死を生きる(ゼル・メル)
――進化の袋小路に辿り着いてしまった生命。
それがハーヴェンという種に対するゼル・メルの見解だ。
彼は有翼人種に生を享け500年以上の歳月を歩んできたが、その間、ハーヴェン族は何一つ変わらなかった。進化も退化も一切無い。あったのは停滞だけだ。
寿命。本来であれば万人に与えられるべきものである死。
それすらも超越した神族の時間は、ただひたすらに静止している。
そしてゆったりと滅びに向かっている。
寿命から解き放たれ、永遠の生を手に入れたように思えても、終わりはあった。
他の神族も似たようなものだが、ハーヴェンは三歳になると学習カプセルに入る。
『天恵』と呼ぶその儀式により、一生分の知識を脳に焼き付けるのだ。
本来であれば長い年月をかけて習得しなければいけないものを短い時間で会得させる。
これは効率のためでもあるし、神族という存在を保護するためでもあった。
かつて神族が二つに割れて戦争をした時、神族の遺骸は生体兵器として利用された。
有翼人種なら翼が、龍角人種なら角が、瞳石人種なら瞳が、木霊人種なら心臓が、それぞれ霊子兵器に組み込まれた。今でこそ禁制品に指定されているそれらは、今も宇宙のどこかに隠され、時折事件を起こしている。
もし幼い神族が悪意ある者に捕まったら?
頭の悪い者なら、神族を強請ろうとするかもしれない。その瞬間、強請った者はこの世から消え失せる。それくらい神族の力は強大で広大だ。
けれど少しでも悪知恵が働けば、神族の体をバラす。そして霊子の感応器官をブラックマーケットに流すだろう。
いつ何時でも大人が守れるとは限らない。
だから脳が焼き付けに耐えられるギリギリの年齢、三歳から学習カプセルに入れる。
そして負担をかけないよう、一回で施術を終える。
これによってどんなに幼いハーヴェンも一瞬で操霊術をマスターできるのだ。
ところが、最近この保護措置を拒絶する者がいた。
ナ地域に生まれた「レグ」というハーヴェンである。
レグは頑なに学習カプセルに入ることを拒んだ。少しでも近づけさせれば、泣いて暴れて手が付けられなくなるほどの拒絶ぶり。困ったシルキーがゼルに話を持ってきた時、彼は驚きではなく納得を抱いた。
レグは生まれながらにして他の子どもたちと違っていたからだ。
まず、よく泣く。大抵のハーヴェンの子は大人しいもので、手がかからない。だがレグは何かにつけて泣き、人を呼んだ。ハーヴェン族の育児は完全機械化されていて、普通ならストレスを与えず完璧にあやしてくれる。ところがレグだけは機械が世話をしようとすると泣き喚き、人が世話をすると静かになった。
慣れない育児にシルキーが四苦八苦する中で、ゼルも気になって何度か様子を見にいったものである。
少し成長してからも、レグは他の子に比べて好奇心旺盛だった。
内向的で物静かな子ばかりのコミュニティで、レグだけが走り回り、誰彼構わず話しかけているのをよく見かけた。
そんな変わり種だったから、学習カプセルに入らない! と言い出しても、まぁ不思議じゃないかとゼルは思ったのである。
「やぁ、君がレグだね」
自室に引きこもって、出てこなくなってしまったという幼子。
初めて話しかけた時は、布団にくるまってこちらを警戒するように見ていた。
「なんで……鍵……」
「ああ、外したよ」
「嘘……」
「君、天恵が嫌なんだってね。どうしてだい?」
「……どうせ言っても意味ないです」
口を尖らせるレグ。
可愛らしい仕草に思わず口元が緩みそうになるのを堪えて、ゼルは続けた。
「ふぅん。見た目通り子供だね」
「んな……!」
挑発に乗った子供が怒って布団から出てくる。
肩にかかるくらいの銀髪があちこちへ飛び跳ねていた。
「どうせあなたには分かんないですよ! 私の気持ちなんて、誰にも……!」
「そりゃそうだよ。僕は僕だし、君は君だもの」
少し話してみて、ゼルは賢いなと思った。
学習カプセルに入る前でもうこんなに理路整然と話せるなんて、三歳とは思えない。
やはりこの子は何かが違う――
「そして瞳石人種じゃないから心が読めるわけでもない。話してくれなきゃ何にも分からないよ。違うかい?」
「…………」
じっくり一分は黙っていただろうか。
辛抱強く待っていると、ついにレグが口を開く。
「怖いんです」
幼子の目には薄っすらと涙が光っていた。
「昨日まで、友達だった子が、次の日にはもう……遊んで、くれなくて。約束、してたのに。話しかけても、時間の無駄だって」
「うん」
「だって、ちょっと前まで、あんなに普通だったのに……? みんな普通の、子どもだったのに……? 体は子どものままなのに、みんな急に大人になって――頭の中が入れ替えられたみたいに……こんな、こんなの……変ですよ……!」
実は学習カプセルに入ることを怖がる子ども自体は毎年いる。
けれど彼らは何となく怖いのであって、明確な理由があるわけではない。
そして早く大人になりたいという思いから、周囲の勧めに頷く。
(この子は自分が怖いと思う理由をちゃんと言語化できている)
やはり賢い。同時に、その理由は誰にも理解されないだろう。
少なくとも神族の社会にあっては。
(……シルキーたちが相談してくれたのが僕でよかった)
学習カプセルは確かに有用だ。一瞬にして多くの知識を会得できる。
その代わり好奇心を失う。
周囲のものは全て既知のものになり、他者への関心を失う。
一般的なハーヴェンがレグの悩みに寄り添えるとは到底思えない。
「私は、私じゃなくなるのが……怖い、です」
ゼルは一世代どころか何世代も前のハーヴェンだ。
その精神性は普通のハーヴェンと大きく異なる。
「うん、よくわかったよ」
「……え」
「君は学習プログラムに参加しなくて構わない」
「いいん、ですか」
目の前の幼子が、かつての自分と仲間たちに重なる。
「いいよ。その代わり、補講は受けてもらおうかな」
「え゛」
「お馬鹿さんになってもらっちゃ困るもの。差し当たっては、そうだな……」
ゼルは思う。きっとこの子どもは、いつか星の外に出ようとするだろう。
自分たちがそうであったように。
霊子の扱いはそうなった時にでも教えてやればいい。
そんなものよりも優先すべきことはたくさんあるのだから。
「君がお友達としていた約束、僕が代わりに果たしてあげるよ」
友達にはなれないかもしれないけど。
まずは遊び相手から。
――ハーヴェンに寿命はない。けれど好奇心を失ったハーヴェンは、外界に興味を持たず、ひたすら自己の探求にのみ時間を使う。己は何故生まれたのか。この世界は何故存在するのか。そうして瞑想し続け、自分と世界が一つであることを悟った時、ハーヴェンは死を迎える。自身を霊子に分解し、世界に溶けて消えるのだ。
ハーヴェンたちの間で、この死は「霊樹に還る」と言われている。
いかに早く悟りへとたどり着き、霊樹に還るか。
それが多くのハーヴェンたちにとっての課題であった。
ゼルは霊樹に還ることに対して、否定的ではない。
どんな生物にも終わりはあってしかるべきだと思っている。
けれど初めから生に飽いて、終わりだけを見ようとするのは正しいことなのか。
ゆえに考えてしまうのだ。
ハーヴェンとは、進化の袋小路に辿り着いてしまった生命だと――




