魔王
彼はグリフォンだけではなくあの亀型魔物まで使役し、自分の力を使わずに大量の魔物達を殲滅している。
その力は、果たしてどれほどのものか。
彼の喉の奥に、見えない刃が突き刺さった。
そのつっかえの正体は、今までならばあり得ぬと一笑に付していた推測である。
(――あの者の力は、間違いなく魔王様に届きうる)
戦って勝てるだろうか。
いや、万に一つも勝ち目はないだろう。
それならば、私にできることは――キッシンジャーは自分に下された命令を、即座に思い出す。
彼は寸暇も惜しむよう高速で通信魔法を発動させた。
媒介となる魔水晶を用い、遠隔地へメッセージを送ることのできる特殊な魔法だ。
『勇者トハ、巨大ナ亀トグリフォンを使役セシ少年ナリ。至急調査サレタシ。ソノ者ノ爪牙、魔王様ニ届ク可能性アリ。我身命ヲ尽クシ、コレヨリ勇者ニ挑マントス』
あまり長くは送れないため、今伝えられるメッセージはこの程度が限界だった。
だがあれだけ強力にして巨大な亀と、人間達の間で神の使いなどとあがめられているグリフォンを使役しているとなれば、その情報を探すことは容易いだろう。
今のキッシンジャーでは届かぬとしても、自分よりも上の十指の誰かが、それでも無理ならば魔王様があの人間を誅してくれるはずだ。
本来ならば、今すぐに逃げて更なる情報をもたらすべきだ。
しかしそんなことを、目の前にいる敵が許してくれるとは到底思えなかった。
それに彼は幽鬼としては頂点に近い位置にいるとはいえ、所詮は一匹の魔物。
強い敵を見れば戦いたくなる、その衝動は抑えきれるものではない。
彼は自分が魔道具を渡したスウォームがどうなっているかなど確認もせぬまま、一人大きく空を飛んだ。
幽鬼と呼ばれる重量のない魔物である彼にとって、空を飛ぶことはなんら難しくはない。
彼は木々の葉を越え、徐々に近付いてきている夕暮れへ同化するように高度を上げていく。
そして一気に身体を前に倒し、少年目指して加速を開始した。
魔王十指を襲名している彼の飛行は、風を切り、音を置き去りにしてもなお速度を落とさない。
慣性の制御を手放し、一切の制止をせぬままただただ速度を上げていく。
彼の目的は、生き残ることではない。
勇者に一矢報い、あわよくば刺し違えることだ。
そのためあまりの加速に周囲の風が刃のごとくうなっても、キィンとした耳鳴りが身体の異変を届けても、その手を弛めはしなかった。
人間が魔物を使役するテイムの魔法は、あくまでもその人間と魔物をつなぐもの。
人間本体を殺せば亀とグリフォンの制御は解け、彼らは野生へ帰るはずだ。
(――それに一度直に、勇者とやらの実力を確認しておく必要もある)
自分が戦った情報は、生き残った魔物達の中の誰か、もしくはここでのぞき見をしているであろう他の十指達が汲み取ってくれるはずだ。
ならばここで私が一当てする意味は、確実に存在する――。
彼は亀を無視し、グリフォンの背に乗る少年だけを目指して自分の持てる全ての力を注ぐ。
この一瞬で全てが決まるとわかっているため、当然発揮するのは限界を越えた力だ。
魔力で構成されている彼の身体が、加速と衝撃によりゆらゆらと輪郭を失い始めた。
あまりにも急激に行使され続ける魔法に、魔力が既に底を尽き始めているのだ。
魔力の体を持つ彼にとって、それはあまりにも致命的な状態。
しかし彼は死を恐れるのではなく、今自分が死ぬこの一瞬のうちに起こったことを、誰かが確実に魔王に伝えることだけを願っていた。
幸い、亀の魔物の迎撃はなかった。
魔物達の対応に追われてか、それとも勇者の実力を信じているのか。
――近付いていた距離が、さらに近まり、零へと変わる。
加速以外一切の術式を使用していない、キッシンジャーの持てる魔力の全て、命すらも費やしたその渾身の体当たりは、少年の身体に当た……ることはなかった。
キィンという、魔法障壁が硬い物を弾く軽い音が響き、キッシンジャーの突撃は阻まれてしまう。
恐らくなんらかのカウンターを仕込まれていたのだろう、跳ね飛ばされる速度は先ほど自分が出せていた全力のその上をいっていた。
鼻から青い魔力を噴き出し、目を血走らせながらキッシンジャーが少年へ手を伸ばそうとする。
しかしその手は空を切り、彼は遠くまで吹っ飛ばされていく。
キッシンジャーは、少年がびっくりしたような顔をしているのを見た。
自分が狙われるとは、まったく予測していなかったとでも言いたげな様子だ。
それほどまでに無防備で、大した警戒もしていないはずの勇者の障壁に、自分の渾身の一撃がいなされた。
甲高い、耳障りな音が耳朶を打ち、そのまま全身を震わせた。
キッシンジャーは見た。
今吹っ飛ばされている自分を追いかけるかのように、幾つもの光の矢が円軌道を用いて自分の方へと飛んできていることを。
カウンターを食らいのけぞっている今、障壁や防御魔法を使うだけの余裕はない。
彼は周囲に地鳴りのように響く魔法の残響にかき消されてもなお、叫び声を上げた。
目の前に広がる光景と、それを生み出した者達への警鐘を。
「魔王様!! 奴らは……あの勇者は危険です、危険すぎます!! あやつらを倒さねば、我々はっ――」
その言葉が最後まで意味をなした言葉になることはなかった。
一矢が彼の目を突き刺し。
二矢がその喉元目掛けて弧を描き。
三矢が魔物の根源たる核を射抜き。
夥しいほど大量の矢が、彼の存在を消滅せんと降りかかったからである。
魔物を操っていた黒幕であるキッシンジャーが死に。
それに伴いスウォームにかかっていた暗示は解け、魔物の襲撃は収まった。
魔物達は互いに争いながら、再び昏き森へと帰っていく。
その後退に巻き込まれ、スウォームは還らぬ人となった。
あとに残ったのは踏まれ、飛び散り、混ざり合った魔物の死体と。
その惨劇を生み出した、二体の魔物と一人の少年。
そしてその背後に位置取りながらも、一度として戦う機会のやってこなかった冒険者達だけだった――。
【しんこからのお願い】
この小説を読んで
「面白い!」
「続きが気になる!」
「アイビー、強すぎ!」
と少しでも思ったら、↓の★★★★★を押して応援してくれると嬉しいです!
あなたの応援が、しんこの更新の原動力になります!
よろしくお願いします!




