天使さま、決意する
『視察、お疲れ様でした』
地球の衛星軌道上に停滞するロゼリア号。
その食堂兼リビングにて、俺はフクレに肩を揉まれていた。
「あ゛―……いい感じです。上手ですね、フクレ」
『恐縮デス』
柔らかい触腕が適度な刺激を与えてくれる。
俺が命令したわけじゃなく、フクレが「やりたい」というので任せた形だ。
こういう辺り妖精種は徹頭徹尾、従事者として創られているなと思う。
特にハーヴェンは翼のせいか肩が凝るのだ。
『収穫はありましたか?』
「そうですねー……やっぱり今のダンジョンってβテストみたいなもので、動かしてみたらいろいろ問題があることが分かりました。差し当たっては、うっ、ギルドが欲しいかなと思いました」
『組合、デスか。彼らに徒党を組ませようと?』
「ああ、いえ。そう意味ではなく……うーん何と言ったらいいんでしょう」
俺が思い浮かべているのは探索者の活動全般を支えてくれる組織なんだよな。いわゆる冒険者ギルドみたいなやつだ。
「現状、東京ダンジョンは民間人が挑める唯一のダンジョンです。ただとりあえず開かれているというだけで、彼らへの支援はほとんどありません。このままだと一体どれだけの人間が五層を越えられるか……」
ジャージだの野球バットだので武装していた探索者たちの姿を思い返す。
「おそらくしばらくしたらダンジョンの傍に管理施設が建てられると思うんです。入場料を取ったり、ドロップ品を買い取ったり、税を課すために。そうやってダンジョンが国の経済に入り込んでいけば、やがて探索者の活動を支援するために設備が拡充されていって、探索を助けるための拠点もできるでしょう。ただ、そうなるのに時間がかかりすぎる」
ダンジョンに通い、そこで得た資源を売って生計を立てる。
そんな世界が来るためにはダンジョンが一つの産業にならなければならない。
そしてそれは一朝一夕に出来ないことくらい、経済のけの字もわからない俺でも理解していた。
「だからその拠点をこちらで用意してやるのはどうでしょう。現在ダンジョンの入り口は第一層に直結していますが、まず安全エリアに繋がるようにして、そこで準備を整えてから第一層に向かえるようにしては? ロッカーや生産職のためのワークベンチを用意したり、カウンターも置いておけば勝手に利用してくれそう……あっ、攻略中の様子が見えるライブカメラなんかがあっても良いかもしれませんね! それから転職システムも外せないでしょう!」
話しているうちにアイデアがぽんぽん出てきて、つい熱が入ってしまう。
経営シミュレーション系のゲームでお金の使い道を考えている時の感覚に近い。
何をしたらもっと良くなるか、効率と趣味の狭間で揺れ動く。
『レグ様、なんだか楽しそうデスね』
「え、そう……ですか?」
気がつかない内に笑っていたらしい。
その感情を隠すため、俺は口元に手を当てた。
マッサージを終えたフクレが席を挟んで正面に回り込んでくる。
「……気を引き締めないといけませんね」
そんな俺の言葉にフクレはこてん、と首を傾げて返した。
『何故デスか?』
「何故って……押しつけが過ぎればそれは強制になってしまいます。私はダンジョンを皆さんに楽しんでもらいたいんです。私の“楽しい”を押しつけるわけにはいきません」
『フム』
そうだ、俺には責任がある。
地球を文明レベル0から1に正しく導かなくちゃいけない。
だって無理をいって、ゼル爺にもいっぱい助けてもらったんだから。
務めを果たさなくては……。
『レグ様』
フクレの声はよく通る。
可愛らしいアニメ声だが、甲高くもなく耳にすっと入ってくる。
知らないうちに俯いていたらしく、弾かれたように顔を上げた。
『――あなたはこの星の管理者デス』
二の句が継げない俺に対して、フクレが淡々と告げる。
『銀河連邦から委託された正式な開拓者デス。何故、そんなに控え目でいらっしゃるのでしょう。そこがワタクシには理解できません』
それはフクレがシルキーだからそう思うんじゃないか。
フクレにとって俺は仕える主で、絶対的上位者のハーヴェン族だ。
だからそんな俺が辺境の星に遠慮しているのが信じられないんだろう。
でも俺は本当はこの星で生まれたんだよ。
割り切ったつもりでいても、どうしたって引け目を感じてしまうんだ……。
『アッ、すみません! 差し出がましいことを申し上げました。ワタクシの悪い癖デス』
「……いえ」
『ウゥ、こんなことではゼル・メル様にも申し訳が立ちません……』
不意に出てきた名前。つい先日、別れたばかりの顔が脳裏に浮かんだ。
「ゼル爺なら――」
頭に載せた小さな冠を触る。
あの人なら、こんな時なんて言うだろう。
少し考えて出てきた答えに、くすりと笑ってしまう。
もしゼル爺ならきっと俺のちゃちな悩みにこう返したろう。
――神族の頼みを断る種族が、この世界にいると思うかい?
だから迷わず進んでいけと。
最初に地球に行くべきか悩んでいた俺の背中を押してくれたように。
俺はゼル爺に「いってらっしゃい」と送り出された。
俺なら大丈夫だと信じてくれたんだ。
「…………」
『あのあの、とにかくレグ様が目指す形を実現するのが一番だと思う……デス……』
「……そうですね」
本当に、フクレの言う通りだ。
自分が不甲斐ないせいで落ち込ませてしまった、健気な従者の頭を撫でる。
「ありがとう、フクレ。お陰様で決心がつきました」
俺のせいで地球を間違った方向へ変えてしまったらどうしようとか。
自分が楽しいと思っていることをやっているだけで、ただのエゴなんじゃないかとか。
そんな『小さい事』に悩むのは神族のやることじゃない。
確かに俺は前世、日本に住むしがない男子高校生だった。
でも今は銀河連邦盟主の一角、有翼人種のレグ・ナなんだ。
「私は私の“楽しい”で――ダンジョンの管理者として、この星を導きます。もう遠慮なんてしません」
過去に囚われて今世を否定するな。
またゼル爺に会った時、胸を張って「ただいま」と言えるように。
「ただやり過ぎな時はちゃんと注意してくださいね。期待していますよ、フクレ」
『……! ハイ、もちろんデス!』
初志貫徹だ。俺は地球にファンタジーを届ける。
かつての俺が生きていたら目を輝かせて楽しんだだろう、そんな世界を作ってみせる。
ただしそのためには邪魔なものがある。
「そうと決まれば善は急げですね。早速ダンジョンシステムのアップデートを……といきたいところですが、その前に。今のダンジョンを取り巻く状況は大変好ましくありません。私が望むのは日本国のように全てのダンジョンが広く開放されることです。ゆえに――」
一つ息を吸う。
迷いは晴れたといっても、この先を口にするのは覚悟が要った。
「ダンジョンを開放する気のない国には、見せしめになっていただきます」