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水底に咲く花  作者: 和奏
深潭
21/37

異変


 白花提灯を高く掲げた椿は、もう一方の手で階下を指差し、異変を伝えた。


 祐樹と晶は互いに顔を見合わせ、足を止めた。

 晶は螺旋階段の内側に歩み寄り、下を覗き込んでみる。すると、椿の言う通り、螺旋階段の遥か下の方で、一部がぼんやりと闇を透かし、ちかちかと不規則に明減しているのが判った。

 そして――。


「ん?」

 

 ――ちょうど、その辺り。

 晶は、燐光を湛える螺旋階段の淡い灯りを浴びて、ちろちろと忙しく動き回る、たくさんの小さな影を認める。

「なんだろう。あの辺りだけ……」

「ええ、小魚が集まっているみたいですね」

「なぁ、もしも螺旋階段が消えたら、俺たちって下に落ちたりするの?」

「いいえ、落ちることはありません。晶の(つく)った(こみち)は、あくまで道標としての役を担うもの。このまま白花の提灯を持つ椿が先導すれば、冥路に惑うこともないでしょう。……ですが」

 晶と顔を合わせ、きっぱりと言い切りながらも、祐樹は困惑気味に、階下の小魚の群れに視線を移す。

「何故、階段の消えかけている箇所に限って、小魚が群れているのでしょうか?」


 片手を顎に当てた晶は、「んー」と小さく唸る。

 問われても、祐樹に解からないことが、晶に解かるとも思えない。

 螺旋階段が消えかけているのには何か原因があって、それに対応しようと小魚は群れているのか。

 それとも小魚が、螺旋階段に影響を及ぼすようなことをしているのか。


「祐樹、小魚って『生きて』いるんだよな? 小魚は、俺たちみたいに冥路の不思議の力を使うことが……、たとえば、具現化した螺旋階段を消すことはできるの?」

 祐樹は考えを整理するかのように難しい顔をして、しばし黙ってから、こくりと頷く。

「僕が現世(うつしよ)で椿を見つけた時に、小魚の群れによって、冥路(めいろ)に戻されたことがあります」

「それは、現世と冥路が交差する場所で?」

「ええ、髑髏(されこうべ)に遺された想いを、身体に……。椿に換えた直後のことでした」

「ふーん?」


 晶は、今まで小魚が群れていた場面を思い起こす。

 晶が、冥路に自分の径を(つく)った時。

 死者である子供を、現世に還したいと願い、それを言葉にした時。

 たった今、ホタルブクロを提灯とし、螺旋階段を創った時。

 加えて、祐樹が髑髏に遺された想いを身体に換えて、仮初の(せい)を与えた時。

 そういえば、祐樹が晶の想いを花に換えて降らせた時にも、花片を啄む小魚たちの姿があった。


「やっぱり、不思議の力を使った時か……」

 独りごちて、晶は冥路に来てから見聞きしたことを基準に、推測してみる。

「小魚が螺旋階段を消して、俺たちを先に行かせないようにしている、……とか?」

 椿を見つけた祐樹が冥路に戻されたというのなら、小魚たちにとって都合の悪いことがあれば、進路妨害もあり得るのではないか。

 しかし、それはないだろうと、祐樹は(かぶり)を振った。

「小魚たちが僕たちの行く手を阻むのであれば、螺旋階段は最初の一段目から明減する、もしくは消されてしまわなければ、辻褄が合いません。それに、今までにも動けない死者の傍らに立ち、彼らが順調に歩けるようになるまで付き添ったことはあるのですが、小魚たちに阻まれたことは一度も無いんです。死者を常夜(とこよ)の近くまで送り届けるのだとしても、同じことかと思います」


 ――もうひとつ。


「それなら、俺たち以外の誰かがいて、あの場所で『言霊』を使っているんじゃないか? 螺旋階段が消えかけているのは、不思議の力の影響を受けているとかでさ」

 晶の作り上げた螺旋階段は、冥路の不思議の力によって構築されている。螺旋階段の近くに人がいて、同様に不思議の力を使用している場合、ふたりの人間の異なる力の波が互いにぶつかり合い、ノイズが生じているのではないかと、晶は考える。


「誰か、別の人……?」

 祐樹は驚きの表情を浮かべると、軽く握った拳を口許に当てて、俯く。

 何か変なことを言っただろうかと怪訝に思い、晶は祐樹の横顔を見つめた。

「どうした? 祐樹や俺だって冥路にいるんだし、他にも人がいたって、おかしくはないだろう?」

「確かに、そう……、なのですが」

 吐息交じりの消え入りそうな声で呟き、祐樹は顔を上げる。

 戸惑いを浮かべる祐樹の濃褐色の瞳が、微かに揺れ動く。

「なかなか、いないのですよ。命綱となる『錨』を持って、冥路に足を踏み入れることのできる人間が……。『錨』を持たずして出入り口となる淵や、冥路に落ちたとしても、現世で水に落ちることと何ら変わりはありません。その場合、魂は身体から離れ、死者として冥路に下りてくるのでしょう。……だから、この広い冥路で『生きた』人間に出会うことは、本当に稀なのです」


 ――冥路に『生きて』入る場合、必ず『錨』が必要になる。そして、『錨』を無くしたら、冥路から出ることは叶わない。


 単純な法則でありながら、それがどのくらい難しいことであるのか。晶は今更ながらに気づいて、愕然となる。

 考えてみれば、晶だって河原に落ちていた小石を『錨』だと知って、拾ったわけではない。たまたま水切りをするのにちょうどいい大きさと形で、他と違う色合いが目を引いただけだった。

 河原で祐樹に出会い、小石が大切なものだと教えてもらえていなければ、どこかで捨ててしまっていてもおかしくはない、普通の石だ。

「ちなみに祐樹は? 祐樹は、冥路で俺以外の人間に、何人会ったことがある?」


 そうっと伏せられた祐樹の長い睫毛が、澄んだ瞳に寂寥の陰を落とす。

「冥路に落ちて以来、僕は晶以外の『生きた』人間に、会ったことはありません」

「え……?」

 少ないだろうとは予想していたが、それほどまでとは思わず、晶は呆然とする。

 晶が黙り込むと、祐樹は気を取り直すように穏やかな口調で、言葉を継いだ。

「もちろん、僕たちという例がある以上、他にも誰かいる可能性は(ゼロ)ではないでしょう。……それに、会ったことはありませんが、僕よりもずっと前に『錨』を持って冥路に下りた人間を、ふたり知っています」

「じゃあ、あそこに誰かいるかもしれないわけだ」

「はい」


 祐樹は何か思うところがあるのか。真剣に表情を改め、明減する螺旋階段と小魚の群れを、じっと見つめている。

 そんな祐樹を一瞥した椿が、わずかに歩調を緩めた。

 螺旋階段の異常に興味を惹かれた晶は、歩みの遅い椿と子供が、そこへと到達するには、まだ時間がかかりそうだと目算する。

「あの、さ。俺たちだけ先に下りて、様子を見てくることってできないかな?」

 足許のずっと下。……吸い込まれそうな深潭を指差して、晶は祐樹に誘いかけた。

 階下の景色を視界に収めたまま、祐樹は静かに同意を示す。

「……そうですね。原因も判らないことですし、下りてみましょうか」


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