いきなり求婚される①
「そのような不浄な者に触れてはなりません、殿下」
相変わらず声は穏やかだけど、わずかに震えが混じっている。どうしてそんなに私を嫌うのかな。しかも不浄だなんてひどい。
確かに今は臭いかもしれないけど、でもこれはあの肥溜めのせいであって……。
「なぜそのような失礼なことを言う? 不浄どころか、これまで私が見た女性の中で、もっとも美しい人だというのに!」
皇子は憤然として長老に言い放つ。
――ありがとう! ありがとう!
監禁されている間に自信も価値観も打ち砕かれたけど、皇子のおかげで少しずつ取り戻しつつある。
たった一人だけでもいい。自分を認めてくれる人がいるだけで人間とは強くなれるものなんだなと、そんな大げさなことまで考えてしまう。
「その者には、言い伝えがございます。『緑の大地に稀有なるいでたちの乙女が舞い降りる。その乙女、いずれ国を治めん皇子を篭絡し、堕落させるであろう。ゆえに国は衰亡し、他国に服従せん』と。まさにその女のことです」
説明しながら、長老は私を指さした。
――いやいや、舞い降りてないですから。エスカレーターから転がり落ちただけですから。
それに稀有なるいでたちはあなたたちのほうでしょ。
いくら広いアメリカだって、こんな服装している人たちなんていないと思う。皇子とその護衛たちだって、普段からこんなローブ着てないよね。
しかも牛で荷車引いたり、移動手段が馬だったり……。
「それがこの女性だという証拠はあるのか?」
「失礼ながら、現に殿下はすでにその女に心を奪われかけているではないですか。それが何よりの証拠」
「あのような扱いを受けている女性を見かけて、そのまま通り過ぎるわけにはいかないだろう!」
二人の言い合いを聞きながら、私はまた現実感を失い始める。
――やっぱり、アトラクション内で拉致されたわけじゃないのかな。エスカレーターから落ちた勢いで、どこまで転がっていったんだろう。
遠くまで転がっていったにしても、あの広いアトラクションから出てしまうほどとは思えないし、一般的な服装をした人をまったく見かけないってことはありえないよね。頭を強く打ちすぎて、意識がないまま放浪していたとか?
でもそれなら誰かしら声をかけてくれそうな気がしないでもない。それか薬でもやってると思われて放っておかれたのかな。
いろいろ考えるうち、
「……それなら、ここはどこ?」
と、疑問が思わず口をついて出た。皇子と長老は言い合いを止め、私を見る。
「……神殿の前だが……?」
戸惑いの表情で、皇子が答えた。
「あ、いや、そういうことではなくて……。ここは、なんていう国ですか?」
私の言葉に、皇子はさらに戸惑いの色を濃くする。
「……アンガシアだが。まさか、知らないのか? レトロウテ、ハイガロー、カトナイカを従属させる大国だが……」
皇子の目に、初めて不信感のようなものが浮かんだ。……まずい。せっかく味方だったのに、この人まで失ってしまったら……。
焦った私は、大げさに頷きながら笑顔で答えた。
「ですよね! ずっと地下に監禁されて、今日初めて外に出たものですから……記憶がなんか、こう、あいまいで……」
言い訳すると、皇子は安堵したように微笑んだ。ああ、よかった。信じてくれたみたい。
でも長老は上品に眉を上げ、「ほら見なさい。怪しいではないですか」といわんばかりの表情を浮かべていた。
それにしても、アンガシアってなんだろう。
初めて聞いたし、従属させてるレトロウテとなんとかって国々も知らない。
(でもこの皇子は本気でわたしが国名を知らないことに驚いてたし……。少なくとも、アメリカ近辺にそんな名前の国はなかったはず)
言い合いの内容を聞いていると、皇子が嘘をついているとは考えにくい。
それに災厄がどうのって……大げさすぎない? 自然災害ならあるだろうけど、天から人が降ってきて災害をもたらすとかいつの時代よ?
人身売買のマフィアに連れ去られたとか、カルト集団だとか。
マフィアとカルトだったら、どっちが怖い?
――どっちも同じか。ああ……お先真っ暗。
薄暗い裏道に汚れた私の遺体が転がっているとか、川か海に浮かんでいるとか、そんな感じのバッドエンドばかり頭に浮かぶ。




