泥濘に足掻く・上(カマラ)
インド共和国・第一号ダンジョン「デリー大寺院」。
外観は石造りの巨大な寺院で、ともすれば観光名所になりそうな荘厳さを醸し出しているが、中に入ればそこはもう別世界。ダンジョンの例に漏れず、魑魅魍魎のモンスターたちが息づいている。
今日も朝から探索者たちが列を成し、大きな門へと吸い込まれていく。
その群衆の中に、ひと際小さな影が混じっていた。
(だいじょうぶ……な、はずだ。ちゃんとカネは持ってきた)
まだ九歳になったばかりの子ども――名をカマラと言う。
カマラはぎゅっと拳を握りしめ、聳え立つ寺院を見上げていた。口を真一文字に引き結び、順番を待つ姿には並々ならぬ決意が感じられる。
(オレが母ちゃんをたすけるんだ、ぜったいに……!)
探索者。それはこの国において、しばしば鉱夫に喩えられる。
ダンジョンという名の金山に潜り込み、貴重な資源を発掘する人々。一部を除き、その日暮らしで明日もない。たかだか一杯の酒代を稼ぐため、モンスターの奪い合いで刃傷沙汰が起きるなんて日常茶飯事だ。
そんな大人たちの列に子どもが混じっていれば、酷く目立ちそうなものだが、気にするものは誰もいない。
何故ならば。
――ダンジョンへ挑む者、その一切の貴賤を問わず。
それがインド政府の定めた方針だからだ。
老いも若きも、富めるも貧しきも、何人たりとも拒まない。
ゆえにカマラは誰に咎められることもなく、この場に居ることが出来た。
もっとも、この国では初めからダンジョンが開放されていたわけではない。
当初はむしろ逆――社会に根強く残るカースト制度や、ダンジョンへの距離を測りかねて、酷く閉鎖的な政策を取っていた。
それが、ダンジョンを生み出したと思しき天使直々による裁きが一部の国へ下ったのを見てから、一気に方針転換を決めた。
かの天使が伝承に謡われる存在であるかは大いに議論の余地がある。あるものの、それを話している間に今度は自分たちが裁かれてしまうかもしれない。信心深いからこそ抱いた畏れであり、結論だった。
結果、インドは日本をはじめとした“開放派”へと舵を切ることにしたのである。
常日頃、国際社会から男女平等やカースト制度の歪みについて取り沙汰されているだけに、悪いイメージを払拭しようと、誰もが平等にダンジョンへ挑める国だとして声高に唱えているほどだ。
その実態はともかくとして。
「よし、次……ってなんだ、まだガキじゃねぇか」
一人、また一人と列が消化されていって、ようやくカマラの番が来た。
見上げると、髭面の門番が顔をしかめている。
「お前、ちゃんと“入門料”は持ってきたんだろうな?」
入門料。それはインド全土のダンジョンにかけられている税金のことだ。
たとえば日本の場合、探索者がダンジョンで取れた素材を協会へ売り払う際、一割が手数料として徴収される。その金で協会職員を雇ったり、初心者講習やレンタル装備を充実させたりと、ダンジョン省の活動資金へ化けるのだが。
インドの場合は、探索者から入場料を取る方向で対応していた。
塵も積もれば何とやら。
国土と人口に比して特にダンジョンの数が多いインドでは、今やこの入門料による収入が馬鹿にならず、国庫を潤す一助となっている。
金さえ払えば誰でも中に入れるという意味で、インドのダンジョンはとてつもなく“平等”で――そして、冷たい。
カマラは手の震えが伝わらないよう、体を硬くしながら、仏頂面で門番の男へ入門料を差し出した。
「……ん」
「げ、細かいのばっかじゃねぇか。数えるのがめんどくせぇなぁ」
じゃらじゃらと鳴る硬貨の山は血と汗の結晶だ。
まだ子どもの――それも貧困層の住人であるカマラにとって、入門料は決して安いものじゃない。朝から晩まで綿花畑で働いて一週間。それでようやく貯まる額だ。本来なら今も病床で苦しんでいる母に、滋養のあるものを買ってやりたい。
けれど、それでは根本的解決にならないのだ。
流行り病――ヒルタ熱にかかってしまった母を助けるには。
「ひぃ、ふぅ、みぃ……」
手の中の硬化を数えていた門番が、不意に目を光らせた。
「おいガキ、足りねぇぞ」
「は……? そ、そんなハズないだろ! オレはちゃんと数えてきたんだぞ!?」
「つっても、足りないもんは足りないからなぁ……。お前、古い情報でも掴まされたんじゃないか?」
確かに入門料をはじめ、カマラが持つダンジョンに関する知識は全て、人から聞いたものだ。学校にも行けず、日々を労働に費やす生活の中で、何とか集めた情報である。
もしかしたら自分が間違っていて、値上げでもされたのだろうか。
一瞬そんな不安が心をよぎったが、すぐに勘違いだと気付いた。
(……チップよこせってことかよ、クソッタレ)
よく見れば、カマラを見下ろす男の口元がにやついていた。
まるで路傍に転がる猫でもいたぶるように。
おそらくこの男は、相手を選んで余計に金を徴収しているのだろう。その余剰分は国に支払わず、ポケットへしまい込んでいるに違いない。
「さぁ、どうする?」
厄介な相手に目をつけられたものだと、舌打ちしたい気分だった。
経験上、ここで声を上げたとしても無駄に違いない。
少なくともカマラを取り巻く世界において、勝つのは正しい者ではなく、常に力あるものだ。貧乏人の小汚い子どもが何か叫んだところで、丸め込まれて終わり。それならまだ良い方で、適当な理由をつけて殴られるかもしれない。
(出なおす……か。でも、時間が――)
こうしている間にも母親の容体は悪化する一方だ。
カマラは何が何でも、ダンジョンに行かなくてはならない。
いっそ一縷の望みをかけて無理やり中に入るか、と考えた時だった。
「ふぅん。この国の人間は、まともに数も数えられないのかい?」
カマラの傍に影が落ちる。
慌てて振り返ると、そこに――――息を呑むほどの麗人が立っていた。
否、もしかしたら男性かもしれない。
くすみ一つない、燃えるような赤髪とワインレッドの瞳。無造作に伸ばされた前髪によって片方の目が隠れ、後ろもただヘアゴムでまとめただけ。それなのに、あたかも神の手で削り出された彫像のように輝いて見える。
そんな、恐ろしいほど容貌の整った中性的な美人が、門番の手に載せられた入門料をじっと見つめていた。
(キレイ……)
美しいものなんて無用の長物、腹の足しにもならない。
そう考えているカマラでさえ見とれてしまったのだから、門番は言わずもがな。
「は、え……」
「それ、足りてるだろう?」
「あ……は、ぃ」
先ほどまで、あれほど居丈高に振舞っていた男が素直に頷く光景は、何だか夢でも見ているようだった。彼、あるいは彼女は袖口から紙幣を取り出すと、門番の空いている方の手に握らせる。
「ご苦労様。これはボクの分だから。さ、行くよ」
「は、え!?」
美の化身がカマラの細い腕を掴む。
そうして返事を待たずに前へ引きずっていってしまった。
行く手に「デリー大寺院」の巨大な門が見えている。
お陰で期せずしてダンジョンに入れそうだが、さすがに混乱が勝った。
「ちょ、まっ」
「ああ、すまない。ボクとしたことが、名乗るのが遅れたね。ボクの名前はアナ・ライ。気軽にアナ博士と呼んでくれたまえ。キミは?」
「……カマラ、です」
違う、そういうことが聞きたいんじゃないと思っても、自称博士の口は止まらない。
「よし、これでボクたちはもう知り合いだ。んっんー、我ながら完璧な意思疎通だね」
「…………」
「時にカマラくん。キミはボクに言うべき言葉があるんじゃないかね?」
「……ありがとう、ございます?」
「うん、よく出来ました」
確かにアナが口を挟まなかったら、カマラは今でも門番に捕まっていたか、最悪の選択肢――強行突破を選ぶことになっていただろう。
ただ、それでも一瞬言葉に詰まったのは、あまりに押しつけがましかったからだ。
先ほどまで抱いていた神秘的な雰囲気はどこへやら。
「つまりキミは今、ボクに恩義を感じているということだ」
「……まぁ」
「うん? 言葉を間違えたかな……。異文化交流は想定通りにいかないものだね。いやはや、これもまた経験か。さて……実を言うとボクはダンジョンに入るのが初めてでね」
「そう……なんスか?」
「うん。そうなんだ。そうしてそれは、キミも同じだろう?」
わざわざ見栄を張る意味も無いので、カマラは素直に頷く。
この話がどこへ着地するか分からないが、少なくとも悪意は感じなかった。
「だからね、ボクとパーティーを組んでくれないかな」
「ぱぁてぃ?」
「一緒にダンジョンを冒険しようってこと」
はじめ、何を言われたのかが分からなくて、カマラは目をぱちくりとさせた。
それから我に帰るまでたっぷり十秒。
「オレと、あなたが? な、なんで?」
「理由はいろいろあるんだけど、一番は――」
気がつけば異界と現世の境を越えていた。
巨大な門を潜ると、薄い膜を突き破ったような感覚が返ってきて、次の瞬間にはもう景色が移り変わっている。
板張りの明るい空間。
デリー大寺院・第零層――インドの探索者協会は中も外も人で溢れ、騒がしい。特にテーブル席が酒場として開放されているため、朝から飲んだくれた探索者たちの乱痴気騒ぎで喧嘩まで起きていた。
そんな混沌の坩堝にあって、
「ボクの顔、目立つだろう?」
アナが足を踏み入れた瞬間、しん……と静寂が訪れる。
それも束の間、すぐに喧騒が戻って来たのだが、間違いなく衆目を集めていた。
耳を澄まさなくとも噂されているのが分かる。
「ほら」
ぱちんとウィンクする男だか女だか分からない麗人を見て、カマラは思った。
つまるところ――
(なるほど。オレは“虫よけ”ってワケね……)
――美人には美人なりの苦労があるらしい。
防虫ネット改めカマラは、己が求められた理由を察し、鼻を鳴らした。
◇ ◇ ◇
ぜひ、うちのパーティーに入りませんか。
お姉さん、初心者? なら一緒に行こうよ!
俺たちゃもう十層まで行ってんだ、すげぇだろ?
――などなど、山のように降り注ぐ勧誘。
それらを全て「連れがいるから」の一言で斬り捨て、カマラとアナ・ライは今、デリー大寺院の第一層を歩いていた。
薄暗い石造りの回廊と、そこに溢れた人々を見て、アナがぽつりと呟く。
「いやぁ。想像以上に人が多いね、ここは」
カマラもまた同じ気持ちで、小さく頷いた。
「……っスね」
「まぁそれもむべなるかな。考えることは皆同じというわけだ。このフロアに、キミが求めるものはもう残ってないかもしれないね」
「っ……!」
本来なら冷たい石の道が続くだけの空間。だが今は、そのあちこちが緑に覆われていた。それも大部分刈り取られ、草と草の間に本来の床が見えている。
全世界のダンジョンで異常な“緑化現象”が確認されたのは、つい先日のこと。
それからすぐ、併せて出現した「マンドラゴラ」と呼ばれる植物型のモンスターが、万能薬の素材になると分かった。
そうして何が起きたか。
マンドラゴラ狩りのため、多くの人間がダンジョンへ詰めかけた。
それこそ探索者でもない“素人”を含めて。
普段からダンジョンに潜っていたならまだしも、モンスターとまともに戦う力を培っていないかれらが歩けるのは、せいぜい各ダンジョンの第一層までだ。どうしたって、第二層へ行くためのボスを突破できない。
ゆえに、今カマラの眼に映っているように、ぺんぺん草も生えなくなった場所を普段着の人間たちが一生懸命に這い回っていた。
もしかしたら取り残しがあるかもしれない。あるいは運よく再出現するかもしれない。そんな一縷の望みにかけて。
かく言うカマラもまた、同じ境遇だった。
「あの子も厄介な調整をしてくれたものだ。これじゃあボクの目的が――カマラくん?」
「急がなきゃ……!」
こうしている間にも、カマラが求める薬――マンドラゴラが刻一刻と刈り取られているかもしれない。
焦りに突き動かされて、ほとんど反射的に走り出す。
「おいおい、一人で行くのは危ないぞ!」
背中に聞こえるアナの声も右から左だ。
腰をかがめ、地面を撫でるように移動している人々の間を縫って、カマラは先へと突き進んでいった。
行けども行けども人の海。
ただ奥へ進むにつれて、少しずつ人気が薄れていく。
やがて、曲がり角から不用意に顔を出した時だった。
「いでっ」
「ギャン!?」
ちょうど同じタイミングで角から出ようとしていた何者かとぶつかって、カマラは尻もちをつく。
わけも分からず、鼻を押さえて見上げた先には――
「グルルルルル……」
――二足歩行の犬が牙を剝き出しながら唸っていた。
毛むくじゃらの手に握られた剣は片刃で、錆びており。
牙から垂れた涎が地面に落ち、ぽたと音を立てる。
体躯はカマラとあまり変わりがないほど小柄だが、目は血走り、毛は縮れ、口が裂けても可愛いなどと言えない形相をしていた。
「ひうっ」
デリー大寺院の第一層に出現するモンスター、コボルトだ。
カマラは自分でも血の気が引くのが分かった。
事前に話は聞いていて、どんな化け物が出てくるか知った気になっていたが、いざ目の前にしてみると、その迫力に腰が引けてしまう。
(どっ、逃げ――いや、戦う!?)
正直、気持ちは逃亡に傾いている。
だが逃げながらでは落ち着いてマンドラゴラを探せないし、せっかく人がいないところまで来られたというのに、振り出しに戻るなんて御免だ。
となれば、道は一つ――
「ガァアアアッ!」
「うわぁ!?」
迷っている間に、向こうは覚悟を決めたらしい。
未だ尻もちをついたままのカマラに向かって、コボルトが怒号をあげながら剣を振り下ろす。慌てて転がるように避けると、錆びた刃は石造りの地面と衝突して火花を散らした。合わせて乾いた音が木霊する。
「っぶね! チクショウ、やってやる! やってやるぞ……!」
貧民街に住んでいれば争い事なんて日常茶飯事だ。
カマラもまた覚悟を決め、立ち上がりながら拳を構えた。
――ダンジョン曰く、カマラの職業は〈拳闘士〉だという。
何一つ武器を持たない子どもにとって、そのアナウンスは不幸中の幸いだった。
何せ、もし〈剣士〉と言われても刃物なんて持っていないし、〈槍士〉や〈弓士〉だろうと同じことだ。まともな武器が買えるなら、そもそも明日の食事に困っていない。薬だって潤沢に買える。
だから徒手空拳で戦える〈拳闘士〉はカマラにとって、とても都合が良かった。
「犬チクショウが! テメェなんぞコワくもなんともねぇぞ!」
「グル……」
普段働いている綿花畑の大地主――何かにつけて難癖をつけ、報酬を減らし、反抗すればすぐ暴力に訴えてくるあの狸親父に比べれば、二足歩行の犬なんて可愛いものだ。
細い手足に伝う震えを懸命に抑えて、カマラは勢いよく地面を蹴った。
「うるぁあああッ!」
とかく、大切なのは先に一撃入れることだ。
どんな生物も痛みを感じれば動きが鈍る。
先手必勝、殺られる前に殺る――その精神の元に飛び出して、喉元へ拳を突き出すように見せかけながら、カマラはコボルトの股ぐらを蹴り上げた。
「ギャイン!?」
見せかけの攻撃を、上体を逸らして避けようとしていたコボルトに、情け容赦ない金的が突き刺さる。
少し行儀が悪いかもしれないが、常に相手の急所を狙うのがカマラの喧嘩殺法だ。そうでなければ子どもが大人に勝てる道理などない。
(――入った)
会心の手応えに頬が緩む。
しかしすぐ、カマラは表情を引き締めることになった。
(いや……きいてねぇ……!?)
誤算があったとすれば、それはコボルトがオスでも、ましてやメスでさえもなかったことだ。モンスターに雌雄はなく、必然的に金的も急所攻撃となり得ない。
血管の浮き上がった眼球がギョロリと動く。それから鋭い犬歯を見せびらかすように顎門が開いた。
「グルァアアア!」
「うっ――」
カマラの細い喉に、黄色く汚れた鋭牙が迫る。
既のところで相手の顔面を押さえつけ、何とか押し留めることが出来たものの、両者ともにバランスを崩し縺れ込むように地面へ倒れ込む。
結果、カマラの上にコボルトが馬乗りするような形となった。
「ギュウゥウウウウ……!」
今度こそ喉笛を噛み千切ってやろうと開けられた大口から、ぼたぼたと涎が垂れる。べっとりした体液と生ぬるい息が顔に当たり、カマラは叫んだ。
「ぐっ……くっせぇんだよこの犬ッコロがああああああ!」
「ギュッ……?!」
命の危機に瀕することで、火事場の馬鹿力が発揮されたのだろうか。
仰向けのまま放たれた膝蹴りがコボルトの下腹部に命中する。
くぐもった悲鳴。
さらには勢いを利用して、ごろんと体勢を入れ替えていく。
今度はカマラが馬乗りする恰好となった。
「くたばりやがれぇえええええ!!」
そこからはもう、必死だった。
ただひたすら、目の前の敵を打ち倒すため、左右の拳を振り下ろす。
コボルトの顔面に向かって、何度も何度も拳を叩きこんだ。
「うあああああッ!」
少なくとも今この瞬間、カマラの頭の中はとても単純明快になっていた。母のこともダンジョンのことも忘れ去り、闘争本能に従って獣のような咆哮を上げる。自然と、体の奥から湧きだす咆哮だった。
ようやくコボルトがポリゴンエフェクトを発生させ、消滅してもなお、しばらく虚空を殴り続け――糸が切れたように動きを止めた。
「はぁ……はぁ……!」
体のあちこちに熱がたまり、ぼうっとする。
まるで耳に走る血管一本一本の音が聞こえるように、どくどく五月蠅い。
カマラは荒い息を整えようと必死に胸を抑えるが、効果は薄かった。
(おわった……? う、気もちわりぃ……)
先ほどまで赤く汚れていた拳――コボルトが消え去るとともに血痕も無くなり、綺麗になった右手で口を抑える。
ダンジョンに行くと決めた時点で、ある程度覚悟してきたものの、自分の拳が肉を潰す感触は最悪の一言だ。武器を用意しなくてもいいから〈拳闘士〉は楽だ、なんて考え、とんでもなかった。
だが、これでようやく邪魔者がいなくなった。
「早くアレを見つけないと――っ!」
カマラの目的はマンドラゴラの採取だ。不注意でうっかりコボルトと鉢合わせてしまったが、ここからは細心の注意で探索し、なるべく戦闘は避けていこう。
そう思い顔を上げたところで、薄闇に光る六つの眼に気がついた。
「グルルルルル……」
「ハッハッハッ」
「ヴー……!」
どうやら死闘を演じ過ぎたらしい。
騒ぎを聞きつけ、敵の援軍がやってきてしまった。
「……クソッタレ」
コボルトが三体。
一体だけでも苦戦したのに、果たして切り抜けられるだろうか。
分からないが、萎える体に鞭を入れて、カマラはよろよろと立ち上がった。
たとえ、どんなに劣勢だとしても諦めてなるものか。
絶対、何があっても手ぶらで帰るわけにはいかないのだ。
最悪こちらが噛みついてでも勝ってやる――
「そこの剣、ボクが使ってもいいかな?」
と、その時。
不意に、この場に似つかわしくない程のんびりとした声が響いた。
慌ててカマラが振り返るとそこにアナ・ライがいて、地面を指さしている。見れば、先ほど倒したコボルトからドロップしたと思しき小さな魔石が一つと、錆びて使いものにならなそうな剣が転がっていた。
「え?」
「まぁ、問題があったら後で言ってよ。緊急時につき、借りるね」
そう言ってアナが歩き出す。気楽な調子で、何の気負いもなくコボルトたちの傍へ近づくと、鉄クズ同然の剣を拾い上げた。
その様を隙ありと見たか、コボルトの群れが走り出す。
「っ! おい、前!」
アナは未だ腰をかがめ、下を見ている。
悲劇の予感に、カマラは思わず声を上げていた。
コボルトの爪が、牙が、剣が。
間抜けな闖入者に襲いかかる――刹那。
「……この辺かな」
ぽつりと呟いて、アナが重たげに剣を振り抜いた。右から左へ。少し立ち位置を変えながら、風切り音を鳴らす。
カマラでも十分に見えるほど、普通の剣速だ。しかし、その軌跡の中へまるで吸い込まれるように先頭のコボルトが入り込む。必然、そのコボルトは脇腹に手痛い一撃を食らって踏鞴を踏んだ。
急に先頭が止まってしまったことで、後続のコボルトたちはぶつからないよう、慌てて進路を変える。だがそこに錆びた剣が降ってきた。
「ギャンッ!?」
「まず一匹」
明らかに敵がどこに来るか分かっている――未来が見えているとしか思えない太刀筋。頭蓋を割られ、コボルトが一体ポリゴンを撒き散らして消えた。
残された二体のコボルトたちは瞬時に警戒を強め、アナから距離を取る。それから獲物を囲うように、ぐるぐると周りを回り始めた。一か所に固まらないことで注意を分散させる作戦だろう。
人の眼は二つだけ、正面にしか付いていないのだから。
やがて前に立ったコボルトがアナに襲いかかる素振りを見せた瞬間、本命のコボルトが背後から噛みつくべく飛び出した。
完璧なコンビネーションだ。
離れた場所から見ていたカマラは「危ない!」と警告を発しようとして、それよりも先にアナが回転した。右足を軸にして軽やかに回り、つられて剣が円を描く。するとまたしても、その軌道に不意打ちをしかけたコボルトがぴたりとはまった。
「キャン!」
「……一撃、は難しいか。やっぱり急所じゃないと駄目みたいだね。なら――」
正面で囮役を買って出ていたコボルトに向かって、アナが力強く踏み込む。足から腰へ、腰から腕へ、滑らかにエネルギーが伝導して袈裟斬りを繰り出した。その刃は錆びつき、毛に覆われた首を切断するには至らなかったが、しかし。
骨を折るに足る威力が載っていた。
「カ、……ッ?!」
一刀の元、声も漏らせずにコボルトが絶命する。
残るは回転斬りで弾き飛ばされた一体のみ。
仲間を失ってなお、戦意喪失せずに向かっていくが、決死の爪撃はアナ・ライが足を軽く捌くだけで避けられ――
「うん、なかなか楽しめたよ」
――胴へ打ち込まれた反撃により、儚く散った。
カマラの泥臭い戦い方とはまったく違う、流麗で、流れるような動き。
それを為した麗人は汗ひとつかかず、薄く微笑む。
「こんなに“苦戦”させられるなんて、面白いじゃないか」
一体、先ほどの場面を見返して、どこに“苦戦”と呼べる要素があったのか。
カマラにはまったく分からない。
分からないが。
(すごい……!)
強いというのとはまた違う、上手いと形容するべき戦いぶりに、思わず目を奪われた。ともすれば美しいと思ってしまうほどに。
けれど、瞳を輝かせたのは一瞬のことで、またすぐに濁らせる。
何せカマラには、こんなところで立ち止まっている暇などないのだから――
※続きは明日投稿します。




