天使さま、様子見する
地球の衛星軌道上に浮かぶ船、ロゼリア号。
その船内にある食堂兼リビングで、俺はゆったりとお茶を飲んでいた。
なおステルス機能を搭載しているので地上から見つけられる心配はない。
「ずず……」
特注品の湯飲みを指先で持ってちびちびと口に運ぶ。
以前、ゼル爺と砂漠ばかりが広がる砂の星に出かけた時、現地で買った茶葉というか、粉末をお湯に溶かして飲んでいる。少ない水を有効活用するため考えられたリラクゼーション効果のあるお茶で、脳が緩むというか、依存性のない範囲で頭がぽわっとするから疲れた時にいいのだ。
あれから――地球にダンジョンを作り出してから、少し仮眠していた。
星一つを丸々改造してしまうようなレベルの操霊術はさすがに荷が重い。
翼の血管がぶちぎれるかと思った。
「ほわぁ」
あ~……合法ティーが体に沁みるぅ……。
まずほぼ全ての地球人に俺の姿が見えるように投影すること。
合わせて、地球全体に俺の声が届くようにすること。
これだけでも疲れるのに、どうしてももう一つやらなくちゃいけないことがあった。
それは疑似的に時間を止めること。
俺の姿と言葉に気を取られて、交通事故やら転倒が起きては寝覚めが悪い。
だから話し始める少し前から終わった後もしばらく、地球に存在する全ての物体の動きを霊子で無理やり停止させていた。
当然ロゼリア号に積んだ電算機の演算能力も借りたが、まぁ楽じゃない。
ダンジョンを出現させる際も、出現場所に被っていた人間を離れたところに転移させる必要があったし、本当に気を使った。
言うは易し行うは難しだ。
これも全て地球のみんなにファンタジーを楽しんでもらうため……。
『レグ様、何を見ていらっしゃるんデスか』
黄昏れていると、エンジンルームの方からフクレが上がってきた。
「ああ、これですか? 地球……あー、あの星の様子を少し」
継ぎ目なく白く塗られた食堂の壁に映像が投影されている。
何とはなしに流していたもので、俺もそちらへ目をやった。
「今映しているのは日本国のダンジョンですね」
洞窟タイプの迷宮を迷彩服を着た人間が慎重に探索している。
間違いなく自衛隊だろう。
フクレはふわふわこちらへ寄ってくると、俺の横で机の縁に頭を乗っけた。触手も二本腕のようにかけている。かわいい。
『さっそく中に人が入ってきたんデスね。……軍隊デスか?』
「概ねそのようなものかと。他の国もほとんどが軍を派遣してきていますね。一部民間人が侵入したところもありますけど、だいたい中のモンスターに追い返されるか送還させられていました」
『送還機能も問題なく動いていますね』
「ええ、安心しました」
俺がダンジョンに付けた機能はいろいろあるが、その中でも目玉といえるのが『送還機能』だ。ダンジョンの中で生命活動停止レベルの怪我を負うと即座にダンジョンの外へ排出される。いわば安全機能のようなもの。
代わりに、装備や持ち物をその場に落としてしまう。これはゾンビアタックへの対策だ。死なないからといって何度も無謀に飛び込んでもらっては困る。
それに開拓しに来たのに現地民を減らしてしまっては意味がない。
『おや、もう試しの間デスか』
「さすがに訓練の跡が見えますね。第一層のゴブリン程度では話になりません。さて、彼らはどうするでしょう……」
東京ダンジョンの探索に駆り出された自衛隊は四部隊あった。
そのうち二つは既に撤退して、一つが試しの間――いわゆるボス部屋の前まで来ている。勘のいい人間が一人でもいればここは撤退を選びそうだが。
『進みましたね』
結果、六人の自衛官たちがおそるおそる部屋に入っていった。
東京ダンジョン第一層のボスは確か……。
『これ、小鬼種族から抗議が来ませんか?』
「ノーコメントで」
挑戦者たちの前に現れたゴブリンウォーリアーを見て、ククレが首を傾げる。
銀河連邦には小鬼種たちも所属していて、彼らは大抵真面目で勤勉だ。つい最近星間ワープ技術の開発にも成功して文明レベルを3に上げたと聞いている。このゴブリンウォーリアーしかり、道中の知性がない雑魚ゴブリンたちを見せたらきっと卒倒するだろう。
別に彼らを馬鹿にしたかったわけじゃなく、ダンジョンの雑魚敵といえばゴブリンが定番中の定番だから仕方なかったんだ。他のダンジョンではちゃんとホーンラビットやスライムを出したりしてるし……。
それにやられてばかり、というわけでもない。
『蹂躙デス』
「まぁレベル不足ですね。ここはチュートリアルとして、レベルが1個でも上がっていないと基本突破できないように作ってありますから」
映像の中のゴブリンウォーリアーは猛威を振るっていた。
自衛官たちが成す術もなくやられている。
「一つでもレベルが上がればスキルを覚えるよう設定してあるはずなんですが……。そうか、六人もいるから経験値が分散してしまったんですね」
俺がダンジョンに実装した機能はいくつかあるが、その中でもリスポーンシステムに並ぶ根幹機能が〈職業〉とレベルだ。
レベルは経験値と言い換えてもいい。RPGゲームによくある敵を倒せば倒すほど強くなるシステムだ。霊子で再現したモンスターを倒すと、その人間に倒したモンスターの霊子がほんの少し蓄積される。その霊子を使って段階的に能力を上げさせていく。ただしレベルの恩恵を強く受けられるのはダンジョン内にいる時だけ。
一方〈職業〉は強くなるための指針だ。初めてダンジョンに足を踏み入れた時、その人間に一番合った〈職業〉を選定して附与する。レベルが上がれば〈職業〉に沿った能力が上がるしスキルも覚えていく。
「スキルは発動すれば、霊子が勝手に体を動かして高度な技を再現してくれます。つまり初めから終わりまで霊子たっぷりなので、霊子で再現されたモンスターに対して非常に通りが良い。職業に適した攻撃方法でも多少霊子が乗りますが、レベル0では……」
『じり貧デスね』
気がつけば六人いた自衛官が二人にまで減っている。
これは……勝負あったな。
「スキルとレベル。この二つで無意識化に霊子の扱いを刷り込むことがダンジョンの狙いです。残念ですがゲームオーバーということで――」
『あれ、勝っちゃいましたね』
「……えぇ?」
ゴブリンウォーリアーに設定したスキルは一つ。
〈剣士〉が使える【袈裟斬り】だ。
クールタイムが短く連発できて、それなりに威力もある優秀なスキルなんだが……。
どうしても放つためにはまず上段に構えなくちゃならない。
その隙を狙われ、発動待機状態の剣で強引にゴブリンウォーリアーごと自分を貫いた、と。確かにそれなら火力が足りる。構えようとする段階で既に霊子が集まっているから。
理屈はわかる。わかるんだが……。
「プレイヤーを閉じ込めて脱出ゲームをさせようとしたら、バールで扉を壊しますね、といわれたGMの気分です」
『……?』
こてん、とフクレが首を傾げる。
そのもちもちボディを撫でて、俺は感情のコントロールに努めた。
「とりあえずアレは修正しておきましょう。あんなのバグですよバグ。バグ利用です!」
地球にいた頃は、プレイヤーに有利な要素ばかりすぐ修正してプレイヤー不利のバグはちっとも直さないゲーム開発者に文句ばかり言っていた。今でもその思いは変わらないが、少しだけ気持ちがわかってしまったような気がする。
悔しいような、悲しいような……。
映像では、生き残った隊員が沈痛な面持ちで討伐報酬の宝箱を開けていた。
あれは……初級ポーションか。
どうせ後は撤退するだけだろうから場面を切り替える。
『あっ』
急にTVのチャンネルを変えられてしまったような声を出すフクレ。
「ごめんなさい、まだ見てました?」
『いえ、ちょっとびっくりしただけデス』
「ならよかった。……ずず」
少し冷めてしまった合法ティーを啜りつつ、他のダンジョンの様子も見ていく。
ほとんどが日本と同じように第一層を突破できていない。
そもそも探索に乗り出してさえいない国も多い。
そんな中でふらりと迷い込み、第二層へ駆けあがっていく民間人もいる。運がよかったり、圧倒的な武でねじ伏せたり、頭を使ってシステムのメタ読みをしてきたり。
その後は各国の対応だ。突如出現したファンタジーとどう向かい合うつもりなのか、フクレと協力して情報収集していく。
「……まさか戦車を持ち出してくるところがあるなんて」
『随分旧式の兵器デスね。あれでは外壁一枚崩すこともできませんよ』
「これでも最新鋭なんですよ、この星では」
華国――俺の記憶と微妙に違うから、どこかで国名を変えたのだろう国では、ダンジョン前に戦車隊を並べていた。どうするのか観察していたら、東洋風の城型ダンジョンに向かって砲撃を始めていた。
つまりダンジョンの出現を侵略行為と捉えたわけだ。
どんなに攻撃しても無駄だけど。
一発いくらかかってるんだろうなぁと呑気に考えてしまう。
「さすがにこの国は極端すぎますが、どの国もまだ警戒状態といえそうです」
中に突入せず、様子見で封鎖している国。
中を調査したけれど、危険だと立ち入りを禁じた国。
ダンジョンの可能性に気付いて軍の派遣を検討している国。
いずれにしても突如現れたダンジョンに対し、どの国も慎重な姿勢を見せていた。
ただ一つ日本を除いて。
「……うーむ」
既に放送された現内閣総理大臣の会見を見返して唸る。
衛星軌道上にいながら、このロゼリア号では地球のネットに好き放題アクセスすることができるのだ。
それにしても、日本政府ってこんなに思い切りがよかったか……?
即断即決とは程遠いイメージがあったのに。
それとも俺が死んでしまってから、風通しがよくなったとか?
『この島国はレグ様の意向に添っているみたいデス』
「……ええ、ありがたいことですね」
意外に思うと同時に安心もした。
地球は――日本は俺の知らない場所になっていなかった。
ハーヴェン族のレグ・ナとして歩んだ時間分は過ぎてしまっているけれど。
故郷はまだそこに在り続けてくれた。
「これからが、楽しみですね」
誰にともなく呟く。
『ハイ。楽しみデスね!』
別に返事が欲しくていったわけじゃない。それでも答えが返ってきたことが――傍に誰かがいてくれることが嬉しくて、小さく笑う。
ゼル爺、俺頑張ってみるよ。
……でも一つだけ泣き言をいっていいかな。
今の俺はハイパー美少女だから絵に描きたくなるのはわかるよ。
でもセンシティブなイラストを投稿するのは止めてくれないかなぁ……。
俺は一体、どんな心持ちで見ればいいんだよ!?