漆黒経典
「このアリストクラーツの街は教皇領であり、その代官がボルゴグラード男爵となっている。教皇はセリエの皇都におるから、ボルゴグラードが実質ここのトップということじゃな」
「ボルゴグラード男爵ってそんなにすごい人だったんですか!?」
「あのなぁブルーノ、妾は仮にも、両国の実質的な架け橋になる重要人物なんじゃぞ? そんな人の面倒を、木っ端役人に見させるわけにはいかんじゃろ?」
「た、たしかに……」
無知な僕に、カーチャが色々と説明をしてくれる。
彼女の説明は滔々としていて、詰まるようなところもなかった。
ここに来るまで、一体どれだけの情報を詰め込んできたのだろう。
ものすごい記憶力だ。
「まず、セリエ宗導国というのは、沢山の教皇領と教会領の二種類に分かれている。要は教皇直轄の部分と、教会に属している人達が持つ部分との二つあるわけじゃな」
さっき僕らを案内してくれたボルゴグラード男爵は男爵というだけあって爵位を持っている貴族なわけだけど、セリエでは貴族と教会が密接に関わっている。
その後の説明がかなり難しかったのでいまいちよくわかったとは言えないけれど……要約すれば爵位が高ければそれだけ教会内にも顔が利く、という感じらしい。
貴族が教会内で立場を持っていることも多いらしく、あのボルゴグラード男爵は助祭とのことだった。
「ちなみにセリエでの立場を権威が高い順に並べていくと、教皇、枢機卿、聖女、司教、司祭、助祭の順じゃな」
「王様から騎士爵まであるうちの王国と似ている感じですね」
「内実は全然違うけどの」
王国が王領と貴族領で成り立っていて、そこに宗教が入る余地はほとんどない。
一見するとトップがいてその下の人達が領地を治めているわけだから、王国とセリエのシステムは似ているようにも思える。
でもたしかに、間違いなくセリエの方が複雑だよね。
例えば伯爵の司祭と男爵の司教だとどっちが偉いのか、みたいな教会内の立場と実際の爵位が違う場合とか大変だろうし。
宗教に背かないように政治や領地運営を進めたりとかしようとすると、制限も多いだろう。
考えるだけで大変そうだ。
もしかするとセリエで立場ある人間のボルゴグラード男爵は、相当なエリートなのかもしれない。
「みいっ、みぃみぃっ?」
「でもそんな立場ある人間が、勝手に屋敷を抜け出していいの? と聞いています」
「うぐっ! そ、それは言いっこなしじゃ!」
それだけ言うとバツが悪そうに、カーチャは駆けだしてしまった。
僕らは笑いながら、彼女のあとを追うのだった。
「やはりセリエ宗導国の方が、王国より豊かじゃな」
「……? そんなすぐにわかるものなの?」
顔立ちが違うとか、着てる服の模様が違うとかはたしかに思うけれど。
どうしてカーチャは豊かさなんて曖昧なものが、すぐにわかったんだろう。
「少々待っておれ」
そう言うとカーチャは近くの露店へと向かっていく。
結界は張っているし、見える範囲にいる分にはいつでも助けられる。
彼女が屋台で何かを買っている様子を見つめていると――いきなり後ろから声をかけられた。
「失望……」
見ればボルゴグラードさんの護衛をしていた女性が、僕のすぐ後ろに立っていた。
多分、屋敷から抜け出さないか見張っていたんだろう。
僕らの動きは筒抜けだったわけだ。
「わしらの目の届く範囲であれば好き勝手してもらって構わんよ。ただ最近は『漆黒教典』のやつらも何やらきな臭い動きをしとるからの、できることなら屋敷に戻ってもらえるとありがたいんじゃが」
雑踏の中から、もう一人のおじいちゃんの護衛も現れた。
『漆黒教典』って……たしか以前、カーチャのことを暗殺しようとしていたセリエ宗導国の暗部を担う人達だったはず。
僕はカーチャを自国に招き入れた時点で、既に両国の和解はなっているものだとばかり思っていた。
何かが起こるかも、みたいなことを確かに言っていたけれど。
もしかするとこの国は……王国で住んでいた僕らが考えているよりずっと、危険な状態なのかもしれない。
「みいっ!」
カーチャの身を守る、と胸を張るアイビー。
――うん、彼女の言う通りだ。
僕らはカーチャがやりたいと思うことを全てやらせてあげて、その上で彼女を完璧に守り切る。
これが僕らが決めたルールだ。
二人は本当にただ忠告をしにきたらしく、そのまま雑踏に溶けるように消えていった。
僕らに話をしてくれたあたり、悪い人達じゃなさそうだ。
「おおいブルーノ……って、どうかしたのか?」
両手に何やら小麦粉を練ったような食べ物を持ちながらやってきたカーチャ。
首をコテンと傾げながらこちらを見上げる彼女の頭を撫でる。
「ううん、大丈夫、なんでもないよ」
そう、なんでもない……だから安心して、好きなようにはしゃいでほしい。
誰になんと言われようと、これが僕ら流の護衛なんだから。
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