森の中
目を開けると、苔の生した岩が目に入った。
「業、か」
岩の上に、黒い塊が座っている。声は、その塊から出てきた。
「う、あ」
「動くな。四肢は有るが、酷く弱っている」
そう言っているように思えた。
そう、思えたのだ。発している言語に覚えは無い。だが、何となく解った。視界は朧気で、膜に包まれているようだった。まるで、音の無い夢を見ているようだ。
俺は、どうなった?
最後の光景を思い出す。
視界を覆う、無数の指。俺は藻掻き乍ら、その中に浮かぶ、美しい手を取った。
動かぬ身体で、更に思い浮かべる。
生まれの名は忘れた。
ただ、友と呼べる人物から、相沢真一と呼ばれていたような気がする。
「成程、真、か。良い名だ」
全身が酷く重い。力が入らず、岩に吸い取られているような気さえした。
「あ、ぐ」
俺は、そのまま睡魔に身を委ねた。
――――強い日の光で目を覚ました。
身を起こすと、ベッドの縁が見える。首を動かすと、テーブルに椅子、樽、棚が在る。食器以外、内装から家具に至るまで、全てが木製だった。
レンガは見当たらないが、陶器は有るようだな。中世か?
寝具で呆けていると、背後で木の軋む音が鳴る。
「身を起こせるまで癒えたな」
振り返ると、白髪の老人が足元を見ながら入って来た。半袖から出た腕は筋肉を帯びていて、全身の服も筋肉で圧し上げられている。
「服は替えさせて貰った。目立つのでな。荒れていたし、焼いて捨てた」
「お手数お掛けしました」
「良い。して、食えるか? 己が微睡んでいる最中、幾度か重湯を飲ませたが」
「か、軽いものでしたら」
未だ重い身体を持ち上げ、俺は椅子に凭れた。筋肉が落ちているようだ。暫く動けないでいると、食卓に野草と思われるスープと、粥の入った椀が置かれる。
「い、いただきます」
木のスプーンで少しずつ食べていると、老人は言葉を続ける。
「先ず言の葉を覚えるが良かろう。己には些末だが、他の者に、己の言葉は解らぬ」
「え?」
「大凡五十年前、世界に『技能』が顕れた。己は、その中でも『伝心』を授かった。言葉を使わずとも話せる。此れより往くに、言は必須――乳飲み子でもあるまい? 覚えよ」
テレパシーというものだろうか。彼の言うことが本当なら、口で発した文章は伝わっていなかったらしい。悪いことをした。逆を言えば、彼から教われば、理解は早いかもしれない。
「あの、お名前は」
無理だ。どうしても喋ってしまう。
「名乗る者でも無い」
「そ、そうですか」
「己は、そうさな――真――『シン』と呼ぼう」
「解りました」
「シン、今は良いが、食い扶持と己を守る術は身に付けよ。己は己にして己、個にして全――見よ。感じよ。そして鍛えよ。鍛えよ。更に鍛えよ。果ては無い。それが、己の往く道の標となろう」
「――――それで? そんなに鍛えちゃったの?」
「然り」
邪神の言葉に、俺は頷いた。
「しかり、じゃないよ。迷惑だよ。止めてよ。君、『勇者』より強くなってるじゃないか。さっきの金遁、だっけ? あれ金属操ってるんだろう? 対軍兵器じゃん。術一個で騎士の軍勢皆殺しだよ」
「金遁は、近場しか繰れぬ」
「ああ、有効半径があるのかい? じゃあ――」
「繰りが、他に触れれば伝わるが」
「ダメじゃないか! はあ、まあいいや。しかし、テレパシーとはさすが師匠だ。君のような転移の傍に、そんな人がいるなんて運がいい。それとも、君の運がいいのかな?」
「師匠?」
「スキルの神は、人だった頃に僕の師匠だったんだ。十年ほど先に神様なっちゃったけど」
「師弟で神と成ったか、化物だな」
「あー、僕らは例外かな。元から存在が外れていたし」
「如何にすれば神と成るのだ」
「簡単だよ。世界に新しいものを生み出し、先達に認められればいいのさ。師匠の『スキル』みたいにね」
「――人の身で、スキルを世界に堕とした、と?」
「そうだよ? それくらいしないと、神にはならない。さて、無駄話はこのくらいにして、続けようか」