日常
ギルドに登録して三月が過ぎた。朝は鍛錬、昼は冒険者、夜は鍛錬、合間に家事の日々が続いている。俺のレベルは未だ80に届かず、冒険者ランクもEに留まっている。ランクは師匠を超えるつもりは無い。ただ、実力は上げておく必要がある。もっと鍛えなければ。ゴリラ勇者のマリア――ゴリア?が次に来るまで、一年を切った。もっと鍛えなければ、儚く散ってしまう。俺の命が。
「お願いします」
今日も今日とて、俺はギルドに獲物を持ち帰った。裏の鑑定所に査定を任せ、自分は表から中に入る。
「戻りました」
「お帰りなさい。シンさん」
カウンターに座るクロエさんが、髪を整えながら声を返してくれた。幾ら専属とは言え、Eランクの俺に身形など気にする必要無かろうに。しかも、彼女が休んでいる気配が無い。俺は日課だから、毎日何かしらの依頼を受けに来るが、いつも彼女は座って出迎えてくれている。俺のような木っ端に申し訳無い。
「クロエさん、休んでます?」
「ええ。シンさんは朝と夕方、だいたい同じ時間に来てくれますから、私は昼間に時間休を頂いてるんです」
「そんな休み方じゃなくて、週に一日は休まないと、身体が持ちませんよ?」
「シンさんこそ、休んでないじゃないですか」
「身体を動かしてないと気持ち悪いだけです」
「私もですよ」
そう言って、歯を大きく見せて微笑んだ。綺麗な彼女が無邪気に笑うと、とても愛らしく思えてしまう。
「では、せめて」
彼女の頭に手を乗せ、体内の気を窺った。矢張り乱れている。
「えぇ? シ、シンさん?」
俺は、『気』を操作出来るように成っていた。内なる循環を円滑にする。
「水遁」
片手で印を組む。『水遁』で、体内の水を足りない部分へ流す。血行も良くして、身体の冷えた部分を温めた。
「――どうですか?」
「え? ええ。はい。なんだか、あったかくなってきました」
手を離すと、彼女は上気して真っ赤に染まっていた。少しやり過ぎただろうか。
「鑑定終わった、ってよ!」
そんな彼女の両肩を、同僚のリッカさんが掴んだ。彼女はこの村の出身だ。しかも、俺に最初に声を掛けてくれた女性の娘さんだった。長く茶色い髪を、首の後ろで一つに束ねている。年は二十代半ば、クロエさんの姉貴分と言った処だ。
「わ、わわ――」
「熱いねえ、お二人さん」
「暑い? それはそうでしょう」
「え? 認めんの?」
「わ、わー! わー! もう! リッカさん!」
「ほれほれ、報酬渡してやんなよ」
カラカラと笑う彼女から、書類と巾着を受け取ったクロエさんが、こちらに向き直る。
「ゴホン! えー、今回は『ハニーベアー』の討伐でしたね」
『蜜熊』は子熊くらいの大きさで、比較的大人しい草食性の熊だ。熊が肉を食べないのも驚いたが、もっと驚いたのは、体内に『蜜嚢』と呼ばれる、糖分を貯める器官が有る事だ。この器官は、高価な砂糖の代用品として、非常に重宝されている。肉に臭みは有るが、毛は柔らかく羽毛と同じように使える。ただ、身体が余り大きくないので、上手く仕留めないとこれらを傷付けてしまう。『慣れ』が必要だ。また、容姿も子熊の如く愛くるしいので、仕留めるには別の意味で勇気が要る。一部の貴族には、愛玩動物として飼われているくらいだ。
「3体の討伐。状態も良かったので、今回はなかなかですよ!」
差し出された巾着から何枚か硬貨を抜き、そのまま返す。
「じゃあ、これは貯金で」
ギルドでは、金の保管も請け負ってくれる。
「だいぶ貯まってきましたよ? なにか大きな買い物でもするんですか?」
「いえ、使う当てが無いだけです」
食い扶持の為に働き始めたのだが、俺も師匠を金を使わない。自給自足で、買うのはパンかミルク、米、料理に使う調味料や酒ぐらいだ。今日も『蜜熊』の肉を引き取り、持って帰る事になっている。臭みが有るから処分されるのだが、実はしっかり処理すれば普通に食える。『蜜熊』を対象にしたのは、それもあっての事だ。野菜が足りなければ、野草か一部の魔物から手に入る。因みに、米は東方の国が主な産地だが、似た物が流通している。そちらは安価だ。『米蛇』と呼ばれる蛇の魔物、その肉を切り分けて炒めると、ポロポロと崩れ米に酷似した状態になる。
着る物は布を買って仕立て、解れたら自ら繕う。男二人で針仕事とは、人に見られたくない姿なのだが、逆を言えば、男二人で造形に気を遣う意味も無い。武器と装備は師匠譲りで、何の金属が使われているのか、異常な強度を誇っている。刃も毀れず、血も『水遁』で剥がすので、錆びる気配も無い。
「堅実ですね。さすがです」
「そんなつもりは」
「しっかりしてるし、腕っぷしも強いし、顔も良い。クロエ、しっかり捕まえときなよ?」
「ちょっと、リッカさん!」
「ギルドに必要だろ?」
「え? あ、はい」
「なにあんた? なんだと思ったの?」
「もう、ちょっと! あっち行っててください!」
「それじゃあ、今日はこれで」
「あ、はい。また明日」
「ばいばーい」
二人に見送られて外に出る。ギルドに入る前から、視線を感じるな。
「――土遁」
俺は印を組み、術を発動させた。『土遁』は俗に言う『光学迷彩』だ。周りの風景に、人に溶け込み、自身を認識の対象から外させる。
道行く人を避けながら、堂々と歩いて視線の先に歩いて行く。相手は見失って驚いたのか、キョロキョロと周囲を見回して、こちらに走って来た。
「誰だ?」
「え? あ? げっ」
前に来た身体を受け止め、術を解除する。今度はもっと驚いて、腕の中で身体がビクリと跳ね上がった。
「誰だと聞いている」
俺より年上だろうか。大きな帽子を被り、ローブを着た女性だった。
「ル、ルーシーよ」
取り繕ったように笑う。
「私と、パーティ組まない?」
「――それが、あのパーティにいた魔法使いかい?」
「応」
邪神が、再び酒を注いだ。
「女難の相が出てるねえ」
「説いたぞ――何故、己が『伝心』を帯びている?」
「君のスキルだからだよ。君の師匠は嘘を吐いたんだ。言っただろう? 『スキルの神も驚いて、君に変なの付けちゃった』ってさ」
思えば。
――しかし、テレパシーとはさすが師匠だ。
あれは、俺の事だったのか。
「師は知っていたか」
「そりゃそうさ。彼が、どうして一人で戦えたと思う? スキルのせいだ。彼は『情報開示』を持っていた。初めに目覚めた時、『膜が張っていた』んだろう?」
「ぬ……?」
「ステータスを見られていたんだ。『情報開示』は、相手のステータス・スキル・使用魔法、ものによっては弱点まで見えるからね」
「貴様、何故師匠の技能を知っている?」
「会ったことがあるから」
「我が師は、神と拝謁したか?」
「いや。彼と会ったのは、僕が『魔王』だった頃だよ」
「今、何と――」
「僕が前回の魔王だったんだ。前回は『スキル』やら『カルマ』やらが発生して、神々も忙しくてね。しょうがないから、僕が『魔王』を買って出た。死んでから、神に祀り上げられたんだ」
「己は魔族か?」
「いや、僕はただの外道さ」
「師匠は、何故『伝心』を己が技能と誑かしたのだ?」
「『詐欺師』が発動出来るのは、人のための嘘だけなんだよ? 君のために決まってるじゃないか。転移して、テレパシーなんて厄介なスキル持ってるなんて気付いたら、取り乱すに決まってる」
確かに、この邪神は知っていたのだ。
――君のような転移の傍に、そんな人がいるなんて運がいい。
己は、痴れ者だ。身を尽くしてくれた師を弔えず、愚かに生き続けている。