表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
水底に咲く花  作者: 和奏
招致
34/35

小魚


 仄暗い水底に(かす)かな光が射しこめば、なめらかに折り重なる澄んだ青は、より一層複雑さを増して、多彩に……、幻想的に彩られる。

 透きとおる色硝子のような水底の景色に目を奪われ、淡く(まる)い光を揺らめかす水面を、眺め上げて。

 じわりと忍びよる薄闇が、水底を夜に染めあげれば、宝石の如く浮かび上がる白銀の星光につつまれ、深い碧に揺蕩う。

 訪れては去ってゆく光を、……闇を。

 何度迎えては見送ったのか。

 かやには、もうわからない――。


 祭祀の日。

 池の傍に組まれた(やぐら)の台上で大祓詞(おほはらへのことば)を奏上し、神楽を舞い、かやは巫女としての務めを果たした。

 すると村人たちは、かやの装束を白に改めさせ、供儀として台上に坐すように命じ、自分たちは櫓の下で宴に興じたのだ。

 ほどなくして祭祀を締めた村長は、かやの足に、しっかりと太い縄を結わえ付ける。

 縄の先に括られているのは、一抱えほどもある重石。

 それを胸に抱いて、かやは自ら入水した。

 足に結わえられた縄と重石が、かやを水底へと誘う。

 静謐な水底へと辿り着いて、かやは水神に喰われるのを、……身が朽ちるのをひたすらに待った。

 けれど。

 何も、起きなかった。


 ――重石によって水底に繋がれた、かやは。……晶は。

 少女の凛とした声で、朗々と大祓詞を唱え続ける。

 水神に捧げる祈りの言葉が一区切りついたのなら、頭上を仰ぎ、現世(うつしよ)の優しい光を透かす、青白い水面を眺める。

 晶の落ちた川の淵とは、まったく違う。穏やかな池の水面を、青白い光がきらきらと這う様子は、まるで……。

(光沢のある、絹織物みたいだ)


 かやは水面から降りそそぐ、ほそく儚い光芒に、そうっと手を翳す。

 しなやかな白い指は、ほのかに水の(あお)を纏い、血の色を感じさせない。

 ふやけることなく、地上に在る時と変わらない指先を見つめて、かやは独りごちる。

「水神さまは、今日もお見えにならない」


 すぃ、と小魚が優雅に泳ぎ去り、光芒の中に小さく透明な薄影が射した。


(水神は、来ない。……来るはずもない)

 此処が自分の知る冥路であると確信を持つ晶は、胸の内で、そう呟く。

 冥路とは、死者を現世から冥界へと送るために、不思議の力で満たされた通路なのだから。

 死者のための冥路に、水神はいないのだ。


「どうして」

 かやは腕をおろして項垂れ、溜め息をひとつ漏らす。

 戯れに縄を啄む小魚たちを、じっと見つめ、足首と重石を繋ぐ縄の繋ぎ目を、指でなぞる。一呼吸置いて、ゆるりと顔を持ち上げ、自身の周りをひらひら舞う小魚たちに目を遣った。

「水神さまの神使(しんし)であるのなら、お教えください。どうして水神さまは、供儀である私をお召し上がりにならないのでしょうか。……どうして私は、水の中で呼吸(いき)ができるのでしょうか。なぜ空腹にならないのでしょうか。私は、まだ――」


 物憂げに声をくぐもらせ、かやは長い睫毛を伏せる。


「――生きて、いるのでしょうか」


 一匹の小魚が翻り、かやの正面に向き直った。

 目と鼻の先に留まり、ぱくぱくと小さな口を動かす。

(ん? なんだ……?)

 そういえば、小魚は言葉を発するのだと、祐樹が言っていた。

 もしかしたら、小魚が返事をするのかもしれないと、晶は、その口許を注視する。

 どんなに小さな音も聞き漏らさぬよう、神経を尖らせる。


「……」


 だがしかし。

 小魚の声など、聴こえない。

 身構えていた晶は、拍子抜けして緊張を解く。


 かやは落胆を露わにし、肩を落とした。

 そして。

「……ああ、そうでした。妹より、不思議な石を預かってまいりました。御池に(ゆかり)のある品物でございましたら、謹んでお返しいたします」

 かやは小袖を探り、取り出した物を掌に乗せる。

 両手に乗せられ、恭しく差しだされた『錨』に、晶はひやりとする。

 かやが何をしようとしているのか、晶は瞬時に察した。

(駄目だ! それを手放すな!)

 晶の思いもむなしく、かやは腕を伸ばして『錨』である小石を自身から遠くに置き、座礼の姿勢を取ろうとした。

 刹那――。


「……っ」


 かやを取り巻く水が、がらりと変わった。

 全身を氷漬けにされたかと錯覚するほどに、冷たくなった。

 鋭利な刃物で全身を裂かれ、肉を抉られるかのような激しい痛みに襲われ、身体は一瞬で縮こまる。

 悲鳴を上げようにも息が咽を通らず、声は出ない。

 萎縮した肺が、呼吸を拒む。

 痛みに堪えられず、かやは、きつく目を瞑った。


 ――キ……ヲ。

 ――シテ。

 ――イキ、ヲシテ。

 ――いきを、息を。

 ――息を、して。

 ――呼吸(いき)をして。

 ――『個』であることを、諦めたのなら。

 ――自我を。

 ――保つことが、できなければ。

 ――『監視』としての。

 ――『観衆』としての。

 ――『小魚(われら)』の……。


 小さく渦巻く水が頬を撫で、耳許で微かに囁き声がする。

(⁉)

 木々の葉擦れにも似た低い声に、晶は気づく。

 だが、それどころではない。

 近づいては遠ざかる声をよそに、かやは全身を襲う激痛と堪えがたい苦しさから、水面に向かって手を伸ばした。

 視界が暗く狭まり、温度を失う身体から、すべての感覚が遠のいてゆく。


 ――呼吸を……!


 間近で放たれた鋭い声が、かやの鼓膜を震わせ、頭蓋の内で大きく響いた。

 はっとなり、かやは手放しかけた意識を、辛うじて繋ぎ止める。

 不意に唇がゆるんで、こぽ、と息の塊がこぼれた。


 ――おまえの、『名』は?


「……かや」

 わずかに開いた唇から、怒涛の如く水が流れ込んで、咽を通る。

 氷を思わせる冷たい水が、ものすごい勢いで身体を廻り、熱を奪ってゆく。同時に『何か』が、かやの内側を満たした。

 痛みを伴う水の冷たさを感じなくなり、堪え難い息苦しさはやわらいで、かやは細い呼吸を繰り返しながら、全身の力を緩めてゆく。

 意識が朦朧として、(うっす)らと瞼が開く。ぼんやりと視界に映り込むのは、手の届かない遠い空を透かす、水面の青。


(身体が鉛みたいに重くて、それに……眠い)

 異常な気怠さと眠気に襲われ、かやと感覚を共有する晶は、思わず唸る。

 気を失うように、かやが眠りに就くと、晶の意識も引きずられて途切れた。

 次に目が覚めると、気怠さは少しだけ解消されて、四肢が、わずかばかり動くようになっていた。しばらくすると、再び強い眠気に襲われる。

 何度も睡眠と覚醒を繰り返すことで、かやの身体は徐々に楽になっていった。

 やがて、かやが上半身を起こせるようになった頃には、時間の感覚はすっかり狂ってしまっていた。

 水底に留まってから、どのくらいの時間が経ったのか。

 晶にも、さっぱりわからなくなっていた。

 もうひとつ。

(かやの持っていた『錨』は、何処にいったんだ?)

 かやが『錨』を手放した直後、平静を失った晶は、その行方も分からなくなっていた。


 身体が不自由なく動かせるようになると、かやは、恐るおそる辺りを見渡す。

 水底の景色は、以前と何ひとつ変わらない。

 ただ、数匹の小魚が、ひらひらと舞うばかりだ。

 かやは、小魚がそばに寄ると、びくりと背筋を震わせる。きゅっと唇を引き結び、硬い表情で座礼の姿勢を取り、深く首を垂れた。

「御赦しくださいませ……! 御池にとって大切な品物だとは存じ上げずに、大変な失礼をいたしました」

 ひどく怯えた様子で、小魚の群れに謝罪する。

 どうやらかやは、『錨』を手放して自身に起こった出来事を、小魚の怒りを買ったためだと、勘違いしたらしかった。


 かやは平伏し、小魚が離れてゆくのを静かに待つ。

 耳を澄ますも、気泡の弾ける音ひとつ、無い。

 水の動く気配も、感じない。

 かやは、そろりと頭を上げる。

 しかし。


「!」


 すぐ目の前には、小魚の顔。

 ぎょっとして、かやは思わず仰け反りそうになる。

 小魚の口が開いて、小さな白い歯が口腔に覗いた。


 ――久シ、……ノ。


 小魚の口の動きにあわせて耳に届く、泡が弾けるのにも似た、微かな音。

 けれども、静謐な水底の世界にはない、異質なそれ。

 他に物音でもすれば、聞き逃してしまうであろう、静かな声。


 ――イ、生者ガ、……タ。


 ざらりと(しわが)れた低い声を、今度こそ、晶は拾う。

(しゃべった!?)

 しかし、言葉までは聞き取れない。

 とろり……、と。

 微かな水流が起こり、かやの髪を数本、靡かせる。

 ぎこちなく首を動かし、かやは、頬のそばに小魚の姿を認めた。

 闇を湛えた墨色の眼が、じぃっと、かやを捉える。


 ――ああ、生者が……。

 

 耳許で発せられた声に、かやは目を瞠り、凍り付く。

 すぃ、と寄ってくる数匹の小魚が、かやを取り囲んだ。


 ――いとおしい。

 ――目障りな。

 ――心許なげに、しおらしく(とも)る、あたたかな命が。

 ――心の臓迄、凍りついてしまえば良かったものを。

 ――細い声で、優しく可憐に鳴く。

 ――不快な声で、冥路を騒がす。

 ――あわれで、気の毒な。

 ――(たま)らなく、(いと)わしい。


 ――『生者』が……!


 びくんと、かやが肩を震わせる。

 不穏な気配を感じとり、かやは震える声で問う。

「あの、あなた方は『何』なのですか? ……水神さまの神使、なのですよね?」


 ――我らは。

 ――我々は。

 ――大いなる意思の、末端である。

 ――大樹にひらめく、一葉に同じ。

 ――決定権を持たない。

 ――各々が意思を持つ。

 ――監視という具象物である。

 ――特異を見守る観衆である。


「……え?」

 理解が及ばないといったふうに、かやは困惑の表情を浮かべる。

 認識の齟齬が生じ、場の空気が(にわ)かに停滞した。……その時。


 どぼん、と。

 遠くで、重い水音が立った。

 音につられ、かやが視線を持ち上げると、光が幾重にも水面に輪を描き、揺らめきながら広がってゆく。

 水を騒がせ、小魚の間をゆっくりと転がり落ちてくるのは、大きな円筒状のもの。


 どこか歪な、ひとつの俵だった――。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ