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深淵のアリス  作者: 沢森 岳
29/33

29 医務室にて

看護や介護って大変なお仕事だと思うんです。

例えばナースコールの一次受付とか、AIが担ってくれたら少しは助かるんじゃ?

ペッパー君がもう少し進化したらイケるかも。

 ……白い。

 目覚めたレオンが最初に見たのは、医務室らしき壁と天井だった。

 医務室の特徴を見分けたわけでは無くて、自分が目覚めるとしたら医務室だろうと思ったからだ。見える範囲に生活感のようなものが無いのも、医務室だろうと思わせた。


 生活感もなければ、洗練された家具調度の一つも見当たらない。

 ここはスレイプニール号の船内では無いのか。

 ……あれ? 以前にも同じような。

「まさか、……夢オチ?」

 力なく、不意に言葉が漏れた。視線が天井をのたくり、焦点がぼやける。

 ……

 ………


「気分はどうですか?」

 声が聞こえた。聞き覚えのある、涼やかな声だ。

 ゆっくりと、レオンは上半身を起こした。


 左の二の腕には点滴キットが装着されていた。宇宙船などの無重力ないしは弱重力下でよく使われる、ベルトで二の腕に装着する使い切りのタイプだ。血管まで針が通っているので、動くとわずかな疼痛がある。それがレオンの覚醒を助長したのも事実だ。


「既に生体モニタリング情報の上では、正常の範囲内にあります」

 ベッドの足元側に、アリスがいた。レオンをじいっと見つめている。端正な容姿のせいか、無機質な背景と相まって、ちょっと怖い。

「アリス、だよな?」

「はい」

 わずかに頷く。


「じゃあ夢じゃないよな。けど、ここは何処だ? ずいぶん殺風景だが」

「夢? よくわかりませんが、ここはスレイプニール号の医務室です」

 レオンにとっては意外な言葉だったが、それを質す前に医務室のドアが開いた。


 プシュ、と小さくエアシリンダが音を立てて、滑らかにドアが横にスライドする。

「起きましたか。ご機嫌はいかがですか?」

 メルファリアが姿を現した。クーゲルとグラハムも続いて医務室に入ってきた。

「レオン君、気分はどうかね。差し障りがなければ、話を聞かせて貰おうかと思ってね」

 長時間不眠不休だったレオンは、気が抜けて倒れこんでしまったようだ。そう聞かされてレオンはいささか恐縮した。


「これはまた、恰好悪いところをお見せしてしまいましたね」

 アリスは表情を変えないが、レオンの言葉を聞いた他の三人は、総じて朗らかだ。

「そんな事はないよ、レオン君。かっこ悪くなんかあるものか」

 クーゲルが顔を引き締めて、レオンに話しかける。

「レオン君、我々は君に、置き去りにした事を詫びねばならぬ立場だ。その上更に、窮地を救って頂いた」


「その通りだ。レオン君、私からも改めて礼を言わせてもらう。それから、礼だけではなく具体的に何か、君に贈れるものを考えている。受け取って頂けるとありがたい」

「いやあ、恐縮です」

 正直なところ、どういった態度をとるべきなのか、見当がつかなかった。ただもちろん、嫌な気分ではあろう筈もない。


「ところで、色々と聞きたい事はあるのだが……。まずはその、そこにいらっしゃるお嬢さんはどなたなのですかな?」

 クーゲルの視線がアリスを向く。

「お嬢さん?……ああ、アリスのことか」


「ファーストネームを! ……あ、いえ……」

 小さくそして鋭く、いきなりメルファリアが声を上げ、すぐに居直って口を噤んだ。


 アリスが一同を見渡して、いつものように冷静に口を開く。

「レオンが”説明する”と言いましたので、私からは何もお伝えしていません」

 涼しげな顔、というより涼しい顔だ。結果的に、美貌が際立つ。


 一同の視線が、アリスからレオンに遷移する。

「ええっと……。彼女は、アリス。まず第一に、彼女はアンドロイドです」

 今度は、一斉に視線がアリスに向く。

「なんと、アンドロイド」

「まあ」


 アンドロイド自体は珍しくないが、目を見張るべきはその精緻さ。ここまで精巧に作られたものはまず見かけない。科学技術的チャレンジとしてはともかく、経済的合理性は全くないからだ。一部の金に糸目を付けない好事家が、自らの趣味のために特注する程度であろう。皆が驚くのも無理はない。


「そして、単なるアンドロイドではありません。私は、彼女に助けられたんです」

 医務室のベッドに腰かけたまま、レオンは考えをまとめながら説明を続けた。


 アリスと、全銀河探査船ラーグリフの存在、その本来の使命。

 Dr.クレイオ・ラトウィッチ・ランツフォートの関与。

 過去の惨事、UN本部爆破テロとの関連性。

 レオンが救助された顛末と、行きがかり上ラーグリフの管理者となったこと。

 海賊アシッドクロウと、対処するための作戦のこと。

 ラーグリフの持つ高速性能と砲戦能力。


 特に、iフライト・レベル6の性能を謳う超高速航行能力と、レオンが実際にiフライトレベル5での航行を行ってきた事に関しては、誰もが驚嘆した。

「このスレイプニールの、更に十倍の速さとは……レオン君、君は適合できているのかね? いやそれよりも、そもそも安全性の検証が出来ているのか甚だ疑問だが」


 グラハムのこの問いかけには、アリスが回答した。

「仰る通り、安全性の検証は全く不充分です。レオンが2例目となりますが、1例目の人物は航行後に体調を崩しています。倍率との関連性はまだ不明ですが。そしてレオンに関しては、今のところ異常は見当たりませんが、経過を注意深く観察すべきと考えます」


「う~む。レオン君は、勇気があるな。我等は、その勇気に救われたのだな」

 クーゲルが、心底感心した様子でレオンを見た。

「驚くことばかりだ。だがこうして我々は、現に助けられている訳であるのだからな」

 グラハムは神妙な面持ちで言葉を紡いだ。

「聞きたい事が、更に増えてしまいましたなぁ」

 そう言うクーゲルは、相好を穏やかに崩して好奇心を隠そうとしない。


 実のところ、ラーグリフはスレイプニール号が到着するよりも22時間ほど前にクリフォード星系に到着していた。星系内宇宙の物質分布傾向などにより、各星系ごとにiフライトアウトすべきポイントはおおよその見当がつく。更に、行先は惑星トーラスであるとわかっている。ラーグリフは搭載艇であるプロミオンを分離し、また観測用ポッドを幾つか飛ばして哨戒網を構築し、待ち構えた。


「案の定、スレイプニール号よりも先に、ノイズのひどい海賊船を捉えましたね。もうスレイプニール号を追いかけているところでした。それで、こちらの情報をなるべく渡さないようにと、アームローダーだけで近づいたんです」


「それもまた、勇気のいる事ですな」

「アリスが、ラーグリフとの連携をコントロールしてくれましたから」

 レオンがアリスに視線を向ける。皆の視線がまたアリスに集まるが、当人は眉一つも動かさない。

「なるほど。それが、インターフェースアンドロイドの力量ですか」

「誤算だったのは、思いのほか早くクリフォード星系に着いてしまって、俺の空腹がどうにもならなかったことですかね」


 当分のあいだ質問攻めになるのだろうか? そうレオンが少しだけ心配したとき、救いの手は意外な方角からやってきた。おもむろにアリスが口を開く。

「海賊船アシッドクロウを感知できなくなりました。自爆か、もしくは撃沈された可能性があります。不測の事態に備え、ラーグリフはディープステルスモードに移行して退避します」

 やや早口で、現状を報告する。レオンは短く答える。

「うん、わかった」


 クーゲルは弾かれたように向きなおり、グラハムとアイコンタクトを交わすと医務室を出て行った。ふーむ、と溜息ともつかない声を漏らしてグラハムも立ち上がり、レオンに一声かけてからクーゲルを追うように医務室を出る。

「レオン君、すまないがまた後でいろいろと聞かせてくれたまえ。今はとにかく、トーラスへ向かおう」

「はい」

 医務室には、レオンとアリス、そしてメルファリアが残った。


 それまでおとなしくしていたメルファリアが、何かを言いたそうにもじもじしている。が、なかなか声は出てこない。見るべきものの乏しい医務室内を、右に左に視線が彷徨っている。

 ちらり、とアリスを窺ってから、レオンから声を掛けた。

「それにしても、スレイプニール号の医務室ってのは、案外殺風景だったんですね」


「え? ……ええ、これにはその、少し事情があるの。それよりも……」

 こほん、とわざとらしく小さな咳払いをして、

「私からも、改めてお礼を言わせてください」

 しおらしく、彼女は頭を下げた。


「レオンは、自分の身の安全を優先することができたのに、敢えて私達を助けに来て下さったんですもの。それなのに、私は、些細な事を気にしてしまって……」

 科白が尻切れになる。そんな彼女が、とても可愛らしくレオンの眼には映った。

「メルファ……さん。俺だってスレイプニール号の乗組員ですよ。それが可能なら、助けに来るのがあたりまえじゃないですか」


 もっと気の利いたセリフが出ないものかと語彙を探ったが、残念ながら手応えが無い。こういう場面で知識量がものをいうのだろうが、今のレオンにはどうにもならない。

 それでもメルファリアは、レオンの言葉に一定の感銘を受けたようではある。

「ありがとう、レオン。この船の乗組員全員が、貴方に感謝しています」

 メルファリアの、レオンを見つめる瞳がわずかに潤む。


 感謝の言葉を受け取ったレオンの顔が熱くなる。意志とは関係なく鼓動が高まる。

 アリスの眉がぴくりと動く。

「レオンの生体モニタに通常値からの逸脱を確認しました」

 おもむろに、涼やかな声がそう言った。

「え? ……え?」

 その冷静な声に、むしろ驚いたレオンだった。


「……そうでした。レオンはまだ安静にしておられるべきなのでしたね。では、私も一旦退出致しますので、もうしばらくは安静にしてお休みください」

 立ち上がって優雅に会釈し、メルファリアもまた医務室から退出していった。

 プシュ、とエアシリンダの小さな音が、今は寂しく感じられた。


 しばらく音のない時間が流れたが、レオンはまだ上半身を起こしたままだ。

「レオンの生体モニタの値が、通常の範囲内に戻りました」

 アリスがそう言った。

「ああ……、うん」

 何かを掴みそこねて空振りをした、そんな気がした。


「そういえば、お腹がすいたままだなぁ……」

「レオン、長期間の空腹の後には、つい食べ過ぎてしまう傾向があるようですが、それはお勧めできません。まずは少量の流動食から始めましょう」

「ええ? そうなのか?」


「しかもレオンの場合は、点滴と共に、もう少し休養を取ってからです。」

「確かに、……まだ眠いな。そうする」

 レオンはベッドに伏し、もう一度眠ることにした。


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