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運命が奏でたもの(3)

 王宮の庭園の奥へ向かってひとりで歩き出したセーラの目はまだ潤んだままだった。


 堪えなければ涙がこぼれ落ちてきそうな眼差しで、陽光が降り注ぐ周囲を木々や花々を見回す。


 ――昨夜、ロザリンドにあなたの名をきいて思い出しました。これまでリオンは表立っては長くあなたの力にはなれなかったが、それでも忘れられずにずっと覚えていた。あなたが命を救ってくれた相手の行方を探し続けても、どうしてもその相手には辿り着くことができなかったのは、そのことをおおやけにすることができなかった相手だったからです。


 エドガーが最後に話してくれたことを思い出し、セーラの目にはさらに抑えられないほど熱いものがこみあげてきた。


 ――わたしが会いたいと願い続けた人はこんなにも近くにいたの……。その人のことを気づかないまま好きになって……。


 セーラの中に、夜の聖堂でリオンとふたりで過ごした時間のことが幾つもよぎった。


 ――そばにいてくれる時のリオンはいつも優しくて、恋したことだけでも幸せだったのに……。


 これまでの過ぎ去った時間がいくつもよぎった。


 十三年前のあの嵐の夜の森で命を落とした気の毒な従者たち、早世した両親や祖父母、狭い屋根裏でひとりぼっちだとひとりで泣いていたころ。

 ガラリナの街で通った女学院や、引退する前の最後まで心を寄せてくれていた学院長。

 そして王都に来てからのガルディアン大聖堂で出会った、価値観の違いを埋め合いながら、心を通わせあったかけがえのない仲間。

 ガラリナと王都、両方の街での数多くの別れと出会いを。


 光溢れた空間の中で、セーラがそっと顔を上げた時、その先に見覚えのある人の姿を見つけた。

 その瞬間、セーラはもう言葉にならなかった。


 夜の暗闇の中ではなく、昼の明るい光の中で、初めてこうして会うことが出来た特別な人が確かにそこにいた。


「リオン……」


 誰にも聴こえない囁き声のように口にした、たったひとりの名前。


 ふたりがお互いの距離を埋めるように歩み寄っていく。

 もう少しで伸ばせば相手に手が届くという場所まで近づいた時、セーラは立ち止まった。

 リオンもそれを見て、同じようにその場で足を止めた。


「あなたが来るのを待っていた」


 リオンが先にそう言うと、セーラは頷いた。

 口をついて何か出てしまっても、その先に何をどう話せばいいかわからなくなりそうで、セーラはしばらく次の言葉を紡ぐことができなかった。


 俯き気味で黙ったままのセーラを気遣うように、リオンは更に一歩、こちらに歩み寄ってきた。

 リオンが再び立ち止まった。

 溢れる感情でセーラは言葉を発することができず、僅かな沈黙がまたその場に流れた。


 そして――。


「リオン、どうして教えてくれなかったの。十三年前にわたしを助けてくれたのがあなただったと……」


 セーラが自分の胸に片方の手を当てながら震える声でそう言った瞬間、リオンは驚いた表情になった。


「それを誰から?」


「ついさっき、エドガー様が教えて下さったの。わたしだけをあなたのもとに行かせる前に話しておきたい大切なことがあるからと……。どうしてずっと黙っていたの? ちゃんと話してくれていたら、そうしたら、もっと早くあなたに、わたしから伝えたいことがたくさんあったのに。わたしがずっと会いたかった人が、あなただったなんて……」


 セーラがそっと聖女のペンダントを取り出した。


「あなたのためだというなら、わたしは自分がこの国を守るために祈りを捧げる聖女に選ばれたことも嬉しいと、今ならそう言えるから」


 差し出されたそれをリオンが受け取った。

 そうして手の中にあるものをしばし見つめ、指を伸ばしセーラの首にかけた。

 虹色に変化していく、セーラの髪と両方の瞳。


「リオン、あなたと結婚します。あの夜、あなたの手を一度振り切ってしまったわたしを許してくれますか?」


 セーラは目の前の男と見つめ合いながら、一語一語確かめるように言葉を紡いだ。


 溢れそうな思いのまま、潤んだ目で思いを伝えようとするセーラに、リオンは目を細めた。


 通常であれば、あの夜、国王の求婚を一度拒んだ自分はここに立っていけないはずの身だった。

 セーラにはそれがわかっていた。

 目の前の男がそれで罰を下すことなどないとわかっていても……。

 リオンがセーラを見つめながら、再び口を開いた。


「あなた以外の人を娶るつもりはなかった。あなたが手に入らないなら、俺は生涯ひとりでいいと思っていた」


 リオンは穏やかな表情で言った。


「だが、そうならなくて済んだ。今この瞬間から、あなたは俺だけのための聖女だ。もう他の誰にも渡さない」


 リオンが指を伸ばして、セーラの柔らかな頬に触れ、そのふくらみをなぞった。

 そうして頬を染めたセーラの身体から漂う聖女の甘い香りに、リオンが抑えきれぬ感情のまま、その身体を強く引き寄せた。


「あなたにずっと想いを伝えたかった」


 リオンに抱きしめられながら、セーラは震える声で、


「十三年前のあの夜も、わたしを同じように腕の中でずっと守ってくれていたの?」


 リオンは答える代わりに、目を閉じてお互いのくちびるを重ねた。

 初めての口付けはどこまでも優しかった。

 くちびるを離してからリオンはセーラの頬に触れ、


「十三年前のすべてが始まったあの夜、妖精たちは俺の運命の相手である、あなたを助けにいけと行った。だから俺は、あなたが聖堂に住むようになったばかりの時も、自ら会いに行った」


 リオンが語る言葉を、セーラはじっと聞き続けた。


「……だが、俺はその自分に生まれながらに与えられた運命以上に、あなたに強く惹かれすぎてしまった。会う度にあなたが俺のものになることで苦しめることにしかならないんじゃないかと思っていた。ずっと答えが出せなかった。打ち明けられなかったのはそのせいだった」


「リオン……」


「だから今すぐにあなたと俺のことをおおやけにするよりも、俺は今はまだあなたの心を大切にしたいと思っている。今の俺にはそれができる力がある」


「……」


「聖堂は女神を信仰するための、王宮からの庇護は受けていない独立組織だ。仲間を失うのは確実に損失になる。聖堂のことを何よりも思い、仕事が好きなあなたのすべてを、そうはやすやすとは今すぐに俺がもらうわけにはいかないだろう。あなたの帰りを待っている大切な仲間にもこの話を早く伝えたい。さあ行こう」





 リオンは優しくセーラの肩を抱いて、エドガーたちが待つ場所へ戻ってきた。

 ふたりに一番先に声をかけたのは、微笑みを浮かべたロザリンドだった。


「リオン様、今日は収穫を祝う聖堂で焼き上げたパンとともに、たったひとりの大切なお方をお連れできてよかったですわ」


 エドガーだけはペンダントを首にかけ、虹色の瞳と髪になったセーラを初めて目にしたために一瞬驚いたような様子を見せたが、すぐに元の普段通りの表情に戻った。


「ラビリンスローズ公爵令嬢だけではなく、名高いエヴァリストラント兄妹に守られてここまで来るとはな。あなたにはいつも驚かされる。俺が何もしなくてもいつも道を切り開いてしまうんだろうな」


 リオンは夜の聖堂で見せてきた、セーラがこれまで見てきたのと全く同じ、ありのままの飾り気のない口調で話した。

 リオンとセーラは目を合わせて微笑み合った。


「ふたりとも大切な友だちで、わたしのことを心配してくれたの」


 セーラが言うと、カティアとロザリンドはとても嬉しそうにしていた。


「リオン様、この場で聖堂勤めのわたくしたちから大切なお願いがありますの」


 ロザリンドが願い出た。


「いいだろう。聞こう」


 リオンは頷いた。


「ここにいる、わたくし、ロザリンド・エヴァリストラントと、カティア・ラビリンスローズのふたりを、セーラ様付きのふたりとしてどうかお命じくださいませ。この願いをお聞き届け頂けるのなら、ともにいついかなる時もふたりで力をあわせ、セーラ様を生涯をかけてお守りすることを誓いますわ」


 ロザリンドとカティアは目配せし合って、揃ってその場に片膝をついた。


「わかった。その望みをそのまま受け入れよう。ロザリンドとカティアをセーラのそば仕えとして任命する」


 リオンが答えると、目と目を合わせたカティアとロザリンドの顔には思わずまた笑みがこぼれた。

 それからリオンはセーラの手を引いて、自分の身体の近くに引き寄せた。


「聞いてほしい。これから俺とセーラはしばらく非公式の婚約ということしようと思う。その事実はここにいる人間だけの秘密ということにしてほしい。公表するのはそのうち時期を見計らって考えるつもりだ。最も信頼できる相手にしか頼めないことだが、協力してくれないか?」


「リオン様、あなたにはそれが似合っていると思いますよ」


 まず、エドガーが言うと、


「そうだろ? 俺も今、そう思ってたところなんだ」


「いつもどおりのリオン様で、わたくしも安心しましたわ」


 ロザリンドも納得したように言った。

 カティアだけは少し遅れてから、


「セーラは色々なことが一気に起きすぎて、どうしたらいいか分からないって不安そうにしていたから、時間をかけて考えられることになってよかったね! 本当は国王様がいらっしゃる前でだから、いけないことなのはよくわかっているけど、今だけは、まだ、セーラのことをいつもと同じように呼ばせて! だって友だちだから!」


 カティアはにこやかに言った。

 あえて立場を考えた距離をとらずに、そう伝えようとしてくれた気持ちがセーラには涙が滲んでくるほど嬉しかった。

 王宮が苦手だと言い続けてきたカティアが、リオンの前でとても緊張しているのが、セーラが顔を見ていてわからないわけがない。

 それでも無理してもどうしても伝えたいことがあるから、カティアはそうしてくれた。


 ――いつも一緒で、たくさんの話をしてきたからわかるよ。だから大丈夫、わたしはこれからもそばいるよ。お互いがどんなふうに変わってしまっても。セーラは聖堂にくる前のようには、もうひとりにはならないんだよ。


 この先への不安を消すことができないかもしれない心に寄り添いたいと願う気持ちだけで言ってくれたことだと。


「これからもずっとカティアは大事な友だちだよ」


 セーラは潤んだ目で、カティアに言った。


 ――ずっとひとりだったわたしがどれだけ孤独になることを恐れているか、カティアはわかってくれてる。心配させてごめんね……。


 そのふたりの様子だけで、そこにある思いを深く理解したリオンは、他の者たちの目があることも構わずセーラを両腕で抱き寄せて自分の方を向かせた。


「もう大丈夫だ。これからは俺があなたを守る。あなたが大切に思うもののすべてを。不安にさせたりはしない。俺といればこれからきっとそれがわかる」


「リオン……」


 一度リオンと見つめあった後で、セーラはその場にいる全員を見回した。


 ――守ろうとしてくれている人たちのことをわたしも信じたい。


 セーラがその思いとともに、すべてを心から受け入れてリオンの腕の中で頷くことが出来た時、突然妖精たちがぱっと一斉に空間に姿を現した。

 空中を飛び交いながら光の粉をまく妖精たちの姿に、カティアやロザリンドも驚いていた。


「これが妖精? すごい!」


 カティアが妖精たちに手を伸ばしながら声を弾ませて言った。


「わたくしも初めて見ましたわ。輝きがとても美しいですわね」


 ロザリンドも続いた。


「これがリオンが見てきたものなのか……。なるほど見ているだけでも心が洗われるようですね。納得だな」


 エドガーも呟く。


「ここにいる全員が聖女を守る役目を担うことになったから、姿を見せるようになったんだろう」


 最後にリオンが妖精たちを眺めながらそう言った。


 その時、何もなかったはずの空間から、くるんと一度回転するように何かが出現してセーラとリオンの左手の薬指を急に巻き込んで包んだ。

 ふたりは驚いてそれぞれの指を見た。

 指輪だった。

 そこには揃いの虹色の宝石がはめこまれていた。

 それは時を経て結ばれたふたりへの、女神と妖精たちからの美しい祝福の贈り物。


 以降はその場にいる全員が、終始和やかな雰囲気になった。

 エドガーとロザリンドとカティアの三人はまだ妖精たちの可愛らしい姿にみとれていた。

 おのおのが空中に手を伸ばして、妖精たちと触れあっていた。

 リオンがセーラの耳元でそっと甘く囁いた。


「俺はあなたを守るために生まれたんだ。その自分の運命をひとつひとつ知るたびに、なんて幸せなことだろうと思った」





 ――半年後。


 広大な王宮の一角にはセーラたち聖堂の三人が暮らすための特別な場所が設けられた。

 そこは元々リオンが自身の居室として使っていた部屋ともほど近い場所だった。


 ひそかに引っ越した三人は、普段はここから仲良く、今も聖堂の仕事へ通っている。

 表面上は以前と何も変わらないふりを装いながら。

 もう国王の部屋で、以前のような奇妙な喪失事件が起こることは今はもうなくなった。

 だが代わりに時期を同じくして、この王宮の中ではそれとは違う、『ある特別な変化』が頻繁に起きるようになった。


 セーラに聖女の虹色のしるしがあらわれていなくても、この城の内部や周辺の敷地では彼女が歩くごとに周囲に幻の花々が現れるのだ。

 それらの花々はいつも瞬く間に霧のように消えてしまうが、かぐわしい芳香と共に通り過ぎたあとの名残りは甘美な夢のように長く残り、多くの人々を幸せにした。


「今になってみると、先代の聖女様のことが文書にあえて書き記されてこなかった理由がわかる気がしますね」


「ん?」


 エドガーに声をかけられて、執務室の机に向かっていたリオンは顔をあげた。


「セーラ様のことですよ。聖女も元はひとりの人間であり、崇拝や祈りのためこの王宮の奥深くに閉じ込めておくものじゃないのだということをあの方が教えてくれている。幸いなことにこの国の中枢を担う人間たちは僕を含め、皆口が固い。だからそのせいもあったんじゃないかと。あなたが昔、外の世界を見てこいと出されていた時もそうだったわけですし。過去に実在した聖女の存在を強く感じさせる国王の正妃への求婚のしるしが、せめてのその名残りとして大切に継承されてきたのではないかと」


「そうかもな」


「あなたが時々、街に出てることに、実は気づいてる人間も多いみたいですよ」


「そうか、幾らなんでも気づかれるよな。あえて知らない振りをしてくれるとは俺が託された国の人間は皆優しいな」


 そんな会話を交わした後で、今日の仕事を終えたふたりは揃って部屋を出た。

 向かう先は、聖堂の娘たちが待つ空間だ。


「あら、リオン様、今日は随分早いお越しですね」


 扉付近でロザリンドが出迎える。


「奥でお待ちです」


 続いてカティアがうやうやしく奥の部屋へいざなう。

 けれど後ろからエドガーが近づいてくると、カティアは少し後ずさり気味に逃げるようにしていた。

 わかりやすいそれを見て、リオンは思わず、このふたりは今日もまたかと苦笑した。


「じゃあ、僕はここで」


 エドガーがその場でリオンを見送る。

 奥の両開きの扉を開けると、再び廊下が現れた。

 この先は、国王と彼が寵愛するたったひとりの娘のためだけの空間だ。


 ――こうしてそばにいられるようになった今も、まだ慣れないままだな。初めて会ったばかりのあの日のようだ。


 若干緊張気味にそう思いながらも、それを振り切るようにさらに一番奥の両開きの扉をリオンは押し開いた。


 そこにセーラが待っていた。


 ――最愛のあなたがいてくれるのなら、俺はどれだけでも強くなれる。


 見つめ合って言葉を交わす時間すら惜しく、その愛おしい娘の姿を目にした瞬間、たまらず駆け寄ってリオンが彼女を抱きしめた。


 部屋の中には妖精たちが移動させてしまった、あの時の家具がすべて元通りになっている。

 そしてそれらともにあるのは、扉の外にまで溢れる妖精たちが住むあかしとなる、咲き誇る数多くの麗しい花々。

 運命が奏でたこの幸せな結末を彩るように。









これでこの物語はおしまいです。

55日間の連載期間でしたが、初期の構想期間を含め、書き上げるまでには約10ヶ月ほどを費やしたお話でした。

主人公のふたりが再会して結ばれる物語だったため、七夕に完結させることが出来てとてもよかったと思っています。

連載中は評価やブックマーク、たくさんのいいね、連日の誤字報告などをお送り頂けたおかげで、久しぶりのWeb連載期間をとても楽しく、そして当初の原稿よりももっと内容を深めたいと思いながら意欲的に改稿作業を進められました。

元々は自分のPCの中に眠らせておくだけで満足で、公開はしなくてもいいかなと思っていた時期もありましたが、作品はやはり読者様の存在があってこそ、磨かれて良さが増すものなんだと改めて感じられました。


このお話の続編をもし書くのなら、歌と物作りが得意なセーラがリオンに大切に愛されながら、舞姫の娘のロザリンドやカティアたちと協力して、聖堂の娘たちで歌劇団を結成するお話にしようかな、と思っています。


内容的にもまだまだ今後も広げられる余地のある話ですので、また息抜きを兼ねて、本編から離れたものも書きつつ、そのうち続編も書けたらと思っています。

(世界観とキャラが既に出来ているので、新規で書く時より次回の続編はだいぶ早く書けると思います)


感想はいつも通り、匿名でも一言でも、どなたにも自由に気兼ねなくお書きいただけるよう、ずっと開けたままにしておきます。

最後までお読み頂きまして本当にありがとうございました。

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