星雨
白衣の女のひとりが躍り出て、祐樹と晶目掛け、上へと跳んだ。
宙を蹴った女は、今の今まで闇に埋もれていたとは思えない驚異の速さで、一直線に襲い掛かってくる。
女の出方を窺っていた晶は、咄嗟に両掌を女に向けて翳し、拒絶の意を示す。
(彼女たちと物理的に触れることのないよう、空間を隔てる。隔離、隔壁、隔絶……!)
脳裏に思い描くものと、それに伴ういくつかの熟語を引き出し、晶は、すべての事象を繋ぐ漢字一文字を唱える。
『隔!』
玻璃にも似た光の薄膜が障壁となり、瞬時にして祐樹と晶を囲う。小さな部屋ほどの立方体の障壁が、幽かな光を湛えて、冥路の闇にぼんやりと浮かび上がった。
勢いを落とすことなく突っ込んでくる女の身体が、障壁に阻まれ、どん……っ、と重く鈍い衝撃を晶に伝える。
ぴくりとも揺るがない障壁を前に、女は狂ったように何度も身体をぶつけてくる。
自分たちに近づくことのできない女の様子を、しばし呆然と眺めていた祐樹が、はっとして我に返り、構えを解いた。
「助かりました。ありがとうございます」
「一時しのぎ……、だけどな」
眉をひそめ、晶は苦い口調で返した。
ひとり、もうひとりと白衣の女たちが障壁にぶつかり、へばりついてゆく。鋭く尖った牙で障壁に喰いつき、がりがりと執拗に爪を立てる。
一歩でも障壁の外へと足を踏み出そうものなら、途端に引き摺りだされ、身体を引き千切られてしまいそうだった。
「これは?」
祐樹は不思議そうに小首を傾げ、女たちから障壁へと視線を移す。
何を思ったのか。障壁に近づき、指を伸ばして女に触れようとする。
「おい……!?」
驚いた晶が声を掛けると、祐樹は障壁に触れた指を横に滑らせ、はぁ……、と感心の溜め息を漏らした。
「まるで、現世と冥路の交差している箇所のようですね。この薄い光の膜は、音や声、冥路を満たす不思議の力は通すのに、彼女たちと僕らだけは、さながら生者と死者のように、触れ合うことがないのですね」
緊張をゆるめて悠長に構える祐樹を横目に、晶は焦燥感を募らせる。
障壁に守られてはいるが、女たちは次々と押し寄せてくる。群がる女たちに障壁が覆いつくされ、視界が狭まってゆく。
「何か……」
状況を打破できる武器を、創りだせないか。
晶は、普段遊ぶゲームで扱う銃や刃物を思い浮かべるも、すぐに気づく。
現物を取り扱ったことのない自分が、たとえ銃を持ったとしても、まず標的に当たらないだろう。実際に銃を撃った時の反動を知らない。弾薬の再装填の仕方すらわからない。
どんなに切れ味の良い刀や、立派な剣を創りだせたとしても、運動音痴の自分が振り回すのだから。
(最強武器を持った、Lv.1の村人と変わらない!)
愕然として、晶は、ぎゅっと拳を固く握る。
「これじゃ動けない……!」
晶の声に祐樹が振り返り、真剣に表情を改める。とんっ、と軽やかに跳んで晶の隣に戻り、翻った。
「少し借ります」
晶の背に触れる祐樹の左手の指先が、くるんと円を描く。祐樹は右腕を伸ばし、人差し指と中指で白衣の女たちを指し示した。
俄かに湧いた晶の苛立ちや不安を、祐樹が別のものへと換える。
『捕縛……!』
しゅるっ、しゅるるる……っ!
晶の胸から、どっと溢れ出した注連縄にも似た『何か』は、するすると蛇行しながら宙を泳ぎ、障壁を通り抜けて女たちに絡みついた。
それらは、各々が意思を持って女たちの首や腕、胴に、二重にも三重にも巻き付いてゆく。
薄闇に目を凝らし、鈍色に艶めく繩状のものが何なのか認知した晶は、ぎょっとして顔を強張らせた。
「蛇!?」
『環!』
明確な意思の込められた、力強くも清かな祐樹の声が、伸びやかに冥路に響く。
女たちに巻き付いたすべての蛇の首が持ち上がり、ぱくり、と自らの尾を飲み込んで環を作る。
――瞬間。
蛇に巻き付かれていた女たちの動きが止まり、蛇もろとも色彩を失う。闇を透かす身体が陽炎の如く揺らめいて、さぁ……と、冥路に霧消する。
次々と姿を消す女たちの代わりに残された黒百合が、くるくると緩やかな弧を描き、揺蕩いながら暗い水底へと沈んでゆく。
「花に換えたのが、祐樹じゃなくて、……蛇?」
祐樹が蛇を使役したかに見えて、晶は呆然と彼の横顔を見つめる。
声に反応した祐樹も、少しばかり驚いた顔で見つめ返してくる。
ややあって、祐樹は口を開いた。
「生者の想いから姿を得た白衣の女性たちは、目的をもって、個々に襲ってきたでしょう? ですから、それに倣って晶の想いを蛇に換える時に、僕の意思を織り込んで役を与えてみたんです。初めてのことだったので、半分賭けでしたが……」
うまくいって何よりです。と、はにかんで肩を竦めた祐樹が、顔をほころばせた。
長く冥路に在り、不思議の力に触れ続けている祐樹は、その力の使い方や自分の適性を十分に把握しているのだろう。
朗らかな祐樹の声音に、いくらか緊張がやわらいで、晶は肩の力を抜いた。
「それにしても、なんで蛇なんだ?」
ああ、それは……、と祐樹が表情を明るくする。
「蛇って、基本おとなしいのですが、腕に絡むと、剥がすのに結構時間がかかるんですよ」
「ああ、蛇で遊んでいたんだっけ」
晶の脳裏に、蛇を腕に絡ませて遊ぶ、小学生の祐樹の姿が思い浮かぶ。
自分の腕にも冷ややかな鱗を持つ蛇が巻き付いて、するすると絞めつけられるかのように錯覚し、晶は顔を引き攣らせる。
――訊かなきゃ良かった。
心情を悟られまいと、わずかに視線を落とし、晶は口許にぎこちない笑みを浮かべる。
深く息を吐いて蛇の妄想を脳裏から追い出し、気を取り直した晶は、些細な興味から祐樹に疑問を投げかけた。
「あのさ、祐樹が想いを別のものに換える時に、いつも円を描いているのは、どうして?」
「祖父の受け売りなのですが……、仏教には『輪廻』という思想があるそうです」
そう言って、祐樹は瞼を伏せる。
俯くことで伏せられた長い睫毛が、濃褐色の瞳に、ふわりと被る。祐樹は、ゆっくりと宙に円を描いてみせた。
「輪廻とは、輪を廻ること。そして、輪は円であり、終わりなき循環を表すもの。……生きとし生けるものの魂は死ぬことで肉体を失い、生まれ直すことで新しい肉体を得て、死と再生を繰り返しています。それは同時に、姿形を換えても魂というエネルギーの本質は不変であるということ。その考えに基づき、僕は、円を描くことで不思議の力を誘い、想いを別のものへと変換させる流れを、意図的に作り出しているのですよ」
「ふーん? つまり――」
話の内容を咀嚼して、晶は自分なりに整理してみる。
冥路には、不思議の力が満ち満ちている。
祐樹の円に対する概念そのものが、不思議の力によって一層強固なものとなり、冥路で確立されているのだとしたら。円を描くという動作自体が、変換を促すための、ひとつの過程として成立しているのかもしれない。
「――変換が、より円滑になるってこと?」
「そんなところです」
涼しげな笑みを浮かべて、祐樹は小さく頷いてみせた。
飛来する白い着物に気づいた祐樹が、表情を引き締め、障壁に視線を滑らせる。
視界が開けたのは一瞬のこと。白衣の女たちは、続々と障壁に集まってくる。
「生者が近くにいるはずなので、捜しだして話をしたいのですが……。確かに、これでは埒が明きませんね」
思案するかの口調で、祐樹は呟いた。
ざっくりとだが、円について理解はした。
視線を沈ませ、軽く握った拳を口許に当て、黙考していた晶が、はっとなる。
「……! 中世ヨーロッパの――」
晶の脳裏を過ったのは、千三百四十六年に起きた、クレシーの戦い。
十四世紀、フランスの王位継承問題をきっかけに起きた百年戦争の最中、エドワード三世の率いるイギリス軍が、フィリップ六世率いるフランス軍を破った戦いだ。
両軍の勝敗を分けたのは、武器。
イギリス軍は、歩兵に長弓を。フランス軍は弩――ウィンドラス・クロスボウ――を使用させた。フランス軍の使用する弩の方が威力はあったのだが、矢の装填に時間がかかった。対して、イギリス軍の使用した長弓は、一分間に六回程度発射できたことが勝因とされる。
天から降りそそぐ、たくさんの矢を思い浮かべて、晶は考えを巡らす。
なにも銃などの破壊力の高い武器を使わなくても、当たって壊せればいいのだ。
そして円を使えば、あるいは――。
「祐樹、俺が最初に径を創った時に、より正確に形を成すようにって、力を貸してくれただろう? あれと同じ……、否、ちょっと違うか。とにかく、もう一度力を貸してもらえないかな?」
「え? ええ」
何をするつもりなのかと驚いた様子の祐樹に、晶は考えを説明する。
「個々ではなくて、人を模した想いのすべてを円で囲う。今、祐樹が蛇に役を与えたように、俺が創りだすものにも、『想いを別のものに換える力』を付加して欲しいんだ。想いが形を得たものを壊して、花へと再生させたい。うまくいけば無力化できるんじゃないか?」
たった今、祐樹が役を与えた蛇は、元々晶の想いから創りだされたものだ。
それなら、自分の創りだすものにも、祐樹は力を付加することができるのではないかと、晶は踏んだ。
腑に落ちたといわんばかりに頷いて、祐樹は白衣の女性たちに顔を向けた。
「なるほど。尚且つ、花に換わらずに残った白衣の女性が、生者ということですね」
「あの中に居れば、だけどな」
「いい考えだと思います! やってみましょう」
ぱぁっと笑顔を弾けさせ、快諾した祐樹の左手が、晶の背に触れた。
晶は右腕を真っ直ぐ上に伸ばし、天を指し示す。
想いが人を模した姿だけを破壊し、新たな形へと再生させるために。力の循環を促すべく、晶は指先を滑らせる。
『円――』
くるり、と宙を奔る一筋の光が、黄金の環を描く。
『――広域展開』
音も無く、弾けるのにも似た速さで、黄金の環が大きく広がった。
晶が思い浮かべるのは、冥路の闇さえもしらしらと照らす、満天に散りばめられた光り輝く星粒。
ちりちりと涼やかな音色を奏でそうな、鈴の如く細やかな白金の星粒。
『星雨……!』
瞬時にして、ふたりの遥か頭上一面に、ちかちかと瞬く星の海が具現化した。
星粒の幾つかが、しゅぅっと細く長い光の尾をひいて、縦横無尽に冥路の闇を流れてゆく。
それを皮切りに、夜の帳に縫い付けられたかのような星々が一斉に放たれ、奔りだした。
降りしきる星の雨が、光輝く軌跡を残し、祐樹と晶の足許――、冥路の深潭を銀色に烟らせる。




