シナモンの冒険者
王国に五つある港町。その中でも最南の位置にあるシナモン。
青く宝石のような海と豊かな海産物から観光街としても有名であるその街は、現在存続の危機に立たされていた。
「グッギャアアオッ!!」
半人半魚の特徴を持つ魔物、マーマン。
マーマンにもいくつかの種類があるが、本来より少し濃い青の鱗を持つその魔物は、マーマンの上位種であるアマーマンという魔物の特徴だ。
アマーマンの討伐の目安は四等級。
つまり初心者を脱し、ベテランの域に達しつつある四等級パーティーが力を合わせてようやく倒せるという、決して弱くはない魔物だ。
だが所詮は四等級。
一匹であれば、それほど脅威となる魔物ではない。
そう……一匹であれば。
「ギャアアオオッ!!」
「ギイヤアッ!!」
「「「グッギャアアオッ!」」」
青、青、青。
視界いっぱいに広がる異常なまでの青。
海の青さとは違う、人工塗料のような青色が、海を塗りつぶてしまうほどに密集している。
数えることすら馬鹿らしくなるほどの、アマーマンの群れ。
群れをよく見れば色の薄くなっている部分がある。
恐らくあそこにいるのがマーマンだろう。
全体を通してマーマンよりアマーマンの方が多い。
そんなことは普通はあり得ないことだった。
「おおおおおおっっ!」
革鎧を身に纏う冒険者の男が、水際で両刃の斧を振り上げる。
そして自分目掛けて放たれたアマーマンのかみつきを避け、すれ違い様に己の得物を叩きこむ。
アマーマンは断末魔の叫び声を上げながら倒れ込んだ。
本当なら再度の一撃で完全に息の根を止めてしまいたいが、そんなことをするだけの余裕もない。
既に左から三、右から四、そして背後からも一、合わせて八匹ものアマーマンがやってきている。
「うおらっ!」
だが男はそれだけ多勢に無勢でありながらも、守勢に回ることなく、一気呵成に攻め立て続ける。
男は一見すると乱雑に見えるほど、力強く斧を振り回す。
だがよく見ればそれは力任せでは鳴く、技術の伴った斧術であった。
「はっはあっ! 弱ぇ弱ぇ! こんなもんかよっ!」
持ち手を変え、手首を捻っては刃の向きを変える。
片手で持ったかと思えば両手で持ち直し、一撃一撃がアマーマンの命を奪っていく。
時には斧を投擲することすらあり、またある時はアマーマンの死骸を盾に使うこともあった。
一つの戦法に囚われず、使える手や使えそうなあらゆる手を試しながら、貪欲に勝利を掴みに行くそのやり方は、正に冒険者そのものだった。
男はその顔に愉悦の表情を浮かべながら、ただただ魔物を倒していく。
彼の周囲には、みるみる死骸の山が築き上げていった。
「交替だ、ランパルド!」
「おうっ!」
縦横無尽に動き回り殺戮の限りを尽くし、快楽に酔っているようにしか見えない男――二等級冒険者のランパルドは、後ろから声がかかると同時に即座に全力で後退を開始した。
そして後続の人間と入れ替わりながら、目の前の戦場に目をくれる。
ソロで二等級まで辿り着いたその実力は、決して並大抵のものではない。
だがそんな彼ですら、攻めあぐねている。
他の状況を見ていても、それは明らかだ。
「数が多過ぎんだろ……」
「ディンッ! ――こんの、クソ魚人があっ!」
ランパルドの目の前で、また一人の冒険者がやられた。
アマーマンとまばらに散っているマーマン。
合わせてどれほどの数がいるのか、考えることすらアホらしい。
冒険者達は奮戦している。
だが既に戦いが始まってから三日以上経っている。
疲労は明らかに蓄積しており、その動きは以前と比べると確実に精彩を欠いていた。
「下がれえええいっ!」
男の大声が、戦場全体に響き渡る。
冒険者達はホッと安堵の息を吐きながら、思い切り後ろに下がる。
「「「ギャアアアアアッッ!」」」
いきなり攻撃が止んだことを不審に思うアマーマン達に降り注いだのは、魔法の雨あられだった。
後方で魔法発動の用意を終えた、魔法使い達による遠距離攻撃。
その威力は絶大であり、アマーマン達の大軍の中に明らかに大きな隙間ができるほどだった。
魔法攻撃により小休止を取ることのできた前衛達は、呼吸を整えてから再び戦いにその身を投じる。
「――ちっ!」
ランパルドは己の身体のように動かせる斧を使い、アマーマン達を次々と屠っていく。
人斧一体、彼の周囲にうずたかく積み上がっていく魔物達の死体。
だがそれでも、戦局を覆すには足りない。
戦場はたった一人の優秀な戦士がいれば変えられるほど、甘っちょろいものではないからだ。
戦線が崩壊することはないが、あちらこちらから冒険者達の呻き声が聞こえてくる。
今日もいつも通りに、厳しい戦いが続きそうだった。
魔物達は夜目が聞かないため、夕方の完全に日が落ちる前に水平線の向こうへと消えていく。一応、魔物の侵攻には時間制限があるのだ。
戦いを乗りきれば休息を取ることができる。頭でそれがわかっているから、ギリギリなんとかなっているという状況なのだ。
だが冒険者の数は日を追うごとに減っている。
その中には死ぬことを恐れ、いつまでも終わらない命がけの防衛戦から逃げ出した者もいる。
(バカな奴らだ。緊急依頼から逃げれば、冒険者としての未来が閉ざされることくらいわかってるだろうに)
依頼にはいくつかの種類がある。
その中で緊急依頼は、その名の通り非常に緊急性の高い場合に発行されるものである。
街や国事態に重大な問題が起こった時に、冒険者達を強制徴収するという内容だ。
冒険者などという武器を持ったならず者達が街で暮らすことが許可されている一番の理由は、有事の際に戦力としてカウントすることができるからである。
治安の悪化にも繋がりかねない彼らをそれでも受け入れているのは、それだけ魔物の被害に頭を悩まされているからである。
冒険者ギルドなどという武力組織の存在が認められているのは、いざという時に頼りになるからだ。
そのいざという時に戦えない冒険者に価値はない。
一度戦場から逃げ出した冒険者は、どのギルドであっても冒険者資格を剥奪され、二度とこの道で食べていくことはできなくなる。
(やってきた増援もやってきてはいるのだが、冒険者の数は日に日に減っている……さて、あと何日保つか)
ランパルド同様、冒険者達は粘り強く戦い続けていた。
やはりやる気が高いのは、彼と同様この街を活動拠点として暮らしてきた者達だ。
生きたアマーマンが同類の死体を踏み砕き、地面が血と鱗で青黒く変色していく。
戦闘をしている最中、時間が流れるのはあっという間だ。
好きなことをしていると、時計の針の進みは速くなり、嫌いなことをしていると遅々として進んでいないように見えるという。
(やはりこの俺に冒険者は天職らしい)
ランパルドがそんな風に思ったのは、気付けば真上にあった太陽がその高度を下げ、空があかね色に染まり始める様子を見上げた時だった。
戦いの終わりは近い、もうひと踏ん張りだ。
「我も出るぞ」
「グィンバルか……助かる」
ランパルドの隣へやってきたのは、グィンバルという名の魔法使いだ。
大気を震わせるほどの大声を出していた、魔法使い達を率いていた二等級冒険者。
彼が前線に出てくるということは、既に魔法使い達を指揮し、鼓舞する必要がなくなったということ。
恐らく魔法使い達が魔力切れになってしまったのだろう。
接近戦もそつなくこなせるグィンバルは、自分が指揮する必要がなくなれば駒として浮く。 戦いもそろそろ終盤と感じたからか彼は、自分と同様最前線に身を置きにきたのだろう。
「魔力は?」
「問題ない、そちらは?」
「満タンだよ、まだ一度も武技は使ってない」
「それは重畳」
二人はアマーマンの群れと戦っているとは思えないほど気楽な様子で、軽口を交わしながら魔物の死体を量産していく。
彼らの周囲に、ぽっかりと空間ができたようだった。
アマーマン達が二人を格上だと認識し、避けるように動き出したのだ。
そんなことをされても面白くないと、二人はアマーマン達の背を追いかける。
戦場においてこの場所でだけ、狩る者と狩られる者が完全に逆転していた。
この調子でいけば、昨日よりずいぶんと沢山の魔物が狩れそうだ。
そうにやついてたランパルドは、アマーマン達の動きに違和感を感じた。
(なんだ……?)
その違和感の理由には、すぐに思い至った。
マーマン達の波が、不自然に左右に割れているのだ。
まるで剣の極致に至った者が、海を断ち割る時のように、アマーマンが綺麗に左右に割れていく。
ぺたり、ぺたり…水かきが地面に触れる時の、妙に湿ったような音が聞こえてくる。
魔物達が開けた空間を悠然と歩いてくるのは、一匹の魔物だった。
「なるほど、親玉がいたわけか」
「これほど大量のマーマン種が統率されていたのは、こいつの存在にあったわけだな」
二人の前に現れたのは、紫色の体色をしたマーマンだった。
その体躯は筋肉質で、全長はアマーマンよりも一回りほど大きい。
手や足の指の間についている水かきは小さくなっており、見た目はより人間に近い。
頭にはサンゴでできた冠を被っており、首には赤と緑の玉を織り交ぜた首飾りをかけている。
マーマンキング――マーマン種の王であり、彼らを統率する魚人の王だ。
キングの名を冠する魔物の強さは、通常種とは隔絶している。
六等級のゴブリンの王であるゴブリンキングの強さが三等級。
四等級のマーマンの王であるマーマンキングの強さは二等級。中でも強力な個体の実力は、一等級に届きかねないほどとされている。
「こりゃ、他の奴らじゃ相手はできないだろうな……」
「だが俺とお前の二人ならやれる……違うか?」
「――違わねぇさっ!」
ランパルドとグィンバル。
二人は普段はソロで活動している、二等級冒険者としては珍しい変わり者達だった。
彼らは果敢に、戦闘態勢を取り前に出た。
まるでその心意気に答えるかのように、マーマンキングがその手に鋼鉄の杖を持つ。
冒険者にソロの者は少ない。
集団行動に問題があるか、性格に致命的な難でも抱えていない限り、他の人と組まない理由がないからだ。
そしてこの二人は、その道を選ばなかった例外達だ。
戦闘能力から偏屈さに至るまで、二人は互いの存在を認め合っている。
時たま共に依頼をこなすこともあるため、連携を取ることも問題ない。
「グラアアアアアッッ!!」
マーマンキングが一喝をすると、周囲にいたアマーマン達が下がる。
自分の戦いを見せつけようとする魚人の王と相対すべく、ランパルドは斧の握りを確かめる。
「大抜断!」
今まで温存してきた魔力を使うのは、今この瞬間のため。
一切の躊躇なく、ランパルドは武技を発動させた。
マーマンキングの冠が割れ、頬に縦の傷が走る――。




