屈託ない笑顔、打ち明けられない心
――それからまたしばらくが過ぎたある日。
「ねえ、セーラ」
昼の休憩時間に、セーラはカティアに声をかけられた。
「なあに?」
「今度のお休みの日に、セーラの部屋に遊びに行きたいんだけど、いいよね?」
屈託ない笑顔でカティアにそう言われて、セーラは思わず背筋が伸びてぎくりとした。
それは今のセーラにとっては、いつか確実に訪れる瞬間だと知りながらも、出来るだけ時期を先延ばしにしておきたいことだったからだ。
「そっ、それはちょっと……。そうだ、街で買いたいものがあったから、お買い物に付き合ってくれない? 今度のお休みはそうやって過ごしたいの」
「それでもいいよ、じゃあそうしようね」
カティアがすんなりそう言ってくれたので、セーラはそれ以上の話をしないように、うまくごまかせたつもりでいた。
しかしその提案が功を奏さないばかりか、実際にはセーラの目論見は、ことごとく外れていたことを数日後に知ることになった。
次の休日の朝に、セーラは窓の外から呼びかけられた声で目を覚ました。
まだ眠気から覚めきらないセーラが何気なくカーテンを片側だけ細く開き、続いて窓も開けると、なんとすぐそこにはカティアがこの前と同じ笑顔で立っていたからだ。
その突然すぎる来訪を知っていきなり睡魔から現実に引き戻されて、セーラは思わずカーテンの内側にさっと身を隠した。
部屋の中にはこの寮の本来の目的を考えると、到底似つかわしくない、明らかに場違いな立派な家具の数々。
――ある朝、目が覚めたら、突然これがなぜか自分の部屋に置いてあったの、だなんて、そんな絵本の童話のような夢物語を誰が信じるっていうの! お願い、カティア、これだけはあなたにも見せられないわ! わたしはあなたに自分が泥棒だとは思われたくないの!
かくしてセーラは説得工作を開始した。
「ね、ねえ、カティア。ちょっといい? 提案があるの」
「なあに?」
「今日はわたしの部屋で過ごすよりも、やっぱり外に行かない? お天気もいいし、その方がきっと楽しいよ」
セーラはカーテンで半分以上身を隠したままそう提案した。
口調は優しげでも、目は正真正銘本気である。
――なんとしてもここだけは譲るわけにはいかないわ。絶対に持ちこたえないと。
譲れない戦いを前にそう決意して、カーテンの隙間からセーラはそろそろと再度顔をのぞかせた。
「晴れた日は外にいる方がいいわよ。ね?」
語尾を強めつつ、ここが雨が多い土地柄であることを理由に手っ取り早く提案したが、しかしそれも、残念ながらカティアの前では何も通じなかったようだ。
「馬車を外に待たせてあるからそれでもいいけど、その前にお部屋の中に入れてよ! お菓子もたくさん持ってきたから、ふたりだけで先に部屋の中で少しお茶をしようよ! 買い物なんてその後でもいくらでも行けるじゃない! あれからセーラの部屋がどんなふうにきれいになったかがずっと気になっていたの」
クッキーやチョコレートが、これ以上は入りきらないほどにたくさん詰まった、手に持っているバスケットを持ち上げながら、カーテン越しの影の姿でカティアが言った。
――わああ、どうしようどうしよう! わたしがなんて言っても、カティアは全然諦めてくれそうにないわ! もし間違って一歩でも中に入れてしまったら、その瞬間にカティアにこの部屋のことが全部バレちゃうのに! とにかくそれだけはさせないように、無理やりでも言い訳をつけて早くなんとかしないと!
そう思っても、しかし有効な次の一手を打てないまま、セーラがうろたえているうちに、いつの間にか回り込んだのか、カティアが聖堂の建物側からバーンと勢いよく扉を開けて中に入ってきてしまった。
その瞬間、カティアの身体の動きがぴたりと止まり、セーラは心底、本当に自分の何もかもが終わったと思った。
――もう後戻りができなくなったわ。わたしは今日限りで聖堂にいられなくなるのね。
大げさでもなんでもなく、セーラが自身の行く末を悲観しながら本気でそう思い、数秒が経過した後……。
「あー、なーんだ、中に入ってほしくなさそうに、理由つけてずっと渋ってたのってこういうことだったんだー。なるほどねー!」
事の次第を察したようなカティアに、セーラは血の気が引いた、ろくに回らない頭で思った。
――この豪華な家具はどれも、わたしがどこかの裕福な家から盗んできたものだと思われたに違いないわ。せっかく友だちになれたのに、カティアとのこの関係も今日限りなのね、哀しいわ……。わたしはこの後、良くて薄暗い牢獄行きになるのかしら? リオンもわたしのことは表立って助けられないだろうから、きっと冤罪で囚人ね。でも囚人になった経験だけはないから、そこでまた何か新しい能力が得られるかもしれないわね。前向きになるのよ、セーラ。波乱万丈でも、それもいずれはどんな経験も何かの役に立つのかもしれないんだから。
晩秋の風に吹かれて儚く落ちていく、落ち葉を見る時のような哀愁を漂わせながらセーラがそう思った時、
「すごいね、セーラって」
「……へ? 何がすごいの?」
「わかるよ。この家具も絨毯も全部丸ごと、セーラが作ったんでしょ? だからすごいって言ったの!!」
めいっぱい両手をひろげながらそう言ったカティアに、セーラは仰天した。
「!?」
――……カティア、まさかだけど、あなたはとてつもない勘違いをしてるのね!? それは全然違うのよ! 熟練の職人でもないあっちこっちで中途半端な技術だけを積み上げたわたしが、そんなことが出来るわけないじゃない! ちょっと待ってちょうだい! あなたがしようとしているのは、それはとんでもなく極端な誤解なのよ!
けれど同時にセーラははっとして、
「そっ、そうそうなの! 実はこれも自分のお手製でね……! 大変だったんだったから、大変過ぎたからもう二度と同じものは作れそうにないんだけどね」
額の汗を手の甲で拭うような動作で、それらしく苦労したふうを装いながらセーラは言ってみた。
――お手製……! 二度と同じものを作れないと予防線を張ってても、我ながらよくそんなでまかせを思いつくものだわ! 言うに事欠いて何言ってるのよ、わたし! 見えすいたような嘘ばっかりついて! こんなのが言い訳に使えるなんて、とても出来るわけないじゃない! 組み立てるどころか、仕上げにこんなふうに滑らかに美しく色を塗ることさえ到底できやしないのに!
口から出まかせの絶望的に苦しい無理くりな言い訳に、そう思ったセーラの前で、カティアはぱっと顔を輝かせて、
「やっぱり、そうだったんだね!! セーラって本当になんでもできるもんね! そんなことまでできるなら、勿体ぶらずにもっと早く見せてくれてもよかったのにー」
――いやいやいや、爵位を手放す前の、昔の家にも無かったようなこんなにも王宮お抱えの家具職人が作ったものを再現して作るなんてわたしにはできるわけないのよ? それに、家具はともかく絨毯は道具もないから、どうやっても無理なのに……。でもその思い込みのせいで、カティアはうまく誤解してくれたみたい。気は引けるけど、とりあえず今だけはこのまま話を合わせておけばいいのかしら……? でもむしろそれよりも、こんなあからさまな作り話を丸ごと素直に信じてしまうカティアの方が心配になるわ。この調子だと、普段から誰かに騙されててもおかしくないわね、違う意味でカティアは大丈夫なのかしら……?
セーラはそう思いながらも、限りなく不自然な愛想笑いをして話をやり過ごした。
「ね、わたしの部屋のことは気が済んだし、もういいでしょ」
――カティアはこの部屋にある家具が、本当にわたしが作ったものだったって信じ込んでしまったのね……。とても罪深いことをしてしまったわ。神聖な聖堂で虚言を言った罪をそそぐ為には、あとで懺悔室に行くべきね。
セーラがそう思った時、部屋の中をカティアがじっと見つめながら、
「セーラって、行ったことはないって言ってたけど、本当は前に王宮に入ったことがあるの?」
「一度もないよ。聖堂で働き出す前は王都ですら来たことなかったし」
「そうだったよね、わたし前にも確かそう聞いてたのに、変なこと言ったりしてごめんね。随分昔に行ったきりだけど、なんだかこの部屋が少し王宮の中に雰囲気が似てる気がして」
――そうか、いまのこの部屋はきっとリオンの部屋の再現のようになってるのよね。
カティアはそんなセーラの胸中を知らずに、
「知らない間にドールハウスもこんなに増えてたんだね。セーラが作るお部屋もドールハウスも、わたしどちらもすごく好きだよ!」
「ありがとう。これからもまた何か作ったら見せるね」




