救世
腹の底に響くような地響きに驚き顔を上げれば、亀がその巨体を動かしていた。
大きさのわりに機敏な亀が、先ほどまでいた魔物達の方ではなく、人間達の方に向き直る。
「ひ、ひぃっ!?」
冒険者の中から叫び声があがる。
そしてわずかに香るアンモニア臭……どうやら意気地なしの誰かが漏らしたらしい。
ランパルドもビビってはいるが、彼はそもそもの前提を忘れてはいない。
この亀は、先ほどグリフォンに乗っていた少年が肩に乗っていたのだ……ということを。
しゅるしゅるしゅる……先ほどの光景を逆再生しているかのように、亀が小さくなっていく。
先ほどのサイズに戻った亀は再びふよふよと浮かび……そして少年の肩に乗った。
少年は一つ頷くと、グリフォンに乗って空へと駆け上がっていく。
冒険者が、遠くから街の行く末を見守っていた住民が、高く高く上っていく少年達を見つめる。
天駆けるグリフォンと、それに跨がるグリフォンライダーの少年。
あまりにも現実味のない出来事の連続に、頭の中の情報処理が追いついている者は誰一人としていなかった。
絶体絶命のピンチに現れたグリフォンライダー。
マーマンキングすら鎧袖一触で屠ってみせる、最強の亀。
人から話を聞けば、どこから突っ込めばいいのかわからないような話だ。
けど誰もが、目を離すことができずにいた。
その視線は自然と彼らを追いかけ、その顔には童心が宿る。
そう、それは……目の前の光景はまるで、少年の頃に母親から言い聞かせられた物語のようで。
どんな者でも憧れ、瞳を輝かせたことのある、英雄譚や叙事詩の一ページのようで。
誰もが目を離すことができなかった。
ある者は英雄を見つめるような眼差しで。
またある者は、自分が追いかけ、そして掴めなかった夢を見つめるように目をすがめる。
中には膝をついて祈り出すような者まで現れ始める。
「シナモンにお住まいの皆さん! そしてシナモンを守るためその剣を振ってくれている冒険者の皆さん!」
天高く、雲に手が届くほどの高度に達した少年。
はるか遠くにいるはずの彼の声は、魔法によって皆の下へ向かい、その耳に届いていく。
「国からの要請に従い派遣されてきた、一等級冒険者のブルーノです! エンドルド辺境伯の命に従い、魔物を殲滅します!」
(ブルーノ? ……聞いたことがないな)
ランパルドはいつか超えるべき目標として、自分より格上の一等級冒険者の名前は全員分頭に入れている。
少なくとも彼が暗記している名簿の中に、ブルーノという名前の人間はいなかったはずだ。 けれど疑問は湧いてはこなかった。
冒険者というのは、強さが全てだ。
あれだけの強さがあれば、冒険者登録をした瞬間に一等級に昇格させられたと言われても、なんらおかしなことではない。
「僕は――いえ、僕達は」
ランパルドが、新たな人影が現れたことに気付く。
気付けば頭上のブルーノの周囲に、新たな者達の姿が見えていたのだ。
どこから、どうやって、いつの間に現れたのか……そんなことを疑問に思う者は誰一人としていなかった。
皆、驚きの連続で完全に感覚が麻痺してしまっているのは間違いない。
そこにいたのは、五人の女性だ。
青と白の瀟洒な修道服に身を包んだ女性。
禍々しい漆黒の鎧鎧に身を包んだ女性。
熟練の冒険者のような佇まいをした、痩身な女性。
そして見たことのないほど美しい、淡く七色に光る鎧を身につけた謎の美女。
最後に自分の身体より一回りも大きなローブを身に纏う、魔法使い風の女性。
皆、恐ろしいほどに顔が整っている。
けれど少年や亀と同様、舐めてかかるのは危険だろう。
綺麗なバラには棘がある者だ。
そして何より彼女達はあの少年――ブルーノの隣に並ぶ者達なのだから。
「僕らは――一等級パーティーの救世者! 皆さん、力を合わせて魔物を倒しましょう! 今、この瞬間からが――僕達の逆襲の時です!」
ブルーノが拳を握り、手を上げた。
絶体絶命のピンチから助けられ、その戦いぶりを間近で見つめていた冒険者達は、誰からともなく手を掲げる。
そして皆が、ブルーノと救世者の名を高らかに叫んだ。
熱狂の渦は広がっていく。
後方でいざという時のために待機していた騎士達が手を叩けば、街で固唾を飲んで様子を見守っていた平民達が声を上げる。
それは正しく、新たな英雄の誕生の瞬間だった。
伝説の目撃者となった者達が、喉を涸らすほどに叫んだ。
怒号と悲鳴と歓喜の混じり合った声は大地を震わせ、興奮は熱狂へと変わっていく。
熱狂を生み出したブルーノは、恥ずかしそうにポリポリと頭を掻いている。
だが幸いにも熱された空気の中では誰もそれに気付くことはなく。
ブルーノの頬が少し赤らんでいることに気付いたのは、近くからそれを見つめているアイビーだけなのだった……。




