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外に出る③

「わざわざ来てくれたから、少しは私の話を聞いてくれるかと思ったのに――」


 落胆のあまり、私は俯いて唇を噛みしめる。


「わざわざ? 私は皇子の件をお話するために来たのですが?」


 白ローブが答える。


 ――ということは。


「グアンさんに言われたからここに来てくれたってわけじゃないんですね?」


 外に出ることが叶わないのなら、グアンに抱かれるなんてことはしたくない。顔を上げて白ローブに尋ねたら、彼の後ろでグアンががっくりと肩を落としていた。


「はい? とくに何も言われていませんが。私に何か用事があったのですか?」


 白ローブの返答に、私は深く安堵のため息をついた。


 ――結局、事態はなにも変わっていないけれど。せめてもの不幸中の幸い、と言えなくもない。


「先ほどお願いした件をお話したかっただけです。何もしないまま一日中ずーっとぼんやり過ごしているだけより、いただいている食事代くらいは働きたいなと思ったので。刑務所の囚人だって、一応仕事があるじゃないですか」


「刑務所? なんですか、それは」


 白ローブが首を捻るのを見て、私は思わずあんぐりと口を開いて言葉に窮した。


(刑務所って、一般的な名称だよね?)


戸惑いながら、

「私がいる、ここみたいな――プ……プリズン?」

と言い換えてみる。


「ああ、牢獄のことですね。労働を提供してもらうこともありますが、罪人によっては、外に出してはいけない者もいますから。あなたは外に出してはいけない者の一人です」


「たっ、たとえば! 皇子が帰ったら多少は許してもらえたりはするんでしょうか? どんな仕事でもします!」


「――どんな仕事でも、と言いましたか?」


 必死に懇願する私を見おろす白ローブの瞳が、キラリと怪しく輝いた。嫌な予感はするものの、細い希望の糸にすがりつくような気持で、私は大きく頷く。


「はい。どんな仕事でも」


「分かりました。考えておきましょう。いずれにしても、皇子が王宮にお戻りになった後になりますが。では、しばらくの間、沐浴は控えていただきます。しばらく忙しくしておりますが、何かあれば、このグアンに伝えてください」


「分かりました。よろしくお願いします」


 ――もう少し我慢すれば、もしかすると外に出ることができるかもしれない。


 皇子とやらが帰るまで沐浴できないのはつらすぎるけど、外に出る望みがあるのなら、なんだって我慢できる気がする。


 その日のうちに、皇子が到着したらしい。グアンが運んでくる食事が、いつもより豪勢なものに変わった。


 不潔な場所で過ごしているせいもあるのだろう。一日の楽しみが食事のみになって五日も過ぎた頃には、私はホームレスのような有様になっていた。


 体は垢じみて、髪はべとつき、頭皮は耐えがたいほどに痒い。治りかけのケガのせいもあるのだろう。黒ずんだ包帯を引きちぎるように外し、激しく爪でかきむしるうち、かさぶた部分にまた傷をつけてしまったのだろう。どんどんひどくなっていく痒みに痛みが加わり、掻くこともできなくなった。


 おかげで私のストレスは限界まで膨れ上がり――気づいたら、唸りながら壁に頭突きをしていた。


 ――皇子が来たってだけで、なんで私がこんな目に合わなければいけないのだろう。皇子はなんのためにここにいるの? さっさといなくなれ。


 顔も知らないというのに、皇子が憎くて仕方がなかった。




 食事を運んできたグアンが、傷つき、赤く腫れあがっている私のおでこを見て目を丸くした。


「どんだけ派手に転んだんだよ? 顔面から突っ込むなんて、よほどトロいんだな」


「足枷のせいでバランスを崩しやすいし、手足がかじかんで思うように動けないの」


 壁に頭突きをしたなんて、正直に言うつもりはなかった。おかしくなりかけている自覚はあったが、まだプライドは残っている。


 このずんぐりとした小男にバカにされたくはなくて、適当に返答した。


 グアンは訝しんでいるような目で私を見たが、それ以上は何も言わず、トレーをサイドボードに乗せる。


「それで――皇子はいつ帰るの? いい加減、体を洗いたい」


 戻ろうとした彼の背にそう尋ねると、グアンは振り向き、顔を歪めた。


「確かに、臭うもんなぁ。ああ、汚い」


 それだけ言って、さっさと牢の扉を開いて出ていく。


 相手がたとえグアンでも、私は話し相手が欲しかった。なんの変化もない一日の中でグアンだけが唯一の変化で、私を正気につなぎとめる一本の細い糸。


「ちょっと待ってよ。ねえ、どんな人なの、皇子って」


 媚びるような甘い声で尋ねる。が、この見てくれでは、少しも効果はないようだ。


 グアンは鼻で笑って鍵を締め、私の視界から消えた。


 そしてまた、一人ぼっち。


 泣きそうになりながら、私は運ばれてきた食事を見おろした。


 体が冷えたせいで風邪もひいたらしい。鼻が詰まっていて、あんなに楽しみだった食事も、まったく味を感じなくなっていた。ほとんど動いていないから、食欲もない。


 それでも味のない食事を、ただ生きるためだけに咀嚼する。


 温かいスープをすすったら、食道を温めながら胃に落ちていくのを感じた。それだけ私の体は冷えている。


 皇子が帰ったとグアンから聞いたのは、それからさらに五日後だった。


 ――たぶん。



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