勇者
レイさんが僕の部屋にやってきた。
寝間着なのか、着ているのはいつもの鎧ではなくて水玉模様のパジャマだ。
「パジャマは結構ファンシーなんですね」
「……安かったんだ、それに身が引き締まるし」
言葉の意味がよくわからなかったので、観察していると、よく見ると模様は水玉ではなく、デフォルメされたアイビーの顔だった。
……どうやらとうとうアイビーは、服飾のジャンルにまで登場し始めているらしい。
「みっ!」
ちなみにこの場所にはアイビーもいる。
もちろん、事前にレイさんからの許可はもらっている。
説明しておくと、僕とアイビーはベッドは別々だ。
彼女は時に自分のベッドで寝たり、床で寝たり、僕のベッドに入ってきたりと、やりたい放題に毎日を過ごしている。
「レイさん、それで話っていうのは……」
「ああ、あの元聖女――マリアがやってきた現時点で、改めて話をする必要があると思ってな。私の……正体について」
「レイさんの、正体……」
正直、まったく気にならなかったとは言いがたい。
考えてみれば、最初から謎の多い人ではあったのだ。
妙に方向音痴で、おまけに常識に疎く、とんでもないことをしでかす。
そのくせ王国で名の通った『龍騎士』ローガンさんに師事し、行動を共にするくらいに信頼は得ている。
噛みつき攻撃をしたサンシタの方が歯茎から血を出すくらいに身体が丈夫で、サンシタに勝てるだけの力がありながら、エンドルド辺境伯ですらその存在を知らない。
冒険者のような格好をしているが、冒険者についての常識がない。
謎のヴェールに包まれていたレイさんの、その正体――。
ごくり、と思わず唾を飲み込んでしまう。
けれどそんな風に緊張している僕を見て、軽く笑ってから、レイさんはこともなげに言った。
「私は……勇者なんだ」
「……勇者?」
「みみみっ?」
僕とアイビーは向かい合い、同じ方向にこてんと首を傾げた。
思ってもいなかった言葉が出てきた。
勇者というのは、おとぎ話に出てくるくらい有名な人物だ。
それを人物というのは正しくないかもしれない。
勇者というのは複数いるからだ。
人間が災害や魔物の被害といった苦しみに悩まされている時、彼らは決まって現れる。
ある勇者は悪しき龍を倒し、またある勇者は悪政を敷く王を倒して新たな国を作り上げたという。
勇者の話は、王国に住む人なら誰しも一度は聞いたことがあると思う。
幾分か脚色はされているだろうけれど、彼らは民達を救う救世主で、子供達の憧れで。
僕らとは縁遠い、どこか遠い世界の話だとばかり思っていた。
けどそうか、レイさんが……あの勇者なのか。
突然言われても、あまりぴんとはこなかった。
けど不思議と、違和感もない。
「なるほど、勇者だったんですか」
「ああ、今まで隠していてすまないな」
「いえいえ、勇者となれば隠さなくちゃいけないこととかもあるでしょうし、全然気にしてないですよ」
レイさんは、自信満々で胸を張っているいつもとは様子が違った。
彼女はどこか不安げで、自信なさそうに、僕らの方を見つめている。
こちらを窺う瞳には、どこか不安の色があった。
「……にこっ」
「みいっ!」
なので僕とアイビーは、彼女に笑いかけてあげることにした。
何も不安に思う必要なんてないのだと、そう教えてあげるように。
レイさんの心を、解きほぐせるように。
一瞬だけ強張った表情筋は、すぐに緩み。
レイさんはすぐに、いつもの調子に戻った。
「私が一世一代の打ち明け話をしたというのに……ブルーノもアイビー殿も、何も変わらないのだな」
「ええ、まあ。レイさんが勇者だから、何かが変わるわけでもないですし。……ね、アイビーもそうでしょ?」
「みいっ!」
魔王軍の幹部のアイシクルと元聖女のマリアさんがいるんだ。
ここに勇者が足されたって、今更何も問題ないさ。
「そうか……そうか……」
レイさんはそれだけ言うと、立ち上がった。
そして僕らに背を向けて、しばらく立ち尽くしていた。
その背中は少しだけ、震えているように見える。
けど僕らはそれに、気付かないふりをした。
しばらくすると、レイさんがくるりとこちらに振り返る。
「よし、今日は飲み明かすぞっ!」
レイさんの目は、少しだけ赤くなっていたけれど。
僕らはそれにも、気付かないふりをしたのだった――。