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水底に咲く花  作者: 和奏
招致
32/33

銅銭


 ――季節が巡る。

 空を覆い隠すほどに鬱蒼と茂る木々の青葉が、いつしか、夕陽が燃え移ったかのような(あか)や輝く黄金色に染まった。草陰から細々と響く、虫たちの物寂しげな声が途絶えると、冷たい風が吹き抜け、さらさらと粉雪の舞う季節が訪れる。

 深山や大地が(うっす)らと白雪を装うと、音は消え失せ、動くものの無い景色は一枚の絵画のようになった。

 やがて。

 身を切るような厳しい寒さが緩むと、溶けた雪の間から土が覗き、やわらかな草が芽吹く。枯れていた樹々の梢が、ぽつりぽつりと、鮮やかに萌える(みどり)を点した――。


「おかや、おいで」

 まつは緊張を帯びた硬い声音で、かやを呼び寄せ、座らせる。

 向き合って正座し、かやが聞く姿勢を取ると、まつは軽く目を瞑って一呼吸置いた。

「ここに、わずかだが銅銭がある」

 まつは掌に、緋袴と同じ朱色の布袋を乗せてみせる。もう一方の手で、小さな鈴の付いた口紐を緩め、布袋を傾けた。

 袋の口から、まつの掌に滑り落ちたのは、二、三十枚の銅銭だ。

 かやは、それの意味することが理解できないとばかりに、じっと銅銭を見つめる。

(ん? 銅銭?)

 見たところ銅銭は数種類あり、大きさも造りも微妙に違う。そのうちの形の揃った数枚に、晶は目を留めた。

 銅銭の中心には正方形の穴が開いており、浮き彫り細工で四文字の漢字が刻まれている。

 興味を惹かれて、晶は時計回りに漢字を読む。

(えぇ……、と。洪、通……武?)

 目で拾った漢字三文字から、とある古銭を思い浮かべて、晶は色を失う。

(は!? 洪武通寳(こうぶつうほう)!?)

 洪武通寳は、室町時代に中国から移入され、日本各地で広く通用された銭貨のひとつ。明銭・明朝銭といわれる渡来銭(とらいせん)だ。

(洪武通寳と混ぜて使われているのは、国産の私鋳銭(しちゅうせん)か? うぅん? 江戸幕府が銭貨を統一するために寛永通寳(かんえいつうほう)を鋳造したのが、確か千六百三十六年(1636)だったから……)

 当然、洪武通寳が活発に使用されていた時代は、それよりも前となる。

(えっ……、はぁ!?)


「おかや、よくお聞き」

 まっすぐにかやを見つめて、まつは静かに諭す。

「この布袋と握り飯、数日分の食糧を持って、おさよとふたりで村を出なさい。儀式の準備が始まれば、ここにも人が出入りするようになる。供儀の役を担うお前さんに、人の目が集まる。村を出るのなら今しかない。おさよも此処に来た頃と比べると、大きくなった。時々休ませてやらねばならんだろうが、なんとか付いて来られるだろう。川に沿って山を下れば、いずれ別の村に行き着く。宿を取って休み、銅銭を食料に換え、旅支度を整えたら、(みや)のある町へと向かいなさい。そこで巫女として――」


 瞬間。

 かやは顔を跳ね上げ、銅銭から、まつへと視線を転じた。

「そんな……! 動けない父さんを独り残して、村を出て行けと言うのですか!?」

 ありえないと思うからこそ、かやは声を荒げ、即座に不服を唱えた。

 かやは瞬きひとつせずに、まつの瞳を覗き込み、わずかな変化も見逃すまいと神経を注ぐ。

 唇から零れる微かな声を聞き逃すまいと、息を潜めて耳を傾ける。


 まつは真剣な表情を崩さずに、かやを見つめ返し、頷いて応えた。

「父君が動けないからこそ、なのだよ。家族のために、おまえさんが供儀を引き受けたことは、村長もよく解っている。置いて逃げはしないだろうと高を括っているだろうからね。……それに」

 まつは表情を曇らせ、言いづらそうに声を落とす。

「こんなことを伝えるのは酷だと承知しているが、おまえさんの父君は……、そう長くはないだろう」

「……え」

 目を見開いたまま、かやは小さく咽を鳴らした。

 さぁっと頭から血の気が引いて、軽い浮遊感を覚える。

 正座をしているのにもかかわらず、腰が砕けて、まっすぐに姿勢を保つことができない。かやは片手を床について身体を支えた。


「村長には頼んでみたのだが、病は穢れだから会わせてはならないと。……すまぬな」

 呆然とするかやに、まつは声を潜め、気遣う口調で詫びた。

 かやは、弱々しく首を横に振る。

「いえ」

 呼吸を整えて姿勢を正し、気丈に振る舞う。

「供儀となることを引き受け、家を出る時には、もう家族には会えないものと覚悟しましたから……。ですが、余命わずかであるのなら、尚のこと。父さんを置いて村を出るだなんて、そのような親不孝は致しかねます。父さんは、私や妹を本当に可愛がってくれました。前の村を出る時、ほとんどの男の人は、家も妻も子も、すべて捨てて行きました。けれど、父さんは、私たち姉妹も連れて行ってくれたのです。そんな父さんを見捨てるだなんて……。村に残して、肩身の狭い思いをさせるわけにはまいりません」

 ぎゅっと両の手を拳に握り、かやは、まつから視線を逸らす。

 顔を顰めて、手の甲を()めつけ、かやは、わずかな間黙考する。

 ……おもむろに口を開く。


「さよだって……。雪が溶けて、春つげ草が咲くようになったとはいえ、まだ夜は寒く、朝は吐く息も白いのです。私はともかく、あの子は凍えて身体をこわしてしまうでしょう。さよは、私さえ供儀となれば、この先も水神さまの縁者として、村で大切にされるのです。たとえ別の村に辿り着いたとしても、受け入れてもらえるかどうかもわからない。むやみに村の外に連れ出して、危険に晒すような真似はしたくありません」


 かやの鼓動が(にわ)かに速く、大きくなり、咽許までを脈打たせる。

 心臓から圧し出される血液が、勢いよく全身を廻り、かぁっと頭が熱くなる。

 震える唇を固く引き結んでから、かやは声を落として口早に言う。

「それだけではありません。私たちを村から逃がしたりしたら、おまつさんはどうなるのです。村の人たちから責め立てられるのではありませんか? それこそ、村の自険断(じけんだん)によって、追放刑や死刑に処されるやもしれません」

「儂のことは気にせんでいい。何を言われたって別にどうってことないし、他に神職のいない村だから、すぐに処されてしまうことはあるまいよ」

「そんなこと……!」

 声を荒げたかやを、まつは、そっと手を挙げて制する。

 杞憂だとばかりに微笑んでみせ、まつは、穏やかに言葉を継ぐ。

「最初に伝えた通り、儂の役は巫女を育てることで、供儀を差し出すことではない。おまえさんが生きて、儂が教え授けたものを、また別の誰かに伝えてくれるのなら、それがこの上ない幸せだ。……いいかい? おかや。父君は儂が最後まで責任をもって看るから、心配は要らない」

 だから、さよを連れて村を出るように……、と。

 まつは表情を改め、真摯な声音で訴えた。


「いいえ……、いいえ!」

 かやは、床についていた手を膝の上に揃えて乗せて、姿勢を正す。

 これ以上ないくらい真剣に、かやは表情を引き締める。

 まつの双眸に、ひたと瞳を据えて、腹に力を込めた。

「私が供儀を引き受ける代わりに、父さんと、さよは村で世話してもらいました。そういう取り決めなのです。病床に臥した父さんを捨て置き、さよを連れて村から出て行くなんて、そのような不義理はできません」

 一気に捲し立てると、かやは自分自身を落ち着かせるように胸に手を当てて、ほぅ……、と深く息を吐き出す。

「私は、私に与えられた務めを果たします」

 決意のこもる強い声で、かやは、きっぱりと断言した。


「おまえさんが、村との取り決めに責任を感じるのは、解る心算(つもり)だ。だが、巫女とは神霊の意を託宣(たくせん)する者。儂は、水神さまと村を繋ぐはずの巫女を供儀にしてしまうことに、どうしても納得がいかないのだよ。だから、おかや。どうか……、此処で命を棄てずに村を逃れ、これから先も巫女として生きてはくれぬだろうか?」


 かやは、まつの視線から逃れるように俯くと、消え入りそうな声で答えた。

「申し訳ありません」

「……」

 かやが態度を軟化させそうにないと悟るや否や、まつは嘆息し、落胆を露わにする。

 眉間の皺を深くして、黙考するかのように目を伏せ、躊躇いがちに問うた。

「おさよには、供儀となることを話したのか?」

「いいえ、何も」

 かやが、ゆるりと頭を振って応えると、まつは物憂げな面差しで、溜め息を漏らす。

「おさよは、物心つく前に母君を亡くしたからか、おまえさんのことを母のように慕っておる。あの子のためにも考え直す気は……」

「……」

 かやが応えずにいると、まつは項垂れ、「そうか」と、消え入りそうな声で呟く。

「ならば、会えるうちに、何か言葉を掛けてやらなくてよいのか」


 聞きたくない言葉を耳にしたかのように、晶の胸に苦いものが湧きでて、ぐるりと渦を巻く。

 苦いものは次第に胸の奥底に溜まり、形をなす。

 正体の明確になった、それは。

(……)

 かやが、さよに掛ける最後の言葉。

 別れの言葉だ。

 

 かやは唇を軽く噛んで項垂れ、しばし黙った。

 そして。

「さよに泣かれるのは、……つらいのです」

 かぼそい声を、咽から絞り出した。

 まつは、ほのかに苦い顔をして、瞼を伏せる。

「大切な者を残してゆくことは、つらいだろう。しかし、残される者もまた、つらいものなのだよ。縁が深ければ深いほど、近くにいたのなら尚更。暗闇に放り出されたかのような心細さ……、己が身の一部を失ったかのような悲しみに打ちのめされるだろう。別れを受け入れ、新たな一歩を踏み出すのに時間を要する。母君を亡くしたおまえさんだって、解っているだろうに」


「……生きてゆくのに精いっぱいで」

 一度、言葉を区切るかやの顔が、ほんの少し険しくなる。

 当時のことを思い出すかのように、床の一点を見つめた。

「母さんや、弥助の死を哀しむ時間など、ありませんでしたから」

 かやは俯いたまま、まつと視線を交わそうとはしない。

 不意に訪れた静寂が、重苦しく部屋に圧し掛かかる。

 耳の痛くなるような沈黙を、まつの小さな相槌が破った。

「そう、か」

 まつは立ち上がって、かやに背を向けると、銅銭の入った朱色の布袋を、壁際の箪笥の引き出しにしまう。

「銅銭の置き場は、ここだ」

 気が変わったら持って行けと言わんばかりの口調で、まつは言う。けれども、かやは頑なに箪笥の方を見ようとはしなかった。


・補足

『自険断』・村掟。村自身が警察権や裁判権を持ち、村の秩序を守る習俗。

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