気持ちを言葉にしないで、目線を交わして共有する。何と声をかけたらいいか誰にも分からなかった。
「何も起きなきゃいいがなぁ」
小手瓦がぽつり、と言葉を零す。
あ、それフラグ――という台詞が喉まで出かかって、千導は誤魔化すように外を見た。
予報では明日は一日雨らしい。
だからか、既に窓から見える空には薄く暗雲が立ち込めていた。
◇ ◇ ◇
明くる日。東京摩天楼第一攻略班のメンバーはダンジョンの安全圏、零層と呼ばれる探索者協会のロビーで、浦梅進総理を出迎えていた。
部隊を代表して小手瓦が前に出る。
「本日の視察は我々第一攻略班が帯同させていただきます! 隊長の小手瓦剛士です! 総理の安全は我が身に代えてもお守りいたしますので、ご安心ください!」
そう言って敬礼する部隊長に千導以下他のメンバーも続いた。
「……ああ、よろしく頼む」
軽く手を挙げゆったりと応じる浦梅総理。
以前より皺が深く刻まれたその顔を千導はこっそりと盗み見る。
(この人が、あの)
部隊の士気は高い。はじめこそ戸惑いが大きかったものの、あの浦梅総理を護衛できるとあって、誰もがプレッシャー以上にやる気を感じていた。
何故なら彼は迷宮事変の初期、初めてダンジョンに自衛隊が突入した際、その成果を疑問視する報道陣に真っ向から立ち向かってくれたからだ。
千導は他ならぬ決死隊の一人。今日日書くことなんてないだろうと思った遺書を大真面目にしたためた当時の記憶が蘇る。
(……テレビで見るよりもなんか、普通のおじいちゃんみたいだな)
およそダンジョンには似つかわしくないスーツを着て、そこだけ周囲から浮いている。激務ゆえか、とてもくたびれて見えた。
「では参りましょう。はじめに『声』が聞こえると思いますが、慌てず、その内容を我々に教えてください」
「……うむ」
警護のため、一攻の周りは人払いをしている。このままここに居たら他の探索者たちの迷惑になってしまうので、挨拶もそこそこに歩き出した。
現在、第一層への扉は四枚ある。本来なら安全確保のため、その内の一つを一攻で占有したいところだが、「ダンジョン内の治安改善を目的とした現地視察」にゆくのだ。探索者を締め出してしまっては意味がない。
それでも一攻が入った扉は、この後しばらく立ち入り禁止となる。
もし総理に害をなす人間が後から入ろうとしても弾けるわけだ。
総理を部隊の真ん中に置き、一同が扉を潜る。
薄い膜を突き破る感覚がした後、苔生した洞窟が現れた。
「っ……!」
びくりと浦梅総理が肩を上げる。
その背へ、最後尾についた小手瓦が声をかけた。
「総理」
「あ、ああ。私の職業は〈吟遊詩人〉だそうだ」
ダンジョン――東京摩天楼の場合は第一層に初めて足を踏み入れると、誰しもが『天啓』を聞く。自分に与えられた職業が何なのか教えられるのだ。探索者たちは皆、その職業を駆使してダンジョンを生き抜く。
千導などは天啓でなくシステムメッセージだと思っているが、この『声』を聴く機会は他にもある。レベルが上がったりスキルを覚えた時だ。あの天使さまに似た、鈴を転がしたような声で通知が聞こえてくる。
事前にその話を聞いていたとはいえ、それでも総理が驚いてしまったのは、頭の中に直接声が響くという未知の体験によるものだろう。
「〈吟遊詩人〉、ですか。確か……」
小手瓦がちらりと千導へ視線を寄越す。代わりに説明しろ、ということだろう。
一攻に配属されてからというもの、ダンジョンにまつわる知識は千導に聞けという風潮が部隊の中で出来上がっていた。彼自身も好きで探索者協会のデータベースを読み漁っているので否やはない。
「前衛・後衛どちらも行けるタイプの戦闘職ですね。歌で味方に支援をかけて戦います」
「……失礼ですが、総理。歌唱力にご自信は?」
「いや、まったく。強いて言えば俳句読みではあるかな」
「……なるほど」
職業システムについては未だ謎が多い。誰にどんな職業が付与されるか、方程式を導き出せていないのが現状だ。少なくとも本人の適性や経験が加味されているのは確かで、総理の場合は弁論職だから〈吟遊詩人〉に選ばれたのだろう、と千導は思った。
「しかし、聞いていた通り不思議な場所だ。光源が見当たらないのに明るい……」
そう言って、浦梅総理が辺りを見回す。
いかに日本を背負う政治家であっても、初めてダンジョンを見る目は他の探索者たちと何ら変わらない。隊員たちが懐かしむようにその様子を見守っていると、不意に彼は上を向いて、天井の方を指さした。
「あれは何かね?」
はて、第一層で天井を這うようなモンスターや高いところに自生する植物なんてあっただろうか。そう誰もが思いながら目線を上にやって――
「ッ、構えろ!!」
小手瓦が吠えた。
すぐさま浦梅総理を囲むように隊列が組まれる。
部隊は命令に忠実だった。誰もが険しい表情を浮かべ、一様に上を睨む。
「きゅ、急にどうしたんだ!?」
「……おい千導ォ、ありゃなんだ?」
すかさず総理を盾に隠した千導へ、小手瓦が問うた。その目線の先には、これまでダンジョンで一度も見かけたことがない異物が浮かんでいる。
つるりとした丸いフォルムに大きな目。
機械仕掛けの光沢を放つボディ。
(機械系のモンスター? いや……)
少なくとも千導が知る限りこんなモンスターは見たことがない。遭遇したこともなければ、協会のデータベースにだって載っていないはずだ。何故そんなものが今、よりにもよってこんな浅層で――というところまで考えて、閃くものがあった。
(……定番といえば定番だけど、まさか)
敵意を感じさせず、こちらをじっと観察しているモノアイの球体。
よく見れば瞳はレンズのようにも見える。
千導は恐る恐るその正体について口を開いた。
「ライブカメラ、かもしれないです」
「……あ?」
我ながら馬鹿げた説だ。そう思いながらも、千導には自信があった。
そういう馬鹿げた事を大真面目にやって来るのがこのダンジョンなのだと。
途端、呼ばれたように球体が降りてくる。
千導がおずおずそちらへ手を伸ばすと、
「おわっ!?」
突然、目の前にホログラムが現れた。
まるでタッチパネルのような四角い小窓。
そこに「配信を開始しますか? はい/いいえ」という文字が躍っている。
よく見れば隅に歯車やクエスチョンマークのアイコンもあった。
「……やっぱり。隊長、これはライブカメラです」
「カメラだぁ? 言われてみれば見えなくもないか……?」
「とりあえず、敵じゃないことは確かです」
ひとまずメッセージを無視して球体をつついても反応がない。
「たぶんこの『はい』を押すと配信が……えー、放送が始まるんだと思います」
「なんだ、テレビに映るってことか?」
「どこに映像が送られるかまでは何とも。ただインターネットが定番ですね」
「……まァたお前の仮説か」
千導が持つ知識――ダンジョンを題材にした数々の空想作品への造詣は、時折「仮説」として部隊の役に立つことがある。もちろん盛大に外すこともあるが、的中率はそれなりに高い。ぱっと見では分からないドロップ品の使い道や、モンスターの効果的な倒し方などを当ててきた。
そんな部下の考察について小手瓦は少しだけ考えを巡らせたものの、すぐに顔を上げた。
「総理、申し訳ありません。イレギュラーが発生しました。ここは一度引き返すべきかと思いますが、いかがでしょうか」
経験上、仮説は正しいことが多い。本来であればダンジョンに起きた異変を調査するため、このまま探索を続行すべきだ。しかし今回の目的は浦梅総理を安全に第二層まで連れていくこと。リスクを考えれば撤退すべきだ――そう小手瓦が判断するのは、隊長として当然のことだった。
「うーむ」
しかし意外にも首肯は返ってこなかった。
顎に手を当て、浦梅総理が唸る。
「……むしろ好都合かもしれん」
ぽつりと零された言葉。
それに誰かが反応するより早く、総理は二の句を告げた。
「君。カメラということは、この視察がお茶の間に映るということだね?」
「え……あ、はい! おそらくは……?」
突然水を向けられ、慌てて頷く千導。
総理の言うニュアンスと自分が思っているものに齟齬があるような気がしたが、勢いに押され口にする間もなかった。
「ライブ、いいじゃないか。君たちの雄姿を国民へ届けるチャンスだよ」
「しかし総理、何が起こるか予想もつきません。もしかしたら突然アレが爆発するかもしれませんし、不測の事態に備えて――」
「何、失敗したって構わない。むしろその方が……あー、ごほんっ。不測の事態が起きたなら、それこそ視察に来た甲斐があるというもの。それに……小手瓦君、蝉谷君、山越君、伏見君、千導君」
総理がぐるりと隊員たちの顔を見回す。
不意に名前を呼ばれて、千導はぴんと背筋を伸ばした。それはもはや習慣のようなもので、彼以外の者も同じように姿勢を正していた。
「私は君たちを信頼している。何があっても、君たちが守ってくれるんだろう?」
「っ……!」
その言葉に、誰もが自然と敬礼を返していた。
小手瓦の名が呼ばれるのは分かる。彼は先ほど自分で名を名乗っていた。けれどそれ以外の隊員たちはまだ名乗ってもいない。それなのに名前を呼ばれたということ。そして自分たちにあの浦梅総理が全幅の信頼を置いてくれたことに、心が奮い立つ。
(……この任務、絶対に成功させるぞ)
気がつけば、千導はそう柄にもなく気合を入れていたのであった。
――ちなみに。総理が隊員たちの名前を口にしたのは、ただの癖だ。
普段から有権者や数々の議員を諳んじるのが仕事の彼にとって、人の名前を覚えるのはもはや職業病のようなものだった。決して、激励がしたかったわけじゃない。
ただそれっぽい台詞が思いついたから言ってみただけなのだが……。
それは、知らぬが花だろう。




