吾輩はシルキーである(フクレ)
フクレは妖精種である。名前はもうある。
性別はどちらかといえばオス。けれど主がメスだといえばその日からメスになるのがシルキーだ。よって性別など存在しない。
そんなフクレは他の一般シルキーたちと同じく、いと尊き神の一族・ハーヴェンに仕えるためこの世に生み出された。従って普段は惑星ハーヴェンで、気候循環施設〈天台〉や霊子加速送電所〈満地〉などで働いていた。
この宇宙には神の血族が四つある。
――霊樹の守護者、有翼人種。
――星海の覇者、龍角人種。
――冥府の番人、瞳石人種。
――眠れる森の精、木霊人種。
シルキーたちはしばしば、いずれの神族が最も優れているか話し合う。そしてその度、全会一致でハーヴェンこそが最優と答えるまでがテンプレートだ。
親の欲目ならぬ子の欲目というところ。
そんなシルキーたちには労働の対価が支払われない。
皆タダ働きしている。
しかし、それに反対する者はいない。
何故ならシルキーにとって、ハーヴェンに奉仕することはこの上ない名誉であるからだ。そういう風に『設計』されている。
ただし、ごく稀に対価が支払われる時がある。
それは星の外で活動するハーヴェンに帯同して、そのお世話をする時だ。
シルキーはハーヴェン族全体の共有財産である。そのため、私的な理由でシルキーを連れ出す際には利用料を星に納めなければいけない。といってもハーヴェン族は既に貨幣経済から解き放たれている。体面上クレジットを納めるけれど、星としてはそれを運用するアテがない。結果、利用料はそのまま雇われたシルキーにスライドしてくる。
ちょっとしたお小遣いのようなものだ。
シルキーもまたハーヴェンと同じく金など貰っても使いようがない。
ただ神の如き一族に自分が選ばれ、使われるという至上の名誉を得ることが出来る。
そのため滅多にないハーヴェンの外遊があると聞くと、自分が帯同できないかシルキーの誰もが夢想するのである。
つい最近も〈霊樹の御子〉ゼル・メル様とその弟子レグ・ナ様が外界に出かけるらしい、と噂になったことがあり、その時は残念ながらシルキーを必要とされなかったが、もう一度チャンスが巡ってきた。
なんでも今度はレグ・ナ様だけが単身で辺境惑星の開拓に行くのだという。そのサポートをするためにシルキーを連れていくらしい、と噂が立った。
(まぁ、吾輩は選ばれないであろうがな……)
けれど、フクレはその噂を冷ややかな目で聞いていた。
何故ならフクレはシルキーの中でも落ちこぼれだったからだ。
能力がないのではない。
ハーヴェンへの敬愛が強すぎて、それがいつも空回りしてしまうのだ。
清掃を頼まれれば頼まれた以外の場所も綺麗にしてしまったり、生産工場で一食しか味がないゼリー飲料の種類を増やそうとして止められたり、ハーヴェンの居住区にある庭園を花で飾ろうとしたら好みではないと指摘されたり。
とかく余計なことはするなと言われ通してきた。
シルキーの一覧における自身の評価は最低値。
だからフクレは自分が選ばれるわけがないと、ハナから諦めていたのである。
ところが――
『お前に派遣依頼が来とるぞ』
ある日、信じられないことが起こった。
シルキーは従属者だが、シルキーの中にも階級がある。どんなに位が上がってもハーヴェンに仕えるのが喜びである以上、一生働き続けるのに変わりはないが、さておき。
労働派遣局の呼び出しに従ってフクレが出頭すると、所長から一枚の辞令をインストールされた。
『わ、吾輩がレグ・ナ様のお付きに!? 何かの冗談では……?』
『私も冗談だと思いたかったのだがね。かのお方からのご指名なのだ。嗚呼、何故私を選んでくださらなかったのか……』
所長――犬型のシルキーが鼻をぴすぴすと鳴らす。
『着任前にゼル・メル様がお前に薫陶を授けてくださるそうだ。今すぐ向かうように! 嗚呼恨めしい恨めしい……』
『えっ』
ゼル・メル様といえば、ハーヴェン族の中でも特に高名な人物だ。
この星でもっとも歳を重ねた神の生き写し。自在に霊子を操る〈霊樹の御子〉。
そんな神族に呼び出しを受けたとあっては、普通ならば天に舞い上がる心地がするところだが、フクレはむしろ血の気が引いていた。
(レグ・ナ様はゼル・メル様の弟子だという……。吾輩が不出来な者であると知っていて、誅されるのではないか……?)
それでも呼び出しに答えないということは絶対にありえない。
フクレがシルキーである以上、神族の命は絶対だ。
惑星ハーヴェンに太古から息づく大霊樹。その根元にフクレは急ぐ。
樹冠の影の下、ゼル・メルは物憂げに天を見上げていた。
その背に恐る恐る声をかけようとしたところで、まるで後ろが見えているかのように先手を取られる。
「やぁ、よく来てくれたね」
『と、とんでもございません! 身に余る光栄デス!』
「時間がないから、手短に」
黄金の髪が翻る。
蒼い瞳がこちらを捉え、フクレは身を固くした。
「あの子はとても変わった子でね。他の子たちと違って身の回りのお世話はそんなに必要ないんだ。僕がそう躾けたのもあるし、元からというのもあるけれど」
『は、はぁ……』
「あと凄く落ち込み屋で、すぐ悩むし、しょっちゅうお腹も壊す困った子なんだ」
そんな神族がいるものだろうか、とフクレは内心首を傾げる。
彼の知っているハーヴェンは皆超然としていて、何事にも動じないのだが。
「だから君には、あの子の話し相手になってあげて欲しい」
白魚のような指が伸びてきて、フクレの頭をさする。
「あの子が寂しそうにしていたら、声をかけて。お腹が空いていたら、一緒に何か食べてあげて。いいかい、決してあの子を一人にしてはいけないよ」
『……それがご命令とあれば』
「命令? あはは、そんな堅苦しいのじゃなくて、お願いだよ、お願い」
ゼル・メルのお願いはとても難しいように思えた。
ハーヴェンを神のごとく敬うシルキーにとっては。
だって、それは――
「願わくば、君があの子の友達になってくれますように」
――被造物にとって、絶対に叶わぬ願いであるのだから。
◇ ◇ ◇
惑星ハーヴェンを出発したロゼリア号は、無事霊界へ遷移して快適な旅を続けていた。目的地の未開拓惑星・地球まではまだ距離がある。
船旅の間、フクレは敬愛すべきハーヴェンの役に立てるよう張り切っていた。
主からは適度に休むよう言われたが、それはもう張り切っていた。
そもそもシルキーは睡眠を必要としない。一時的に情報を整理するため仮眠状態に入ることはあるが、それだけだ。
自動運行システムを見守る傍ら、船内の清掃をしつつ設備の点検に走り回る。
けれど艦長室――主の自室にもつい掃除に入ってしまい、はたと思い返した。
そうだ、自分はいつもこういうところで失敗してきた。
ゼル様だっておっしゃっていたじゃないか。
レグ様に身の回りのお世話は必要ないと……。
(またやってしまった……)
幸いというべきか、主は居室が知らぬ間に綺麗になっていても、フクレを叱りつけることはなかった。
ただそれが気づいていないだけなのか、些事と思われているのかが分からない。
シルキーはハーヴェンに対し、隠し事が出来ない。
そんなことをしたら申し訳なさで憤死してしまう。
やはりここは正直に話そう。
そう思い、しょんぼりしながら主の姿を探す。
しかして主は通路の窓から外を見て、ぼんやりと物思いに耽っていた。
フクレの頭に、ふと尊き貴人の言葉が蘇る。
君には、あの子の話し相手になってあげて欲しい――
『あ、あの!』
「……ん。どうしました、フクレ」
『何を見ていらっしゃったんデスか?』
本題よりも先に質問が口を突いて出た。
「ああ、あれが本当に黒龍の尻尾なのかな、と思いまして」
霊界という名の亜空間には、霊子以外ほとんど何も存在していない。
ただ一つ、底の方に黒い『道』が続いて在る。
主が指し示したのはその道のことだった。
『この宇宙の創生神話デスね』
「はい。この世界は開闢神ア・ロアが見ている泡沫の夢。ひとたび目覚めれば、全て弾けて消えてしまう……。何人たりとも、かの眠りを妨げるべからず。ア・ロアは長大な龍にして、今も幽世で現世の夢を見る。とまぁ所説ありますが、霊界に広がるあの黒い道がア・ロアの尻尾なら……本体はどれほど大きいのでしょう」
シルキーにとっての神はハーヴェンだ。
だからそのハーヴェンの上にさらに神がいるというのは、フクレにとって理解が及ぶ領域ではない。それでも何か返さなければと考える。
『レグ様は創世神話を信じていらっしゃるのデスか?』
「どうでしょう。昔は神様なんていないと思ってたんですけどね」
何が面白いのか主がくすりと笑う。
『あの、レグ様……』
話がひと段落したことを感じ取り、フクレは今度こそ本題に入ろうとする。
後ろ手に触腕をきゅっと絡め、震えないよう声を出した。
『ワタクシ、レグ様のお部屋を勝手に掃除してしまったんデス』
「……? それがどうかしましたか?」
『え。いえ、その、差し出がましい真似をしてしまったと』
想像もしていなかった反応を返されて、フクレは困惑した。
頼まれた以外の事をすると、余計な真似はするなと釘を刺される。
それが今までの普通だったから。
「フクレは真面目ですね」
『そう……でしょうか』
「私が入るなと言ったわけでもなし。むしろありがたいくらいですよ? でもそうですね、人によっては怒るかもしれませんね」
ハーヴェン族は基本的におおらかだ。
自分は自分、他人は他人。他者に期待しないから淡白な人間が多い。
ゆえにフクレも今まで怒られ通してきた、というわけじゃない。
ただいつも、もういいよと呆れられてきただけだ。
彼らにしてみればシルキーは便利な機械のようなもの。
命令したことだけこなしてくれればそれで良い。
洗濯機に期待するのは洗濯だけで、料理までされては困るのだ。
『レグ様は……』
一体主は、何故こんなに違うのだろう。
『どうしてワタクシを選んでくださったのですか?』
気がつけば、ずっと秘めていた疑問を口にしていた。
「え゛」
被造物が造物主に疑問を抱くなんて、あってはならない事だ。
もはや涜神行為と言っても良い。
己は解雇されるべきであろう。
けれど目の前の主なら答えてくれるのではないか。
そんな浅はかな思いが言葉になっていた。
『ワタクシはレグ様に選んでいただけるような、立派なシルキーじゃありません。勤怠評価だって最低値デス……』
「あー……なるほど」
もしかしたら、主はカタログを見ず、適当に自分を選んだのではないか。
そう思ってみたけれど、頷く様を見るに違うようだった。
「確かにリストを見た時、あなたの評価だけ異様に低いので、何でなんだろうとは思いましたよ。でも減点事項を確かめて、すぐにわかりました。ああ、この子はすごい頑張り屋さんなんだなぁって」
虚を突かれる、とはこういうことを言うのだろうか。
フクレは思わずぽかんとして、主を見上げる。
白い手が伸びてきて、まるで握手をするように触腕を持ち上げられた。
「ぜんぶぜんぶ、私たちのことを思ってやってくれたんだろうな。そう思ったからこそ、あなたを雇うことにしたんですよ。フクレ」
ずっと、自分の頑張りは余計な事だと思っていた。
空回りして、邪魔になって。
その失態を取り戻そうとして、また呆れられる。その繰り返し。
きっと自分は『失敗作』なんだろう。
そう思い続けてきたフクレの心に光が差す。
『……過分な評価、痛み入ります』
本当は飛び回りたいほどの嬉しさを堪えていたから、フクレはそう返すのが精いっぱいだった。思考制御回路が熱を持ってしまったようにぼうっとする。
(なんて大きな器をお持ちの方なんだ……!)
この人だ。この人こそが自分の主なんだ。
元々持っていたハーヴェン族への敬愛に、レグという個人への尊敬まで乗っかって、フクレの中の忠誠心は限界突破を迎えようとしていた。
ゆえに、
「……あと、めちゃくちゃ安かったですし」
ぽつりと零された主の言葉は、幸か不幸か耳に入らなかった。
評価が低ければ、当然雇用料も安い。
それが全ての理由でもないが、残酷な真実だった。
敬愛が友愛に変わる時は来るのだろうか。
少なくとも今はまだ、フクレがレグと友達になる日は来なさそうであった。




