ローランドの告白 [クララの視点]
握られた手が熱い。聖堂へと向かう隠し通路を、ローランドは私の手をとったまま、どんどん走っていく。
ローランドと一緒にいるだけで、怖いことも辛いことも忘れてしまう。
このまま永遠に聖堂に着かないといいのに。私はそんな不謹慎なことを考えていた。
今夜の出来事は、とても怖かった。果樹園での攻撃も怖かったけれど、今回は無差別な大規模テロだった。
それでも、王宮だけがターゲットにされたのなら、まだ救いがある。これからは、戦う術もない市井の人々が、攻撃されることもあるのかもしれない。
私たちは、貴族という特権階級に位置している。私たちの生活を支えてくれているのは領民たちだ。男爵である父は、領地をとても大切にして、領民の生活を守るべく働いてきた。
もし北方と戦争になったら、私たちは領民たちのために何ができるのだろう。
殿下と王女様は、私達貴族を含めて国民全員を守るために動いている。この婚姻同盟もその一つだ。
それなのに北方は、こんな卑劣な手段でそれを反故にしようとしている。
私たちにできることは、暴力に屈することなく、国の平和を考えて前に進むことだけだ。
通路の向こうに、ほのかな明かりが見えてきた。たぶん聖堂への入り口だ。助かったんだ。
そう思ったとき、ローランドが立ち止まった。
「クララ。あそこが聖堂への入り口だ。一人で走れるか?」
「ローランドは?聖堂に逃げないの?」
「俺は戻る。戻ってやらなくちゃいけないことがあるんだ」
ローランドは、自分の安全のために避難するような人じゃない。仲間を置いて逃げたりしない。そんなことは分かっていた。
それでも、今の王宮は危険だらけだ。どこに敵がいるのか、どんな罠が仕掛けられているか分からない。命を落とすかもしれない。
「いや!ローランド、行かないで。お願い、私と一緒に逃げて!」
私は思わず、ローランドに抱きついた。
ローランドの胸からは、基礎正しい心臓の音が聞こえる。これが止まってしまうかもしれないなんて、考えるだけで怖くて、叫びだしてしまいそうだった。
ローランドは、少しの間だけ私を強く抱きしめて、まるで小さな子供にするように、私の頭を優しく撫でた。
そして、私の両肩を掴んで自分から引き離し、私の目を覗き込むようにして言った。
「俺は殿下の側近だ。宰相である父の名代でもある。国を守る義務があるんだ。分かるね?」
「じゃあ、私も残るわ。お願い。離れたくないの!一緒にいさせて!」
ここで離れてしまったら、もう二度と会えないかもしれない。そんなことになるなら、一緒に死んだほうがいい。ローランドと一緒なら、死ぬのだって怖くない。
半狂乱になって泣きながら訴える私に、ローランドは優しい笑みを浮かべたまま、諭すように言葉を続けた。
「必ず戻るよ。お前が待っていてくれるなら、俺はなんとしても戻りたいと思う。その望みが、生き抜く希望になる。今回だけは、俺の言うことを聞いてくれ」
分かっていた。私が残れば、足手まといになる。それはローランドを、危険に晒すことになりかねない。
そして、ローランドを引き止めることもできない。もしこのまま逃げれば、ローランドはこの先ずっと、罪悪感に苛まれることになる。
これで最後かもしれない。そう自覚してしてしまえば、もうあふれる思いを止めることはできなかった。
私はローランドの首に腕を回し、その唇に口付けた。
ローランドは私からキスをされるとは思っていなかったのだろう。唇が触れた瞬間、驚いたように体を強張らせた。
私はそれに気がつかないふりをして、さらに深いキスをした。
学園のピアノ室で、パーティーの日のテラスで、ローランドが私にしたキス。忘れられないあの情熱的なキスを、今度は私からローランドにした。
すぐに、あのときと同じように、ローランドの体が熱を持ったのを感じた。そして、今度は逆にローランドから激しいキスを受けることになり、私の体にも炎が宿った。
私たちは、相手を貪るような、互いに溶けあうような、そんなキスをした。
前と違うとすれば、それは私が、キスのその先を望んでいるということ。
一生に一度でいい。ローランドに抱いてほしい。その瞬間だけは貴方が私のものだと、そう思わせてくれたら、もう何も望まない。
「これ以上はだめだ。もう行ってくれ」
長かったキスを、ローランドが不意に打ち切った。私たちは二人とも、随分と息があがっていた。
キスをしている間だけ、私たちはヘザーの婚約者でもカイルの婚約者でもなく、ただの男と女としてお互いを求めていた。
それは、本当に至福のときだった。
「こんなんじゃ、物足りないわ。満足できない! 戻ったら続きをして。約束よ」
「わがままだな」
必死になってとりすがる私に、ローランドは困ったような笑顔を返した。
「約束して!絶対に戻るって。戻ったら私を抱くって!じゃなかったら行かないっ」
ローランドは私の目を見つめ、指で私の頬を撫でた。
「約束する。必ず戻る。待ってろよ、そんときは絶対に満足させてやるからな」
いつもの俺様口調のローランドだった。私はそれを聞いて少し安心し、そして少しだけ笑って頷いた。
「さあ、行って。気をつけて!」
ローランドに背中を押され、私は明かりのほうに向かって駆け出した。
あと少しで通路を抜けるというときになって、私は背後からローランドの声を聞いた。
「クララ、愛している!」
私は驚いて後ろを振り返った。私も。私も貴方を愛している。
そう言いたかったのに、そこにはもう、ローランドの姿は見えなかった。
そうして、そのときになって気がついた。私はローランドに、自分の気持ちを伝えていない。
ローランドは私の気持ちを聞かないまま、一人で行ってしまったのだ。
その場に呆然と立ち尽くしていると、聖堂のほうから誰かが走ってきた。ヘザーだった。
「クララ!無事だったのね。よかった!心配したのよ」
抱きしめてくれるヘザーの体温が温かくて、私は胸が締め付けられた。涙が溢れて止まらなかった。
私は、この大好きな親友の婚約者を愛している。そして、彼を親友から奪いたいと思っている。私を心配してくれる、この優しいヘザーを裏切っているんだ。
「ごめん、ヘザー、ごめん」
私が泣きながらそう言うと、ヘザーは驚いたように腕を解いた。
「どうしたの。泣いてるの?どこか痛いの?怪我したの?」
痛いのは心だった。それでも、もう自分を騙すことも、ヘザーを欺くこともできない。
私はローランドを愛していて、彼と結ばれたいと思っている。それは偽りのない気持ちだった。
「違う。違うの。ごめん、私、ローランドが好きなの。好きで好きでしょうがないの。彼を愛してるの」
私の告白を聞いて、ヘザーは私から少し離れて立った。
私はひとしきり泣いた後、顔をあげた。そこには腕を組んで、呆れたように私を見つめるヘザーがいた。
親友の婚約者に横恋慕しているなんて、どんなに罵られてもおかしくない。
私はヘザーの言葉を待った。何を言われても、ちゃんと受け止める。罰を受ける。
そう思った瞬間、ヘザーが私を見てニマっと笑った。これは子供時代から、いつもヘザーの悪戯がうまくいったときにする笑顔だ。
「やっと自覚したか、この鈍感!遅すぎだよ、まったく」
私はヘザーの言っていることが理解できず、その場で固まってしまった。
そして、そのせいで、涙も引っ込んでしまっていた。