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水底に咲く花  作者: 和奏
水底
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 ――祐樹は、年下の少年である。


 晶の心に刻まれていた祐樹に対する認識が揺らいで、彼の存在が(にわ)かに信じられなくなる。

 日常とかけ離れた水底(みなそこ)という空間が、時間の迷宮であるかのような錯覚に陥る。

 冗談だと笑い飛ばせたら、どんなにいいだろう。……だが。

 この不思議な場所に於いては、どんな不可思議なことであっても現実としてまかり通る気がして、それもできない。


 色を失い、凍り付いた晶から目を逸らさず、祐樹は、ただ薄く微笑むばかり。

 晶と祐樹は、互いに見つめ合ったまま微動だにせず、声を発しない。

 じっとりと。

 ふたりを取り巻く時の流れが、停滞する。

 水底に、水よりも重い沈黙が降りそそぎ、澱のように積もってゆく。

 沈黙に呑まれ、全身が圧し潰されそうだと感じた晶は、声を発するために息を吐いて、浅く吸い込む。

「す」

 ――数日?

 (うっす)らと口を開いた晶は、けれど問いを投げかけることができない。

 晶が、祐樹に違和感を覚えるほど、彼は長く冥路にいるのだろう。

 数日なわけがない。数か月か、……あるいは数年か。

 祐樹に生まれた年を訊けば、すっきりするのかもしれない。

 しかしそれは、晶の抱いた疑義を晴らす為だけの、質問。

 不用意に踏み込んだことを訊けば、祐樹を傷つけてしまうような気がして――。

(……訊けない)

 晶は、訊かないことに決めた。


「す?」

 小首を傾げて、きょとんとした祐樹が、訊き返しながら言葉の先を促した。

 焦った晶は、無難な言葉を無理矢理引っ張り出す。

「す、きな遊びって……、何?」

「好きな、遊び?」

 祐樹は面食らったように軽く目を瞠る。晶の隣に腰を下ろすと遠くを見つめ、ぽつりぽつりと記憶を復習(さら)うように話し始めた。


「今はもう、これといって何も……。ああでも、小学生の頃は、近所の友達や双子の弟と、近くの山や人気のない空き地を探検したり、虫取りや鬼ごっこをしたりして、よく遊びましたっけ。……学校が山道を四キロほど歩いた先にあるので、行き帰りも寄り道して遊んでいましたよ」

「山道を? 学校まで、片道四キロも歩いて?」

「ええ」

「そう……、なんだ?」

 その割には、まったく日焼けしていない、祐樹の透けるように白い肌が、晶の視線を釘付けにする。

 遠かったのは小学校の時の話で、中学校は存外近くにあるのかもしれない。

 不意に湧いた疑問を、晶は胸にしまい込む。


「朝は、何時に家を出ていたんだ?」

「毎朝、六時ニ十分でした。山道で草ぼうぼうなので、猪や狐といった生き物が、たくさんいるんですよ。蛇も多くて、草叢にマムシ、道端にヤマカガシ、木の上にアオダイショウとか。小学校の入学式当日に校長先生から『マムシ、ヤマカガシには毒があるから近寄らないように』って、まず注意されたんです。でも、アオダイショウやシマヘビには毒がないので、みつけると捕まえて遊びました」


 晶は、野生の蛇など見たことがない。

 もしも蛇がいたとしても、捕まえようとは思わないだろう。

 生まれてこの方、蛇に触ったこともないのだから。

「蛇で遊ぶって、どうやって?」

 怪訝に思って晶が尋ねると、祐樹は両手を横いっぱいに広げる。

「え? 伸ばして、ながーいって」

「……ぅ」

 眉をひそめた晶に構わず、祐樹は悪戯っぽい子供の顔で、まるで縄跳びでもするかのように右手首を回転させる。

「そうして、くるくるくるーって回して、ぽーいって草叢に投げるんです。蛇では長く遊びません。持ち帰ると叱られますし、殺してしまってもいけないので。……今思えば、蛇には可哀そうなことを――。水神や、その御遣いとして祀られることもある蛇に、罰当たりなことをしてしまいましたね」

 過去に思いを馳せて苦く笑う祐樹に、晶は絶句する。

 そんな遊びは、聞いたことがない。

「あ」

 何か思いついたのか。

 小さく声を漏らした祐樹が、はにかんで微笑む。

「そうそう、いつだったか学校へ行く途中に草叢(くさむら)で、髑髏(されこうべ)をみつけたんです。気味悪がった弟には、捨てろって言われたのですけれど……」

「まさか、それを拾ったのか⁉」

 頭蓋骨を。

 ぎょっとした晶の声が、思わず大きくなる。

 くすくすと笑いながら、祐樹は楽しげに相槌を打った。

「はい」

「素手で⁉」

「ええ、珍しかったので、つい。みんなにも見てもらいたくて、学校へ持って行ったんです」

「えぇぇ……」

 けろりとしている祐樹に若干引きつつも、晶は、彼が何かの事件に巻き込まれたのかもしれないと案じて、恐るおそる訊く。

「ちなみに、それって……、何の頭蓋骨……? 警察には届け出たのか?」

「警察に……? いいえ? すごく小さかったし、猿か何かじゃないですか? 学校の先生にも見せましたが『拾ってくるな! 今すぐ元あった場所に返してこい!』って、ひどく怒られてしまって。確か一限目の体育の時間に、ひとりで返しに行きましたっけ」 

「……まぁ、学校の先生が見て警察に届け出ていないなら、大丈夫、………だよな」

 事件ではないのだろうと、晶は安堵の胸を撫で下ろす。

「他の遊びは?」

「他ですか? 他には、ビー玉や独楽(こま)でも遊びましたよ」


 ――ゲームじゃなくて、ビー玉に、独楽?


 微かな違和感を押し殺した晶は、わずかな動揺も悟られないよう、努めて真面目な顔を作る。

「へぇ……」

 ビー玉で、どうやって遊ぶのか。晶には、皆目見当がつかない。

 ビー玉も独楽も、別におかしくもなんともないが、祐樹がそれらを選んで挙げたことに引っかかりを覚えたのだ。

 だが、蛇や頭蓋骨よりは、まともだ。

 それに、詮索はしないと決めたのだ。

 どこかの小学校でそれが流行っていても、まったく不思議はない。とはいえ、遊びの話は、……よくない。

「祐樹は、双子なんだ。やっぱり似てるの?」

 さっと話題を切り替えると、祐樹の表情がやわらかになる。

「弟は、智樹(ともき)というのですが、顔も性格もあまり似ていなくて」

「顔も性格も?」

 双子なのに? と、晶が意外な顔をすると、祐樹は頷いて、懐かしむように瞼を伏せる。

「僕は母方似で、智樹は父方似なんです。智樹は活発で、よく気の付く優しい性格なのですが、怖がりなところがあって、怪談とか嫌がるんですよ」

 目を細め、楽しげに話す祐樹に、晶が、ほっとしたのも束の間。

 ほのかな哀愁が陰となって、祐樹の微笑(びしょう)を切なく彩る。

「智樹は、どうしているかな。元気だといいけれど」

「……」

 とんだ藪蛇だった。

 長らく会っていないかの口調に、晶の額やうなじに、じっとりと嫌な汗が吹き出す。

 くすり、と祐樹が笑みをこぼした。

「晶には、兄弟は?」

「え? ……ああ。八つ歳上の兄が、ひとりいるよ」

 そうですか、と相槌を打った祐樹は、夢中になって花を集める椿に、穏やかな眼差しを向ける。

「どんな、お兄さんですか?」


 椿の腕に抱えられた沢山の花が溢れて、はらり、ほろりと零れてゆく。

 積み重ねられたそばから落ちていく花に、晶も思わず頬をゆるめる。


「兄貴とは歳が離れているから、俺にとって父親と母親を足して割ったような、保護者みたいな人だったよ。母さんは仕事から帰って来ると、すぐに夕食の準備を始めて忙しいから、兄貴に『お前も手を貸せ』って言われて、よく一緒に洗濯物を畳んだり、洗い物をしたりしたっけ。俺が小学生の時は、鞄を勝手に開けてプリント出したり、時々宿題を見てくれたりしてさ。他県の大学に行って、そのまま就職したから、今は別で暮らしているけど。たまに自炊した食べ物の写真とか、出かけた先の写真を送ってくるかな。……まめな人だよ」

 ――何度も。

 両親のことを和真に相談しようかと悩んでは止めたことを、晶は思い出す。

 和真が父を庇い不倫を容認したら、意見が食い違ったら……。そう思うと、怖くて相談できなかった。

 父と同様に、和真とまで気まずくなって、今までと同じように話ができなくなることは、嫌だった。


 晶の話に耳を傾けていた祐樹が、口許に小さな笑みを湛える。

「お兄さんと仲が良いのですね。手紙に写真まで同封して送ってくれるなんて、お兄さんから届く郵便が楽しみですね」


「う、……ん?」

 郵便?

 ポストに封書を投函する兄、和真の姿を思い浮かべて、猛烈な違和感に襲われた晶の思考が、刹那、停止する。

 和真が写真を送ってくるのは郵便でなくて、高機能携帯電話端末(スマートフォン)で、だ。

 水底から頭上の青白い光芒を眺め上げて一息つくと、晶の思考は、再びゆるやかに動き出す。

 そうした機器を持っていない中学生なら、郵便で当たり前か、と考える。

「仲は、いい、……のかな?」

 祐樹に答えながら、晶は物思いに耽る。

 そもそも、こうして水底にいることの方が、余程普通ではないだろう。

 現実であるのか、夢現(ゆめうつつ)にあるのか。

 晶は、段々と訳が分からなくなってくる。

 河原で祐樹と出会った時のことを思い返し、整理してゆく。

 解らないことは、ふたつ。

「あのさ、訊いていい?」

「どうぞ」

「祐樹はさ、淵に飛び込む時に『現世と冥界の影響を受けない』って言っていたけど、あれはどういう意味? それから、この小石」


 握っていた掌を開いて、晶は、鈍色(にびいろ)の小石を差し出す。

 自然光のまっすぐに届かない水底で、わずかに黒の色彩を濃くする小石は、冥路の藍に馴染んで見えた。


「無くすなって言っていたけど。これを無くすと、どうなるんだ?」


 祐樹は、神妙な顔つきで小石を眺め下ろした。

 伏せられた祐樹の長い睫毛が、澄んだ濃褐色の瞳を物憂げに(けぶ)らせる。

「先程も言いましたが、それは、晶の落ちた淵――冥路と現世が重なる場所――で磨かれた、特別なもの。この小石は、晶の落ちた()()()を記憶する『(いかり)』となり得るものであり、晶を現世に繋ぐ命綱の役を得たものなんです。だから、それを無くしたら、晶は――」


 言葉を区切ると、祐樹は流れるような所作で瞼を持ち上げ、晶と視線を重ねた。

 揺れることのない澄んだ瞳が、晶を捉える。


「――現世に、還れなくなります」


 重々しい口調で告げた。


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