伝心
「お待たせしました」
「いえ」
俺は外に出て、空を見上げる。曇天か。風には水の匂いを感じる――雨が降るな。水遁に使えるが、剛力に武具を抜かれないようにしなければ。
視線を落とし、マリアと交える。
「――三年ですか」
「ええ、三年です」
「驚きました。見違えるように強くなっていますね。今回は、私も剣を抜きましょう」
彼女の手が、実に滑らかに剣を挙げる。
その途端、全身が熱湯を掛けられたかのように、ひりひりと燃え上がった。此の自分に至ってなお、剣気なのか、殺気なのか、正体も判らない圧倒的な強さ。身体中の毛穴を無理矢理こじ開けられ、延々と針を差し込まれているかのような錯覚を抱いた。
確実に俺より強い。だが臆するな。まだ奴は高みに達してない。俺と同じ道の途中だ。全てを知らない。小手先を駆使すれば光明は差す。俺は勝てる。
「――両者、構えよ」
師匠が間に立ち、腕を上げる。
「はじめ!」
走り出す勇者に、俺は印を組んだ。
「火遁!」
目の前に劫火が広がる。俺は中に苦無を二本投げ、印を組み直す。
「金遁!」
勇者の一太刀で炎が打ち払われる。が、忍ばせた苦無が彼女の剣に纏わりつく。
「小賢しい!」
今まで傷一つ負わなかった苦無が、勇者の剣で打ち砕かれた。ここまでは予想通りだ。俺もただ見ていた訳じゃない。印を組んで刀を抜き、鞘を蹴って足で動かす。
「水遁!」
迫る勇者の剣に対し、片手で印を組みながら、足の鞘と手の刀で迎え撃つ。印は外せない。リアムの時もそうだったが、勇者の実力は更に上だ。この距離で解いたら、間違いなく反応が追い付かない。
「面白い剣術です」
まだ本気には見えない。だが、今の状態でも、まともに刃を合わせれば、一撃で武器を砕かれるだろう。俺は回転させる鞘と刀で、彼女の攻撃を逸らし、目を眩ませているのだ。
「時間稼ぎですか?」
読まれた。が、俺が何を考えているかまでは想像出来まい。
「終わりにしてしまいますよ?」
勇者が振りかぶる。
――刹那、二人の間に雨が一滴落ちてきた。
これだ! 空を見た時から、これを待っていたのだ!
「水遁!」
降りる一粒の雫――俺はその一滴を、水遁で勇者の片目に飛ばす。
マリアは剣を向き直すが、極小の粒を防げず、水が目に吸い込まれる。俺は力の限り念を飛ばした。
「くっ!」
勇者が顔を歪ませる。そうだ。お前がどんな防御魔法を持っていても、一瞬で熱湯へと変わった目の水分を防ぎきる事は出来まい。
俺は鞘を蹴り上げ、刀と持ち換える。
「木遁!」
鞘に雷を流し、空中の刀をビリヤードのように突く。
「――この――ザコが!」
「っ! 空蝉!」
脱いで残した上着が、見る間も無く真っ二つにされた。
「驚いたわね。どうやって避けたの?」
幽鬼の如く、ゆっくりゆらゆらと、マリアが俺を見る。
出たか。
目は血走り、片側の口角からは軋る歯が見える。これが、この女の本気だ。咄嗟に足の指で印を作り、移動術を発動させた。足の印は隠し玉だった。手の印を印象付け、ここぞと言う時に使うつもりだったが、真逆反撃にも使えず晒してしまうとは思わなかった。気付かれたかどうかは判らない。だが、次は視られてしまうだろう。
「ゆ、勇者さま?」
ノワールだけでは無い。兄妹も呆気に取られている。俺は知っていた。何となく、この女の本性が暴虐に在ると感じていたのだ。マリアは祀り上げられ、蝶よ花よと育てられ、我が儘の限りを許され、それでも勇者として尊敬される。並の者では文句を言えない実力も持っている。要するに躾が行き届かず、幼いままなのだ。そんな者が、自分の意にそぐわない事態が起こればどうするか。幼子の癇癪ならいざ知らず、勇者の怒りは暴虐に等しい。
しかし、一縷の望みは在る。マリアを勇者足らしめんとしているのは、生来の優しさだろう。俺の五体が砕けても、ポーションを求めて村まで走りに行っていたしな。そうである、はず、だ?
「シィ!」
最早、勇者らしからぬ呼気を出し、マリアが剣を振った。
「はや――」
受けた鞘が砕け散る。鞘どころでは無い。掴んでいた手の指まで折れた。指は予め気を練り込んだ髪の毛と、『鉄蜘蛛』の糸を縒り合わせた鋼糸を巻いていたが、無ければ千切れ飛んでいただろう。
「これで、もう手は使えないわね?」
マリアが笑う。悪魔か、この女。
「どうして、其処まで師匠に固執する? お前程の実力者なら、師の技など持たずに強く成れるだろうが」
「うるさいわね」
ふと、マリアの目が揺らいだ。
今だ!
「土遁!」
俺は足で印を組み、自分を見え難くする。
「そんな子どもだまし」
知っている。勇者ならば多少見えずらいだけだろう。それで良い。
「分身!」
「な――」
これが本命だ。
マリアは目の前の俺を斬る。今度こそ真っ二つだ。
「おい、本物だったらどうしてくれるんだ?」
「え?」
奴の背後から、俺は力の限り拳を振り上げ――
「きゃっ!」
頭にチョップした。
「いたーい!」
「へへ、俺の勝ちだ、な――」
そのまま彼女に凭れ掛かる。
「ちょっ! ちょっと!」
何だ? もう力なんか残ってないぞ。ちょっと寝かせてくれ。
その途端、思考の奔流に呑まれそうになる。
「いづっ!」
「えっ? なに?」
これは、この。
「は?」
俺は抱えられながら、マリアの顔を見た。
「お前は――そうか。自慢ではなかったのか」
「何を……」
「生きるのが下手なんだな。そんなに功績を主張しなくても、周りはお前が勇者だと、ちゃんと思ってるよ」
「なっ! なに言ってるのよ!」
自分は勇者だ。自分は勇者だから、周りは必要としてくれている。
けれど、『それ』が無くなったら?
無価値な自分を、世界は必要としてくれるだろうか。
だから、勇者として振る舞う。
自分の功績も主張する。自分は頑張っている。これほど勇者である、と。
「お前は、俺と同じだなあ」
「な、なんで!」
「お前だって、そう思ってたんだろ? なんでか知らないけど。だから、師匠を言い訳に、何度も会いに来てくれたんだろ?」
「おい! それ以上言うな!」
骨が軋んでいる。
止めろマリア。今の俺なら簡単に死ねるぞ?
雨が強くなってきた。その中であっても、マリアから伝わる温もりは熱い。
「大丈夫だよ。そんなことしなくても、ちゃんと友達になってやるから」
「――勝手に言ってなさいよ」
「そうだなあ」
俺が微笑むと、マリアの頬も緩んだ気がした。そうだ。それで良いんだ。無理するな。
仮初を、正しい雨が流していく。
こうして、俺達の三年に及ぶ決斗は幕を閉じた。
「――まさかのお友達宣言かよ!」
神が叫ぶ中、俺は改めて己が技能を見た。
スキル:伝心
相手に、自分の思ったことを伝えられる。伝える範囲は任意で制御できるが、修練が必要となる。肌に触れることで、相手の深層心理まで見ることも可能。ただし、それには相手も自分を想っている必要がある。