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深淵のアリス  作者: 沢森 岳
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28 レオンの帰還

文化的な生活を過ごすためには重力が必要です。

液体は下に向かって落ちなくてはならないのです!断じて!

 網膜に残るほどの明るい爆発が、相次いで二つ観測できた。

「ロケットブースターが爆発したようです。……無力化したと判断しました、砲撃停止」

 元より音は聞こえないが、沈黙した、という表現がまさに当てはまる。


「海賊は、どういう状況だ?」

「船体は原形を留めていますが、ご希望通りの、まさにまる焦げ状態ですね。ほとんどのセンサー類は破損していると思います。また、姿勢制御用のスラスターなども破損しているのでしょう。ロケットブースターの爆発の余波で、複雑に回転しながら漂流しています。船全体が稼働停止しているようです」


 海賊とはいえ、殺さずに済んだであろうことにレオンは胸を撫で下ろした。自己満足でしかないだろうし、海賊たちにとってはもしかしたら、ビームで消し飛ぶよりも辛いかも知れないが。

「うまくいったな。さすがだな、アリス」

「はい。レオンこそ、見事な手並みでした」


 アリスは器用に上半身をねじってすぐ後ろのレオンに振り向くと、嬉しそうに微笑んだ。嬉しそうに微笑んだ表情を作った、と言うべきか。レオンはといえばそこまで深く考えず、掌を広げて右手をゆっくりと差し出す。合わせるようにアリスも右手を差し出し、二人は不自由な態勢ながらも、がっちりと握手を交わした。


 ◆


 スレイプニール号からも、海賊船にビームが次々と着弾する様子が見えていた。

 海賊船はやがて二つの爆発を起こし、その後は消えるように闇に紛れてしまった。

 だがしかし、である。救援が間に合い自分達が助かったわけでは、ない。賊同士の争いに決着がついただけだ。スレイプニール号の面々からすれば、事態がどう動くのか、予断を許さない状況はまだ続いていたのだ。


 ふと、注目から外れていたオープンチャンネル上の男が再び喋り始めた。

「では改めて、スレイプニール号へ」

 その声は、喋り方は同じなのに、先程までの野太い声ではなかった。

「スレイプニール号、聞こえるか? こちら、レオンだ」

 そう言うと、画面上の男から忽然と、顎髭と帽子が消えた。そして、レオンがにこりと微笑む。


「あ、……ということは、今までのは合成?」

「なんと、本当にレオン君なのか? にわかには信じられんが……」

 ブリッジがざわめく。お互いが顔を見合せ、確信を得ようとする。


「みんな無事なんだろう? とにかく間に合ってよかった。説明は長くなりそうだから、直接会って話したい。アームローダーを入れてくれ」

 そう言うと、オープンチャンネルは途切れた。

 入れ替わりに、アームローダーXA900レオン機からの通信コネクトリクエストが再び届いた。


 乗組員たちからは、一斉に安堵のため息が漏れた。海賊を仕留めたのは、どうやら味方のようだ。経緯はまだ分からないが、会話の内容からも、映像の男がレオンではないことの方が無理がある。ならば、助かったという事になるじゃないか。

 疑問はまだあるにせよ、救世主が登場してくれたことを信じずにはいられない。


 ぱんぱん、と手を叩いて、メルファリアが声を出す。

「早速、出迎えましょう」


 スレイプニール号は無残に損傷しており、封鎖されたブロックも多い。特に、叩きつけられるように接触した右舷側はハープーンアンカーが幾つも刺さったままであり、内部構造までもが大きく傷ついていた。船内システムを可能な限り復旧させると共に、あらぬ方向を向いていた進路を修正した後で、ようやくレオン機は収納された。


 エアロックが閉じ、気圧が回復した格納庫の中で、アームローダーが動きを止める。

 駐機し固定された重機の乗組みハッチが開き、別れた時と同じ姿のレオンが下りてきて、ぎこちなくヘルメットを脱いだ。

「ふう」

 小さく息をつく。


「おお、レオン君」

「ほんとうだ……」


 そこにあった顔を確認すると、出迎えに来ていたメルファリアが駆け寄り、抱きついた。

 格納庫の疑似重力は0.5G程度に抑えられているので、ふわりと飛びついたメルファリアを、レオンはふわりと抱き留めた。


「レオン! 無事でよかった」

 涙目である。

「わっ、……メル……」


 思わぬご褒美に、鼓動が激しくなる。声が裏返ってしまいそうだった。抱き留めたまま、レオンは意識してゆっくりと呼吸し、やっとひとこと絞り出した。

「レオン、ただいま戻りました」

 心底ほっとした。

 達成感よりも、安堵のほうが何倍にも大きかった。


 間近でレオンの顔をやや見上げるメルファの瞳は潤んでいる。何かを語りかけようと、可憐な唇が小さく動いた。

 その時、一人乗りであるはずの重機の操縦席から、もう一人がレオンのすぐ横にふわりと降り立った。猫のようにしなやかに、身体の柔軟性をもって反力をいなした後、背筋を伸ばして格納庫の床に直立した。


 外見は若い女性。とびきりの美女と言っていい。メルファリアよりも少し背が高い、黒髪を結い上げて纏めた姿の、アリスだ。スペースジャケットではなく、ヘルメットもなく、見たことのない制服のようなものを身に着けている。

 メルファリアの視線は、アリスの姿に吸い込まれた。いや、メルファリアだけではない、レオン以外のその場にいた全員がそうだった。


 誰も声を発しないまま数刻が過ぎた。


 ふと、メルファリアが我に返ったようにレオンから一歩離れた。今頃になって顔を赤らめている。

「こ……、この方は?」

 メルファリアの瞳はアリスを捉えて離れない。

 視線が集まる先で、文字通り口だけを動かしてアリスが返答する。

「私は、アリスです」


 視界の端にアリスを認めたレオンは、一瞥しながらもまだ、どう説明するかを決めかねた。というのも、レオンはメルファリアが離れた途端、思い出したように激しい疲労感に襲われたのだ。安堵したせいで、緊張感が途切れたのだろう。アリスを紹介しようとするが、自分の舌までもが重く感じる。

格納庫の疑似重力は弱いはずだが……。

「あ、ああコイツは……」


「コイツ呼ばわり? 随分と、親しげなのですね」

 メルファリアの言い方が途端に冷たくなったような気がするが、気のせいだろうか。なんとなく、頭がふわふわする。

 ふわふわ? いや、それどころか、眩暈がする。


「ええと、説明するけど、その……少し、休ませて……」

 言い終わらないうちに、レオンはその場に膝を折ってへたり込んだ。瞼が重く、視界がぼやける。


 傍らに立ったままのアリスが、直立不動のままで冷静に状況を説明する。

「彼は今、飢餓状態のうえ、疲労の蓄積が危険域に達しています。まずは休息と、栄養補給が必要です……」


 レオンの現状を的確に解説する、アリスのセリフが途中からフェードアウトした。聴覚だけでなく視覚もまた、そして意識も途切れて、レオンはへたり込んだまま昏睡してしまった。


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