孤独で不遇な少女は、聡明に心優しく成長し(2)
セーラがひとりでその場で待っていると、不意に後ろから軽く肩を叩かれた。
振り返るとそこにはセーラと年が近い、肩につくくらいの長さの短めのくるみ色の髪と、宝石のようにきらめく青い瞳をした娘が立っていた。
話しかけてきた娘は腰から下がエプロン姿で、いかにも興味津々という顔でこちらを見ていた。
「あなたとは初めて会うよね? 今度ここに新しく入る人?」
「今日はお話を聞きに来ただけだから、雇ってもらえるかどうかはまだ分からないの、そうなればいいと思ってるんだけど。ここはとても忙しそうね」
「うん、毎日毎日かなり忙しいよ。あなたは雑用係として入るの? 祈り係の方じゃなくて?」
「雑用係と祈り係、って?」
「表の方で、礼拝に来られた方たちの応対をする役のことを、祈り係って、ここではそう呼んでいるんだよ。さっきマグノリア様を呼びに来てたのが祈り係……で、裏口に近いこの辺で、わたしのように、街の人たちからのご厚意で届く寄付品とかの仕分けの仕事をしているのが雑用係。元々は、どっちも本当の名前じゃないらしいけど、今は両方を区別するためにそう呼んでるんだ。着ている制服が違うから、見ればすぐに分かると思うけど」
声をかけてきた娘は、自分が着ている細身のかっちりとした雰囲気の制服を指差しながらそう説明してくれた。
「わたしも採用してもらえるのなら、ここに入るんだと思う。さっきそう説明されたから」
セーラが答えると声をかけてきた娘は、たちまち興奮気味に頬を紅潮させて、
「なら、きっと雑用係の方なんだね! それならなおのこと大歓迎だよ! いつもここ、人手が足りなくて皆困ってるんだ! わたしはカティア、ここでいつも下働きをしているの! あなたが仲間として来てくれたらすごく嬉しいよ!」
カティアから明るく輝く瞳でそう言われ、セーラは思わず嬉しくなった。
――わたしもここで働けたらいいな。友だちになれたらいいな。
「わたしはセーラ、ここに採用されることになったらよろしくね」
「もちろんだよ! 絶対絶対、仲良くしようね!」
そうふたりが言い合った時、マグノリアが戻ってきた。
「お待たせしました。では参りましょう。セーラ、わたしのあとについていらっしゃい」
マグノリアはセーラを連れ、聖堂内部の各所を巡りながら、簡単に案内していった。
ここで働く者たちのための食堂や寮なども案内してもらい終えたあとで、マグノリアは最後に聖堂の最奥の礼拝堂に安置されている、女神の石像の前にセーラを連れて行った。
「女神様をこんなに近くで見るのは初めてかしら?」
「はい。慈愛に満ちた、とても優しいお顔立ちですね」
「そうね。そう言ってくれると、いつもここで女神様にお仕えするために働いている、わたしたちもとても嬉しいわ」
「あの……」
「何かしら?」
「この聖堂の女神様は、虹色の女神と呼ばれているとお聞きしました。何故なのでしょうか?」
色彩感覚を全く感じられない、陰影のついた祭壇の上に佇む、灰白色の石像の彫像を見上げながらセーラはそう尋ねた。
「聖女になった娘には、虹の七色を授けるからだと言われているわ。でも実際にそんなふうになった人間は誰もいないし、単なる迷信か、もしくはたまたま光の加減か何かでそう見えた娘がいたというだけでしょうね」
「虹色を聖女に授ける……不思議なお話ですね」
「そうね、そんな虹色が本当に存在するならばわたしも見てみたいわね。それから聖女になれる者とは運命に導かれた者だと言われているとか。女神様に選ばれた娘に訪れる運命とはいったいどんなものなのでしょうね」
マグノリアの言葉を聞きながら、セーラはふと何かを思ったように女神像の周りを斜めからじっと見た。
「どうしたの? そこに何か気になるものでも?」
セーラははっとしたように直ぐに首を横に振って、
「いいえ、何も。申し訳ありません」
「それでは戻りましょうか」
マグノリアと共にセーラは礼拝堂を後にした。
マグノリアとセーラは再び裏口まで戻ってきた。
それにいち早く気づいたカティアが、少し離れた場所からセーラに向かってにこやかに手を振ってくれた。
セーラが応える形でやや控えめながら、微笑んで手を振り返すと、カティアがさらにぱっと顔を明るくして、より一層大きく手を振った。
その時、セーラは細い通路の両側に無秩序に何段にも積み上げられていた、まさにあの箱の山がぐらつきながら大きく傾くのを見た。
――カティアが危ない……!!
考えるより先に身体が動き、セーラは無我夢中で片手で持っていた革製の自分のトランクを持てうるありったけの力で前方に向かってぶん投げた。
トランクは狙い通りに命中し、幾つかの箱を弾き飛ばしていく。
その隙にセーラは姿勢を低くし滑り込むと、カティアの片腕の手首を強く引き、間一髪のところで下敷きになる前に、その身体ごと庇うように自分の方へ引き寄せて助け出した。
薪や穀物、それに野菜や果物などの崩れた箱から飛び出してきた多くのものが、その場に大きな音とともに床の上に派手に散乱して通路を完全にふさいだ。
響いた大きな音を聞きつけたらしい聖堂の娘たちが何事かと一斉に集まってきて、周囲は騒然となった。
「なんてことなの! カティア、セーラ! ふたりとも無事ですか!? 怪我はありませんか!?」
崩れた箱の山に阻まれた向こう側から、マグノリアが青ざめながらふたりを必死の形相で呼んだ。
カティアは最初は余りのことに呆然と言葉を失っている様子だったが、セーラから「危なかったね、大丈夫? どこか痛くしたりしてない?」と優しく声をかけられると、急に我に返ったように、
「平気だよ。セーラは?」
「なんともないよ。カティアが無事でよかった」
セーラはカティアの制服のスカートの裾についた埃を目ざとく見つけて、ごく自然に手で払ってくれた。
そんなさりげない気遣いまで出来る、セーラの余裕のある様子に、カティアはむしろそのことにとても驚いたような顔をしていた。
「ふたりとも無事なの? どうかお願いよ、一言でもいいから返事をして頂戴!」
こちらのやりとりが、壊れた箱や多くの物に遮られて、まだよく聞き取れないらしいマグノリアから不安げな呼びかけに、カティアは慌てて大きめの声で返し、
「セーラのおかげで無事でーす! こちらは何も問題ありません! 安心してください!」
それからカティアは改めてセーラの方を向き直ると、
「セーラ、あなたって、かっこよくて最高! どうしたらそんなふうになれるの? わたしもあなたみたいになれたらいいのに!」
カティアは心底感心したように、セーラの両手をきゅっと握りながら言った。
――ここで働けるかどうかは分からないけど、誰かを助けて喜んでもらえるのってやっぱり嬉しいな。もし願いが叶って、定着して長く働ける場所に巡りあえたら、周りの仲間にあたたかい気持ちを伝えられるような、そういうお仕事ができたらいいな。
嬉しそうなカティアの顔を見ながらセーラは思った。
物が散乱した場をそのままにはしておけないので、セーラはその後は聖堂の娘たちに交じって物の片付けをすすんで手伝った。
それが終わると、セーラはようやく帰路についた。
そしてガラリナに戻った日の翌日、見学時の詳しい報告をするために学院長に会いに行った。