vsバーナード
四階まで上がると、先ほどまで床がなかったのが嘘みたいに、足下に地面が広がっていた。
そう、地面である。
僕らを待ち受けていたのは整然と整理された魔王城ではなく……鳥型魔物の鳴き声が聞こえてくる、火山地帯だった。
さっきの空の階もそうだけど、ここも空間が歪んでいる。
本来の広さでは再現が不可能なものを構築し直しているみたいだ。
周囲に茂っている尖った葉がついている木をかき分けながら歩いていく。
木々がそこまで密生しているわけではないおかげで、魔物の奇襲を考えなくていいのはありがたかった。
四階で出てくる魔物は、この場所が火山地帯だからか、火魔法を使ってくる個体が多かった。
口からマグマを吐き出すボルケーノワイバーンや、炎を全身に纏っているフレイムオーガといった、火属性の魔物の姿が目立っている。
やはり基本的には二等級で、その中にちょこちょこと一等級が入ってくる感じだ。
気持ち三階層と比べても、一等級が出てくる頻度が上がっている気がするってくらいの違いかな。
『ブルーノの兄貴』
「……ん? サンシタ、どうしたの?」
サンシタはここで魔王十指と手はずになっている。
なので僕は一旦彼から下りて、一緒に併走しながら魔物と戦っていた。
魔物を蹴散らしてから振り返ると、サンシタが僕のことをジッと見つめていた。
その感慨深そうな顔を見て、僕もなんだか少し我に返ることができた。
『あっしとはここでお別れですね』
「……そうだね。でも、またすぐに会えるよ」
『なんだか、初めて会った時が懐かしく思えやす』
「たしかにね……」
どこか遠くを見つめている様子のサンシタ。もしかすると昔のことを、思い出しているのかもしれない。
サンシタとは、なんやかんやでアクープの街に来てからの知り合いだ。
一緒に居る時間も、アイビーに次いで長い。
アイビーを頼りになるお姉さんとするなら、サンシタは出来の悪い弟みたいな存在だった。
気付けば僕も、脳裏に彼との思い出を浮かべていた。
シャノンさんとアイビーにボコボコにされているサンシタ。
皆から餌付けされている理由がわからず、なんだか嬉しそうなサンシタ。
レイさんの手にかみついて、歯茎から血を出しているサンシタ。
そしてしょんぼりとしながら、自分の木彫りの人形を作っているサンシタ。
これは本当にグリフォンとの思い出なんだろうか。
自分の記憶を疑いたくなってしまうくらいに、変なことばかりだ。
けれどだからこそ、こうして時間が経っても鮮明に思い出せるくらい、しっかりとした思い出になってくれている。
きっと変わっているっていうのは、悪いことではなくて。
そのおかげで得られるものや与えられるものも、たくさんあるんだと思う。
『あっし……群れを抜けてきて、良かったです。ブルーノの兄貴やアイビーの姉御と出会えたあっしは、幸せ者です』
聞けばサンシタは、グリフォンの群れに居づらくなって一人で群れを抜け出してきたのだという。
彼はいつも陽気で何があってもへこたれないと思っていたけれど、昔の話をしている時のサンシタには、少しだけ影が差していた。
人にもグリフォンにも、歴史はあるということみたいだ。
「でもどうしたのさ、そんな今生の別れみたいに」
「みいっ!」
『そうよそうよ』という感じでアイビーも頷く。
するとサンシタはへへっと笑いながら、自分の身体を軽く毛繕いし始める。
それは彼が恥ずかしがっている時によくやる仕草だった。
『なんででしょうね。お礼なんて、こんな時にしか言う機会もありませんから、つい言いたくなっちまったのかもしれやせん』
「そっか、そういう時もあるよね」
『はい、そういう時もあるんです。これでも、男なんで』
サンシタがくるりと振り返る。
そこにはいつも彼が嫌がっている、レイさんの姿があった。
魔王を倒す勇者は、基本的に魔物から嫌われることが多い。
アイビーはそうじゃないけれど、サンシタはその例に漏れず、レイさんのことを嫌っていた。
『おいレイ。あっしはここで別れるが、それはあんたが勇者だからです。ブルーノの兄貴とアイビーの姉御の隣にいるのは、あっしなんですからね』
「何を言っているかはわからんが……わかっているとも、二人のことは私に任せておけ」
『この女、全然話が通じてないでやんす!?』
サンシタの声は傍から聞いているとガルガル唸っているようにしか聞こえないので、悲しいことにレイさんにはまったく話が届いていなかった。
そんな風に一方通行の意思疎通を見守っているうちに、四階の階段へとたどり着いた。
階段が位置しているのは、火山の麓。
本来なら溶岩が堆積しているであろうところに不自然に穴が空き、階段が続く形状になっていた。
そこに仁王立ちで立っているのは、真っ赤なアフロヘアーをしている筋骨隆々の大男だ。
「俺は魔王十指、右第三指のバーナード。ここを通りたくば、俺のことを倒していくんだな!」
バーナードは、全身から炎を発していた。
よく見るとアフロヘアーも髪がもこもこなわけではなく、炎がもこもこしているように広がっているのだということがわかる。
「……と、言いたいところだが、魔王様から直々に言われていてな。誰か一人ここに残れば、先に進んで構わんぞ」
『ブルーノの兄貴、ここはあっしが』
そう言うと、サンシタが一歩前に出た。
彼を見たバーナードがそれを見て、にやりと笑う。
「俺の相手はグリフォンか……闘志があるやつは嫌いじゃないぜ、よしそこのひょろひょろ共は通っていいぞ」
僕らからは興味がなくなったのか、サンシタだけをジッと見つめているバーナード。
なるべく刺激しないようにゆっくりと動いていると、背中からサンシタの声が聞こえてくる。
『ブルーノの兄貴、アイビーの姉御……今まで、お世話になりやした』
「今生の別れじゃないんだから。だから……またね、サンシタ」
「みぃみぃっ!」
『はい……また、後で』
階段を上る僕達は、振り返る。
するとバーナード越しにサンシタの姿がこちらに手を振っている様子が見えた。
その様子の無邪気さを見ると、なんだか気分が軽くなってくる。
こうして僕らは五階へと向かう。
来る魔王十指との戦いは、着実に近付いていた――。
『兄貴、そして姉御……』
サンシタは歩いていくブルーノ達の背中を見つめていた。
彼は時折、考えることがある。
今の幸せな毎日は、実は夢か何かなのではないか。
実は目が覚めると自分は、あのグリフォンの集落で眠っているだけなのではないかと。
彼にとってブルーノ達と出会ってからの日々は、毎日が刺激の連続で。
そしてそんな風に思ってしまうほどに楽しく、かけがえのないものだった。
「今生の別れじゃないんだから。だから……またね、サンシタ」
「みぃみぃっ!」
先ほど言われた言葉が、サンシタの頭の中に何度も何度も駆け巡っている。
また会えるだろうかと思い、いや違う。なんとしてでもまた会うのだ、と強い気持ちを持つ。
『あっしは勝ちやす、なんとしてでも』
故にサンシタは、その瞳の奥に決意を漲らせていた。
いつもの彼らしくない真面目くさった、悲壮感すら感じさせる顔をしながら、バーナードの顔をジッと見つめている。
「人間と魔物に忠義を誓うグリフォンか……物語の一節みたいで、感動するじゃねぇの」
サンシタの覚悟の決まった目を見たバーナードが笑う。
彼の笑い声に合わせて、頭の炎が、メラッと強く燃え盛る。
どうやら頭の炎の強さは、感情と連動しているようだ。
『あっしは負けません。最初から全力で行きやす――っ!』
サンシタの修行内容とは、エルフの里に行き魔法についての造詣を深めるというもの。
その後の戦闘訓練も含めて、エルフ達と共に行動をしていた。
その成果を発揮するかのように、サンシタの眼前に、六つの魔法陣が生まれ出す。
赤・青・橙・緑・白・黒。
サイコロの六の目のように、横に三列、縦に二列という均一の距離感で並んでいる魔法陣達が、突如として動き出す。
まるで歯車をかみ合わせるかのように、横の魔法陣と重なり、三つの大きな魔法陣が生まれた。
そして三つの魔法陣が今度は縦に重なり、一つの大きな魔法陣になった。
先ほどとは異なり虹色の強い輝きを宿す魔法陣に、サンシタが魔力という形で命を吹き込む。
『虹色の輝く吐息!』
そして魔力による衝撃が、不可避の一撃となってバーナードへと命中した――。
彼は元より、魔法を使うことができた。
けれど学んでいくうちに火炎を吐いたり爪の貫通力を上げたりといった魔法は、魔法技術そのものの奥深さからすると、かなり初歩的なものだということがわかってくる。
それを知ることができたのは、嫌になるほど受けてきたエルフの里の講義のおかげである。
『そもそもの話、魔物が使う魔法というものは人間や我々エルフが使うものとは異なっています。魔物は高い身体能力や、一晩寝れば傷を治せるだけの再生能力を持っています。それは魔物が魔力との親和性が非常に高く、またその体内に大量の魔力を持っているからです。だというのに魔物の中に、強力な魔法を使うことができるものはほとんどいない。我々の言葉では魔力撃や魔力放出などとも言われる、元からの魔力との親和性に飽かして行われる力任せに事象改変を行うくらいが関の山なのです』
『な、なるほどでやんす……』
エルフの魔法技術は、サンシタが知っている人間のそれと比べてもはるかに発展している。
そしてその発展を支えているのは、系統的な分類や、数えるのも馬鹿らしくなるほどの学術用語によって記される論文や基礎研究であった。
それら全てを覚えていくのは、元からあまり物覚えの良くないサンシタにとってはとにかく疲れるものであった。
だがサンシタは決してふてくされることもなく、真面目に勉強に励み続けた。
全てはアイビーとブルーノと一緒に居たいという、その一心からである。
そしてその結果、彼は魔物であるにもかかわらず、エルフの扱う高度な魔法技術を身に付けるに至ったのである――。
サンシタが放ったのは、複合属性魔法である虹色の輝く吐息だ。
全属性の魔法を重ね合わせ、そこに更に己の純粋な魔力を加えることで七つの魔力を重ね合わせ、その相乗効果による破壊をまき散らすことのできる、現在のサンシタが放つことのできる最強の遠距離用魔法である。
「ぐうっ……今のは、効いたぜ……」
けれどサンシタの一撃を食らっても、バーナードは倒れてはいなかった。
――それを見たサンシタは覚悟を決める。
サンシタは実に多様な魔法を使うことができるようになった。
けれど純粋な威力で言えば、この魔法が彼が放つことのできる最大威力の魔法である。
これで勝負が決まらない時点で、サンシタは自身の奥の手を使うことを決める。
――そう、彼には奥の手がある。
彼が持っている鬼札は、使えば勝負を決められるが、同時に自身の身を多大な危険に晒すことになる。
なので使わずに済めばそれが一番良かったのだが……
(流石にそんなに甘い相手じゃあない……格上を相手に勝とうとするんなら、相応のリスクを負わなくちゃいけやせん)
バーナードの全身は、焼けただれたように皮膚が崩れている。
けれど彼の頭がボッと強く燃えると、その傷が塞がり始めていた。
回復魔法も使えるとなれば、魔力の総量が少ないサンシタに持久戦での勝ち目はない。
――なのでこの一撃で決めに行く。
自分の最大の一撃を食らって相手がふらついている今この瞬間が、最高にして最大の好機だった。
『行くでやんす!』
サンシタは一度軽く息を吸ってから、バーナード目掛けて駆けだし始める。
身体強化の魔法は使っていないため、純粋な脚力による疾走だ。
その速度は、先ほど放った虹色の輝く吐息と比べてもずいぶんと遅い。
けれどその身体が、うっすらと光り始めていた。
一歩地面を踏みしめる度、土にできる足跡が大きくなっていく。
そして足取りはだんだんと力強くなっていき、歩数が十を超える時にはその速度は明らかに速くなっていた。
駆ける度駆ける度、サンシタのスピードは上昇していく。
そして彼の全身を覆う光もまたどんどんと強くなっていった。
「おいおい、なんだよそいつは……」
未だ完全に傷が癒えきっていないバーナードの顔がひくつく。
魔王十指の彼をして、その威力と速度の上がり方は明らかに異常そのものだった。
魔物は、魔力との親和性が高い生き物だ。
魔物には二種類居る。
魔力によって変質した元は普通の生物だったものと、魔力のみによって構成された純正の魔物とだ。
グリフォンはこのうち、後者に分類される。
グリフォンはその存在そのものが魔力によって構成されているため、魔力との親和性が非常に高い。
それは魔法を覚えずとも初歩的な魔法を使うことが可能であり、そしてサンシタの使うことのできる奥の手とも関係がある。
バリバリと、サンシタの周囲に満ちる魔力が迸り始めた。
そして光は直視することが難しくなるほどに強く輝き……サンシタと一体化していく。
周囲に展開している魔法と、彼そのものの輪郭の境目が消えていく。
そして彼の身体は――光となった。
大地にサンシタの足跡がつくことはなくなった。
その脚は大地を踏みしめることなく、サンシタはただ一つの光線として魔力という推進力のみを使って空を飛んでいく。
今のサンシタは、魔法という現象そのものだ。
故にサンシタはただバーナード目掛けて発射された魔法として、光の速度で直線距離を突き抜けていく。
これこそが、サンシタが放つことのできる奥の手。
身体そのものがほぼ全て魔力によって構成されている一等級の魔物が、エルフ達が発展させた魔法技術の粋を使うことによって放つことのできるようになった必殺の魔法。
自身を一つの魔法として射出する、その奥義の名は――。
『――英雄と共にある者!』
バーナードは必死になってその一撃を避けようとするが、速度はサンシタの方が速い。
それならばと迎撃の態勢に入るが、魔法としての威力はサンシタの方に圧倒的なまでの分がある。
そして一筋の光が、己の敵を撃ち貫いた。
「あ……が……」
故に実にあっけなく、半分魔力化したサンシタの肉体はバーナードを貫通し、そのまま内側で弾けた。
そしてその場所には、
「み、見事……」
バーナードは本来持っている力を発揮させることなく、倒れた。
放たれ拡散した光が、一箇所に集束していく。
そしてその光はゆっくりと時間をかけて、サンシタの形になっていった。
『はあっ、はあっ……な、なんとか、勝てたでやんす……』
光はちらちらと明滅するが……そのままサンシタの身体が再構成されることはなかった。
まるで不定形の液体のように、サンシタの肉体の輪郭がぼやけてしまったまま時間が過ぎていく。
『や、やっぱり、ダメだったでやんすか……』
彼が奥の手として開発したこの魔法は、自分の魔法の師であるハイエルフのアラエダからも厳しく使用を制限されていた。
魔力によって構成されている身体を魔力に戻し、自身が持っている魔力と合わせて一つの魔法として射出する。
この技の最も危険なところは、魔力になった己の身体を魔力に戻せるかどうかがわからないところにある。
魔法として放たれることで魔力の総量は減少するし、魔法は拡散してしまえば元の魔力には戻らない。
故に一度魔法に己の身体を作り替えてしまえば、己の身体を再構築できるという保証がないのだ。
だがサンシタはそれでも、この技を使うことを選んだ。
ブルーノとアイビーに託されたから。
彼らの隣に立てるようなグリフォンになりたかった。
たとえそれで、自分の命が危険にさらされることになったとしても。
『あっしは……お役に立てたでしょうか……?』
サンシタの身体が、光の粒子になって消えていく。
そして……
「みぃ」
小さな声が、聞こえた。
それは出来の悪い弟分を叱っている時のような、厳しくも愛に溢れた声音をしていて。
光が、一箇所に凝集していく。
まるで散らばってしまったジグソーパズルを一つに作り直していくかのように。
そして光が収まった時、そこには……
『すぅ……すぅ……』
満足げな顔をしながらよだれを垂らして眠っている、サンシタの姿があるのだった――。