邪神との対話
「いい加減、起きてくれないか?」
「む……」
半身を起こすと、眼前に美しい顔が浮かんでいた。
否、浮かんでいるのではない。周りの空間が闇に包まれており、黒い衣類を纏っている為、白い顔だけが浮かんでいるように見えるのだ。
「己は、たし、か……」
「まあ、楽にしてくれ」
顔の他に手が出る。目が慣れ、少しばかり陰影の見分けが出来てきた。
自分と同じように黒い髪、黒い瞳、男なのか女なのかは判らない。細身だが、骨格と肉付きから、辛うじて男なのではないか、と思わせる人物だった。
「貴殿は何者か?」
問いに答えず、顔は微笑んだ。値踏みしている、というような眼だ。
「その思考、口調、それが『素』なのかい? それとも、この世界に来てから?」
「世界? 己は、また転移したのか?」
「転移? いや、君はここに連れて来られただけだ」
「誰が――」
「魔王」
「火遁!」
俺は片手で印を組み、言葉に乗せて術を発動した。詠唱とイメージ、魔力で現象を起こす魔法と違い、忍術は手や身体の形、発声、気の流れで発動する。咄嗟に具現化させれるのが強みだ。
「逃走の目くらましを、よく攻撃術にまで昇華させたもんだ。さすがニンジャ・マスター、死ぬ前に弟子を鍛え上げたか」
劫火は闇に吸い込まれ、顔は変わらず浮かんでいた。
如何にすべきか。風の流れは無い。室内だろう。だが扉らしき物は見えなかった。火を放ったが、辺りを窺い知ることは出来ん。魔法なら効くかもしれんが、俺は五行の遁術か、白兵戦のみ。望みの薄い手の内を晒し、死地を踏破など能わず。
微かな知能を回転させていると、顔が言葉を続けた。
「気にしないでよ。君の術は戦術魔法に匹敵する。ただ、僕に効かないだけ」
白い手が、そのまま宙を泳ぐ。
「――木遁」
印を組みながら、背の刀に手を伸ばした。鞘に雷を宿し、撃ち出した無銘を走らせる。
狙うは浮かぶ手。
「おっと」
向かう刃は、柔らかな手に絡められ、逸らされた。
俺は腰を叩き、苦無を空中にばら撒く。
「金遁!」
苦無が空中で弾け合いながら、幾度も顔を貫かんとする。
だが、射出された金属片は、顔に到達する前に爆発四散した。
「待った。もう少し話をしよう」
途端に、全身の筋肉が強張る。
――動け。
毒には耐性がある。魔力も感じられない。スキル発動の予兆も無かった。
「何をした」
口と喉は動く。
唇を噛み、血を吹いてみるか。
気が遠くなるほど呷った代償か、俺の血肉は強い毒を孕んでいる。
「止してくれ。文字通り、無駄な血が流れるだけだ」
読まれているな。
全身の力を抜くと、縛っていた緊張も解れた。
「もう魔王はいないよ。『彼女』を悪く思わないでくれ。あれでも僕の娘なんだ」
「貴様、何者だ?」
「質問しているのは僕だよ。で? 君の口調は、師匠のせいか?」
「言わずもがな」
「君と話したいんだ。付き合ってくれよ」
「神ならば、人の世など見通せるのではないか?」
「君、神をなんだと思ってるの。個人の生活を覗き見るなんて真似しないさ。そもそも、いちいちそれぞれの人生なんて見守れないよ。で? どうなんだい? その口調は」
「――然り。この世界の言語を教えてくれた者の言葉だ。己が言葉は持ち合わせていたが、元より染まる事に慣れていた身だ。半端に混ざり、この有様よ」
「転移と言ったね? 君は転移者か?」
「また是なり。此処が新たな世界で無ければ、だが」
「ここは、言ってみれば『異空間』かな。神々の世界の一つさ」
「魔王の父と在らば、己は邪神か?」
再び顔を見る。魔王同様、外見から年は計れない。
「その呼び方、嫌いなんだ」
そう言って、顔を顰める。
「正確には、『試練の神』だ」
「試練?」
「そう。人に試練を与え、その成長を見守るんだ」
「而して、何故己は此処に居る?」
「……君の口調、大変だね。治してあげようか? 『自動翻訳』のスキルを所持してないってことは、召喚されてこの世界に来たんじゃないんだろう?」
「不要だ。師匠を亡くした今となっては、この言葉も形見となる」
「即答だね」
「是非も無し。師匠に恩が有る」
「そう」
男は思う処が有るのか、口元を緩めた。
「して、召喚とは?」
「別世界からこの世界に来るには、基本的に召喚されてしか来れないんだ。だから、スキルの神も驚いて、君に変なの付けちゃったんだと思うよ?」
「跳梁跋扈、が?」
「とんでもないスキルだよ、あれは。新しく、かつ強力だ」
「覚えが無い」
「魔王だって慌てふためいちゃってさ。返り討ちにした君を、どうしようどうしようって、すまきにして僕の所へ連れて来たってわけ」
返り討ち――確かに、苦無も刀も毀れていた。
「魔王は、神の拝謁が叶うのか?」
「そうだね。『勇者たち』と『魔王』は、世界に関わる特殊な存在だから」
「たち?」
「勇者は、魔王の状況によって発現する人数が変わるんだ。上限のレベルも変わる」
「己は、死んだか?」
「あー、勘違いさせちゃったかな? 君にこうやって説明しているのは、誤解を解くためだよ。死人だから全部話しちゃえとか、取引しようって、微塵も考えてない。それに、君はまだ死ぬ必要が無い。魔王も殺せない」
「殺せぬ、とは?」
「それは後で説明しよう。いやあ、久しぶりに娘が慌てる姿を見れたよ。君には感謝してるんだ。それに、僕も転移経験があってね。言葉使いもだけど、君にはシンパシーがある。人だった身の上だしね」
奴の笑みに、慈しみの色が浮かんだ。
「随分と砕けた邪神だ」
「あはは、もう言わないでよ。でも、さ、君も、子どもができれば変わるよ」
「子を持つ資格など、未来永劫持てんな」
俺は咎人だ。だから、この世界に飛ばされた。幸せになる権利など無い。
「いや、君は『カルマ』を宿してない。人を殺していれば、こうはならないはずだ」
「何だと?」
「殺したと思っていたのかい? 死んでないよ、大丈夫」
「そ、そう、か」
「まあ、前の世界の話はどうでもいいよ。落ち着きもあるし、順応性もある。君は、転移に慣れている。『今回』が、一度目じゃないね?」
「三度、だ」
「なるほど」
「逆に問う。人より神と成ったと発したな? 神で在れば、魔王を斬れるか?」
「なんなの君、絶対殺すマンなの?」
「業腹が治まらぬだけよ」
「さて、何を話すにしても、今の君が重要だ。この世界に来てどんなことがあったのか、教えてくれないかな? 君の口から聞きたいんだ。交換条件として、君の師匠の最期を教えよう。語り合おうじゃないか。僕にとっては、久しぶりの話し相手でね」
「――承知」
「嗚呼、果てなく続くこの道行よ。我ら語りて行脚を綴る。我ら騙りて未知を創る。さあ論じよう。先じよう。全ては言の散りゆくままに」