29 医務室にて
看護や介護って大変なお仕事だと思うんです。
例えばナースコールの一次受付とか、AIが担ってくれたら少しは助かるんじゃ?
ペッパー君がもう少し進化したらイケるかも。
……白い。
目覚めたレオンが最初に見たのは、医務室らしき壁と天井だった。
医務室の特徴を見分けたわけでは無くて、自分が目覚めるとしたら医務室だろうと思ったからだ。見える範囲に生活感のようなものが無いのも、医務室だろうと思わせた。
生活感もなければ、洗練された家具調度の一つも見当たらない。
ここはスレイプニール号の船内では無いのか。
……あれ? 以前にも同じような。
「まさか、……夢オチ?」
力なく、不意に言葉が漏れた。視線が天井をのたくり、焦点がぼやける。
……
………
「気分はどうですか?」
声が聞こえた。聞き覚えのある、涼やかな声だ。
ゆっくりと、レオンは上半身を起こした。
左の二の腕には点滴キットが装着されていた。宇宙船などの無重力ないしは弱重力下でよく使われる、ベルトで二の腕に装着する使い切りのタイプだ。血管まで針が通っているので、動くとわずかな疼痛がある。それがレオンの覚醒を助長したのも事実だ。
「既に生体モニタリング情報の上では、正常の範囲内にあります」
ベッドの足元側に、アリスがいた。レオンをじいっと見つめている。端正な容姿のせいか、無機質な背景と相まって、ちょっと怖い。
「アリス、だよな?」
「はい」
わずかに頷く。
「じゃあ夢じゃないよな。けど、ここは何処だ? ずいぶん殺風景だが」
「夢? よくわかりませんが、ここはスレイプニール号の医務室です」
レオンにとっては意外な言葉だったが、それを質す前に医務室のドアが開いた。
プシュ、と小さくエアシリンダが音を立てて、滑らかにドアが横にスライドする。
「起きましたか。ご機嫌はいかがですか?」
メルファリアが姿を現した。クーゲルとグラハムも続いて医務室に入ってきた。
「レオン君、気分はどうかね。差し障りがなければ、話を聞かせて貰おうかと思ってね」
長時間不眠不休だったレオンは、気が抜けて倒れこんでしまったようだ。そう聞かされてレオンはいささか恐縮した。
「これはまた、恰好悪いところをお見せしてしまいましたね」
アリスは表情を変えないが、レオンの言葉を聞いた他の三人は、総じて朗らかだ。
「そんな事はないよ、レオン君。かっこ悪くなんかあるものか」
クーゲルが顔を引き締めて、レオンに話しかける。
「レオン君、我々は君に、置き去りにした事を詫びねばならぬ立場だ。その上更に、窮地を救って頂いた」
「その通りだ。レオン君、私からも改めて礼を言わせてもらう。それから、礼だけではなく具体的に何か、君に贈れるものを考えている。受け取って頂けるとありがたい」
「いやあ、恐縮です」
正直なところ、どういった態度をとるべきなのか、見当がつかなかった。ただもちろん、嫌な気分ではあろう筈もない。
「ところで、色々と聞きたい事はあるのだが……。まずはその、そこにいらっしゃるお嬢さんはどなたなのですかな?」
クーゲルの視線がアリスを向く。
「お嬢さん?……ああ、アリスのことか」
「ファーストネームを! ……あ、いえ……」
小さくそして鋭く、いきなりメルファリアが声を上げ、すぐに居直って口を噤んだ。
アリスが一同を見渡して、いつものように冷静に口を開く。
「レオンが”説明する”と言いましたので、私からは何もお伝えしていません」
涼しげな顔、というより涼しい顔だ。結果的に、美貌が際立つ。
一同の視線が、アリスからレオンに遷移する。
「ええっと……。彼女は、アリス。まず第一に、彼女はアンドロイドです」
今度は、一斉に視線がアリスに向く。
「なんと、アンドロイド」
「まあ」
アンドロイド自体は珍しくないが、目を見張るべきはその精緻さ。ここまで精巧に作られたものはまず見かけない。科学技術的チャレンジとしてはともかく、経済的合理性は全くないからだ。一部の金に糸目を付けない好事家が、自らの趣味のために特注する程度であろう。皆が驚くのも無理はない。
「そして、単なるアンドロイドではありません。私は、彼女に助けられたんです」
医務室のベッドに腰かけたまま、レオンは考えをまとめながら説明を続けた。
アリスと、全銀河探査船ラーグリフの存在、その本来の使命。
Dr.クレイオ・ラトウィッチ・ランツフォートの関与。
過去の惨事、UN本部爆破テロとの関連性。
レオンが救助された顛末と、行きがかり上ラーグリフの管理者となったこと。
海賊アシッドクロウと、対処するための作戦のこと。
ラーグリフの持つ高速性能と砲戦能力。
特に、iフライト・レベル6の性能を謳う超高速航行能力と、レオンが実際にiフライトレベル5での航行を行ってきた事に関しては、誰もが驚嘆した。
「このスレイプニールの、更に十倍の速さとは……レオン君、君は適合できているのかね? いやそれよりも、そもそも安全性の検証が出来ているのか甚だ疑問だが」
グラハムのこの問いかけには、アリスが回答した。
「仰る通り、安全性の検証は全く不充分です。レオンが2例目となりますが、1例目の人物は航行後に体調を崩しています。倍率との関連性はまだ不明ですが。そしてレオンに関しては、今のところ異常は見当たりませんが、経過を注意深く観察すべきと考えます」
「う~む。レオン君は、勇気があるな。我等は、その勇気に救われたのだな」
クーゲルが、心底感心した様子でレオンを見た。
「驚くことばかりだ。だがこうして我々は、現に助けられている訳であるのだからな」
グラハムは神妙な面持ちで言葉を紡いだ。
「聞きたい事が、更に増えてしまいましたなぁ」
そう言うクーゲルは、相好を穏やかに崩して好奇心を隠そうとしない。
実のところ、ラーグリフはスレイプニール号が到着するよりも22時間ほど前にクリフォード星系に到着していた。星系内宇宙の物質分布傾向などにより、各星系ごとにiフライトアウトすべきポイントはおおよその見当がつく。更に、行先は惑星トーラスであるとわかっている。ラーグリフは搭載艇であるプロミオンを分離し、また観測用ポッドを幾つか飛ばして哨戒網を構築し、待ち構えた。
「案の定、スレイプニール号よりも先に、ノイズのひどい海賊船を捉えましたね。もうスレイプニール号を追いかけているところでした。それで、こちらの情報をなるべく渡さないようにと、アームローダーだけで近づいたんです」
「それもまた、勇気のいる事ですな」
「アリスが、ラーグリフとの連携をコントロールしてくれましたから」
レオンがアリスに視線を向ける。皆の視線がまたアリスに集まるが、当人は眉一つも動かさない。
「なるほど。それが、インターフェースアンドロイドの力量ですか」
「誤算だったのは、思いのほか早くクリフォード星系に着いてしまって、俺の空腹がどうにもならなかったことですかね」
当分のあいだ質問攻めになるのだろうか? そうレオンが少しだけ心配したとき、救いの手は意外な方角からやってきた。おもむろにアリスが口を開く。
「海賊船アシッドクロウを感知できなくなりました。自爆か、もしくは撃沈された可能性があります。不測の事態に備え、ラーグリフはディープステルスモードに移行して退避します」
やや早口で、現状を報告する。レオンは短く答える。
「うん、わかった」
クーゲルは弾かれたように向きなおり、グラハムとアイコンタクトを交わすと医務室を出て行った。ふーむ、と溜息ともつかない声を漏らしてグラハムも立ち上がり、レオンに一声かけてからクーゲルを追うように医務室を出る。
「レオン君、すまないがまた後でいろいろと聞かせてくれたまえ。今はとにかく、トーラスへ向かおう」
「はい」
医務室には、レオンとアリス、そしてメルファリアが残った。
それまでおとなしくしていたメルファリアが、何かを言いたそうにもじもじしている。が、なかなか声は出てこない。見るべきものの乏しい医務室内を、右に左に視線が彷徨っている。
ちらり、とアリスを窺ってから、レオンから声を掛けた。
「それにしても、スレイプニール号の医務室ってのは、案外殺風景だったんですね」
「え? ……ええ、これにはその、少し事情があるの。それよりも……」
こほん、とわざとらしく小さな咳払いをして、
「私からも、改めてお礼を言わせてください」
しおらしく、彼女は頭を下げた。
「レオンは、自分の身の安全を優先することができたのに、敢えて私達を助けに来て下さったんですもの。それなのに、私は、些細な事を気にしてしまって……」
科白が尻切れになる。そんな彼女が、とても可愛らしくレオンの眼には映った。
「メルファ……さん。俺だってスレイプニール号の乗組員ですよ。それが可能なら、助けに来るのがあたりまえじゃないですか」
もっと気の利いたセリフが出ないものかと語彙を探ったが、残念ながら手応えが無い。こういう場面で知識量がものをいうのだろうが、今のレオンにはどうにもならない。
それでもメルファリアは、レオンの言葉に一定の感銘を受けたようではある。
「ありがとう、レオン。この船の乗組員全員が、貴方に感謝しています」
メルファリアの、レオンを見つめる瞳がわずかに潤む。
感謝の言葉を受け取ったレオンの顔が熱くなる。意志とは関係なく鼓動が高まる。
アリスの眉がぴくりと動く。
「レオンの生体モニタに通常値からの逸脱を確認しました」
おもむろに、涼やかな声がそう言った。
「え? ……え?」
その冷静な声に、むしろ驚いたレオンだった。
「……そうでした。レオンはまだ安静にしておられるべきなのでしたね。では、私も一旦退出致しますので、もうしばらくは安静にしてお休みください」
立ち上がって優雅に会釈し、メルファリアもまた医務室から退出していった。
プシュ、とエアシリンダの小さな音が、今は寂しく感じられた。
しばらく音のない時間が流れたが、レオンはまだ上半身を起こしたままだ。
「レオンの生体モニタの値が、通常の範囲内に戻りました」
アリスがそう言った。
「ああ……、うん」
何かを掴みそこねて空振りをした、そんな気がした。
「そういえば、お腹がすいたままだなぁ……」
「レオン、長期間の空腹の後には、つい食べ過ぎてしまう傾向があるようですが、それはお勧めできません。まずは少量の流動食から始めましょう」
「ええ? そうなのか?」
「しかもレオンの場合は、点滴と共に、もう少し休養を取ってからです。」
「確かに、……まだ眠いな。そうする」
レオンはベッドに伏し、もう一度眠ることにした。




