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水底に咲く花  作者: 和奏
冥路
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死者


 透明なブロックから砂利へと変化した足許に、晶は目を丸くする。そろそろと腕を下ろし、周りを見渡して、一変した景色に呆然となった。

 人ひとりがすれ違える程の幅しかない歩道の片側には、民家が建ち並び、揃って裏側であることが窺える。歩道を挟んで反対側には、等間隔に太い木の幹が……、立派な桜並木が続いていた。

 歩道を逸れ、桜並木をすり抜けると、その根元からは緩やかな坂となっており、下った先には川が横たわっている。

 青々とした川縁(かわべり)の草よりも濃い、苔を溶かしたような深い緑色の水を湛えた川だった。

 歩道に仄暗い影を落とす桜の葉が、吹き抜けてゆく風に揺らされて、さわさわと軽快な音を立てる。

 しっとりとした夏の空気に肌で触れ、風の運ぶ青い芳香に鼻孔をくすぐられた晶は、ここが現世であるのだと実感する。


 歩道から祐樹に視線を転じて、晶は、はたと気づく。

 椿の姿が、どこにも見えない。

「椿は……!?」

 現世(うつしよ)冥路(めいろ)が交差した際に、はぐれてしまったのだろうか。

 慌てふためく晶に、祐樹は表情をやわらげて、歩道と平行に流れる川に視線を投げた。

「椿なら、冥路の(こみち)と、現世の川が重なる場所に潜んでいるはずです」

「! あ、そっか。椿は人魚だから」

 水で満たされた冥路とは違い、魚の下半身では立つこともままならないだろう。硬い地上を這えば、鱗が剥がれて身体を痛めてしまうことは、想像に難くない。


 頷いて応えた祐樹の顔が、ほのかに陰る。

「それに、死者である椿には、仮初とはいえ身体があります。人に視認されれば、目が合いやすくなるでしょう。でも、彼女は死者なので……」

「死者なので?」

 晶が不思議な面持ちで尋ねると、祐樹は、晶の顔を覗き込んで躊躇いがちに言う。

「死者の存在を認識することで、彼らの波長を拾い、自ずと調整してしまう、……とでもいうのでしょうか。現世の生者にも『死者の視覚』が伝播してしまうようです。結果、人ならざるものや、死者が視えるようになってしまうので、椿には現世の人に見られないよう隠れてもらっているんです。晶に関しては、冥路に落ちた時に、既に椿と目を合わせてしまっていたので、不可抗力で……」

「不可抗力で?」

 一瞬、頭に疑問符を浮かべる晶は、はっと我に返って、仰け反りそうになる。目を皿のように見開いて、思わず自分の顔を指し示した。

「えっ!? 俺、該当者!?」

 突然大きな声を出した晶に面食らったのか、びくりと体を震わせた祐樹も、大きく目を見開く。

「はい。あの、水底で晶が目を覚ました時に伝えようとしたのですけれど、それどころではない様子だったので、一度話を切り上げたのです」

「あ……」

 声をこぼした晶は、口を開けたまま固まる。

 そういえば目を覚ました後に、椿に連れてこられた祐樹が、そんなようなことを言っていたかもしれない。

「ですから、彼女と目を合わせた後から、見えている景色が一変したのではないかな、と。……()()()いましたよね?」

「いや、視えてたよ? だけど、それって冥路限定でだろ!?」

「いいえ、それは現世に還っても」

「還っても!?」

 現世に還ったとしても、日常生活は一変するに違いない。

 家の私室でも学校でも、常に死者の影がちらついて、落ち着かないのではないか。それどころか、風呂場で髪を洗っている時に、後ろに誰か立っているかもしれない。

 愕然とする晶の顔色が、さぁっと蒼ざめると、祐樹は「そんなに驚かなくても……」と、戸惑いの表情を浮かべる。

「ええ。なので、晶が還る前に僕が『言霊』を使い、晶の得た『死者の視覚』を打ち消します。それで問題ないはずですから」

「問題、ない?」

「ないです」

 祐樹は落ち着きを払い、きっぱりと言い切った。

 邪気のない、祐樹の澄んだ瞳を情けない顔で見つめ、気抜けした晶は、息を吐いて脱力する。

「……了解」


 ざ、ざ……と、微かな音を耳にし、祐樹と晶が首を巡らせる。

 歩道の小石を踏み鳴らして近づいてくるのは、ひとりのお年寄りだ。

 まだ離れた所にいるお年寄りは、あやふやな白い靄ではなく、しっかりと人の姿を保っている。足許に映る濃い影は、夏の陽射しの強さを如実に表していた。歩調に合わせて、髪が揺れ動く。

 現世の明るい太陽の下では、死者の姿も、より明瞭に見えるのかもしれない。

 眩しさに目を細めて、晶は、しみじみと呟く。

 ――まるで。

「生きている人みたいだ」


「あの方は、生者ですよ……!」

 なんてことを言うんですかと、祐樹が目を剥く。


 生者かどうかだなんて考えもせずに、死者だと思い込んでいた晶は、勘違いを指摘されて焦る。ぱっとお年寄りから目を逸らして、勢いのまま祐樹に訴えた。

「そんなの、わっかんないよ!」

「! 判らないなら、訊くか考えるかしてから声に出して下さい!」

 むっと眉をひそめた祐樹に、ぴしゃりと言われて、怯んだ晶は「うぅ」と咽を鳴らす。

 そうだけど、そうじゃない。

「いや、だって、冥路にいたから先入観で……」

「一旦待ってください」

 晶が口をつぐむと、祐樹はすぐに表情を改め、さっと周囲を見渡す。

 くいっ、と晶の制服のシャツを引っ張った。

「晶、こっちへ」


 桜並木の間に並んで立ち、道を譲る(てい)を装うと、ふたりに気づいたらしいお年寄りと目が合う。

 にこりと微笑んだ祐樹が軽く会釈するのを見て、晶も頭を下げる。

 お年寄りは、やわらかに目を細めてふたりを見つめ、会釈を返して寄越した。

 ふたりの前を横切り、遠ざかってゆくお年寄りの姿は、いつまでたっても透けることがない。お年寄りの背中を見送った晶は、砂利敷きの歩道と斜めに交わる帯状の、白く細い靄に気づいて目を凝らす。

 白い靄は、あたかも道の如く地上を這い、晶の足許にまで長くまっすぐに伸びて、革靴を(うっす)らと包み込んでいる。

 振り返ると、白い靄は祐樹の足許を通り過ぎて、桜並木の間から川縁へと続いている。

「ん? なんだ? これ」

「白い靄の上が、冥路の径です。……ここが現世であっても、僕たちの存在は不思議の力に満たされた冥路に在り、外れることはできないのです」

「へぇ?」

 晶は片手を突き出し、白い靄の外へ一歩足を踏み出そうとしてみる。

 ……手には何も触れず、抵抗を感じない。けれど、おかしい。

 確かに歩いているのに、前方の景色に近づけないのだ。

 延々と同じ場所を歩かされているような……、ルームランナーの上を歩いているような錯覚に陥る。


 歩道に人影がなくなると、祐樹は憂いげに瞼を伏せて、ほぅ、と吐息を漏らした。

「先程は、きつい物言いをして、すみませんでした。……ひとつだけ、『言霊』について晶に注意して欲しいことがあります。冥路に於いて不思議の力は、晶の想いや願いを、あなた自身が言葉に置き換え、声を用いて表現することで、それを具現化させます。それはつまり、良いことも悪いことも同様に『本当のこと』となってしまうのです。心に抱いた想いを無闇やたらに『言挙(ことあ)げ』することは、控えて下さい。……特に、暗い想いに囚われている時ほど、口にする言葉には気をつけてくださいね」

 睫毛が掛かることで陰る濃褐色の瞳が、足許の白い靄を辿る。

 桜並木の間を通り抜けた白い靄は、緩やかな斜面を下って川縁へ――。


「あ……」

 身じろぎひとつせずに、川の(ほとり)に立ち尽くす人の姿を認めて、晶は微かに声を漏らした。


 今しがた、歩道ですれ違ったお年寄りと変わらない、明瞭な人の姿。

 けれど。

 白い靄の線上に在るその人が、死者なのだと察した晶は、動揺を隠せない。

 祐樹は、あるがままの景色を映し出す、凪いだ水面のように静かな瞳で、川の畔に佇む人の姿を見つめた。


「まだ幼い……、椿よりも小さな子供ですね」


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