皇子現る②
皇子に抱きしめられたまま、まったく状況を読めない私はグアンと黒ローブたちの表情をうかがった。
グアンは相変わらず崩れ落ちたままうなだれているし、ローブたちは眉間にしわを寄せ、胡乱なものを見るような目で私を見ている。
まぁ罪人と説明されれば仕方ないのかもしれないけれど、でも私は何も悪いことはしていないわけで……。
――そこまで考えたところで、ひらめいた。
この皇子とやらに事情を説明すれば、あの地下牢に戻らなくて済むのではないかと! 唯一、私の見方になってくれそうな人に遭遇し、しかもこの国の皇子だというのだから。
わらにもすがる気持ちで、私は皇子の耳に向かってささやいた。
「私は何も罪を犯していません。エスカレーターから落ちて気を失っていたところ、この人とローブのだれかにいきなり拉致されて地下牢に閉じ込められていただけです。この地に現れただけで罪と言われましたが、そんなに入国審査が厳しいんですか?」
「その、えす……なんとかというのは知らないが、別に罪ではない。そんなことを言ったら、旅人や商人はみんな投獄されてしまうではないか。
――いや、待て。この近くには牢獄はなかったはず。そこの男、この麗しいお方を監禁していた場所はどこだ?」
「……はっ? そ、それは……この近くで……」
尋ねられて顔を上げたグアンが、うろたえた様子で目を泳がせた。
「だから、この付近には牢獄はなかっただろう? あるのは神殿のみだ」
「しっ、だっ……そうなんですけど……」
グアンの顔が青ざめ、冷や汗でてかり始める。今までわたしをブスとあざけり、威張りくさってきた男の情けない姿を見て、これまでの仕打ちに対する溜飲を多少なりとも下げることができた。
「はっきりしろ!」
業を煮やした皇子が私の耳元で声を張り上げる。びっくりして思わず身をすくませたら、
「ああ、すまない」
と、小声で謝罪された。
怪しい女を抱きしめる皇子にどう対応するか悩んでいた様子の黒ローブたちが、やっと動き始めた。
「おい。皇子がお訊ねになっているのだ。早くお答えしろ」
黒ローブに腕をつかまれ、グアンはがたがた震え始める。
彼を問い詰めているということは、この二人はあの時の黒ローブとは別の人間なのだろう。いずれにしても顔はよく見てないから、判断はできないけど。
「あの……いえ……だから……」
「答えろ!」
苛立った黒ローブの一人が怒鳴ると、グアンはびくんと飛び跳ねて、声を裏返しながら答えた。
「神殿の地下牢です!」
「……神殿?」
ずっと私を抱きしめていた皇子の腕が緩んだ。
ちらりと横目で確認すると、彼は目を見張って口をあんぐりと開けている。その瞳が透き通ったエメラルドグリーンだと気づき、きれいだなと見とれていると、黒ローブににらまれたので慌てて目をそらした。
「あの神殿に、地下牢なんてあったか?」
皇子が尋ねると、黒ローブはグアンの腕を離して姿勢を正した。
「は。そのような話は私も聞いたことはありませんが……」
「――神殿なのに、なぜ地下牢があるんだ?」
誰に聞くともなく、首をひねりながら皇子がつぶやいた。
「古の時代に、不信心な者を収監したと聞いたことがあったような、ないような……」
相変わらず震えているグアンは黒ローブに小突かれ、びくびくと彼らの顔色を窺いながら答える。
彼の様子を見る限り、やっぱり私には監禁される理由などなにひとつなかったのだということが分かった。
――あの冷たくて暗くて湿気っぽい地下牢に閉じ込められ、食事の量も十分なものではなかった。
足かせは重いし痛いし、後半は精神的にもかなり追い詰められていた。
外に出たいがために、グアンに抱かれるしかないとまで考えたほど。
――そのすべてに、正当な理由がなかったと?
改めて、怒りがふつふつと沸いてくる。
そんなグアンのあやふやな返答に苛立った様子で、皇子は眉を跳ね上げた。
「おまえは神殿の使用人か?」
「……はぁ、まぁ……」
「それなら、知ってるのではないか?」
「あ、いえ。私は末端の身ですから。命じられた通り動くだけで、詳しいことはなにも……」
必死に責任逃れをしようとするグアンは、無意識のうちに両手を揉み合わせている。その顎から、汗がしたたり落ちて乾いた地面に染みを作った。……きもい。
「で。この麗しい女性を虐待するのも、命じられてやったと?」
皇子の声が一段低くなり、脅すようにさらに問い詰める。
「はっ、いやっ、めっそうもない。長老様が、そのようなことを命じられるはずもないでございますよ! ただ、この女……この女性に関しては、言い伝えがございまして……それでその女性の自信を完全にくじく必要があってですね……と聞きましたでございまして……」
緊張と恐怖のあまり、グアンの言葉使いがところどころ変になっている。
「言い伝え? それはどのような?」
「私の口から申し上げるわけには……。先ほど申し上げましたとおり、詳しいことは知りませんし――なにより、長老様に確認を取りませんと……」




