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新しい場所での生活、聖堂の寮の部屋(1)

「え……、ここに住む?」


「はい、そのつもりで来ました。だから学院の寮にあった荷物は、全部持ってきたのですが……」


 心配そうな面持ちで足元に置いた自分の荷物に視線を落としたセーラに、対応に出てきた女官長のマグノリアは酷く驚いていた。


「困ったわ、何か手違いがあったのね。どうやら話が食い違っていて、こちらの説明が足りていなかったようね」


 マグノリアは予想外のことだと戸惑っていた。

 セーラがここで働く契約を今日正式に結ぶ前に、あらかじめ受け取っていた説明が書かれた書類をめくって確かめると、


「ここに聖堂には住み込みも可と書いてありますが、これは……?」


「あっ、その書類が書き換えていなかったからなのね。おかしな話の行き違いはそのせいだったんだわ。それ、随分昔の話なのよ。そういう書類とかの細かいところに誰も気を配らないから……。ごめんなさい、今は表と裏の門に夜警の衛兵の詰め所があるだけで、夜間は特別な時以外はここは人がいないのよ。どうすればいいかしら、他に何かあてはない?」


 セーラが悲しげに首を横に振ると、マグノリアは心底困り果てた顔で、この後の対応をどうするか思案している様子だった。


「この書類に書いてある、以前はこの寮になっていたという部屋は、今はもうないのでしょうか?」


 セーラが思いきってたずねると、マグノリアは言葉を濁しながら、


「いいえ、あるにはあるのよ。一応はね。空き部屋の状態にはなっているけど……」


「わたしがそこに住んでは駄目ですか?」


「別に駄目っていうわけじゃないのよ。でもね、あそこはねぇ……ちょっとねえ、なんて言えばいいか、そもそも人が住むようなところじゃないから……」


「その部屋を見せていただくことはできないでしょうか?」


 セーラが切実な表情で食い下がり気味に頼むと、


「別のところが決まるまでに必要な街の宿代は、きちんとこちらで負担するから、今からでも遅くはないから、どこか他のところを探した方が早いと思うけど……?」


 マグノリアは明らかに気乗りしない顔でそう言った。


「一度だけでいいので、どうかお願いします。実際に部屋を見てみて、どうしても無理だと感じたなら、それで納得して諦めます」


 願いを聞き届けてほしくてセーラが再び深く頭を下げると、マグノリアは根負けしたように渋々と、


「わかったわ。そこまで言うなら仕方がないわね。元々はこちらの不手際が原因で起きたことですもの、ならば約束は守るのが筋でしょうね……。用意をしてくるから、このままここで少しだけ待っていてくれるかしら?」


 セーラが頷くと、マグノリアは少しだけその場を離れた。


 しばらく待たされた後に、マグノリアはいかにも古そうな年代物の錆びた鍵の束を手にして戻ってきた。


「お待たせしました。鍵を取ってきたから一応行ってみましょう。でもあくまでも、一応、ですからね? 実際の部屋を見れば、あなたもきっとすぐに気が変わると思うわ。あそこは随分長い間、本当にもう誰も使っていないところだから」


 セーラはマグノリアに連れられて、元は寮として使われていたという、その部屋に向かった。





 案内されたのは、カーテンは破れかぶれで、窓が閉め切られていて薄暗く、何処もかしこもが埃まみれで床板が腐りかけている、中で二部屋続きになっている部屋だった。

 部屋の隅には、昔の住人がここを出ていく時に置いて行ったらしい、ダイニングテーブルやチェアなどの簡素な家具が一か所にかためて積んであった。


「寮の中でもここが一番まだましな部屋なの。ね、この通り、とてもこんな状態ではここに住むなんて、とてもできっこないでしょう? ……あなたが来てくれる前に、もう少しまともに管理できていればよかったんだけど。わたしが伝えたよりも想像以上に酷くてとてもがっかりさせてしまったでしょうね、ごめんなさい」


 マグノリアはセーラが直ぐに断ってくると信じ込んでいて、疑いもしていない。


「あの……わたしがそうしたいと希望すれば、ここに住んでもいいんですよね? 部屋の状態をもっとよく見たいので中まで入ってもいいですか?」


 セーラは先にあらかじめマグノリアにそう聞き、相手が頷くのを確認してから部屋に足を踏み入れた。


 そして所々にまだ無事な状態で残っている床板を、誤ってさらに踏み抜いて壊してしまわないように、足元に注意しながら、部屋の中の建具をあれこれ熱心に確認し始めた。

 調べるのに夢中になっているセーラのその様子に、マグノリアは怪訝な表情で、


「無理にここに住むことなどは考えず、街の中で他の場所のどこか別のところを探した方がいいわ。そのために少し時間がかかるなら、こちらとしては仕事に出てもらう日が遅れても全く構いませんからね。幾らなんでも学院を卒業したばかりの若いあなたを、こんな部屋にひとりで住まわせるわけにいかないわ。可哀想すぎるもの」


「可哀想すぎる? どうしてですか?」


 部屋の中をあれこれ見ていたセーラが、心の底から不思議そうな表情で背後を振り返りながら言った。


「あなたをここに住まわせるのが可哀想だって言っているのよ! そんな気の毒なことはとてもできないでしょ」


「壊れているところは、きれいに直してしまえば何も問題ないと思います。だいたい半月くらいあれば、住むのに支障がないくらいにはできると思います」


「直す? たったの半月で? 誰が直すの? どこかにそんなことを頼める知り合いのあてでもあるの?」


 マグノリアは自分の耳を疑うような表情で、矢継ぎ早に質問した。


「いえ、誰かにお願いするんじゃなく、自分で住む部屋だから、わたしが自分で直します」


「あなたがここを? まさか……」


 俄かには信じがたいとマグノリアは言いたげだった。


「古い部屋を直すのは、過去に何度も経験があるので慣れているんです。それよりもわたしはマグノリア様が大切な聖堂の一部でもあるこの部屋を、わたしが勝手に作り変えてしまうことをご心配されているのかと思っていました。学院の寮でも部屋の内装に手をくわえることは、規則違反になったので……」


「反対なんてしないし、制限なんて何ももうけないわよ。全部あなたの好きにしていいわ」


「本当ですか! でもそれならその分、余計に家賃が高くなりますよね。それで、払えるかどうかわからないから、わたしのことを心配して下さっていたんですね……」


 独りでに納得しつつ、少し心配顔になったセーラに、マグノリアは仰天した。


「家賃!? ちょっ、ちょっと待ってちょうだい! いきなり何を言い出すの!? こんなみすぼらしい部屋なんかに、お金なんて1リルもとらないわよ!! 間違ったってとるものですか! そんなことをしたら、わたしが女神様に叱られるわ! それにここに誰かが住んで、部屋をきれいに蘇らせてくれるというのなら、こちらとしても願ってもないことなのよ。ずっと手付かずのままだったんですもの。でも本当にいいの? 少し試しにやってみて、無理だったらいつでもやめてしまってもいいんですからね!」


 マグノリアからは念を押すように心配されたものの、セーラにとってはまるで願ってもない幸運が舞い込んできたかのようだった。


 ――住むところにお金がかからないなんて、すごいことだわ。今までなら考えられなかったことなのに……。それにこの部屋は古びているけれど、南向きだから日当たりも良さそう。ここなら朝日の中で窓の外の木にやってくる小鳥のさえずりを聴きながら、さわやかな気持ちで毎朝目覚められる。夜はこの窓から輝く星空が見られるかもしれない。なんて素敵。わたしにはこれからどんな毎日が待っているんだろう!


 この寮の部屋で住み始めた時のことを思って、セーラはこれから先に訪れる、今までとは違う新しい日々の予感に胸が躍った。

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