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水底に咲く花  作者: 和奏
冥路
14/28

交差


 コツ、コツン……、と――。

 (こみち)に打ち付けられることで奏でられる晶の小さな靴音は、果てのない冥路(めいろ)静寂(しじま)に消えた。

 透明であるが故に心許なさを感じる径は、幸いにも崩れ落ちたりすることはなさそうだった。

 安堵し、気持ちに余裕のできた晶は、ほんの少し視線を上げる。

 思わず、ほぅ……、と吐息を漏らす。


「冥路って、星空みたいだな」


 冥路の深い濃藍(こいあい)に浮かぶ大小様々な星々が、宝石の如くきらきらと輝きを放つ。微細な星粒は白く(けぶ)り、淡い光を冥路に滲ませ、紺碧(こんぺき)や瑠璃といった多彩な(あお)を演出する。

 径の少し先を行く椿が、ホタルブクロを高く翳して振ると、雪華蛍(せっかぼたる)たちが、ふわり、と白光を湛える白花を追って飛翔する。

 ほのかに微笑する椿が、穏やかな眼差しで雪華蛍たちを見遣る。そして、真白の着物の裾を大きく、優雅に翻した。

 まるで稚児の舞のように――。

 椿は、ホタルブクロを使って雪華蛍たちを(いざな)い、くるり、くるりと回り、彼らと戯れる。

 椿の動きに合わせて雪華蛍たちが舞うと、さながら雪のような光の粒は、瞬く星光(ほしあかり)と共演し、冥路の薄闇を幻想的に彩った。


 不意に、背後から歩んできたひとりの死者が、晶を追い越して先に行った。

 死者の姿は遠ざかるに従い、すぅ……っと透けて、徐々に白い靄となる。

 おぼろげに霞む白い靄は、やがて冥路の暗い藍に、ほどけて消えた。


 足を止めて振り返ると、遠くから近づいてくる白っぽい靄が、いくつもあった。

 靄は晶のそばに近づいてくると、次第に凝って濃い白となり、人を(かたど)る。

 生前の、個人の姿を明確に現す。

 とろりとして虚ろな眼差しの死者たちは一点を見つめ、無感情に、ひたすらに黙々と歩いている。一定の速度を保ち、彼らは流れるようにして歩を進める。

 そしてまた、遠ざかるに従い、人の形を崩して白い霧となる。


 怪訝に思い、眉根を寄せた晶は、隣の祐樹にこっそりと尋ねる。

「この人たちは、どこに行くんだ?」

 問われた祐樹は、そぅっと瞼を伏せ、おもむろに口を開いた。

現世(うつしよ)とは異なる世界です。死後、魂の往き着く冥界……。安寧の地、常夜(とこよ)へ」

 いつもよりも低く、けれど芯の通った声で紡がれた言葉は、厳かな響きを持つ。

 祐樹の態度から、死後の世界に対する畏敬の念を感じ取った晶は、表情を改め、真面目な声音で相槌を打つ。

「そうなんだ」

 流れては消えてゆく死者たちを見送りながら、晶は漠然と思う。

 陸地を流れる水が、いずれ海原へと辿り着くように。

 冥路を往く死者たちもまた、流れるようにして常夜へと辿り着くのだろうか。

 もしかしたら。

 亡くなったばかりの父も、今、冥路の何処かを歩んでいるのかもしれない、と――。


 突如。

 薄衣を思わせる闇が、さぁっと冥路に広がり、濃藍の景色を覆い隠した。

 晶の上下左右に瞬いていた星彩が、深い闇に遮られて見えなくなり、椿と祐樹、晶の持つホタルブクロと雪華蛍の淡い光が、ふんわりと闇に灯る。

 ちら、と祐樹が周囲に目を配った。

「ああ、冥路が動くようです」

「また? 随分と頻繁なんだな」

 驚く晶に、祐樹はこともなげに言う。

「ええ。冥路を満たす不思議の力は、現世の水や風と同じく冥路を流れているのですが、人の想いに影響されやすいので……。きっと近くに、亡くなったばかりの人がいるのでしょう。まだ、自分が死者となったことに気づけていないのか、現世に強い想いを遺しているのかもしれません。じきに、現世と冥路が交差する箇所に、差し掛かります」


「交差、って……?」

 腑に落ちず、声音に困惑を滲ませて、晶は尋ねる。

 冥路が闇に覆われていても、ホタルブクロに照らされる透明な径は、悠々と伸びていて、祐樹の言うような辻や筋交いは見えてこない。


「冥路を往く死者と現世の生者は、本来住む世界が違うので、互いに認識することも触れ合うこともないのですが……」

 そう言って祐樹は、右腕と左腕を交差させる。

 真上や真下から見れば重なって見える二本の腕は、其の実、ほんの一部が触れ合うだけ。

 祐樹の腕を興味深く眺めながら、晶は思考を巡らせる。

「今から差し掛かるのは、現世と冥路の交差点ってこと?」

「はい」

 晶と視線を合わせた祐樹は、こくりと頷く。

「冥路と現世の重なり合う場所では、晶や僕といった生身の身体を持つ者は、現世の人々に視認されます」


 理解が追い付かず、晶は小首を傾げた。

「人に見られる? ってことは、俺たちは現世にいるってこと?」

 一時的にでも、冥路から抜け出せるということなのだろうか。

 顎に片手を当てて考え込む晶を横目に、祐樹は眉一つ動かさず、涼しい顔をする。

「現世にいるというよりも、冥路の径がトンネル状になって、現世を通っていると言った方が正しいでしょうか。確かに僕たちは、現世に立つことができるのですが、あくまで冥路の径から外れることのない、狭い範囲だけなのですよ。ちなみに、死者も同様に現世を通っているのですが、霊体なので視認されないのです。……ただし、霊体の見える人は例外で、怪異として認識されるでしょうね」


 声音を変えることなく淡々と説明する祐樹に、晶はなんとなく状況を察するも、確認せずにはいられない。

「えぇ、と。一応訊くけど、そこから現世に還ることはできないのか?」

「残念ながら……、現世と交差はしていても、僕たちは冥路の径に存在するので。たとえ『錨』を持つ生者であっても、落ちた淵からでないと、現世には還れないのです」

 控えめな笑みを浮かべて、祐樹は申し訳なさそうに、やんわりと説いた。

 なるほど、と納得して晶は頷く。

「祐樹は、冥路のことを本当によく知っているんだな」

 刹那、晶と視線を交わした祐樹は、穏やかな表情で径のずっと先、冥路の果てを見つめた。

「僕の知っていることなんて、ほんの一部ですよ。ただ、冥路には、それなりに長く居ますから」

「長く……、って」

 現世に執着することのない祐樹の物言いに、晶は引っ掛かりを覚える。


 冥路に落ちた生者が、現世に還るために必要な『錨』。

 祐樹の落ちた淵と、時間を記憶している『錨』は……。


「……祐樹は、『錨』を無くしたんだ、って言っていたよな」

「ええ」

 まっすぐに前方を見つめたまま、祐樹は()して興味のない、聞き流すのにも似た口振りで答えた。

 『錨』が無ければ、現世に還ることはできない。

 晶を淵へと送り届けた後、祐樹は冥路に残ることになるのだ。


 ――祐樹は、現世に還りたいとは思わないのだろうか。


 視線を落とし、思案に沈む晶の歩幅が狭くなり、自然と歩く速度が緩やかになる。

 祐樹の『錨』が、どんなものであるにせよ。この果ての見えない広大な冥路の中から、たったひとつの『錨』を探し出すことが容易でないことくらい、解っている。

 祐樹は、散々探した後なのかもしれない。

「その……、無くしたっていう祐樹の『錨』は、探しても見つからなかったのか?」

 不躾な質問であることを自覚する晶の声は、消え入りそうに細くなった。


 どちらともなく足が止まり、晶の数歩先を進んでいた祐樹が振り返った。

 祐樹は、まじまじと晶を見つめると、小さな吐息をもらして困ったように微笑む。

「そうではなくて、もう無いんです。僕のための『錨』は、この冥路の、……何処にも」

「無い? 『錨』が? この冥路の何処にも?」

「ええ」

 落ち着き払った祐樹の態度に、晶は違和感を覚える。

 晶は、祐樹が『錨』を紛失したのだと思い込んでいた。

 だがしかし、既に冥路に無いとなると、ただ単純に紛失したのではなさそうだ。

 祐樹の『錨』は、原形を留めないほどに酷く壊れてしまったのか。

 それとも……。


「俺の持っている『錨』でも、祐樹は現世に還れるのか? ……つまり、『錨』は人に譲ることができるのか?」


 驚いたように大きく瞠られた祐樹の瞳が、ふ、とやわらぐ。祐樹は、晶を安心させるかのように優しく微笑んでみせた。

「はい、できます。……ですが僕は、晶に小石を譲ってくれと強請(ねだ)ったり、取り上げたりはしませんよ?」

「いや、そういうんじゃなくて……!」

 出会ってすぐに、錨の役を担う小石の重要性を説いて聞かせ、晶を現世に還そうと動く祐樹の姿勢は、一貫して揺るぎない。

 だから、晶に祐樹を疑う気持ちは毛頭ない。――ただ。

「祐樹は、自分の『錨』を誰かに譲ったのか?」

 現世に還りたいふうでもなく、自ら冥路の住人を名乗る祐樹は、誰かに『錨』を譲ってしまったのではないか。

 そんな疑問が、晶の胸を掠めたのだ。


 口許に笑みを浮かべる祐樹が、ほんの一瞬、静止画の如く動きを止めた。

 そして。

「……さぁ、どうでしょう」

 明言を避けて、曖昧にはぐらかす。

 伏し目がちに視線を逸らす祐樹は、それ以上詮索されることを厭うかのように見えた。


 ゆるりと冥路を浸す水が動いて、細く冷たい水流が肌を撫でてゆく。

 軽く瞼を閉じた祐樹の顔から、表情が消えた。

 (しと)やかな仕草で睫毛を持ち上げ、喉を反らせた祐樹が頭上を仰ぐ。


「晶」

「え?」

 祐樹の見遣る先に、晶も視線を滑らせる。


 唐突に。

 冥路を覆っていた闇に裂け目が入り、眩い光が鋭く射し込んだ。

 はらり、と一片(ひとひら)の闇が剥がれ落ちると同時に、白光が弾ける。

 闇を破って溢れ出した光の奔流が、すべてを呑み込む。

「……っ!」

 あたり構わず照らしだす強光が、視界の明度を極限まで引き上げる。

 晶は足を止め、咄嗟に片腕を額に翳して目許を庇う。顔を背けて目を細め、光の氾濫が治まるのを、じっと待った。


 視界を塗りつぶしていた白が徐々に透けて、景色の輪郭と色彩が淡く浮かび上がる。

 翳した腕の下から覗き見えるのは、晶の制服ズボンと革靴。そして、足許に敷き詰められた灰色の小石。

「歩道……?」

 冥路の径ではない。

 砂利敷きの歩道に、晶は立っていた。


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