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水底に咲く花  作者: 和奏
招致
33/33

葬列


 祭祀の行われる、一か月前――。

 小堂には注連縄が張り巡らされ、かやは祭祀の巫女として斎戒(さいかい)し、身を清めることとなった。

 一日三回の『禊』と日常生活から火を遠ざける『火断ち』をし、食事は、米、麦、粟、キビ、豆の五種を『穀断ち』した。

 食事は主に、挽いた蕎麦の実を水で溶かしたもので腹を満たす。

 冷水で沐浴しても、火に当たることすらできない。

 睡眠以外の時間は、祭祀で奏上する大祓詞(おほはらへのことば)を唱えて過ごした。

 今や晶は、大祓詞だけでなく巫女神楽でさえも、自分の身体で完璧にこなしきる自信があった。

(俺、もう巫女になれるんじゃね? ……ああ、男は巫女じゃなくて(かんなぎ)っていうんだっけ)

 疲労で朦朧としながら、晶は、まつから得た知識を整理する。

 だが、何はともあれ。

(キツい。キツすぎる。俺に神職は……、絶っ対に無理!)

 かやと五感を共有する晶は、筆舌に尽くしがたい空腹と、痛みすら感じる寒さが辛くて、泣きそうになる。

 実際には、かやが平然として泣き言ひとつ漏らさないので、余計に遣る瀬無い。


 まつが、祭祀の準備のために留守がちになると、代わって、普段はまったく人の気配を感じない小堂の周りを、足音が鳴るようになった。

 壁の外の足音は、ひとりの時もあれば、複数の時もある。


 ざ……、ざっ。


 微かに聞こえる人の息づかい。一言二言、密やかに交わされる言葉。薄い壁の向こう側で、下草や小石を踏みしめる音がする度に、かやは不安げに息を潜める。

 一体何をしているのだろうと、晶も不審の念を抱く。

 そして、思い至る。

(これって、かやが逃げ出さないように、見張りを立てているんじゃないのか?)

 まつが戻るまでの間、執拗に鳴り止まない足音は、かやに逃げられないことを示唆しているかのようにも聞こえて――。


(何なんだ、こいつら! かやに全部押し付けて……!)

 無性に腹の立った晶は、胸の内で怒りを吐き捨てた。


 ……ざ!


 ひときわ大きな足音がすると、かやは小さく肩を震わせ、首を竦める。

 しかし、外の人間が小堂の内側まで入ってこないことが判ると、かやは、足音を気に留めることもなくなり、大祓詞を唱え続けた。


 斎戒も最後の一日となった、或る日の昼下がり。 

 まつは、外出先から戻ると小さな竹筒を、かやに差し出した。

「おかや、おさよからだ」

「さよから、ですか?」

 斎戒の期間中は、身内といえども外部の人間とは接触できない。

 竹筒を受け取って中を覗き込み、かやは小首を傾げる。

 竹筒に満たされているのは、透明な液体だ。

「これは、何なのですか?」

 不思議がるかやに、まつは竹で作った細い(へら)を渡して寄越す。

「蜂蜜だそうだ。これで掬って食してごらん」

「いいのですか?」

 驚いて尋ねると、まつは頷いて応える。

「肉でも五穀でもなく、火を通したものでもない。自然のものだから、少しなら構わない」

 かやは箆を受け取り、竹筒の中にそれを斜めに差し込む。

 箆で掬い上げると、淡い黄色の透明な液体が、とろりと垂れた。

 細い糸のように伸びる液体に眉をひそめ、わずかな間逡巡し、かやは、恐るおそる蜂蜜を口に含む。

「……甘い!」

(めちゃくちゃ(うま)ぁ……!)

 口いっぱいに広がる久しぶりの甘味に、思わず晶も唸る。

 ふわりと鼻腔を抜けてゆく、ほのかに甘い花の香り。まろやかで癖のない、品のある味わい。

 糖分が五臓六腑に染み渡り、疲弊した身も心も癒されるような心地だった。


 竹筒を包み込む両の手に力を込め、かやは、じっと淡黄色の液体を覗き込んだ。

「おまつさん」

 窓から射しこむ薄明りを取り込んで、蜂蜜が淡い金色に艶めく。

 やわらかで優しい煌めきに見入る、かやの鼻の奥が、つんと痛んだ。

「さよは、素直な良い子です。祭祀の後に、もしも父さんが亡くなったら、独りになるあの子のことを、気にかけてやってもらえないでしょうか。勝手な御願いとは存じますが、……どうか」

 胸が圧し潰されるように痛んで、咽を通る声が(つか)えた。

 かやの視界が、ぼんやりと霞んで歪み、睫毛に微かな重みを感じた、刹那。

 瞳から溢れた涙が、(まる)く珠を結んで頬を転がり落ちた。

 竹筒を脇に避けて、かやは深く丁寧な座礼をする。

「どうか、……さよのことを、お願いします」



 ――祭祀の当日。

 かやは沐浴を済ませると、白衣に緋袴を穿いて身なりを整え、ふと振り返った。

 着物箪笥の引き出しを開けて、隅に置かれた淡い朱色の小石をひとつ摘まんで、掌に乗せる。

 かやが、まつの所に身を寄せる前に、さよから預かったもの。さよが『神使の卵』ではないかと言った小石。

 ……『錨』だ。

 指でつつき、小石の表面に淡い波紋の如き陰影が広がるのを、かやは、じっと眺める。

「さよ、持って行くね」

 微かに笑みを含む優しい声音で、独りごちて。

 かやは白衣の小袖に小石を忍ばせ、白無地の千早を羽織った。

 

「おかや、準備はできたかい?」


 まつの声を耳にして、かやは、そろりと顔を上げる。

「はい」

 視線を交わすと、まつは暗い顔をして、そぅっと目を伏せた。

「使いの者が、来ている」

 ぽそりと呟いて、まつは踵を返す。

 項垂れて歩く姿は、いつもよりも一回り小さく、ひどく寂しげに見えた。

 かやは、まつの背中に深々と頭を下げる。

「おまつさんには、大変お世話になりました。おかげさまで、この一年の間、何不自由なく過ごさせていただきました」

 まつは、足を止めるも、振り返ることをしない。

「まったく、こんな老いぼれよりも先に逝こうだなんて……」

 感情を押し殺すかのような低く震える声をこぼし、詰まらせた。


 戸口の外で待っていた使いの男に押し上げられ、かやは馬の背に乗せられる。

 かやを乗せた馬は、男に手綱を引かれて、木を組んで作られた細く心許ない鳥居をくぐった。

 ……木々の陰にでも隠れていたのか。

 ひとり、またひとりと村の大人たちが姿を現し、馬の後に付いて、ぞろぞろと列を成す。

 まるで葬列のように静かに、それでいて厳かに。

 かやと村人たちは、細道を登って行く。

 木々の細枝を棒で払い、生い茂る草を掻き分け、踏みしめて。山の中腹にある、木々の開けた場所に辿り着く。

 眼前に広がるのは、どこまでも澄みわたる、清らかな水。

 薄い硝子を張り付けたかのような水面は、鏡の如し。降りそそぐ陽光を弾き、あるいは閉じ込め、真青(まっさお)な空を映す水面下では、深まるほどに様々な青が折り重なり、綾をなす。

 色硝子の如く涼やかで、万華鏡のように多彩な青を湛える、美しくも神秘的な池であった。


 かやは、一度だけ背後を振り返り、村へと続く道を見遣った。

 しかし、大きく横に広がる木々の梢が、すっぽりと道を覆い隠し、視界を遮る。

 瞼を伏せ、かやは、きゅっと口を引き結ぶ。

 池へと向き直り、凪いだ水面に視線を滑らせ、小さな声で祈りの言葉を唱えた。


「水神さま。今、あなたさまの半身となる巫女が参ります。どうか御怒りを鎮め、村に慈雨をお恵みください」


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