秋の収穫祭前のパン作り(2)
「本当に欲がないよね、セーラって」
「食べるものも着るものもない哀しさは、本当に究極にお金がなくなったことがある人間にしか分からないのよ。今は働き口があるだけで十分。もう他に何かを望んだりはしないわ」
「良い家の男と結婚したいからって、そのためだけに働きにきている他の人たちよりも、セーラの方がよっぽどいいと思うけどな。わたしの親もいつも言ってるよ、聖堂の仕事自体に思い入れを全然持たずに、出世の道具のように都合よく利用しようとするなんて、本来のあるべき姿からは逸脱していて、ものすごく嘆かわしいことだ、って」
拭き清め終わった道具を要領よく棚にしまいながら、カティアは言葉を続けた。
「だからわたしも今の王様にならって、祈り係じゃなく実地で経験を積んで色々知るために、ここの雑用係になれって言われたんだけどさー。おかげでいつも手は荒れまくりだし、頑丈すぎるくらい骨太になるしで、全然いいことなんてなくて最低すぎる! いや、別にだからってこの仕事が嫌いだって言いたいわけじゃないんだけど……」
「王様にならって……?」
急にリオンのことが再び話題にのぼったので、セーラは気になった。
「あれ、セーラは知らなかったっけ? リオン様も昔は王宮から外に出されていたらしいんだよね。視野を広げるためには外の世界を知る必要があるとかで……。王都の外どころか、随分辺境の方にも行ってたらしいよ」
「そうだったんだ……」
「リオン様は元々子供のころから、何をやらせても優秀過ぎた人だったから、いずれそれが悪い方向にいかないようにするためだったってきいたよ。でもあっ、まずい、これってもしかしてうちの親だからこそ知ってることだったのかも……? その可能性もありそうだから、今のはごめん、聞かなかったことにしておいて。……まぁ、もうだいぶ昔のことだから、別に今さら話したからって、誰も気にしないだろうけど」
カティアのその言葉を聞いて、普段のリオンのあの地位や立場らしからぬ振る舞いにも、セーラはようやく納得がいった気がした。
それを露ほども知らずにカティアは更に続けながら、
「それに話は戻るけど、元々はセーラだって貴族の出身なんだし、小顔で華奢でとてもきれいなんだから役目に相応しいと思うよ。その容姿で身軽に屋根にのぼって、トンカチ握って普通に直してるたくましいところとか、見れば皆とりあえずびっくりするんだろうけど」
「貴族の末端だったのは、それは祖父の代までの話で、もうとっくに終わったことだよ。それに容姿はその人の好みだし、カティアは友だちだから良く見えてるだけだよ」
「そんなことないと思うけどなー。前からいつか聞きたかったんだけど、セーラのお家がどうしてそうなったか聞いてもいいの?」
「勿論いいよ。わたしの親の病気の治療のために、莫大なお金が必要だったから爵位を売ったの。結局父も母も助からずに治療の途中で亡くなってしまったけれど……でも家族のために迷うことなくそうした祖父と祖母のことを誇りに思っているの、だからわたしは貴族に戻らなくていいわ」
「そうだったんだ」
「ごめんね、カティアにそんな顔させてしまって……。それにね、わたしは両親が亡くなる前に言い残していったものを守りたいの。『恐れずになんでも経験してごらん。それがいずれ自分の道を開くことに繋がっていくんだよ』って、だからそうなれるようにいつも努力したいわ。家は無くなってしまったけど、それがわたしに残された家族との最後の絆だから」
セーラの言葉を黙って聞いていたカティアは、
「それが巡り巡って、わたしも助けられたんだね。今だから思うけど、周りの皆がこの聖堂の中で、仕事なんて適当でいいや、って思いながら働いてるからって言っても、本当はわたしは自分も同じようにしたかったわけじゃないんだ。自分から率先して何かを変えようとする勇気や強さがなかっただけで……。それも全部セーラのご両親の残してくれたもののおかげだったんだね」
――わたしがリオンに感じたことと同じようなことを、カティアもわたしの両親に思ってくれているのね……。
生前に直接会うことは叶わなくても、子供の自分を介して繋がった誰かが、在りし日の両親にまで思いを馳せてくれることに、セーラは心に温かいものが広がっていくのを感じていた。
――王宮の執務室にて。
リオンはペンを持ち、机に向かって書き物をしながら、
「セーラはどうしている? あれからも特に変わりはないか?」
そばに従者がいないひとりになる時間には、よく妖精たちからセーラの話を聞いていた。
気がつけば今のように会えない時間でさえ、最近では当たり前のようにセーラのことを思い出している。
だからセーラが恒例の収穫祭前のパン作りを任されたことも既に知っていた。
「柄でもないが、国王として職権乱用も、たまには許されるかもな」




