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水底に咲く花  作者: 和奏
冥路
13/28

言霊


 冥路(めいろ)を、すっぽりと包み込む薄闇は、夜であって夜ではない。

 視界を覆うのは真っ暗な闇でなく、陽が沈んだばかりの宵闇を思わせる、美しい濃藍(こいあい)。冴え冴えとした深い紺碧(あお)だった。

 果てのない(そら)が、晶の前後左右に広がっていた。

 紺碧の空間には、頭上にも足許にも等しく、(おびただ)しい数の星が瞬いている。

 星々の間をゆったり飛びまわる、やわらかな白光の粒は、雪華蛍(せっかぼたる)たちだ。

 銀河の片隅に放り出され、宙に佇んでいるかのような感覚に陥り、晶は、くらりと眩暈がする。

 思わず、疑念を口ずさむ。

「ここは、宇宙?」


 移り変わる冥路に驚く晶の反応を窺いながら、祐樹と椿は、謎めいた表情で小首を傾げる。


「いいえ?」

「ううん?」


 晶の両隣りに立つふたりの声が、またしても、当然の響きを以て重なる。


「ここは」


 冥路です――。

 冥路だよ――。


 足許には(こみち)どころか足場らしいものもなく、一歩を踏み出せば、星の散りばめられた紺碧にどこまでも落ちていってしまいそうで、晶は歩を進めることができない。

 立ち尽くす晶の右隣で、祐樹は柔和に微笑んだ。

「晶は、『言霊(ことだま)』を知っていますか?」


 確か――、と晶は記憶を手繰り寄せる。

 あくまでもざっとだが、年度初めに教科書を購入したら、一通り目を通している。国語や歴史、英語で取り扱われた書籍などは、興味が湧けば独自に探して読んでいる。

「言霊って……、万葉集とか日本の神話に出てくる、言葉には不思議な力が宿っていて、声にしたことが本当になるっていう、あの『言霊』?」

 万葉集は、中学生の時に国語で扱われた書籍だ。

 そのなかに、祈りの言葉を贈る和歌があったことを晶は思い出す。言葉には霊力が内在すると考えられており、良い言葉を口にすれば良い()が起こるのだと、晶は、そんなふうに解釈をしていた。


 祐樹は小さく頷いて、「ええ」と応えると、晶の視線を(いざな)うかのように遥か彼方を見つめた。

「晶、あなたの歩きたい径を想像して、思い描くものを形にした言葉をください。『生きて』いる晶は……、『錨』を持ち現世と繋がりを持つ晶は、冥路に於いて、ひときわ異彩を放つ存在なのですよ。生者である晶が明確な意思を込めて紡ぐ言葉は、声を通じて、より強い力を宿す『言霊』となるでしょう。晶の『言霊』は、冥路に満ちる不思議の力を宿し、祈りや願いだけでなく、思い描いたものを具現化させる力を持つはずですから。……進むべき径を、あなたが自分で(つく)るんです」


「創るって……」

 口ごもる晶に、ちらと視線を流した祐樹は、たおやかな所作で左手を差し出し、次の行動を促す。

「より正確に形を成すよう、僕がお手伝いしますから」

 (すが)しく(とお)る声で祐樹に誘いかけられ、晶は腹を決めた。

 いずれにせよ、このままでは進むことができない。

 こくりと咽を鳴らした晶は、一瞬躊躇った後に右手を動かす。恐るおそる、自分の手を祐樹の掌に重ねた。

 深く息を吐き出し、顔を上げて背筋を正す。どんな径にするのかを定め、すぅ、っと息を吸い込む。

 冥路を満たす不思議の力を、肺に取り込む。

『径よ、のびろ』

 脳裏に描く頑丈な石橋の絵に、絞り込んだ簡潔な言葉を一致させる。


 轟々(ごうごう)――、と。

 冥路の水を揺らすことなく背後に迫った不思議の力が、ものすごい勢いで晶の前を駆け抜けて行く。


 滑るようにして前方に伸びる不思議の力が、捩れて絡み合いながら一本の渦となり、細くなりながら密度を増してゆく。

 不思議の力が結晶化したものだろうか。ちかちかと煌めく銀の微粒子が渦中に現れ、渦そのものの姿をあらわにする。


 冥路の濃藍を透かす渦の中心に、(うっす)らと『径』が形成されてゆく。

 やがて、渦がほどけて霧消すると。

 全方向に星が散らばる紺碧の空間に、ゆったりと幅に余裕のある、半透明の長い径が浮かび上がった。

 足許から伸びた径に、晶は大きく見開いた目を、せわしなく瞬かせる。

「……うん?」

 唇を笑みの形に歪めて、困惑と気まずさを誤魔化す。

「あれ?」

 失敗か。

 想像していた石橋と、全然違う。


 晶の足許から伸びた径は、透き通る正方形のブロックを、隙間なく並べられてできたものだった。

 一つひとつのブロックは一抱えほどの大きさであり、内には冬の吐息を閉じ込めたかのような、ほのかな白い曇りがある。

 温度を感じさせない、それらはまるで。

「氷……、じゃなくて、玻璃(ガラス)? それとも水晶?」

 径を眺め下ろして訝しむ晶の隣で、祐樹が驚いたふうに目を瞠った。

「すごいですね……! 径の果てが見えないなんて」

 感嘆の響きを持つ祐樹の声につられて、視線を上げた晶は、思わず息を呑む。

 頭上から降りそそぐ(かす)かな星の明かりを映しだす径は、さながら星彩を浮かべる川面の如く、緩やかにくねりながら細く長く、遥か彼方にまで続いていた。


 ――刹那。

 ちかっ、と一片(ひとひら)の銀が閃いた。

 頭上で放たれたらしい鋭い煌めきに、晶は注意を引きつけられる。

 間近に感じた()()は、冥路に散らばる星々の、儚い息づきとも違う。


「え?」

 顔を上げた晶の顔が、驚愕に彩られる。

 小魚だ。


「えぇっ!?」

 それも、鰯の群れを彷彿とさせる、夥しい数の小魚だった。小魚の群れは、晶の頭上高くに塊となって、ぐるぐると渦を巻いている。その数の多さに圧倒され、晶は言葉を失う。

 驚く素振りをみせずに、祐樹は小魚の群れに視線を投げかけた。

「小魚たちは、不思議の力を使った晶と僕を、『視て』いるのですよ。……冥路や、冥路を満たす不思議の力は、死者のためのもの。晶や僕のような存在は、冥路にとって異質なものですから」

「『視る』? 小魚が?」

 自分が招かれざる客であることを知り、晶は言いようのない不安に襲われる。頭上を旋回する小魚の群れから距離を取りたく、無意識に(かかと)が後ろへと退(すさ)った。

 祐樹の落ち着き払った声が、すかさず晶を引き留める。

「大丈夫ですよ。生者である晶はもちろん、死者でない僕も冥界に立ち入ることは許されません。冥路に迷い込んだ生者の力は、冥路限定もの。……『余程のこと』を()()()()()()()()、大概黙認してもらえます」

 やんわりと言い切って、祐樹は薄く微笑んだ。

 重なる視線の先、揺れのないまっすぐな瞳に嘘偽りの色は、ない。

 晶の喉が上下する。


 ――『余程のこと』とは……?


 黙認されなかったら、どうなるというのだろうか。

 わずかな間逡巡して、晶は顔が引き攣りそうになるのを(こら)えながら、遠慮がちに径を指差す。

「冥路に径を造るのは、……セーフ?」

 微かに目を瞠った祐樹は、真剣に表情を改め、考え込む。次いで、審判を仰ぐかのように小魚を眺めあげる。無表情に一点を見つめ、しばし観察する。

 晶は、我知らずのうちに息を潜め、ぎゅっと拳を固く握る。


 ――セーフなのか、アウトなのか!?


 ややあって、小魚から晶へと視線を転じた祐樹は、淡く微笑んだ。

「セーフです。……すみません、判っていたのですけれど、晶があまりにも真剣だったので、つい」

 悪戯に揶揄(からか)ったらしい祐樹は、くすくすと笑った。

 一先ず安堵した晶は、次いで唇を尖らせ、じと……、と祐樹を軽く()めつける。

「……ちょっと、どうかと思う」

 遠回しに咎められた祐樹は、笑みを消して、再度詫びた。

「脅かして、すみません。冥路を壊そうとするとか、死者の尊厳を踏みにじるとか。大それたことをしなければ、大丈夫ですよ。晶が力の使い方を誤りそうになったら、僕が止めますから」

 素直に謝られ、そつなく説かれ、さりげなく安心材料まで投下された晶は、何も言えなくなる。

 黙っていると、にっこりと祐樹に微笑みかけられて、気がそがれた。

 中学生と(おぼ)しき少年は、明らかに晶よりも年下の容姿をしている。そんな祐樹に揶揄われたとしても、まともに怒ることなどできやしない。

 そればかりか、冥路に詳しく、妙に大人びているのだから、敵う気がしない。

「なんか……、ずるくない?」

「?」

 ずるいと言われた祐樹は、笑顔を湛えたまま、訳が分からないといった表情で小首を傾げる。

 無邪気にも思える祐樹の仕草に、年相応の子供っぽさを認めた晶は、大きく息を吐いて、気を取り直す。

「……ごめん、なんでもない」

 十四という歳の割には肝が据わっているが、やはり祐樹は年下の少年なのだ。


 緊張を緩めた晶の傍らを、白っぽい靄が掠めて、すぅ……と、通り過ぎて行った。


「ん? 今何か通ったみたいだけど……?」

 目を凝らすと、景色を透かす白い靄は、ぼんやりと人を模っているようにも見える。

 遠ざかる白い靄を凝視する晶に気づいて、祐樹は「ええ」と頷いた。

「死者ですよ」

 冥路は本来、彼らのものですからねと、祐樹は穏やかに言ってのけた。

 ぎょっとして祐樹に顔を向けた晶が、再び白い靄へと視線を滑らせる。

「死者!?」

 ()()()()()()()と認識したからか。鸚鵡返しに唱えた途端、その後ろ姿が鮮明になった。

 眉尻を下げて、晶は小さく唸る。

 現世で幽霊の類とは無縁だった自分には、冥路の死者は見えないと思っていたのに。どうやら、はっきりと霊体が見える人になってしまったらしい。


「晶は、死者が嫌いなの?」

 一歩前に進み出た椿が、着物の裾を大きく振って翻る。悲しげな目をして晶の顔を覗き込んだ。

「え? えぇ……、と」

 咄嗟に否定できずに、口ごもる晶は、微かに表情を強張らせる。

 椿の顔を見つめながら、黙考する。

 現世を彷徨う死者がいるとすれば、それは一般的に幽霊と呼ばれるものだろう。

 幽霊なんていうものに、好きも嫌いもない。……怪異の類は苦手だ。

 そうしたものと死者を一括りにするのなら、晶にとって、死者の存在は受け入れ難いものがある。

 しかし、どうしたものか。

 椿の問うた死者には、彼女自身が含まれているのだ。

 死者というだけで、恩人でもある幼い少女を嫌うことなど、晶にはできない。

 苦手に思う現世の恐ろしげな幽霊と、椿を含む異界の死者を切り離して考えることにした晶は、腰を落として、まっすぐに椿を見つめ返した。

「嫌いじゃないよ。……ただ、普段見ないから驚いただけだよ」

「本当に?」

 嘘偽りはないのか。

 椿の無垢で真摯な眼差しが、晶の本心を見透かすかの如く、瞳の奥まで覗き込んでくる。

「うん、本当」

 椿のことは、苦手ではない。

 晶が芯のある声音で答えると、椿の顔から陰りが消えて、晴れやかな安堵に彩られる。

「こっち」

 ぴょん、と跳ねるように尾鰭で水を蹴った椿が、ホタルブクロを翳して径を照らした。


 進むべき径は、晶の足許にある。

 祐樹の視線を真横に感じながら、晶は片足を浮かせて、慎重に前に押し出す。

 透明で滑らかな径の表面を革靴の底が叩き、こつん、と硬い音が鳴った。


 ゆっくりと、晶は歩を進める。

 

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