地下通路、閉ざされた扉の向こうに
その日、夜になってから城の最奥に当たる自室にリオンは戻ってきた。
従者たちからの報告通りに、部屋の床に敷かれていた絨毯が、確かにまた忽然と姿を消していた。
どこへ持って行ったかは明白で、もはや聞くまでもない。
「お前たちに聞きたいが、セーラは『あの時』のことを覚えているのか?」
それはこれまで一度も口にしたことがなかった問いかけだった。
十三年前の血塗られた忌まわしい日のことについて、セーラの中から記憶が消えていることを願っていたのは、他ならぬリオン自身だったからだ。
妖精たちがリオンの耳元で囁きかける。
「……そうか、まだ覚えているのか」
苦い感情が込み上げてくる。
――ずっと願ってやまなかった。出来ればあの時のことなどすべて忘れ、幸せになってくれればいいと。
腕に覚えはあったが、盗賊との事件の時、自ら単身で切り込んでいくなど以ての外だと、あの後は従者たちには長年に渡って、随分こんこんと小言を言われ続けた。
周りの者に心配をかけたことは悪いとは思ったが、リオン自身は何も後悔はしていなかった。
自分はあの時、ひとりの幼い少女の命を確かに救ったのだ。
これ以上誇らしいことなど他にあるはずがない。
もっとも今はその当時のことさえ、懐かしく思えるほどに遠くなった過去だが……。
妖精たちがまた囁いた。
「セーラに会え? 俺本人が、か?」
そうだと妖精たちが言う。
「だが、もう一度会っても俺があの時の相手だとは名乗れないぞ。今の俺では圧迫感を与えるだけにしかならないからな」
夜更けになるのを待ってから、リオンは明かりを手にし、人目を避けて王宮の地下へと続く螺旋階段を下りて行った。
その先は代々の王族たちが埋葬されている霊廟へと繋がっている。
靴音さえ響く静寂の中、闇に閉ざされた霊廟の周辺には、地下特有の湿気を帯びたかび臭い空気が漂っていた。
灯りで照らしだすと、狭く細長い石造りの空間の中に、黒塗りの棺が整然と奥までずらりと並んでいるのが見えた。
この霊廟は地下に設けられた回廊によって、ガルディアン大聖堂の真下まで繋がっている。
王都を代表するふたつの大きな建物を繋ぐこの通路の存在を知るのは、王族とごく一部の側近たちだけに限られていた。
まだこの国が建国間もなかったころに、動乱を警戒して作られた、もはや忘れ去られた時代の遺構。
今はもう存在自体が必要なくなったその当時の名残りだ。
霊廟から離れると、足元を地下水が細く流れる通路に出た。
思えばこの道を通るのも久しぶりだった。
先代をつとめた病弱な父親に代わり、王位を継いだばかりのころは、この身にかかる重責が息苦しく、気分を変えたくて、よくこの道を通って、夜は誰もいない聖堂へ行った。
女神の加護が欲しかったわけじゃない。
ただ独りで息抜きができる場所が必要だったからだ。
――あれから随分経った。一度くらいならセーラと自分が直接会っておいてもいいだろう。直接会っても、俺があの時の相手だとは気づかないだろうしな。
霊廟と聖堂を繋ぐ通路の最も奥まった場所は、隠し戸の仕掛けになっており、霊廟側から常に頑丈に鍵がかけられているので、聖堂からは絶対に開けられない構造になっていた。
王宮からしか開けることが出来ない閉ざされた扉だ。
久しぶりに少しさび付きかけた軋む青銅の鍵をあけ、リオンは聖堂の中に出た。
ここはあの女神像の祭壇のある、ちょうど真裏にあたる。
――セーラを探そう。俺の姿を見て驚かれないといいが……。
リオンがひそかにガルディアン大聖堂の建物内に入ったころ、セーラは聖堂の広間の片隅でドールハウスの組み立て作業を行っているところだった。
妖精たちが重いものは任せて、とでも言うように、工具をちょうどいいタイミングで、作業の手が止まらないように運んで持ってきてくれる。
「住める家がもっと必要だろうから、頑張ってたくさん作るから楽しみに待っていてね」
セーラがこの聖堂で働き始めて間もなかったころよりも、姿を見せる妖精の数が増えていた。
ここの仕事に従事している他の者たちが全員帰宅した後、毎晩ささやかな夕食を終えてから、セーラはひそかにドールハウス作りを続けていた。
最初は自分の部屋で作業を行っていたが、次第に手狭になってきたので、今はこの広間を作業場として使っている。
昼間は使う道具や材料は物置に片付けてあるが、夜になると妖精たちが必要な物を集めてくれた。
だからセーラは夜になったら、その後についていくだけでいい。
不意に妖精がセーラの耳元に来た。
「どうしたの? 何かあったの?」
セーラにはリオンのようには、妖精たちの『声』は聴こえない。
だからその時、妖精たちが何を伝えようとしていたかが分からないままだった。
――もう間もなく、ここへ特別な相手がくるということが……。




