二度目の夜(1)
翌日の晩も、再びリオンは聖堂を訪れた。
セーラはその時もまた、広間でドールハウス作りの最中だった。
「それが妖精たちの住処にするための家なのか? 昨日も思ったが家はひとつだけではなかったんだな」
現れたリオンに、セーラはええ、と短く答えて、微笑んで頷いた。
広間には縦の高さがきれいに揃った、屋根の彩色や外観が個々に異なっている小さな家が数軒並んでいた。
このまま順調に増えていけば、いずれはひとつの街を形成していくように見える。
興味深げにリオンが立ったままドールハウスを眺めているので、セーラは近づいて横に来ると、
「王都も、前に住んでいたガラリナの街も、どちらもそれぞれの街には景観には特徴があったので、既に存在している街に似せるのではなく、小さくてもわたしなりに新しい街を作ってみたいと思いました。昔から人の暮らす建物を眺めるのが好きだったので……」
「架空の街、か。面白いな。それに生活感を感じられるのがいいな。人の温もりがある」
リオンは感じたことを率直に口にし、もう少し近寄ってよく見てみた。
例えば、玄関の外に置かれた植木鉢の花。
パッチワークの壁掛けと、揃いの柄で作られたクッション。
干された洗濯物。
使い込んだような風合いの塗装が施されたキッチンのオーブン。
セーラの作りかけのドールハウスからは、誰かがいつもそこに帰ってくるかのような雰囲気が、随所から醸し出されている。
「家は、人が集うところなので、それを大切にしたくて……」
セーラは自分を慕うように降りてきた妖精たちを、両手で優しく受け止めた。
いつくしむようなそのしぐさだけで、リオンは思わず表情を緩ませた。
セーラがどういう娘であるかを知るには十分だったからだ。
「セーラ、そいつらがあなたに何か迷惑をかけていなかったか? 俺はそれが気になっていたんだ」
「迷惑……? 妖精たちがですか?」
妖精を手にのせたままで、とても不思議そうな顔でセーラは聞き返した。
セーラの反応で、リオンは察した。
――ああ、そうか。こいつら、俺とセーラの前では態度を変えてやがったな。
妖精たちへの積年の忌々しい思いがつい再燃しかけたが、リオンはセーラにはそれを気取らさせたくなかったので、自分を押しとどめた。
「いや、なんでもない。何もないならいいんだ」
セーラはリオンの方に向き直ると、
「せっかく今夜もいらして下さったのですから、ささやかですが今からお茶をご用意しますね」
「俺のことは客人のようには扱わなくていい。ここへ来たのもそんなつもりじゃないんだ」
「身近な『友人』とも普段はそうしますから。それにそろそろ休憩しようと思っていたところだったんです。厨房に参りましょう。ご一緒にいらしてください」
セーラはそう言って、リオンを誘った。
そして周りをふわふわと飛ぶ妖精たちやリオンとともに厨房へ向かった。
聖堂で働く者たちのための食事作りの場として主に使われる厨房は、中は広さに余裕があるとは言い難い。
その限られたスペースの隅には、料理担当たちが休憩用に使っているテーブルと、木製の簡素なスツールが二脚置いてある。
スツールの片方にリオンは促されるまま腰かけた。
セーラは要領よく火をおこして用意をし始めると、湯が沸き上がるのを待って、ティーセットをリオンのいるところまで持って行った。
そしてリオンの目の前でポットに沸き上がったばかりの温かなお湯を注いだ。
ポットの中に入れたのは、リオンが普段目にしているような茶葉とは、品種も等級もかけ離れたものだということは分かっていたが、セーラは気にせず出した。
孤児院にいる身寄りのない子供たちによく配っている、手作りのクッキーも添えて。
――とても忙しくされているはずなのに、わたしひとりのためだけに手紙まで書いて下さる方だもの。普段と同じものしかないあるがままでも、思いを込めれば言葉を介さなくても、きっと真心は伝わるはずだから……。
「良い香りだな」
セーラが向かい側のスツールに腰を下ろすのを見届けてから、リオンはティーカップのお茶にひとくち口をつけて言った。
躊躇いなど微塵も感じさせぬ仕草で、続いてクッキーにも手をのばす。
「客扱いのもてなしはされたくはないが、うまい」
クッキーをかじり、リオンが言った。
「お客様扱いではないです。時々、雑用係の友だちとも淹れて仕事の合間にここで飲んでいますから。むしろわたしにとってはごく普通の日常です」
「お茶のことじゃない。俺はセーラのその話し方のことを言ったんだ。こっちはもっと気軽に話してくれることを望んでいるんだから、そうしてくれないか? 普段はそんなふうじゃないんだろ? 俺はいつものままのあなたと話したいと思ってる。だから今夜も来たんだ」
セーラは不思議だった。
リオンとは昨夜初めて会ったばかりのはず。
それなのに、初対面の時からずっと、どうもそうとは思えないような距離の詰め方を求められてばかりな気がする。
――歌声を気に入って下さったのかもしれないけど、もしかしたら手紙を受け取った側のわたしが、仕事がやっと一人前になったばかりのこんな娘だと知って、戯れに相手をさせたいと思われているのかしら……。二度もわたしに会いに来て下さる理由が他に何も思い当たらないから、きっとそうよね。
そう思いかけたセーラに、
「セーラの方にばかり集まってるな」
リオンの指摘で、セーラは向かい合わせになっている自分の方ばかりに偏って妖精たちが集まっていることにようやく気づいた。
ふたりの間をふわふわと飛びながら、ひとつの光の玉がリオン肩の上にとまった。
そして妖精はリオンの耳元で……。
――セーラの気持ちが俺の方に向くようになるまでは、お前が愛でることが出来ないように、可愛いセーラを守ってるんだ、だと……? エドガーと違って、誰かと気安く関係を持つことをしてこなかった俺のことをよく知っていながら、こいつらは……。
リオンは妖精たちを心底また苦々しく思った。
「妖精たちは何と言っているのですか?」
「俺よりもセーラが好きだから、そばにいたいらしい。大体そんなようなことを言っている」
本当のことは口に出せず、リオンはとりあえず無難にそれらしく意訳してごまかした。
――この聖堂は国に安寧をもたらす重要な礎だ。今のセーラの仕事は国のために働いてくれていることと同じだ。俺はその大切な役目を担ってくれている相手に、幾ら好意を持ったとしてもそんな失礼なことなどしない。こいつらは俺を一体なんだと思ってるんだ……?
扱いの余りの酷さに、いつも以上にさえない気分になってきたリオンの胸中を知らない、セーラはもう一度口を開くと、
「ここには前はよく来られていたんですか?」
――セーラの声は歌声以外も美しいな。聴いているだけで癒されてくる。
リオンはそう感じながら頷くと、
「この聖堂に来ると子供のころに戻ったような気分になれるんだ。ここで誰かと過ごすと余計に……。それにこの聖堂の中では出自にとらわれず、常に誰もが平等のはず。それは祈り係や雑用係だけに限らないだろ? ならば俺だって同じ扱いでいい」
リオンは真っすぐにセーラの目を見つめながら言った。
心がからめとられそうになる眼差しで。
――戯れだなんて、そんなふうに思ってはいけなかったのね。この聖堂の中だから、わたしにも、いつものままでいてほしいと望まれているのね……。
セーラは自分との距離をなくそうとする、リオンの言葉の意味がようやく分かった気がした。
「聖堂の規律のことをよくご存じなんですね」
――遠い存在に感じる方のはずなのに、そばにいるだけでも、いつも守って下さっていると感じられたのと、同じ気持ちにまたなるなんて……。
そう思いながら、セーラは大切にしてきた聖堂の制服にそっと指先で触れた。




