それぞれの修行
ドアの先に広がっていたのは……見たことがない森の中だった。
木々が鬱蒼と茂っていて、紫や赤といったいかにも毒々しい感じの葉っぱをつけている。
遠くからは獣のうなり声なんかも聞こえてきていて、聞いたことがないほど大きくて生理的な嫌悪感を抱かせる咆哮も聞こえてくる。
どうやらかなり色々な種類の魔物が跋扈しているみたいだ。
とりあえず……先に進むしかないよね。
『みいっ!』
「アイビー、来てくれたの……って、なんだか透けてる!?」
アイビーも一緒に来たのかと思ったけど、よく見ると違うことはすぐにわかった。
だって彼女の身体が、、向こう側にある青色の果実が見えるくらい透けてるんだもの。
「アイビー本体はこっちに来ない。僕一人でこの森を抜ければいい……ってことで合ってる?」
『みみっ!』
透けているアイビーが、僕の考えを肯定するように頷く。
ぱあっと僕の目の前の地面が光り出したかと思うと、そこに背嚢が現れる。
中を確認すると、どうやら食料や寝袋と言った生活必需品が入っているようだ。
アイビーの身振り手振りを使った説明で、なんとなくやるべきことが見えてくる。
どうやら僕はここで大量の魔物を相手にしても戦い続けることができるだけのガッツやスタミナ、そして良い意味での気の抜き方を鍛えればいいらしい。
魔王島へ到着してから魔王城にたどり着くまで、そして城の中に入ってから魔王十指に出会うまでにも、恐らく沢山の魔物と戦う必要がある。
そこで下手に疲れて来る決戦のタイミングで疲れていては本末転倒だ。
というわけで僕へ与えられた第一の修行は、ここで彼女なしでもしっかりと戦えるようになっておくことということらしい。
現在、僕とアイビーの魔力量は完全にリンクしている状態にある。
そしてアイビーの魔力は今まで一度として切れたこともなく、彼女の魔力量は実質無限に近い。
そんな風にハンデをもらってるわけだから、こんなのクリアできて当然だよね。
もちろん修行はこれだけで終わるわけではなく、アイビーが世界各地を見て確認してきた最強クラスの魔物達と戦う第二段階、アイビーとひたすら戦い、彼女相手に白星を点けられるようにするための第三段階という風に続いていくらしい。
つまり僕の目標は――純粋な強さで、アイビーを超えること。
たしかに地上最強の彼女を倒すことができるようになったのなら、魔王十指だって問題なく倒すことができるだろう。
アイビーは本気だ。
心配はしているようだけど、僕を過酷な環境に追い込む手を緩めるつもりはないようで、覚悟の決まった顔をしている。
だったら僕も、腹をくくらなくちゃ。
思い切り自分の頬を叩く。
よし、ここからが――僕の英雄としての、第一歩だ。
「GYAAAAAAAO!」
僕は空から急降下してくるドラゴンを見つめながら、魔法発動のための準備を整える。
そして――
「パイルライトアロー!!」
ドラゴンへ放った光の矢が、僕のサバイバル生活スタートののろしになるのだった――。
救世者のメンバー達は、アイビーが用意した転移の扉によって、それぞれがまったく別の場所に飛ばされることになる。
そして全員がその転移先で、魔王十指と戦うことができるようになる強さを手に入れるための特訓を行うことになるのだった――。
レイという少女は、どこにでもいる普通の女の子であった。
しかし世界は彼女に、魔王を討伐する勇者という肩書きを与えてしまう。
それによって少女の生活は一変することになる。
自身が勇者であることが判明してからの彼女の生活は、修行と戦闘に明け暮れるだけの単調な日々の繰り返しだった。
自分がどれだけ強いのか。
果たして自分に、魔王を倒すことはできるのか。
そしてそれより何より、周囲からの期待に応えられないのだけは絶対に嫌だという強い気持ち――。
そんな日々は、レイという少女の精神を確実に摩耗させていた。
気丈に振る舞うことも多く、ともすれば男装の麗人のように思われることも多い彼女ではあるが、その心は決して強くはない。
物語に出てくるような勇者と比べても、決して鋼とは言えないメンタルを持つ彼女は、誰からも追い込まれる日々を過ごしていた。
もしあのままの日々が続いていたとおすれば、いざ魔王と戦うとなった時に果たして彼女は自身の役目を果たすことができたか……。
正直、不可能に近かっただろう。
けれど彼女の人生は、ある日突然一変することになる。
とある亀と少年との出会いは、文字通り彼女の運命を変えたのだ。
勇者として王国の一流の人材達に育てられたはずのレイは、アイビーとブルーノに完膚なきまでに破れた。
そこで彼女の勇者としての自信は粉々に打ち砕かれ……そしてそれ故に、ただのレイとして自然体で日々を過ごすことができるようになった。
気負っていた時には気付けなかった世界や人の優しさに触れることができるようになった彼女の考え方は、良くも悪くも変わった。
それによって変わったことも、変わらなかったこともあるが、全体を通してみれば良い変化だと、自身では思っている。
アイビーやブルーノという今の自分では届かない遙か先にいる人間がすぐ側にいるからこそ、彼女は今までにないほどに余裕を持ち、冷静な判断を下せるようになっていた。
故に今の自分にできることと考えて各国を飛び回りながら連携を説いていたし……その結果があまり芳しくないからこそ、アイビーからの呼び出しに対して躊躇することもなく飛びつくことができた。
彼女は転移の扉をくぐる時も、なんら不安を感じてはいなかった。
以前と比べて楽観的になったレイは、まぁなんとかなるさと軽い気持ちでドアをくぐり――。
「ん、ここは……?」
一瞬の意識の明滅。
消えかけていた意識は瞬時に覚醒し、レイは自分が何をしようとしていたのかを思い出す。 握っていたドアノブの感触が消えたことに気付く。
そして改めて覚醒した意識であたりを見回してみる。
「ここは……闘技場、か……?」
彼女が言う通り、その場所は闘技場に酷似していた。
ドーム状になっている施設には段々になっている観客席があり、中央部には選手が立つためのステージが一段高く設置されている。
ステージ手前の階段にいることに気付いたレイは、とりあえず階段を上ってみることにした。
上にたどり着くと、そこには二本の白線が引かれていた。
恐らくは対戦相手が向かう合うためにある、一対の線。
そのうちの一つを踏みしめながら、向かいにある空間を睨む。
『みいっ!』
どこか遠いアイビーの声が聞こえてくる。
どうやらこの闘技場の中のスピーカーを通して聞こえてくるようで、本人の姿は見えなかった。
アイビーの声音は真剣で、レイは覚悟を決める。
これから何が起ころうとも平常心でいてみせると腹をくくった彼女だったが……その決意は、あっけなく打ち砕かれる。
パアアアアアッッと突如としてあふれ出す光。
その光源は、自分の向かいにある白線のあたりだった。
目を閉じることなく見つめていると、次の瞬間――。
「おーっほっほっほっほ!」
聞き慣れたうっとうしいことこの上ない声が、ステージを震わせる。
そしてレイの眼前に、アイシクルが現れた。
「どういうことだ……? 私とお前の扉は、同じところにつながっていたということか?」
「いいえ、それは違いますわ。今の私は、アイビーさんの魔法によって生み出されたただの幻です。……といっても、実体もあれば扉をくぐった時点の私とまったく同じ強さは持っていますけれど」
「アイビー殿の魔法は……そんなことまでできるのか。相変わらず底が知れないな……」
レイは目を凝らして確認してみるが、向かい合っている相手の見た目はどこからどう見てもアイシクルそのものだ。
その腹立たしい声から整った顔に、ひらひらと細かく動いている羽まで……偽物だと言われても、信じきれないほどによくできている。
だがレイは目の前のアイシクルが本物ではないことを、理性ではなく本能で理解した。
レイはアイシクルのことが嫌いだ。
けれど嫌いだからこそ、彼女の性根というものをよく理解している。
覚悟を決めてあの扉をくぐったからには、アイシクルもまた強くなるための過酷な環境下に身を置いているはずだ。
「まずは私、そして次は……僕」
先ほどまでアイシクルだったはずの幻影が、ぐにゃりとその姿を変える。
そして一瞬のうちに現れたのは、冷たい瞳をした少年だった。
年齢はブルーノと同じくらいなのだろうが、その身に纏う覇気は、レイですら背筋に寒気を感じるほどのものだった。
「そして最後に僕と戦って……それが終わったら、アイビーが直に稽古をつけてくれるから」
謎の少年の影は、次に見慣れたブルーノの姿を取る。
彼もまた、本物と寸分違わないほどに似ていて、レイはアイビーの魔法のありえなさにため息が出てきてしまう。
(謎の空間を生み出し、そこに実物と変わらぬだけの実体を持った幻影を生み出す……そんなことができるアイビーは、一体何者なんだろうか?)
それは過去、幾度となく感じてきた疑問だった。
アイビーは彼女ただ一体しか前例のない、新種の亀だということは知っている。
けれどその上で、こうも思うのだ。
――いくら新種で珍しい魔物とはいえ、勇者や魔王十指を瞬殺できるような魔物が、存在するものなのだろうか?
もしかすると、彼女は――。
「……っと、いかんいかん。今はそんなことを気にしている場合ではなかったな」
レイはそこまで考えて、思考を中断する。
そこから先にどんな答えが出ようとも、レイのアイビーに対する感謝の気持ちは変わらない。だからその先の思考に、意味などないのだ。
彼女とアイビーが本来であればレイが背負わなければならないものの大半を背負ってくれているおかげで、今の自分はのびのびと動くことができている。
その事実だけで、レイには十分だった。
「準備はよろしくて?」
「ああ、それならこちらから――いかせてもらうっ!」
レイの剣閃が、光の尾を引きながら疾る。
それに迎撃すべく、アイシクルの幻影は硬質化させた己の爪を剣に打ち付けるのだった――。
グリフォン、それは空の覇者とも呼ばれる、一等級の凶悪な魔物だ。
ドラゴンやヴァンパイアと共に魔物の最強種の一画を成している存在であり、本来なら畏怖と共に語られる災厄級の魔物であるはずのだが……グリフォンは時に、人間の味方として描かれることもある。
かつての英雄や勇者と呼ばれる者達の中には、グリフォンにその力を認められ、その背にまたがって空を駆ける存在がいた。
そしが伝説やおとぎ話の中で度々語られるようになったことで、グリフォンライダーであることは一種の権威すら持つようになり、グリフォンに認められた人間は周囲からの尊敬の意を集めるようになっていく。
つまり興味深いことにグリフォンは恐怖の対象でありながら、同時に人間種にとっての光でもあるのだ。
そんな奇妙な存在なのだが……アクープの街で暮らすとあるグリフォンの扱いは、今まで人と共にあったどんなグリフォン達と比べても極めて異質であった。
皆から三下グリフォン兼かませ犬兼愛玩動物として親しまれているグリフォンのサンシタ――彼もまた、自らの殻を打ち破るために扉をくぐり抜けた救世主のメンバーの一人である。
今でこそ街の子供達からおじいちゃんおばあちゃんに至るまで幅広い層からの人気を獲得しているサンシタだが、彼はグリフォンの中では、そこまで耳目を引くような存在ではなかった。
というよりむしろ、彼は他のグリフォン達から明らかに浮いていた。
孤高の存在であるドラゴンとは異なり、グリフォンは比較的社会的な魔物である。
個々が高い知能を持つ彼らはある程度の社会性を持ち、群れを作ったり集団行動を取ったりすることも少なくない。
サンシタが生まれた場所ではボスに率いられた三十匹ほどのグリフォンが近くにある洞穴に住み、餌を分け合ったり番を組んだりしながら社会生活を営んでいた。
そんな中、サンシタは集落には属しながらも、ほとんど意思疎通をすることもなく常に孤独だった。
どのグリフォンも彼のことを敬遠して、あまり近寄ろうとはしなかったのだ。
その理由は彼の生い立ちに起因している。
――彼は元ボスグリフォンの子供だったのだ。
だが彼の父だった個体は現在のボスグリフォンと戦い、そして殺された。
故に彼は群れ全体から腫れ物のように扱われていたのだ。
本当なら親を殺されたボスを恨んでもいいのだが、幸か不幸かそれは彼がかなり幼生だった頃だったこともあり、サンシタに恨むような気持ちはなかった。
むしろ死なないようにしっかりと自分のことを育ててくれたことには、感謝すらしていた。
しかしサンシタにとってその空間は、決して居心地のいいものではなかった。
さりとて親殺しのボスグリフォンを殺せるほどの実力もなかった。
故にサンシタは個体として成熟した段階で群れを、抜けることにした。
『さて……何をしやしょうかねぇ……』
けれど元々我が強い方でもない。
自分でも群れを作ろうなどという考えは、父の悲惨な末路を知れば出てくるはずもない。
故にサンシタは孤高のグリフォンとして、ただ生き物を狩って生き続けることにした。
短いながらも色々とやってきた餌の確保の中で最も効率がいいと感じたのは、人間の荷を狙うというものだった。
人間は殺さずに生かして逃がせば、飽きもせずにえんえんと荷物を運んでくる。
そのやり方に味をしめたサンシタは街道の近くにたむろしては人間の貨物を襲うやり方に味をしめ――そしてアイビーとシャノンによって、今までにしてきたことの報いを受けることになる。
ボコボコにされたサンシタはアイビーによってテイムされ、そしてブルーノとアイビーの舎弟になり……色々とありながらも、悪くないと思える生活を送っている。
『思えばあっしは、誰かと関わりを持ちたかっただけだったのかもしれやせん』
群れを出てからのサンシタは、意思疎通ができる生き物は殺さず、狩りで殺すのは知能を持たぬ獣じみた魔物に絞っていた。
思い返してみればそれは、グリフォンでなくとも構わないから、誰とでも良いからコミュニケーションを取りたいと思っていたが故の行動だったのかもしれない。
ブルーノの従魔としてアクープの街で暮らすようになってから、サンシタの生活は大きく変わった。
グリフォンとは恐れの対象でありながら、同時に英雄の象徴でもある。
故に彼は最初、皆から恐れられた。
けれど彼の名前がサンシタに決まってからというもの、なぜか皆がサンシタに対して非常にフレンドリーに接してくれるようになった(もちろん馬鹿にしてくるようなやつらには、それ相応の態度で接していたりもする。無論ブルーノ達に迷惑をかけないように、手加減をした上での話だ)。
殊勝なことだと自分への貢ぎもの代わりの餌をもらったり、撫でさせてほしいという子供達の願いに応えて仕方なく腹部をもふもふさせてあげたり、けれどレイやアイシクルの登場によって立場を脅かされたり……アクープでの毎日は、刺激的で楽しいことの連続だった。
そしてそのお膳立てをしてくれたのは、自分を従魔として登録してくれたブルーノと、自分をボコボコにしてくれたアイビーのおかげだ。
『ブルーノの兄貴とアイビーの姉御には、返しきれないほどの恩ができやした。それにやっぱりあっしは……二人の隣に、立っていたい』
けれどサンシタの中には、グリフォンという魔物が持つ終生の性質も備わっている。
闘争を求める彼の血は、ブルーノ達が赴こうとしている激闘の地へ、自分も交わることを求めて止まなかった。
ブルーノ達の隣に立つため。
彼らの役に立ち、恩を返すため。
そしてグリフォンとして、まだ見ぬ強敵と戦うため。
サンシタは扉をくぐり抜ける。
その先にあったものは――。
『あれ、ここは……』
サンシタがやって来たのは、見たこともない森の中であった。
ただ木々は雑然と無秩序に広がっているのではなく、一定の間隔で規則的に並んでいる。 明らかに人の手が入っている、整えられた森林。
その中央部には、見上げるほどに大きな一本の樹が生えている。
『なんてデカさだ……』
見上げてもまったく先が見えない、あまりにも大きな巨木。
よく見ると、樹自体が薄く発光している。
ここまで異質な樹は、一度として見たことがなかった。
『みいっ!』
『ア、アイビーの姉御っ!?』
何をすればいいのかわからず途方に暮れかけていたサンシタの目の前に、アイビーが現れる。
ブルーノの時と同じく、後ろ側が透けている幻影体である。
『みっ!』
うっすらと透けているアイビーが、ふよふよと浮かびながら空を飛んでいく。
サンシタはとりあえず、彼女についていくことにした。
整然と並んでいる樹木が左右に均等に並んでおり、その間の地面は均されていた。
街道とまでは言えないが原始的な舗装がなされている道を進んでいくと、その先にはサンシタを出迎えるためにたたずんでいる一団があった。
『あれは……エルフってやつですかね?』
『みいっ!』
こくこくと頷くアイビーが、サンシタに先んじてエルフの一行の元へと向かう。
そして何やらやりとりをすると、そのままちょいちょいっと手招きをしてきた。
『サンシタ様でございますね、アイビー様から既に事情は聞き及んでおります』
『このエルフ――直接脳内にっ!?』
普段はアイビーとブルーノ以外とはジェスチャーでやりとりをしているサンシタだったが、目の前のエルフとは何故か意思疎通を行うことができた。
どうやらこれも、魔法の力ということらしい。
『私ハイエルフのアラエダと申します。アイビー様からのお求めに応じ、今日からサンシタ様はこのエルフの里で魔法の訓練に励んでもらいます』
サンシタは一等級の魔物であるグリフォンであり、強靱な肉体や魔法耐性を持っている。
それらは全て内側に秘めている莫大な魔力によって可能となっており、サンシタは魔力を利用することで炎を吐き出したり爪を硬化させたりといった簡単な魔法も使うことができている。
けれど彼は、まだまだ魔力の使い方を真の意味で理解してはいない。
故にアイビーがサンシタの特訓メニューとして用意したのは、エルフの里での、魔法の特訓であった。
『アイビーの姉御、あっしのために……(うるうる)』
『みみっ!』
『頑張ってね!』という感じで手を振りながら、アイビーの幻影が消えていく。
薄くなっていく幻を見ながら瞳を潤ませていたサンシタだったが、一度深呼吸をしながら目を閉じ、そして再度開いた時には、その瞳は決意の炎に燃えていた。
『待っていてくだせぇ! あっしは絶対――やり遂げてみせます!』
こうしてサンシタもまた、強くなるための日々を送ることになるのだった――。
『昆虫女王』の異名を持つアイシクル。
彼女が自我を持ってからの時間は、実はさほど長くない。
どこからどう見ても大人にしか見えない彼女だが、実はその年齢はサンシタよりも若く、この世に生を受けてからまだ五年も経過していないのだ。
アイシクルが魔王十指になったのは、実はかなり偶然の側面が強かった。
彼女が他の十指と異なり、他の魔物達と交流を持っていないのは、その生い立ちに起因している。
魔王十指は魔王の爪を飲み込み、それを身体に適合させることで魔王の力の一部を手に入れることで生まれる。
そして死ねば再生を止めていた魔王の爪が再び生えるようになる。
しかし物事には例外がある。
魔王十指になるために魔王の承認を必要としない方法が一つだけあるのだ。
――魔物が魔王十指を直接食べてしまった場合、その魔物が魔王の爪に適合することができれば、魔王十指になることができる。
だがこれを知る人は少ない。
そしてアイシクルはこのやり方で魔王十指の座に収まった珍しい魔物だった。
アイシクルの以前に魔王十指左第三指だった魔物は、既に往年の力を失っていた。
魔王の座を奪い合うために行っていた他の魔物との争いの中でその力をほとんど使いつくし、後は余生を送るのみとなっていたのだ。
魔王も彼には新たな役目を与えようとはせず、余生を過ごすことを許した。
そして天寿を全うし、今正に死に絶えようというところで……一匹の昆虫型の魔物に食べられたのだ。
その魔物の名は、キラービークイーン。
フェロモンを操り配下のキラービー達を自由に動かすことのできる、三等級魔物である。
鋭い歯を持つその魔物はギチギチと歯を鳴らしながら、魔王十指を生きたまま食らった。
そして――『昆虫女王』アイシクルが生まれたのだ。
アイシクルが自我というものに芽生え、己のアイデンティティを持つようになったのはその瞬間からである。
彼女はキラービークイーンとしてもかなり若い部類であり、魔王十指としては最年少にあたる。
彼女は唯一現在の魔王が魔王となった後に十指になった個体であり、完全なイレギュラーによって生まれた個体だったのだ。
アイシクルは以前にも倍する力を持ちあらゆる昆虫系の魔物を自在に操ることができるようになった。
それはどちらかといえば個ではなく群としての強さであり、彼女自身の純粋な戦闘能力は他の十指と比べるとさほど高くはなかった。
序列的には左手指の中では真ん中であるにもかかわらず、その実質的には力は左第二指の『颶風』のベルトールにも劣っていた。
ただ強さでは劣っていてもその分だけ柔軟な思考を持っており、良くも悪くも魔物としての常識に囚われない側面も多かった。
魔王十指として、魔王軍を束ねる存在として各地を転戦したこともない彼女は、魔物との交流自体が薄く、通常の魔物ではあり得ないような結論を導き出すことがあった。
そしてそれ故に彼女は、常に孤独であった。
魔王十指であるために魔物からは恐れを持って接されるが……ただそれだけ。
魔物として異質な考え方と、強力な力。
この二つを併せ持つ彼女と共に時を過ごしてくれる存在は、一人としていなかったのだ。
けれど彼女の孤独の時間は、そう長くは続かなかった。
そして常識に囚われない彼女は、ただ一人、魔王十指にもかかわらず人間側の勢力へ加勢することになる。
もちろんそんなことが起こる確率は、万に一つにも満たない極小の可能性の先にある。
そもそもの話、魔王十指をテイムすること自体が不可能なのだから。
しかしながら、アイビーの辞書に不可能の文字はない。
結果として奇跡にも似たアイビーの魔法により、アイシクルへのテイムは成功した。
そしてアイシクルは魔王十指でありながらブルーノとアイビーの従魔になるという、普通であれば屈辱的な状況に陥った。
もちろん最初は憤っていたのだが……そこは良くも悪くも常識に囚われない彼女だから、順応するのも非常に早かった。
結果としてそこから先の彼女の日々は、魔王十指として魔物達からは恐れられてきた頃では想像もつかないほどに、穏やかで健やかなものに変わっていく。
アイシクルのことを怖がる人はほとんどいなかった。
サンシタ然りアイビー然り、インパクトが強い魔物が大量に出過ぎているせいでアクープの人間の感覚が完全に麻痺していたのだ。
おかげでアイシクルは人型の魔物として、実にあっさりと受け入れられることになる。
そして昆虫型の魔物であれば自由に動かすことができるという才能に目をつけたのが、エンドルド辺境伯とゼニファーである。
二人との共同開発でアイシクルはキラービーに本来であれば蜜を収集しない花からも蜜を取らせるようにすることで、魔糖蜜の甘さを自由にコントロールすることを可能にしてみせたのだ。
糖度を上げることも下げることも可能になったことで、エンドルド辺境伯領では用途に応じて使い分けることのできる魔糖蜜が新たな特産品になった。
実力主義の街であるアクープは、結果を出したものには非常に寛容だ。
元々の容姿が人間目線ではかなり整っていたこともあり、アイシクルが人気になるまでにはさほど時間はかからなかった。
アクープでの日々は、アイシクルが人知れず求めていたものであった。
故に彼女は人間により強い親しみを持つようになっていく……人を守るためならば、その力を魔物にも振るうことを躊躇いはしなくなるほどに。
そんな彼女は、あのレイ達との共闘以来自分の実力不足を痛感していた。
戦闘面以外で役に立てるところはたしかに多かったが、彼女も元はキラービークイーンであり、そして魔王の爪を飲み込んだ魔物のうちの一体である。
以前言っていた強くなりたいという気持ちや、他の魔王十指を追い越したいという気持ちに、決して嘘はないのだ。
故にアイシクルは、魔王十指として、そして同時に救世者の一員として、強くなることを求め扉をくぐった。
優雅に空を飛びながらドアの向こうの世界へと向かったアイシクルの先に待っていたものとは――。
「あら、ここは……?」
アイシクルの視界の先に広がっているのは、見たことがないほどにおどろおどろしい雰囲気をした空間だった。
空は紫色に濁り、地面には青と茶の混じったような毒々しい沼地が広がっている。
全体が瘴気とでも言うべき濁った空気に満ちていて、過ごしているだけで気分が悪くなるようだった。
「め、目がっ! 目が染みますわぁっ!」
どこからかやってきた煙を顔に浴びて半泣きになるアイシクルが力を発動させる。
一瞬身体が光に包まれたかと思うと、次の瞬間には身体の皮膚や甲殻を自在に操る力を使い、即席のガスマスクを作ってみせた。
「ふぅ、なんとかなりましたわね……」
『みいっ!』
「――って、アイビーさん!?」
当座をしのぎホッと一息ついていたアイシクルの目の前に、透け透けアイビーが現れる。
彼女の説明を受けて、アイシクルはふむふむと頷いた。
「なるほど、フェロモンを自在に使いこなして、ここの魔物達を私の傘下に置けばいい、ということですわね」
アイシクルが出すことのできるフェロモンは、昆虫型の魔物を自在に操ることができる。
けれど実はこの力はまだ全体の一部でしかない。
彼女が食べた魔王十指の能力は、あらゆる魔物を己の指揮下に加えることができるというものだった。
つまりアイシクルは、キラービークイーンだった頃の延長線にある力の一部しか使いこなすことができていないのだ。
彼女の修行内容とは、本来の十指が持っていた魔物を自在に指揮下に加える能力に更に自分の持つフェロモンの力を使いこなすことで――あらゆる魔物を、自分の意のままに動かすことができるようにするというものだ。
もしそれができるようになれば、アイシクルの戦闘能力は格段に向上することになる。
流石に戦う魔王十指を自在に操ることはできないだろうが、それでも動きをある程度制限することならできるようになるかもしれない。
そして彼女一人では勝つことができなくとも、強力な魔物達を多数従えることで群として挑み、勝利を掴む。
それこそ自分の目指すべき到達点だ……そうアイシクルは確信する。
「待っていてくださいまし、皆様方……私だって、やればできるってところを、お見せ致しますわ!」
アイシクルはその翅を羽ばたかせながら、周囲の魔物を己の制御下に置くため、フェロモンを振りまくのであった――。
一等級冒険者、シャノン。
彼女の来歴は、他の救世者達とメンバーと比べるとそこまで波乱に満ちたものではないかもしれない。
田舎の寒村に生まれた彼女は身分に関係なく、腕っ節さえあれば英雄にだってなれる冒険者になることを夢見ており、そのまま周囲の反対を押し切って上京してきた。
やってきた時の彼女は、どこにでもいる普通の冒険者志望だった。
取り立てて特別な才能があるわけではなく、魔法の才能も皆無に等しい……その能力値も、普通の一言だった。
冒険者になりたての彼女を見てその才能を見抜けた人間は、恐らくほとんどいなかったことだろう。
冒険者になった人間の末路は、基本的には悲惨なものだ。
分をわきまえず夢破れ道半ばで倒れるか、それとも志半ばにして自らの限界に気付き諦めてしまうか……上京しても夢を見続けることができる人間は、ほんの一握りだ。
けれど彼女は、そんな風にわずかに生き残るその一握りの中に入ってみせた。
最初は鈍足だったものの、途中からはその実力をメキメキと上げてて頭角を現していき……あっという間に一等級冒険者への階段を駆け上がってみせた。
もちろん運も良かったのだろう。
だが彼女には実は、運を引き寄せる方法があったのだ。
シャノンには、人に言っていないとある秘密がある。
――彼女は自身の直感に従って間違ったことが、今までで一度もないのだ。
果たしてこの依頼を受けるべきか。
どちらの道を進むべきか。
手に入れた魔道具を、果たして己の身体に埋め込んでもいいものか。
些細なことから、自身の一生を左右するほどに重大なものまで、どんな問いにも彼女は直感で答えを出す。
常人であれば悩むであろう問題の前にあっても、シャノンは傍から見ていて恐ろしいまでの即断即決をして、更に恐ろしいことに常に正解を選び続ける。
彼女はその異能とも呼ぶべき力を遺憾なく発揮させながら、全力疾走を続ける。
シャノンは決して悩まない。
ただ自分がしたいように、自分の直感に従って動く。
命の危険と天秤にかければ断るべきだったグリフォンをどかす緊急依頼を受けたのも。
ブルーノ達と行動を共にして戦地へと向かったことも。
そして今こうして、躊躇なく扉を開いているのも。
全ては自分の直感に従ったまでのこと。
故にシャノンは気負わない。
果たして彼女を待ち受ける試練とは――。
「ここは……山、かな?」
ドアをくぐってからシャノンが意識を覚醒させると、そこは岩肌の露出している山の斜面だった。
高度の高いところにいるおかげで、自分がどこにいるのかはすぐに理解することができた。
どうやらここはいくつかの山が連なっている連峰のようで、目の前には山頂が見えている小ぶりな山がいくつも連なっているのが見えた。
「これは……」
シャノンが手を出すと、その上に白い何かが落ちてくる。
一瞬雪かと思ったが、触れても冷たさを感じない。
シャノンは実物を見たことはなかったが聞いたことがあった。
火山は大きな溶岩だけではなく、それを砕いて細かくした白い灰も噴き出すことがあるのだという。
だとすると目の前の白いこれは、火山灰というやつなのだろう。
「とすると近くに……」
見下ろせる位置にある連峰のうちの一つに、明らかに周囲と一線を画している山があった。
ドロドロと真っ赤なマグマをゆるやかに噴き出しながら燃えるように煙を吐き出している。まず間違いなく、今も活動している活火山だろう。
目を凝らしてみると、その山頂に二つの影が見える。
そのうちの一つはアイビー、そしてもう一つは――。
「何、あのドラゴン。あんな大きいの、見たことない――」
小山ほどのサイズがある、馬鹿げた大きさをしたドラゴンだった。
その全身は白色なのだが、よく見ると鱗の一枚一枚に薄い虹の膜がかかっている。
自分がもし名付けるなら、パールドラゴンかな。
そんな風にどこかのんきに考えながら観察していると、シャノンの視線に気付いたからか、二匹が彼女の方を向く。
そしてアイビーはふよふよと浮きながら、巨体なドラゴンは翼をはためかせながらこちらに飛んできた。
シャノンが今までに見たことがあるのは、ドラゴンの中では最下層にあたるワイバーンやデミドラゴンと呼ばれる存在だけだ。
故にこちらに迫ってくるドラゴンが、とても美しく見えた。
『アイビー様、こちらの人間が……』
『みいっ!』
ドラゴンの視線がシャノンを射貫く。
その鋭い瞳には人間にも負けぬほどの……いや、人間すら凌駕しかねないほどに理知的な光が宿っていた。
『シャノン殿、でよろしいか?』
「はい、シャノンと言います。よろしくお願いします」
普段は誰に対してもざっくばらんな態度で通すシャノンだったが、彼女の直感は告げていた。
目の前のドラゴンを、決して無下に扱うようなことがあってはならない……と。
『アイビー様たっての願いということで、私が貴方に稽古をつけましょう。我は古代七竜が一柱、魔導竜のフラムと申す者』
「こ、古代竜……冗談、じゃないのよね……」
ドラゴンにはいくつかの等級がある。
まず始めにワイバーンやデミドラゴンなどが列せられる最下級の亜竜。
次に一般的に伝えられている魔物としてのドラゴン。
更にその上に、属性竜、古代竜と続いていく。
属性竜から上のドラゴン達は寿命という概念を超越する完全生命体であり、実在しているのかも定かではない竜達の住まう山、昇竜山にて俗世と関わることなく生活を送っているらしい。
中でも古代竜というのは、存在すら危ぶまれているほどに人目につくことのない存在だ。
古代竜とはその存在自体がおとぎ話の類であり、寝耳語りでしか聞くことがないような伝説上の生き物だ。
シャノンも目の前の竜の尋常ではないプレッシャーを浴びてなお、信じ切れないほどに。
(でも古代竜とアイビーが……どうして顔見知りなの……?)
色々と気になるところはあったが、そんな思考はフラムを名乗る古代竜の圧倒的な存在感の前に一瞬で霧散した。
「なんでも魔王の配下を倒したいとか。安心されよ、私の下につくからには配下とは言わず、魔王に一矢報いることができるまで育て上げてみせましょうとも」
「お、お手柔らかにお願いします……」
こうしてシャノンは人類史史上初めて古代竜の弟子となった。
その結果や、いかに――。
元聖女であったマリアと、その護衛であるハミル。
二人が扉をくぐった理由は、それぞれ違っている。
マリアという少女は、いつでも誰かの平和を願っていた。
元聖女というのは伊達ではなく、彼女は性根からして温和で他人のために動くことのできる女性だ。
それ故に彼女がアイビーに言われるがまま扉を開いた理由も、非常にシンプルだ。
マリアは救世者のメンバーとして港町のうちの一つに出向き、そこで傷ついている冒険者や騎士達を癒やした。
けれどそこで彼女は、自分の限界に歯がみすることになったのだ。
当然ながら、助けない命があることを目の当たりにするのは初めてのことではない。
そもそもの話人ができることに限りがあり、全てを救うことができるのは神のみに許された御業であることは、マリアも承知の上だ。
けれど彼女は今までと同じように強い悲しみを覚え……そして同時にセリエ宗導国で聖女として活動をしていた時には感じなかった、強い焦燥感を抱くことになる。
その一番の原因はやはり、アイビーとブルーノという彼女以上の回復魔法を使うことのできる存在が身近にいたことにある。
自分にもまだのびしろがあるのではないか?
もっと多くの困っている人達を助けることができるのではないか?
日々大きくなっていく自分の心の中の思いを、だんだんと抑えることができなくなっていく日々の中で現れた、絶好の機会。
それにマリアは、一も二もなく飛びついたのだ。
そしてマリアに常に付き従うハミルの思いも、非常に単純だ。
――マリアと共に歩いていく。
彼女の気持ちは、その一言で言い表すことができる。
たとえそれがマグマの中であろうと、光届かぬ水の中だろうと。
故にそれがどれだけの危険を孕んでいようが、それはハミルの足を止める理由にならない。
ハミルは以前、暗殺者であった。
とある組織に属していた彼女は無事に対象を殺すことには成功したのだが、そこで下手を打って逆撃を受け、死にかけたのだ。
瀕死の状態のハミルの前ににふと通りかかり彼女を助けたのが、誰であろうマリアだった。
その清らかな生気に当てられ、ハミルは光の道を進もうと決める。
そして闇の世界から足を洗い、自分を助けてくれたマリアと共に生きることを誓ったのだ。
マリアとハミル。
元聖女でありながらもその善性を捨てきることができなかった少女と、彼女と共に歩むことを決めた闇の戦士。
二人を待ち受ける試練とは――。
「ここは……」
マリアがやって来たのは、なんと名状すればいいのかわからない、見たこともないような空間だった。
世界そのものが色を失い、真っ白になってしまったかのような純白の空間が、見渡せる限りの視界に広がっている。
青く澄んでいる太陽の光が降り注いでいるおかげで無機質な感じはなく、どこか温かみを感じさせるようになっていた。
「これは……結界魔法の気配?」
セリエにおいて熟練の魔法使いとして活動してきたマリアは、この空間そのものから濃密な魔力を感じ取ることができた。
抵抗することすらばからしくなるような、とんでもない量と密度の魔力だ。
そしてその魔力が、凝集するように一箇所に向かって指向性を持って動いている。
マリアはまるで吸い込まれるように、その場所へと歩いて行った。
そこに立っていたのは――白亜の神殿だった。
後ろにある背景と同じく純白であるにもかかわらず、しっかりと見て区別することができるのは、その神殿が宿している聖性の高さによるものだろう。
神殿は魔物や邪な気持ちを持つ者は触れることすらできないような神聖なオーラを纏っていた。
マリアが近付いていくと、そこにいくつもの人影があることに気付く。
「あら、ようやく来たのね?」
「む、魔力が少ないな……」
「最近の世界はたるんでるのねぇ、私が現役だった頃には……」
赤い髪を腰の辺りまで伸ばした女性、短い青髪を刈り上げた女性、優しそうなたぬき顔をした茶髪の女性……合わせて十人近くの人間がいたが、その全てが女性であった。
しかも全員、とんでもない美人だ。
また、その身体から発されているオーラも並大抵のものではない。
一人一人が練達の魔法使いであり、その力の前にマリアは思わず喉の奥がひくつかせた。
『みいっ!』
と、そんなところに現れたのは半透明のアイビーだ。
なんでも彼女の粋な計らいで、マリアは彼女達から教えを請えることになったらしい。
「そもそもここはどこなんでしょうか……?」
「ここは次元の裂け目……簡単に言えば生と死の境界線上にある、いくつもの世界のうちの一つだよ」
説明を受けてもイマイチぴんとこない。
だが目の前にあるものこそが真実だ。
アイビーが自分のために、彼女達に渡りをつけてくれたのだ。
それならばなんとしてでも、その期待に応えなければならない。
そう覚悟を決めていたマリアの耳に聞こえてきたのは、聞き慣れているとある単語だった。
「私は三代目聖女のミザリー、聖魔闘術なら任せてね!」
「六代目聖女のヘナリア、結界魔法なら誰にも負けない……」
「ちょ、ちょっと待ってくださいまし! もしかしてあなた方は……」
慌てた様子で割って入ってきたマリアを見て、全員が頷く。
彼女達の様子を見て、マリアはなぜアイビーが自分をここに連れて来てくれたのかを、真の意味で理解することができた。
「そう、私達は――歴代の聖女よ。今から何千年も昔……まだあなたがいる国ができる前にいた、信仰ではなく力で己の存在を世界に認めさせた、本物の聖女」
「本物の、聖女様……」
聖女の伝説は、各地に伝承として残っている。
それを聞いてマリアも、このような聖女になることができたらと何度も思ったものだった。
「次元の裂け目でこうして無為に時間を過ごすのも飽きた。それにそろそろ、時代も動き私達の役目も終わる」
「それならせめて誰かに自分達の技を継承させたいと思うのが普通じゃない? それくらいのことはしても、罰は当たらないもの」
マリアは未だ聖女として未熟だ。
というか、彼女達から言わせればマリアはまだ聖女ですらないらしい。
そんなことを言われても、マリアは大して気にはならなかった。
というのも目の前の聖女達に、マリアのことを侮るような気配がみじんも感じられなかったからだ。
それどころか彼女達は、娘を見守る母のような優しい目をしながらマリアのことを見つめていた。
「安心しなさい。あなたには私達がついているから」
「決して仲間達に見劣りさせない戦士に育ててあげる」
「あ……ありがとうございます!」
本当は戦士にはあまりなりたくなかったが、ここにきて贅沢は言っていられないとマリアは聖女達から教えを受けることになる。
こうしてマリアは次元の裂け目にて悠久の時を過ごすかつての聖女達から、その技を直伝させてもらうことになるのだった――。
「マリア様ーっ! マリア様ああああああああああっっ!!」
ドアの向こう側へとやってきたハミルは、半狂乱な状態になっていた。
傍から見ると完全にキマッているようにしか見えない彼女は、持っている針を振り回しながらひたすらにマリアの名を叫ぶ。
マリアにドアを開いてもらい中へと入ったところまではキリリとしていたのだが、ハミルはすぐ側にマリアがいないと途端にポンコツになる。
絶対的な服従心というのも、考え物なのかもしれない。
「ぜー、はー……うむ、少し落ち着いたぞ」
マリアがいなくなったことによるストレスを叫んだりものにあたったりしながら過ごしているうちに、ようやく少しだけ落ち着いてきた。
何かあればまた暴れ出しかねないギリギリの状態で、ハミルは改めて今自分がどこにいるのかを理解することにした。
「ここは……城の中か?」
ハミルがやってきたのは、薄暗いレンガ造りの倉庫の中らしい。
備え付けのランプが薄くあたりを照らしているおかげでなんとか周囲の状況は確認できるが、かなり暗く、明るさだけでは数歩先もおぼつかないほどだ。
「む……傷がまったくついていないな」
ハミルは自分でも少し恥ずかしくなるくらいに動揺して暴れ回ったのだが、にもかかわらず部屋の中にはまったくと言っていいほどに傷がついていない。
どうやらかなり頑丈な造りになっているようだ。
壁伝いに歩いていくと、壁に何かがかけられているのがわかる。
手に取ってみるとそれは、鞘に入った直剣だった。
柄拵えは見事なもので、魔石がちりばめられているにもかかわらず握っても違和感がない。 名匠の腕を感じさせる逸品だった。
ただ、その鞘からは黒色のオーラが漏れ出している。
そして鞘越しに握っただけで、その剣はハミルの脳裏に直接語りかけてきた。
『恨め、憎め……』
「なるほど、呪いの武器か……」
呪いの武器とは、死後の怨念が武器に込められることで誕生するマジックアイテムの一つである。
人間の怨念が込められているために効果は強力なものであることが多いが、強い情念が呪いという形で込められているが故に扱いが難しく、耐性のないものは呪いの武器を扱うことができない。
それどころか逆にとりつかれてしまい、呪いの武器の意のままに動くだけの存在となることも多いのだ。
けれどハミルは呪いの武器を持っても大して気負った様子もなく……そのまま剣の柄を握り、鞘走らせて抜いてみせた。
「ふむ、悪くないな」
ハミルはそのまま剣を振りながら、その取り回しを確認していく。
彼女の現在の得物はとある魔物の牙を使った巨大な白い針である。
だが実はこの針自体、呪いの武器だ。
そして彼女が現在着用している、血管のような赤い線の走った黒色の鎧――これもまた、呪いの武器の一つだ。
実はハミルは呪いの武器に込められた呪いを御することのできる、特異体質を持っている。
そもそも彼女が暗殺者集団に引き抜かれることになったのも、この特殊な能力を見初められたからである。
故にハミルの戦い方は常に、呪いの武器を利用したものとなる。
呪いの武器はどれもこれもピーキーな性能をしたものが多く、それ故に彼女は今までに何回、何十回と扱う得物を変えてきた。
故にどんな武器であっても、一通りは扱うことができるのである。
ハミルはそのまま壁に掛けられている武器を物色し、更にその先にあった宝箱を開けてみる。
するとそこには、今まで何十という呪いの武器を見たハミルですら冷や汗を掻くような、おどろおどろしい一本の鉈が置かれていた。
「ここは呪いの武器を扱う武器庫か。ずいぶんと酔狂な……」
呪いの武器の保管は容易ではない。
新たな宿主を指して呪いの武器が勝手に出て行くことも少なくないし、呪い同士が共鳴し合うことで予想外のシナジーを発揮して武器庫ごと吹き込んだりすることだってある。
何が起こるかがわからないため、取り扱いには細心の注意を払わなければならないのだ。
しかしこの武器庫は、恐ろしいほどに調和が取れており、少なくとも呪い同士が干渉し合うことがないように配置されている。
恐らくはよほど、呪いの武器に精通した人間が作ったのだろう。
『みいっ!』
呪いの武器を検分しているハミルの前に、半透明のアイビーが現れる。
彼女が指し示す先に言ってみると、そこには周囲と何も変わらぬように見える壁があった。 しかしよくよく観察してみると、そこからはわずかな冷気が漏れている。
レンガをくまなく調べていくと……ガコンッ!
秘密のレンガを押すと隠し通路が現れる。
梯子状になっている階段を下っていくと、そこには見たこともない魔法陣の描かれた台座があった。
アイビーの指示に従いそこに座ってみると……
『殺せ、あんな若くて頭の悪い女に誑かされたあのバカ男のウィリーを殺せ!』
先ほどまでは漠然とした指示に過ぎなかった呪いの声が、はっきりと聞こえるようになる。
この台座は呪いの武器の残留思念と使用者の間にパスをつなげる役割を果たしているらしい。
「なるほど、これを使って呪いの武器との対話をしろということか……」
呪いの武器が、他のマジックウェポンと比べて大きく違う点がある。
――呪いの武器は必要な材料や要因を揃え、呪いを強めることができれば、武器として進化させることができるのだ。
そのために呪いの武器の強さには限界がないという人間も多い。
ハミルが使っている針も、実は一度進化したことのある呪いの武器である。
未だ自分でも知らぬ大量の呪いの武器達と、呪いの武器の進化のために必要な武器との対話を可能とさせる魔法陣――これがあればハミルは、今とは比べものにならないほどの力を手に入れることができるようになるだろう。
やってやる、とキリリとまなじりをつり上げる彼女だったが……ふと何かを思い出したように、その顔が急に不安げなものに変わる。
徐々に身体が薄くなっていくアイビーの身体をがっしりと掴もうとするが、当然ながら彼女は幻影なので触れることはできず、スカッと身体を通り抜けてしまう。
ずっこけて顔面から床に激突したハミルは、起き上がりながらアイビーの方を見上げる。
「なぁ、アイビー。マリア様には……マリア様には会えないのかっ!?」
『みいぃ……』
マリアのことになるとすぐにポンコツになるハミルを見て、アイビーは処置なしとばかりに首をすくめながら消えていくのだった。
そしてハミルはマリアに会えないストレスを解消するために、ありえないペースで呪いの武器との対話を進めていくのだった――。