立つ瀬
「魔王ですか……たしかに気になるのも当然ですね。何せブルーノさんは何度も魔王十指と戦っているという話ですし、個体によってはテイムまでしていますから」
ゼニファーさんがかちゃりと眼鏡を上げる。
先ほどまでの柔和だった印象ががらりと変わり、真理を探究する学者の理知的な瞳がこちらを覗いてくる。
「はい。でも自分で調べたり、アイシクルの話を聞いたりしてもなかなか要領を得ないんですよね。なんだか捉えどころがないというか……」
魔物を統べる魔王。
人類が対する絶対悪ということで魔王の話を集めることはそこまで難しくはない。
伝承であったり本であったり、魔王のことを後世に伝えるものはいくらでもあるからだ。
でもそれらを総合すると、何がなんだかよくわからなくなってしまう。
たとえば魔王は大男だという記述があれば、魔王が傾国の美女だというものもあり、魔王は真っ黒なスライムだと主張する本もある。
一体何が正しいのかと思い、最も事情に精通しているであろうアイシクルに聞いてみても、答えは出なかったのだ。
なんと驚くべきことに、彼女は魔王の幹部であるはずの彼女ですら、魔王のことはほとんど知らないのだという。
カーテン越しに話をしたことが数度ある程度で、その正体もよくわかっていないらしい。
そんな人の下についているというのはなんだか不思議だけど、魔王には魔物を従えさせるだけの何かがあるらしい。
なので逆らう気も起きなければ、絶対に従わなければという使命感に突き動かされるみたい。
「恐らくそれは歴代魔王の記録が混ざり合っているのが原因でしょう。私が知っている限りでも、魔王は六回ほど代替わりをしていますからね。現在魔王島で暮らしているのは、七代目の魔王ということになります」
「そんなに変わってるんですか!?」
ゼニファーさんは以前、各地の魔王に関する伝承をまとめているうちに、違和感に気付いたようだ。
そして魔王が勇者と同じく代替わりしていることを理解したらしい。
それだけ沢山の魔王がいたのなら、なるほど人物像がつかめなかったことにも納得がいく。
「それがあまり有名になっていないのには、何か理由があるんでしょうか?」
「ぶっちゃけた話をしてしまえば、為政者からすれば都合が悪いからでしょう。災害のように強力な化け物が倒しても倒しても定期的に出てくるとわかれば、民衆がどんな行動に出るかは想像もつきませんから」
たしかにそうかもしれない。
現実は物語のように勇者が魔王を倒して大団円というわけにはいかない。
勇者が魔王を倒して世界が平和に包まれたとしても、その先も世界は続くのだ。
だからといって倒さないわけにもいかない。
なぜなら魔王を倒さなければそれだけ魔物は強力になっていき、人間達が受ける被害はバカにならないものになっていってしまうからだ。
レイさんは魔王を倒すために王国中の凄い人達から教えを請うていた。
けれど彼女は隣国であるセリエや帝国から力を借りてはいなかった。
魔王を倒すために力を合わせなくてはいけないとはいえ、人間の国はこういう時でもなかなか足並みが揃わない。
そういう意味では、魔王の下で完全に統率されている魔物達に後れを取っているということになる。
「魔王がいることはわかっているわけじゃないですか、そして居る場所もわかっている。それなら倒しに行こう、とはならないんですか?」
「もちろん討伐すべしという声は日増しに強くなっています。魔王の存在が魔王十指によって公になったことで、各国も動かざるを得なくなっていますしね。私が王都に留まらざるを得ない理由の一つに、魔王や魔物のスペシャリストとして色々と期待をかけられているというのもありますので。いくら私でも、なんでも知っているわけではないんですがね……」
ゼニファーさんが紅茶を口に含む。
甘みが足りなかったのか、蜂蜜を更に追加して喉の奥へと流し込んだ。
十分な糖分が頭に行き渡ったからか、先ほどまでより元気そうな顔をしている。
「実はですね、ブルーノ君。魔王討伐云々よりも、まず魔王島に行くこと自体が難しいのですよ。強力な水棲の魔物を相手にするのは、あまりにも分が悪い。おまけに岩礁のせいで船でまともに乗り上げることも難しいときている」
たしかに、魔王島の話は僕も聞いたことがある。
魔王島に行くまでも難しく、そしてその先にあるという魔王城は難攻不落の城として劇や童話の題材として扱われることになるくらいに有名だ。
向かうことすらできないのであれば、討伐以前の問題だ。
そもそも魔王の下までたどり着くことも、今のままでは難しいと言うことらしい。
問題点はそれだけではありません、とゼニファーさんは続ける。
「現状では勇者の旗印の下で足並みを揃えるというのも難しい。大きな被害を被ったのは王国だけであり、隣国である帝国はまだまだ現状の認識が甘いです。あちらでは目に見えるほどの実害がなかったので、事態を軽視しているきらいがある」
魔王十指が魔物を使って暴れたことが公になったことで、王国はとうとう勇者であるレイさんの存在を露わにせざるを得なくなった(ちなみに僕ら救世主が周囲からの視線を浴びているのは、レイさんが所属しているからという理由も大きかったりする)。
それで勇者の下に全ての勢力が一つにまとまって魔王を倒すために力を合わせる……とはいかない。
王国が魔物被害で弱体化するなら静観もありだろうと考える国も多く、少なくとも魔物のせいで人間同士でいがみ合いがなくなったりもしなさそうだ。
僕が言うのもなんだけど、人間は業の深い生き物だと思う。
「それにレイさんは歴代勇者と比べると……あまりにも弱すぎる。たとえ魔王島の最奥にある魔王城へたどり着けたところで、彼女が魔王に勝てるかというと、正直なところ厳しいと言わざるを得ないでしょう」
現在のレイさんの強さは、サンシタ以上僕未満といった感じだ。
果たして魔王がどこまで強いのかはわからないけれど、少なくともアイビーと戦ってまったく手も足も出ていない現状では、たしかに魔王討伐は難しいのだろう。
「今回の魔王が、あまり好戦的でない人物で助かりましたよ」
「好戦的ではない、ですか? 僕にはとてもそんな風には思えないんですけど……」
「たしかにブルーノ君からすれば、そうかもしれませんね。ですがかつての魔王の中には、それこそレベルの違う悪辣な者もいたのですよ。たとえば三代目の魔王なんかはかなり有名でして……基本的に残虐な魔王の話は、ほとんどが彼の行いからきていることが多いです。なんでも勇者を赤子の頃に殺して身の安全を確保してから大攻勢をかけ、その後百年以上もの間人類を支配下に置いて好き勝手していたという話ですから。もっとも、次代の勇者が育ち成長したことで討伐されたらしいですがね」
そ、そんなことがあったのか……。
各地で魔物が暴れていたり、僕らが魔王十指と戦ったりしていたせいでいまいちピンとこなかったけれど、たしかにその魔王と比べるとやっていること自体はそこまで魔王っぽくはないのかもしれない。
「でもだとしたら、どうすればいいんでしょうか? このまま何もせず指をくわえて見ているままでも問題ないんですかね……?」
「魔物の凶悪化現象は、以前より顕著になっています。これはざっくりとした試算にはなりますが……このままでは一年も経たないうちに、全ての魔物の等級が一つ上げることになるでしょう」
「魔物の等級が上がるって……それってとんでもないことじゃないですか!」
駆け出しの六等級で倒せるはずのスライムやゴブリンが、ベテランで倒せるようになる五等級になる。冒険者は末端からとんでもない影響を受けることになるだろう。
それに三等級より上の魔物達が強力になるとすれば……一体どんな影響が出るのか、まったく想像もつかない。
「ゼニファーさんはどうした方がいいと思ってますか?」
「向こうが手出ししてこないからと、手をこまねいているわけには行かないでしょう。生態系に与える影響や、また新たに生まれる魔王十指のことを考えれば、一刻も早い討伐が望まれるのは間違いありません」
「魔王十指って……復活するんですか?」
「ええ、あまりメジャーな情報ではありませんけどね。ブルーノ君は魔王十指がどうやって誕生するか、知っていますか?」
「いえ、まったく」
魔物が強さ比べをして、上から順に指になっていくものだとばかり思っていた。
だがどうやらそうではないらしい。
僕は何体もの十指と戦ってようやく、そのルーツを知ることになった。
「魔王十指は魔王の左右の手の指の爪を魔物に飲み込ませることで誕生するのです」
「魔王の爪を飲み込ませる……ですか?」
「ええ、そこで魔王の爪の持つ力を己のものにすることができた魔物が、十指を名乗ることができるようになるようになっているらしいです。ちなみにアイシクルさんに教えてもらいました」
右腕みたいな慣用句的なやつなのかと思っていたのだけど、魔王十指というのは実際に指の爪を飲み込んでいるからだったみたいだ。
魔王十指が普通の魔物では得られないような強さを持っている、魔王の力の一部を使うことができるようになるからなんだって。
ただ無限に十指を増やせるわけではないらしい。
たしかにそれをされたら、無限に魔王の力を使える魔物が生まれて僕らは太刀打ちできなくなっていたはずだ。
魔王が爪を十指に与えることができた場合、その爪の成長はそこで止まる。
なので同じ指の爪を他の魔物に与えることはできないのだという。
もしかするとアイシクルの空を飛んだり昆虫を操ったりする力も、魔王が持っている力の一部なのかもしれない。
「で、魔王十指の復活についての話でしたね。魔王十指が死ぬと、生えることがなかった魔王の爪が再び生えてくるようになります。つまり魔王は再び新たな十指を選ぶことができるようになるわけですね」
「なるほど……」
「ちなみに、魔王十指という存在は今までの魔王に関する口伝では伝えられてきておりません。なので恐らく己の力を分け与えることのできる力は、現在の七代目魔王だけが持つものなのでしょう」
そしてこの事前の説明をした上で、魔王とはなんなのかについての結論を述べましょう。
そう言ったゼニファーさんは、口に含んでいた焼き菓子を飲み込んでから唇を湿らせる。
「魔王というのは、通常の魔物では得られない圧倒的な強さと、魔法ですら再現できないとされている特殊な能力の二つの力を併せ持つ、魔物の異常個体のことを指します」
強力な能力と、強大な力。
この二つを併せ持つ化け物こそが――魔王。
レイさんは果たして魔王を倒すことができるのだろうか。
いや、そもそもの話をすれば――僕やアイビーは、彼女に全てを任せたままでいいのだろうか?
その後もゼニファーさんから色々なことを教えてもらうことができた。
そして知れば知るほどに、僕の頭の中にあるモヤモヤは大きくなっていくのだった。
話も終わった時には、空もみかん色に変わり始めていた。
なんだか一人になりたかったので、ご飯を一緒にというお誘いは辞退させてもらうことにした。
屋敷を後にする時、ゼニファーさんは何故か微笑を湛えていた。
こちらを馬鹿にしているという感じではなくて。
なんだか眩しいものを見るような目を向けている。
ゼニファーさんのそんな顔を見るのは、初めてのことだった。
「ブルーノ君、そしてアイビー。二人とも好きなだけ悩むといいですよ。悩んで悩んで悩み抜いて、その上で出した答えが間違っていても、それはそれでいいのです。若者にそれくらいのことをさせる余裕くらいは作ってあげなくては、大人として立つ瀬がありません」
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