秋の収穫祭前のパン作り(1)
――セーラが聖堂で住み込みで働き始めてから、既に早十カ月ほどが経過していた。
豊穣の女神様のご加護のたまものか、今年は例年になく豊作になったらしく、聖堂にもたくさんの小麦が届けられた。
麻袋に詰められた小麦は、粉にするために川沿いにある粉ひき小屋まで運ぶ。
農場から寄付された小麦を使って、聖堂では秋の収穫祭の前にパンを焼くのが毎年の恒例行事で、それを担当する人員の選抜は数ヶ月前に決まることになっていた。
今年はセーラとカティアがその役を任されることになった。
「セーラのおかげで今年は楽だね。アスランもただ厩舎に繋がれているだけじゃなくて、物を運ぶ仕事ができて喜んでいるみたい。これからはこの台車があれば、もっと色々なことができるし本当にいいね」
これまででは考えられない量の荷物が載せられる、完成したばかりのロバのアスランにつけて引かせる真新しい台車に、カティアはご機嫌だった。
「でもあの時は驚いたよ。知らないうちにセーラがこの荷車の完成予想図まで自分で描いてるんだもん。マグノリア様も驚いていたけど」
「帳簿を見るようになってわかったの。この聖堂に割り当てられた予算の中では、このアスランに荷車をつけてあげたくても、寄付金でまかなえるのは材料費だけだろうって。だから見よう見真似だけど、自分で考案してみたの。王立図書館に似たような図案が載っている本があったから、まずはそれを参考にたたき台にして……。後は縮尺を変えて、まずは小型の試作品から作ってみたの。上手くいってよかったわ」
最近は行く先々でどんな用件で呼ばれてもいいように、セーラは革の袋に入れて工具まで持ち歩くようになっていた。
小麦を粉にし終えると、翌日からはセーラとカティはふたりでパン焼き用の石窯や道具の掃除にとりかかった。
心を込めてひとつひとつを念入りに磨き清めた。
「おいしいパンができるといいね」
セーラがめん棒や天板などの道具を、消毒済みのきれいなふきんで繰り返し艶が出るまで拭いていると、カティアが傍らに寄ってきてそっと、
「出来上がったパンを、その後どうするかについては知ってる?」
「知らない」
セーラが首を横に振って短く答えるとカティアは、
「そっかあ。やっぱりそうだと思った。セーラは伝説のドワーフの弟子かと思うくらい器用だって皆言ってても、物づくりをする以外のことって、全然興味無さそうだからなぁ」
と言った。
それから言葉を続けて、
「パンができたらね、王宮に納めるのが決まりなの。だから毎年誰が持っていくかで、必ず揉めるのよ。そういう内輪の話って、聖堂の神聖なイメージを下げかねないから、あんまり表立っては言っちゃいけないことになってるんだけどね」
最後の方は周りに聞かれるのを気にして声を抑え気味に、カティアが言った。
「揉めるって、具体的には何を揉めるの?」
「自分の娘をその役目につかせるために、優遇されたくて一部の親は多額の寄付までしてるって噂があるんだよ。それが原因、何かの見返りを期待しての寄付なんて批判されて当たり前だもん」
「そうなの……」
「それでそういう時のお金って、用途が毎回外向きになるのが決まってるんだよね。だからいくら寄付金が増えたからっていっても、中のわたしたちには全く回ってこないし、それにうちの親もそういうこずるいような手には、まるっきり興味がないから、わたしには元々関係なかったけどね」
「……」
「パンの仕事は王様やお城の上級官士の方々に、直接お会いできる貴重な機会なんだよ。だからその役目になりたい人がいっぱいいるの。確かに昔はそれで王族に見初められて……なんてことも実際にあったって話だから、そのころの名残りなんだろうね。特に今の王様は独身でご結婚されるお相手の方の話がちっとも噂にあがらないから、それもあるんだろうけど」
――リオンの結婚……。そうよね、いずれいつかそういう時も必ずくるのよね。
わかっていたつもりでも、セーラは少しだけ切なくなった。
でも、それでもリオンを好きな気持ちは変えなくてもいい、と思った。
最初から叶うことなど望めなくても、心から想える人に出会えただけでも幸せだと感じられた。
誰と出会っても、十三年前のあの人以上に好きになれる人はいなかった。
だから、自分はずっとそのままで生きていくんだと思っていた。
――それなのに……。
聖域へ行った時に腕の中で抱かれた時に感じたものをまた思い出した。
とても優しく自分のすべてが守られているように感じられて心が安らいだ。
――そばにいる間にリオンがくれた時間の記憶はこれからも残り続けて、きっとわたしを支えてくれる。
そう心静かに聞いていたセーラの前で、カティアの話はさらに続いた。
「パン作り自体は雑用係の仕事の範疇に当たるし、それを別の誰かが大変な思いをして作ったものを、さも自分が精魂込めて作りました、みたいな、すました顔をして持っていくのがわたしは好きじゃないから、極力関わらないようにしてたんだけどね」
「色々な考えの人がいるのね」
「まあ王宮に行くのは毎年祈り係の誰かから選ばれるから、雑用係に声がかかることはないし、その分、最初から対象外と思えば気が楽だよ。でもわたしは今年だけは貴族の自称行儀見習いでここにきてるお嬢様たちよりも、セーラが代表で行くのがいいと思ってたんだけどなぁ」
「わたしが? どうして?」
作業の手をしばし止めて、少し驚いてセーラがきいた。
「セーラってなんて言うか、色々出来すぎるくらいに出来るのに、自分からは目立とうとしないから、わたしが背中を押してあげるくらいの方が丁度いいと思って」
「色々できるようになったのは、環境で仕方なくそうなっただけで、いいことばかりじゃないよ。それに王宮へ行くようなそういう外向きのお仕事はやりたい人がやればいいと思う。わたしは国民のひとりとして、国王様に敬愛や親しみの情はいつも心の中で感じているけれど、でも遠くからそれを思うだけで満足だから、お近づきになりたいとは思わないもの」
――夜にこの聖堂で、リオン本人とは既に何度も会っているのに、その上改まって王宮で会ったりしたら、その時、どんな顔をすればいいか分からないんだもの……。
ひそかにセーラは心でそう思った。
 




