潰える心
「戻ったぞ」
「遅えよ、このグズ」
魔王城から少し離れたキャンプに戻った俺を出迎えたのは、リアムの罵声だった。
「収穫は?」
冷ややかな目でマリアが言う。
「残るは僅かなり」
「まだなの?」
マリアの横で、吐き捨てるようにルーシーが呟く。クロエも居るが、彼女に至っては俺を無視している。
「もう夕方よ。食事の準備しなさいよ」
「知らえぬ」
「じゃあ、さっさと始めなさい」
「応」
力無く呟き、食事の支度を始める。
俺のレベルは、99で頭打ちと成ってしまった。対して、パーティの仲間は目に見えて強く成った。マリアは言わずもがな、兄妹は鋭い剣技と強大な魔法、クロエも支援と回復に多大な貢献をした。
付いて回るのに、俺は罠の解除、探索と暗殺、魔物の駆除、各員の回避補助、身代わり、敵の注意を引く行動、荷物持ち、夜の見張り、家事、健康管理を行っている。現在は魔王城に潜入し、実に一月近くを費やして地図の作成中だ。
「遅い」
「忝し」
魔族との激戦の最中、ノワールの行方が解らなくなった。その頃から、皆は無能な俺を蔑むように為っていた。
「何よ、文句でもあるの?」
在る筈が無い。皆、俺の仇に手伝ってくれているのだ。足を引っ張る自覚こそあれ、皆に不満など無い。
「おら、酒つげよ」
「ああ」
夕食後、リアムの晩酌の相手をする俺から、無言でクロエが瓶を取った。珍しい。彼女は自らも酒を注ぎ、俺へと戻す。その時、少しだけ手が触れた。
「なんだ、どうしたウスノロ」
「い、いや」
言葉を何とか返したが、俺は激しく動揺していた。
嗚呼、この者らは、何と良き同胞なのだろう。
俺に辛く当たっていたのは、本心では無かった。
俺が必死に食らい付き、旅を続けているのだと理解している。
俺が旅に無くてはならない存在だと、ちゃんと想ってくれている。
だからこそ。だからこそ。
このままでは、この仲間が壊れてしまうと危惧している。ノワールを失ってから、独り能力の低い俺を鑑み、これから起こりくる激戦から、俺を死なすまいと、遠ざけようとしているのだ。復讐に憑かれた俺は説得を聞くまいと、後顧の憂いを抱かぬよう、皆で口裏を合わせ、自ら抜けるように仕向けていたのだ。
何故かは解らない。解らないが、そんな気がした。
決して俺の願望では無い。決して幻想では無い。俺と彼等の間には、そう信じて疑わない絆が、確かに存在している。
然らば、俺の成すべき事は一つ。
「皆、そろそろ眠かろう? 今夜も己が見ておくから、ゆるりと休め」
皆が寝静まった後で、俺は揺らめく火を見詰めていた。
兄妹とクロエはテントに、マリアは横で毛布に包まっている。
俺は、マリアの顔を見た。
安心した顔で、静かに寝息を立てている。火の色は、何処と無く出会った時の血の色を思い起こさせた。彼女は変わらず美しい。
マリア、俺と友になってくれてありがとう。俺を強くしてくれてありがとう。
クロエ、ギルドの右も左も解らなかった俺に、親切にしてくれてありがとう。命も救ってくれたな。これからも、その力を世に役立ててくれると嬉しい。
リアム、お前とは共に男で、朝まで酒を酌み交わした事も有ったな。またいつか、馬鹿騒ぎをしたいものだ。
ルーシー、家族を想う心を、俺にも向けてくれてありがとう。婚期が遅れていると嘆いていたな。お前なら、きっと良い相手が見つかるだろう。
ノワール、逸れてしまったが、お前程の実力者だ。きっと無事で居てくれていると信じている。叶うならば、お前を探す旅をしたい。
懐から今までの地図を取り出し、そっとマリアの横に置いた。そして、一つだけ、魔王城の内部の地図を、燃える火にくべた。記録と罠の解除係が居なくなり、地図も無ければ、勇者らは撤退を余儀なくされるだろう。
俺は、ゆっくりと立ち上がる。
「皆――達者でな」
独り魔王城の前に立つ。
初めて正面に立つ俺に、門番と思わしき魔族が近寄って来る。
「誰だ、お前? 一人でノコノコと、殺されに来たか?」
口の端を持ち上げて冷笑う。
対する俺も、顔を上げ、胸を張り、力の限り吠えた。
「笑止!己らが如き魔なぞ!有象無象が畜生と共に!己と共に!地に沈むのが御似合いよ!」
両腕を前に突き出し、手を広げる。俺の全てが、世界に届くように。
「技能顕現」
もう、己以外の全てが、何も失わないように。
「――跳梁跋扈」
そして、俺の意識は途絶えた。
「――事実、君以外は『勇者』だったから、仕方ないよ」
目の前の神が言う。
「真か?」
「そうさ」
「己の意味は無かったか」
「いや――君は、立派に『勇者たち』の橋渡しをしたじゃないか」
「ふん。さあ、終えたぞ。往こうではないか」
「待ちなよ。最後に一つ質問だ。君の師匠は、先代の魔王を倒したんだよね? どうして『暗殺者』と呼ばれているんだい? どうして『勇者』と呼ばれていないと思う?」
「今は別なりし者が居るからであろう?」
「違うよ。君の師匠は勇者であって、勇者じゃないんだ」
「朧めかしい」
「シンプルに言おう。君の師匠は勇者だった。けれど、その時は別人だったんだ」
「お、れは」
「ステータスの『3ページ目』を見てみなよ」
俺は、眼前に出した膜に触れる。
「ちゃんとあるだろう? 『試練の神の加護』が」
「あ? ああ?」
「最後のピースは嵌まったかい? じゃあ、いい加減、その青年を表に出してあげなよ。バレてないと思ったのかい? 目覚めた時から『カルマ』が真っ黒なんだよ、この邪神が」