vs魔王、そして……
階段を上っていく。
僕らが横に並べるくらいの幅はあるけれど、アイビーを戦闘に、レイさんと僕がその後ろをついていく形でいかせてもらうことになった。
コツコツと、階段を靴が叩く音だけが聞こえてくる。
各階をつなぐ階段は今まではそれほど長くなかったけれど、最上階につながるこの階段だけはまだまだ先が見えないくらいに長い。
(この先に……魔王がいるんだよね)
僕らは魔王を倒すために魔王城へやってきた。
だからここまで来れたこと自体は、とても嬉しい。
けれどここまで来れて、人心地つけただろうか。
別れた皆のことが気になってくる。
シャノンさんやサンシタは、無事だろうか。
他の魔王十指を相手にしても、問題なく勝つことができているだろうか。
もちろん信じていないわけじゃないけれど不安に思う気持ちというのは、なかなか自分だとコントロールのできないものだ。
アイビーが魔王に勝つかより皆が魔王十指を相手に勝ててるかどうかが不安だなんて、なんとも妙な話だとは思うけど。
(……なんにせよ、皆のことを信じるしかないよね。それにここで魔王を倒しさえすれば、確認しに行けるわけだし)
皆で頑張ったおかげで、アイビーはここまで一度も戦闘をしたり魔法を使うこともなくやってくることができている。
来る決戦に備えて、準備は万全だ。
階段を上っていく。
長いはずの階段も、緊張しているからかあっという間に終わってしまった。
そして階段が終わり、玉座の間へとやってくる。
そこには――
「……とうとうこの時がやってきたか……」
宝飾のあしらえられた椅子に座っている、偉丈夫の姿があった。
魔物の王というからにはもっとグロテスクな感じの見た目をイメージしていたけれど、魔王は思っていたよりずっとシュッとしていた。
その見た目はかなり人間に近い。
しゅるしゅると生き物のように動いている黒い尻尾がなければ、見た目だけでは魔王とはわからなかっただろう。
魔王十指は皆、いかにも魔物っぽい見た目をしていた。
彼らと比べると、魔王本人が一番人間に近い。
いやあるいは、彼の爪を飲んだからこそ、魔物達が人間の形を取るようになったのだろうか……?
(でも……とんでもない魔力だ)
その身体に秘めている魔力は、思わず身震いしてしまうほどに高い。
魔力量では僕がアイビーに次いで世界二位かと思っていたけれど、全快をした僕よりも魔王の方が魔力は高そうだ。
魔王というのは玉座の上でふんぞり返って僕達人間のことを馬鹿にしているものだと思っていたけれど、彼はただこちらをジッと睥睨するだけだった。
「さぁ、それでは私も、運命に抗うことにしよう……」
魔王が立ち上がり、玉座に立てかけてある大剣を手に取った。
そのサイズは優に二メートルを超えている。
彼くらいの大男でないと扱えないくらいに重たいようで、先ほどまで置かれていた床は重量であり得ない凹み方をしていた。
「――みいっ!」
アイビーは魔王の声に応えるように飛び上がると、一気に大きくなった。
謁見の間は閲兵式することができるようにするためか、とんでもなく広く作られている。
なのでアイビーは全力戦闘ができる本来の大きさに戻り、僕とレイさんは魔王と向かい合うアイビーを下り階段からジッと見つめている。
そして――
「ガアアアアアアアッッ!!」
「み゛い゛い゛い゛い゛っっ!!」
アイビーと魔王の最終決戦が、始まった――。
その戦いをなんと表現すればいいのか、口が達者ではない僕には、上手く言い表す言葉が見つけられない。
アイビーの使うことのできる魔法には、制限というものがない。
彼女は無尽蔵の魔力を持ち、現存どころか既に逸失しているはずの古代魔法まで、あらゆる魔法を使うことができる。
故に最強、そして無敵。
アイビーは僕が見たこともないような光の柱を呼び出したり、またいきなりまがまがしい扉から悪魔のような生き物を召喚したり、またある時は魔王そのものを洗脳して自傷行為をさせたりといった、今までに見たことがないような戦い方をみせていた。
というのもどうやら魔王には、通常の魔法攻撃が通用しないようなのだ。
どんな魔物でも容易く貫通してみせていた、彼女の圧倒的なまでの物量によるシングルアクションの魔法群。
驚くべきことに、あれを食らっても魔王はまったくダメージを受けなかったのだ!
故に彼女は魔王に効く魔法を探すためか、僕が見たこともないような魔法群を使いながら、魔王に着実にダメージを与えていく。
アイビーと比べてしまうと、彼女に相対している魔王は、ずいぶんとシンプルな戦い方をしていた。
巨体のアイビーにダメージが与えられるようないわゆる全体攻撃魔法を、アイビーの障壁を貫通できるだけの威力で放つ。
またアイビーが放つ魔法の弾幕をかいくぐり、切り捨てながら、アイビーの急所を狙って剣を振るっていく。
見るものすら圧倒するほどの、力と力のぶつかり合い。
僕達はそれを、呆気にとられながら見つめることしかできない。
まるで物語の一ページを見ているかのような光景に、上手く言葉が出てこない。
「すごいな……」
「うん。というかこれ……アイビーが悪者に見えるよね」
「たしかに……」
アイビーと魔王との戦いは、まるで巨獣と蟻の戦闘のようで。
食い下がってこそいるものの、魔王の一撃はアイビーに着実なダメージを与えることができていなかった。
というか最上級回復魔法を即時に多重展開できるアイビーからすれば、魔王がたとえどれだけ強力な一撃を放ってきても、即座に治すことができる。
魔王にも強力な再生能力があるようだけれど、アイビーはそこを攻略するための糸口を掴み始めているようだった。
先ほどまですぐに治っていたはずの魔王の身体にある傷が、消えることなく残り始める。
アイビーの使っている魔法が高度すぎるせいで何をやっているか完全にはわからないんだけど、どうやら相手の状態を固定する魔法を使って、傷を負っているという状態を維持させているようだ。
魔王の身体に傷が増えていく。
その巨体故に大量の魔王の攻撃を食らうことになるアイビーではあるが、彼女は傷を負ったところからたちまち癒やしてしまうため、目に見えて残る傷というのは一つとしてなかった。
どれほど戦いが続いたのだろう。
五分だろうか、十分だろうか、あるいは一時間にも及んでいたかもしれない。
徐々に、しかし確実に、戦いの趨勢は決まりつつあった。
どんどんと傷の増えていく魔王の動きは少しずつ鈍りつつあり。
対してアイビーは先ほどまでよりもパワフルに、魔法を使い続けている。
この光景をまったく事情を知らない人が見たら、アイビーと魔王の一体どっちが人類の敵なのかわからないだろうと思えるほどに一方的な戦いだった。
やっぱりアイビーは最強で。
たとえ魔王といえど、彼女にアイビーに食い下がるので精一杯な様子だった。
ずしゃあああっと音を立てて、魔王が地面に倒れる。
魔王はどう見ても、瀕死の重傷だった。
その身体から力と魔力が抜けていっているのがわかる。
「ふふ……やはり運命には逆らえなかったか。しかし私も運がない。まさか今になって全竜が復活するとはな……」
「全、竜……?」
なんだっけ、その単語。
どこかで聞いたことがあるような……?
「なるほどな……」
「知っているのか、レイさん?」
「ああ、有名な童話の一つだ。まさか本当に……だがそれだと納得できるのも事実だな」
レイさんの話を聞いて、僕はようやくその存在を思い出した。
全竜とは、国、人、魔物……あらゆるものを飲み込んだという、伝説の災厄のことだ。
かつてまだ王国もなかったような、今から何千年も前の話だ。
全竜は突如として現れた。
そしてこの世界の半分ほどを飲み込んで、そのまま死んでしまったという。
「アイビーが……全竜ってことですか?」
「……不思議に思ってはいたんだ。そもそもどれだけ稀少な亀だからといえ、魔王十指を容易く倒せるような存在がいるはずがない。そして実際アイビーは魔王さえ、苦戦することもなく倒してみせた。そんな存在がもし居るのだとしたら……全竜だとしてもおかしくはあるまい」
僕らが話をしている目の前で、魔王が事切れる。
たしかに魔王を倒せるというのは、よくよく考えると普通のことじゃない。
アイビーはもう色々と規格外だから大して気にしてもいなかったけれど……アイビーが全竜か、そっか……。
たしかにそう考えると、色々とつじつまが合うような気がした。
たとえばアイビーが魔王討伐に、最初はあまり乗り気ではなかったこととか。
魔王が自分の正体を知っていると考えたから。
それを僕に知られるのが怖くて、彼女はためらっていたんじゃないだろうか。
「みぃ……」
気付けばいつもの手乗りサイズに戻っていたアイビーが、ふるふると震えている。
そして少しだけうつむき加減になりながら、こっちを向く。
その瞳に涙が溜まっているのを見た瞬間、僕は思わず駆けだしていた。
アイビー。
君は、本当に……。
「アイビー、ほら……」
僕は苦笑しながら、アイビーのことを持ち上げようとする。
するとアイビーは……ブルブルと今までにないほどにその全身を震わせてから、
「みいいいいいっっ!!」
突如として、アイビーを囲うように光の球が現れる。
その光はどんどんと大きくなっていき、光を浴びた僕の意識はそこでなくなって――。
「ぎゃー」
そこに居たのは、一匹のトカゲだった。
よく見てみると、どことなく、アイビーに似ている気がする。
(これは、アイビーの……いや、全竜の、記憶?)
アイビーの面影を持つ全竜は、どんどんと大きくなっていった。
最初は周りに、仲間が居た。
同じトカゲの魔物の仲間達も、次第に疎遠になっていった。
どんどんと大きくなり、そして強くなっていく全竜に、誰もついてくることができなくなってしまったのだ。
「きしゃー……」
全竜は泣いていた。
涙こそ流してこそいないものの、その心で泣いていたのだ。
彼女はただ、遊びたいだけだった。
誰かと一緒にいたいだけだったのだ。
たとえ自分と同じ強さなんかなくてもいい。
そんなものなくたって、私が皆を守るから。
だから私を……一人にしないで。
全竜は寂しさを抱えながら、長い時を過ごすことになる。
トカゲより大きくなってしまったから、次はドラゴンの輪の中に入ろうとした。
けれど彼女は竜ではないから、仲間にはなれないという。
それなら他の生き物と仲良くなろうとしたが、誰も彼女と共に歩もうとしてくれる人はいなかった。
皮肉なことに、身体は日を追うごとに大きくなり、全身を漲る魔力は年月が過ぎるごとに加速度的に増えていった。
何百年もの歳月を生きたことで、全竜はどんな生き物よりも強くなった。
その間ただの一人も、共に歩んでくれることを見つけることはできなかった。
自分を利用する者や、自分を罠にかけようとする者なら、自分を倒して武勲を上げようとする者。
全竜に近付いてくるのは、そんな奴らばかりだった。
故に全竜は、俗世そのものと関わることを止めた。
けれどその間にも全竜はますます大きく、そして強くなっていく。
そしてとうとう全竜は、世界に対する脅威そのものになった。
人も、魔物も、ドラゴンも、あらゆる生き物が全竜を殺そうと襲いかかってくる。
いかに最強といえど、世界全てを相手取って勝てるほどに無限の体力があるわけではない。 それに全竜自身も、全てを敵に回して戦い続けようなどというつもりもなかった。
そして全竜の生は終わりを告げる。
傷だらけになった全竜は思った。
強さなんて必要ない。
私は、ただ……。
そして全竜は死ぬ。
けれど、全竜の持つエネルギーの総量はすさまじいもので。
たとえ殺されても、その存在を完全に世界から消し去ることはできなかった。
そして数千年ののちに生まれることになるのが……全竜の転生体である、アイビーだったのだ。
アイビーは正確に言えば全竜ではない。
ただその力と記憶の一部を引き継いだだけの、新種の魔物だ。
全竜だった頃の記憶も、ほとんど残ってはいない。
けれど生まれたばかりの彼女には、明確に覚えているものがあった。
それは――寂しさだった。
誰も自分を理解してくれない寂しさ。
一人でいることで感じる孤独感。
誰とも精神的なつながりをもてないという、寂寥感。
故に幼い彼女は、自分が普通の亀とは違うということをわかっていても、それでも亀の群れの中で過ごし続けた。
そしてそれが――僕らの出会いのきっかけになる。
縁日に出されていた、亀掬いの屋台。
そこでテキ屋のおじさんが入れた群れの中に一匹だけ居た、不思議な亀。
僕は彼女に、一目惚れをしてしまった。
「こっちにおいで、アイビー」
そこにいるのは、小さな頃の僕だった。
まだちっちゃなアイビーはすうっと僕の下へ泳いでいく。
その胸の中にあるのは、期待だった。
前世とは違いまだ裏切られるようなことも、利用されるようなこともなく、アイビーは良い意味で純粋だった。
屋台で自分を掬おうとする人達の欲深い視線や、テキ屋をやっているおじちゃんの視線が嫌だったアイビーは彼女は重力魔法を解除して、僕の求めに応じてくれる。
ただひたすらに誰かといたいという純粋な気持ちでいっぱいだった彼女と、僕は長い時間を過ごしていくことになる。
それからは、僕も一緒に見てきた思い出の連続だ。
アイビーが大きくなりすぎても僕の肩に乗ってこようとしたり。
アイビーのせいでお母さんと喧嘩をすることになったり。
アイビーを恐れた村の皆が冒険者に討伐を依頼して、結果としてゼニファーさんと出会うことができたり。
僕は冒険者になって、アイビーはその従魔になって。
サンシタが仲間になって、レイさんと出会って、アイシクルもテイムして。
たしかにそれは、本来求めていたのんびりとした生活とはちょっとズレていたかもしれない。
けれどアイビーの隣にはいつだって、僕がいた。
だから寂しさを感じることもなく、過ごせていた。
そしてこんな日がずっと続けばいいと……そうアイビーは、思っていたのだ……。
「みぃ……?」
意識が戻ると、どうやら僕は座り込んでいるようだった。
下を向いてみればそこには、こちらを見上げているアイビーの姿がある。
どうやらアイビーも今の光景を僕に見せるつもりはなかったようで、とにかくあたふたしている。
アイビーは不安だったんだろう。
自分がもし全竜の転生体であることがわかったら。
魔王すら倒せてしまうような存在であることがわかったら。
僕が離れていってしまうんじゃないかと。
「……バカだよ。君は本当に……大バカ者だ」
キュッと、アイビーの身体を抱きしめる。
彼女のひんやりとした身体が手のひらに吸い付く。
ささくれ一つない綺麗な甲羅を撫でると、アイビーが喉の奥を鳴らすのがわかった。
「君がどんな存在だろうと……関係ない」
潤んでいたアイビーの瞳から、ぽたりと一粒の雫がこぼれ落ちる。
僕はそれをスッと親指で掬い取って、
「僕達は……ずっとずっと、一緒だ――」
「――みいっ!」
そうして僕達は、二人で笑い合う。
泣き笑いをしながら抱き合う僕達を、レイさんは少し離れたところから、優しい目をして見つめているのだった――。